ミカエル晴雨堂の晴耕雨読な映画処方箋 映画・・男優評
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ミカエル晴雨堂の晴耕雨読な映画処方箋

晴雨堂ミカエルの飄々とした晴耕雨読な映画処方箋。 体調に見合った薬膳料理があるように、 料理に合う葡萄酒があるように、日常の節目に合った映画があります。映画の話題をきっかけに多彩な生活になれば幸いです。詳しいレビューは「続きを読む」をクリックしてください。

男優評 高倉健 「ゴルゴ13」(1973) 

銀幕の大スターが漫画の主人公を演じる 
当時としては異例中の異例!



 
【雑感】初めて観た時は、正直あまり良い印象は持てなかった。
 まず高倉健氏がゴルゴ13のイメージと違う。もともと、原作者さいとうたかを氏は高倉健のイメージから膨らませ、当時人気が沸騰していたイギリス映画の「007」のイメージや世界観も絡めて ゴルゴ13というキャラを作ったらしい。
 しかしである。そのような経緯を知らなかった当時の私は、ゴルゴに比べて線が細くて弱弱しく見えた。原作では抜かりなく仕事をするのに高倉ゴルゴはドン臭くてヘマばかりしている、と悪い印象を持った。

 何より、せっかく海外ロケしていながら、全編日本語とはなんだ? ゴルゴの魅力の一つに世界各国の言語に精通していることであり、海外ロケで現地の俳優を使いながら日本語吹替で日本語だらけとは何事か、実写映画化の意味はこれだけでも激減だ、と些か憤慨しながら観ていた。

 ところである。「ゴルゴ13」の映画はその後も制作され続けたが、私の目にはこの高倉ゴルゴを超える作品は無かったように見えた。
 高倉健版から数年後に制作された「ゴルゴ13 九竜の首」では、たしかに主演の千葉真一氏は原作のゴルゴと体格はよく似ているし、アクションも良かったし、所作も悪くは無かった。が、メイクや演技をあまりにも原作に近づけようとしたためにかえってギャグに見えてしまう。漫画表現だから馴染むのであって、それをそのまま実写にしてしまうと違和感になる典型例だろう。
 アニメ映画やTVアニメも制作されていったが、残念ながら声優に不満があったり、脚本に違和感があったり、実写では気にならなかったかもしれない所作や設定の変更がアニメでは逆に不快感になる。

 結局、今にしてみれば本作高倉健版の「ゴルゴ13」が私にとって最も「マシな映画」となった。さらに後になって撮影の経緯を知るにつれ価値が高まっていく。
 当時はまだまだ漫画の地位は低く漫画の主人公を演じる俳優も若手の駆け出しばかりだった。横山光輝原作の実写化「仮面の忍者 赤影」で主演を務めた坂口祐三郎氏が赤影後は冷遇された事は有名である。現代であれば、あれほど人気のある俳優をむざむざ蔑ろにはしない。今や大スターへの登竜門であると同時に人気アイドルが俳優業へ進出する入り口でもある。
 加えて、当時の映画界はテレビに圧されて斜陽になりつつあるとはいえまだまだ「格上」だった。高倉健氏はその映画界のスーパースターだ。

 実写映画化のオファーがきた当時、さいとうたかを氏は難色を示したそうである。そして体よく断るために次の条件を出した。

 「オール海外ロケ」「主演俳優は高倉健

 この条件なら実写映画化を断念するだろうと思ったそうである。ところが、映画会社側は引き受け、なんと高倉健氏もゴルゴ役を了解された。今でこそ漫画のヒーローを有名大物俳優が演じる事が当たり前になっているが、当時は考えられない異例の中の異例である。だからこそ、さいとうたかを氏もこの条件を突きつけた。
 また、ロケ地に選ばれた場所は当時パーレビー国王統治下のイラン。ロケが組まれ高倉健氏以外は全員イランの俳優たちでかためる。今となっては政治的事情で実現は不可能に近い。ゆえに本作は貴重映像である。

 子供のころは不快感に近い違和感だった高倉健演じるゴルゴ13も、後の映画作品をみる度に価値を再確認してしまう。また「俳優・高倉健」の魅力を伝える逸話がバラエティ番組や共演者へのインタビューなどで紹介されるたびに、他の俳優とは一線を画した孤高の魅力が増していく。それとともに、なんとなく原作のゴルゴ13の魅力ともダブってくるのである。
 もちろん、架空とはいえ大量殺人を無表情で行う犯罪者と生真面目で律儀な俳優を同列に比べている訳ではないのだが、「寡黙」と「律儀」というキーワードが共通しているように思える。

 今では本作がゴルゴ13映画の最高峰と思えるようになってきた。それでも、私はどうしても不満が拭えない。ペルシャ語を流暢に操る高倉健氏を観たかった。ゴルゴ13の魅力は各国の言語に精通している事、せっかく高倉健氏以外はイラン人俳優なのだから、ペルシャ語台詞に挑戦してもらいたかった。
 後に「ブラック・レイン」や「ミスター・ベースボール」では英語で演技していた事を思うと、やはりこの「ゴルゴ13」の時にペルシャ語にも挑戦してほしかった。


 
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[ 2014/12/15 11:09 ] 映画・・男優評 | TB(0) | CM(0)

男優評 菅原文太 「獅子の時代」(1980) 

最も菅原文太本人に近いキャラクター 
會津藩士平沼銑次


獅子の時代
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加藤剛演じる欧州帰りの薩摩藩士と
菅原文太演じる叩上げの會津藩士の
コントラストが強烈。


【雑感】菅原文太といえば、広島弁を話すシリアスなヤクザや、作品毎に現れるマドンナにふられてばかりのトラックの運ちゃんなどのキャラが有名だが、私のイチオシはNHK大河ドラマ「獅子の時代」で演じた會津藩士平沼銑次である。

 NHK大河ドラマでよく取り上げられるのは、今も昔も信長や家康といった武将たちのサクセスストーリーである。ところが本作は毛色が全く違う。(余談1)
 この平沼銑次という男にサクセスストーリーはない。本作以前で大河が扱った幕末モノは井伊直弼や勝海舟といった偉い権力者や坂本龍馬といった有名人なのだが、平沼銑次は賊軍として滅ぼされる側の名もなき下級武士である。これまでの大河とは百八十度異なる視点だ。
 銑次は幕末を生き延び、明治に入ってから侍を辞め人力車の車夫をはじめ職を転々とするがいつも騒動に巻き込まれ、そのたびに拷問や苦役を課せられ散々な目に合う。
 最後は秩父困民党に加わり左手で旗を振りかざしながら右手で太刀を持ち軍隊に向かって突撃する。陸軍将校となった弟が銑次の遺体を探すが見つからず、遺棄された「自由自治元年」の旗に兄の筆跡をみる。
 その後、日本各地で起こった官憲と民衆との衝突事件には民衆側に立って闘う銑次によく似た人物を見かける・・、銑次は自由民権闘士のレジェンドになった。

 とまあ、ざっと説明すると以上の通りの物語展開である。
 何故、會津藩士の平沼銑次菅原文太本人に最も近いと主張するのか。ファンなら御存じと思うが、菅原文太氏は「仁義なき戦い」のイメージが強く最近の出演CMでも広島弁台詞を発するので広島出身と誤解される方が多いが、実は仙台出身の東北人である。
 幕末の仙台といえば、伊達中将が藩主の仙台藩藩庁があった城下町。大政奉還後に逆賊とされた會津藩を救済する目的で仙台藩を中心に奥羽列藩同盟が結成された。つまり會津は仙台にとって近しい存在である。
 また関東の人間から見れば大阪弁も京都弁も同じ「関西弁」に聞こえるのと同じで、會津と仙台も言葉はけっして同じではないが「東北弁」に括られる。

 出自だけではない。菅原文太氏の晩年はまるで平沼銑次のように闘っていた。思想は左翼ではなかったと思う。どちらかといえば保守であり、安倍晋三氏のような「右翼革新」ではない。
 反原発を唱え、太陽光発電に熱心。特に最晩年の11月では知事選の沖縄に渡り反自民の候補者で現知事の翁長雄志氏の応援演説をやっている。御高齢で病もちの身体ではそうとうしんどかったのではないか。僅か4週間後に黄泉の国へ旅立たれた。
 なんだか、銑次のように最後の最後までアウトローのままだったような感がする。

(余談1)歴史上実在した人物を取り上げていたが、本作は架空の人物を主人公にしている。
 多くの大河ドラマは戦国時代を題材にすることが圧倒的に多く、それ以外では源平合戦・赤穂浪士・幕末に集中している。本作は幕末から帝国憲法発布の明治中期までを描いており、大河初の近現代史が舞台となった。84年の「山河燃ゆ」で昭和を描くまでは最も最近の時代である。


 
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[ 2014/12/09 06:36 ] 映画・・男優評 | TB(0) | CM(0)

男優評 阿部寛 「テルマエ・ロマエ」(2012) 

テルマエ・ロマエ
 
第36回日本アカデミー賞 
阿部寛が初の最優秀主演男優賞
「今度は日本人役で」

  
 第36回日本アカデミー賞」の授賞式が8日、東京都内で開かれ、大ヒット映画「テルマエロマエ」に主演した俳優の阿部寛さんが初の最優秀主演男優賞に輝いた。プレゼンターの井上真央さんから名前が読み上げられると阿部さんは、「ええ、すいません。えっと。まさかと思いましたね」とやや震える声で話し出し、「こんなでかい体なのに鳥肌が立って情けないです。今度この壇上に帰ってくることができたら、日本人役で。ありがとうございました」とユーモアを交えながら、喜びをかみしめた。(毎日新聞)
 
 「テルマエ・ロマエ」は公開から2ヵ月が経過してもシネコンは新作映画なみの上映スケジュールで扱った。並みの話題作・ヒット作なら数週間で消えているはずだ。予想外のヒット作だ。
 
 普通、私が面白いと思った作品と世間が面白いと思った作品は一致しない。特にコメディータッチの話題作は。しかしこの作品は見事に一致した。
 もともと私は古代ローマ時代のファンであり、風呂や温泉も好きだ。原作ファンで全巻揃えている。(余談1)原作ファンが映画化された作品を観るとき、どんなに優秀な佳作でもどこかに違和感を感じるものだが、本作の場合は気にならなかった。
 作品の善し悪し以前に、私との相性が良かったのだろう。

 さて、本作の封切が決まって予告のチラシを見たときの印象は実は真逆だった。てっきり日伊合作にしてイタリア人俳優がルシウスを演じると思っていた。それが日本人阿部寛氏が演じる、いくら彫が深いソース顔とはいえ、やはり無理があるのではないかと思った。
 思い出すのは80年代の中国香港合作映画「西太后」、阿片戦争の描写で中国人民解放軍がイギリス軍に扮してるのだが、コスプレ丸出しだった。比較的彫が深くて鼻筋の通ったエキストラをカメラの前面に配置し、白粉で顔を白くし、赤毛や金髪のカツラや付け髭でメイクしているのだが、思わず笑いが噴き出してしまった。

 「テルマエ・ロマエ」もそんなギャグになってしまうのではと危惧した。ところが蓋を開けてみれば、特に違和感を感じない内容に仕上がっていた。それどころか、ラテン語を発声する場面では阿部寛氏がローマ人に見えてきたほどだ。

 そういえば、映画デビュー作「はいからさんが通る」で日独混血の伊集院忍少尉に扮したとき、阿部寛氏が着る大正七年式軍装がお洒落に見えた。
 顰蹙を買うかもしれないが、日本陸軍はイマイチダサいと思っている。誤解をまねくかもしれないが、デザインとして洗練されているのはナチスドイツの軍服だ。現実にファンが多いから事実だ。
 ところが、ダサいと思っていた大正七年式の軍服を着る阿部寛氏は、どこかヨーロッパの貴公子のように見えた。
 デビュー作から20年以上経って「バルトの楽園」でまた同じ大正七年式少尉軍服を着る役を演じた。ドイツ兵捕虜を収容する施設の将校役なのだが、ドイツ人俳優たちよりも長身で足が長い立派な体格だった。

 そんな阿部寛氏だから、ローマ人ルシウスを演じても違和感は起こらなくて当たり前かもしれない。

(余談1)封切時は単行本と同じB6の36頁(表紙込)の「テルマエ・ロマエ」特別編が入場者全員に配られていた。
 映画の解説やロケ地紹介、主演者・原作者へのインタビューに加え、特別編のために描き下ろした短編漫画も掲載されている。阿部寛とルシウスがロケ地の銭湯でラムネ飲みを競い合う内容だった。
 今でも配布されているかな? 部数切れとともに配布中止になる予定だったが。もしそうなら、私は「テルマエ・ロマエ」を正味「全巻揃え」ている幸運な人間という事になる。


 
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[ 2013/03/09 08:56 ] 映画・・男優評 | TB(0) | CM(0)

男優評 伊武雅刀 「桜田門外ノ変 」(2010) 

桜田門外ノ変」 
演技には不満は無いが・・。

 
 私は「宇宙戦艦ヤマト」の世代なので、子供の頃から伊武雅刀氏はお気に入り俳優だった。(余談1)だが井伊直弼役は好ましくは思っていない。
 
 概ね出演俳優たちは実際の登場人物たちの年齢に近い俳優が演じている。唯一、大きく歳が隔たっているのが伊武雅刀氏の井伊直弼である。
 38歳の関鉄之助を42歳の大沢たかお氏が演じるのに対し、44歳の井伊直弼を61歳の伊武雅刀氏が演じるのだ。他の配役も概ね史実と俳優との年齢差は5歳程度だが、井伊役だけ突出して俳優が歳上である。

 たしかに現存する井伊の肖像画はどれも50代60代のような貫禄なのだが、昔の絵師は鼻から口元にかけての豊麗線など顔の皺を必要以上にしっかり描き込むし、威厳をもたせるためにやや老け顔で描く事が多い。この事からの誤解だろう。井伊の生活水準を考えたら、老け加減は現代人と変わりは無いはずだ。(余談2)
 年齢と風貌と若々しさから選べば、六角精児氏か宅麻伸氏あたりが井伊を演じても良かったのではないかと思う。
 
 それから井伊の描写が期待していたほど少なかったのも残念で、もし私が井伊の子孫なら憤懣を抱くかもしれない。物語は水戸藩士の視点で描かれているのでやむを得ないのだが、水戸徳川と井伊家の対立をもう少し丁寧に描いても良かったのではないかと思う。
 開国か攘夷かの論争は台詞少なめだったし、家柄が絡む対立もあったはずだ。水戸は将軍家の親戚で徳川姓を名乗り官位も従三位と高い。井伊は譜代の重鎮で老中より上の大老として国政を担うが官位は水戸より低い正四位上。主君筋と家来筋の線引きは明確。
 実務権限は無いが上座に座って理想論を幕閣へ偉そうに説教する水戸と、下座に座って極力穏やかに謙譲の態度を示しながら水戸様へ反論する実務トップの井伊、必要最小限の描写ではなく、もう少しだけ時間を割いて緊張感ある演出をやってほしかった。(余談3)
 
 とはいえ、井伊は官僚組織のトップゆえ、どこか高級官僚的な掴み所のない態度で水戸と接したのが実像かなと思うときもある。そんな演じ方は伊武氏が上手い。
 他の時代劇では、襲撃の密告書簡を井伊自ら開封した事実から桜田門外の変当日の登城は決死の覚悟で臨んだかのように描写されることもあるが、本作でも描写されているように刀の柄を雪や雨露から防ぐためにカバーで覆って抜け難くしてしまったのは失態。これによって不意を突かれた井伊家家臣の多くが水戸浪士の犠牲になった。
 襲撃の備えを全くしていなかったのは明白。伊武版井伊では登城の間際に用人の注進で密告書簡を開封するも「いつもの暗殺話か」と一笑にふす。もちろん井伊大老が残した日誌や文書から決死の覚悟で難局に臨んでいたが、不満分子を徹底弾圧したこともあり過激派の力を軽く見てしまったのが実態、伊武版井伊の調子が本当のところだろう。
 
(余談1)デスラー総統の声優が一番だ。あの当時、伊武氏はまだ20代半ば、なんという貫禄。
 今でも忘れない台詞がある。イスカンダルのスターシアが抗議の電話をかけてくる。デスラーは余裕の語調で「ホットラインが錆びてしまうかと思ったよ」「抗議、抗議、貴女からの電話は抗議ばかり。たまには優しい言葉が聞きたいものだな」「ガミラスは生きる事に貪欲なだけだ」
 当時9歳の私は、なんてお洒落な大人の会話なのだ、と憧憬の念を抱いた。ヤマトのキャラの中で、デスラー総統が一番お気に入りだった。それだけに、後のシリーズでヤマトの坊や古代ごときに友情を感じる情けないデスラーは嫌だった。
 
(余談2)吉田松陰も活躍したのは20代後半なのに肖像画では40男のように見える。
 
 ところで井伊直弼は十四男なので家督を継ぐ事は本来ありえない。しかも庶子なので養子の口すら無かった。ゆえに少年自体から30過ぎまでは武芸と勉学と藝術に励んでいた。もともと頭が良く才能豊かだったので文武両道芸達者多趣味だったらしい。家督を継ぐ可能性は殆ど無く兄弟が多かったことから武芸も怪我を恐れず思いっきり精進でき、有り余る時間から趣味にも没頭できたので、あらゆる分野で玄人肌職人肌だった。
 そんな生活なので、現代人から観ても井伊は歳より若く見えた可能性もある。
 
(余談3)NHK制作の「桜田門外の変・時代と格闘した男」では井伊直弼を長門裕之氏が、水戸御老公を佐藤慶氏が扮した。
 水戸御老公が押し掛け登城をした時、井伊は「不時の御登城なれば、必ずやお弁当のご用意があるであろう。その儀に及ばぬ」と水戸に茶も食事も出さず、満面に嫌悪の情を浮かべて「待たせておけ」と独り言。水戸を4時間も待たせた。
 長門井伊は反骨の情を隠さず毅然とした語調というよりは、喧嘩腰に近い態度で水戸様に反論した。井伊の子孫が観たら「カッコイイ」と思うかもしれない。


 
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[ 2011/03/20 15:35 ] 映画・・男優評 | TB(0) | CM(0)

男優評 役所広司 「十三人の刺客」 (2010) 

十三人の刺客」 
「笑の大学」から攻守入れ替わって。
 

十三人の刺客
十三人の刺客」から参照。
 
 稲垣吾郎氏と映画で共演するのは「笑いの大学」以来だったと思う。舞台は太平洋戦争開戦前夜の日本、役所広司氏は七三の刈上げ頭に濃紺の三つ揃いダークスーツ姿の隙の無い検閲官。稲垣吾郎氏は少しチャラぽい背広、当時にしては長めの髪の気の弱そうな優男風、劇団「笑いの大学」座付脚本家で、上映の許可をもらおうと書上げだ脚本を抱えて検閲官の元へ足しげく通う。
 もともと許可を出す気は無い検閲官は、期待を持たせるような含みを入れて無理難題を突きつけ、脚本家はそれを次々とクリアしなおかつ笑いをとる。やがて検察官も打ち解けていき、脚本家の笑いの世界にのめり込んでいく。

笑いの大学
「笑の大学」では
役所広司が権力者役、稲垣吾郎が挑戦者役。

 
 あれから6年か、今度は稲垣吾郎氏が大権力者となり、役所広司氏がその権力者を倒すべく12人の刺客を率いる指揮官、挑戦者の役を担当する。(余談1)
 ハッキリいって、稲垣吾郎氏ほどのインパクトは無かった。悪い意味ではなく、期待通りの演技だったので、かえって印象が薄いものになった。それに脚本や演出も稲垣吾郎氏演ずる悪役に力を入れて、役所氏たち善玉の描写を必要最小限に削っているので、これは止むを得ない。
 「笑いの大学」と併せて役所氏と稲垣氏の俳優としての鍔迫り合いを鑑賞すれば、演技の面白さが伝わってくるかもしれん。
 
(余談1)役所氏が演じた御目付七百五十石島田新左衛門、突っ込みどころをいえば、目付とは老中の次席にあたる若年寄の配下の旗本で、旗本御家人を監察するのが仕事である。したがって大名の問題に関わるのは管轄外であるし、老中から若年寄を頭越しに直接呼び出されるのも指揮系統から外れてイマイチありえない事なのである。
 
 通常、目付には役料(役職に対する報酬)1千石が与えられる。たぶん、七百五十石は役料を省いた知行だろう。
 目付は中間管理職ではあるが、幕閣に対して発言権が大きく、老中が政策を決める際に目付の同意が無ければ始められない権限を持っている。
 このくらいの侍になると、給料として米を支給(侍は給料としてもらった米を換金して生計を立てていた)されるのではなく、知行地を与えられている。ただ、三千石以上の大身旗本(大岡越前ら)は領地に陣屋を構え家臣を派遣して行政権を行使するという大名のような権力を振るったが、島田クラスは知行地に行くことはあまり無く、代わりに幕府の代官が管理した。

 けっして低い身分ではなく、世間的には「殿様」と呼ばれる。作中でも島田の甥の愛人(吹石一恵氏)が役所氏のことを「島田の殿様」という場面がある。
 冒頭にあるような、呑気に釣りを楽しむ飄々とした生活ぶりはちょっと考えにくく、かなり多忙を極める重要な役職、目付から奉行へ昇進していく者も少なくない。剣術に生きるというよりは、キャリアの高級公務員というイメージが近い。


 
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[ 2010/12/25 12:15 ] 映画・・男優評 | TB(0) | CM(0)

男優評 稲垣吾郎 「十三人の刺客」(2010) 

十三人の刺客」 
ジャニーズ異例の素晴らしき悪役ぶり!


稲垣吾郎
十三人の刺客」から参照。
 
 私はSMAPに興味は無い。トップアイドルの木村拓哉氏には全くの無関心、リーダーの中居正広氏や子供に人気の香取慎吾氏も数多くいる芸能人の中の1人という程度の認識。しかし韓国語を流暢に話すチョナン・カンこと草彅剛氏と「特命リサーチ200X」や「催眠」で知的オタクキャラが確立した稲垣吾郎氏には熱い親近感を抱いている。
 
 さて、本作の悪役ぶりは素晴らしい。ジャニーズ事務所は所属タレントのイメージを守り過ぎる傾向が強いので、ジャニーズタレントが出演する映画はつまらないとの批判を映画ファンや友人のレビュアーからよく耳にする。ましてや悪役などトンデモ無いことだろう。
 ところが稲垣吾郎氏は難しい悪役をよくぞこなしてくれた。
 
 悪役というのは簡単ではない。特に勧善懲悪ものの物語ではラストで善玉に滅ぼされて観客たちが溜飲を下げスカッとさせる必要から、憎たらしいほど悪でないといけないのだ。(余談1)
 しかもただワルければ良いというものではない。単発の1時間モノの時代劇ならワガママなバカ殿でもいいのだが、本作のように大掛かりな待ち伏せの仕掛けを用意して、しかも13人も刺客を集めているのだ。そこまでして討たなければならないほどの悪行ぶり、ただのバカなら戦をするまでもなく、市村正親氏扮する有能な側用人が幕府と通じて謀略をめぐらせ厄介な主君を隠居させるだろう。実際、隠居や廃嫡する例はあった。(余談2)

 有能な側用人が忠義を示して刺客たちと戦わなければならないほどの圧倒的存在感と力、更生の余地が無いほど人格障害をきたした暗黒の奸雄を稲垣氏は演じなければならないし、よく演じきった。
 これは稲垣氏のオタクキャラと歴史への理解が功を奏している。
 
(余談1)例えば萬屋錦之助氏の代表時代劇に「破れ傘刀舟」がある。普段は酒飲みの町医者だが理不尽な悪行を目の前にすると義憤を爆発させ、愛用の銘刀同田貫を掴むや単身悪玉の屋敷に乗り込む。ラストの決め台詞は「てめぇら人間じゃねぇ!叩っ斬ってやる!」、悪玉をはじめ子分や家来を皆殺し。

 もし悪玉に少しでもヒューマンな顔を覗かせたら、逆に主人公刀舟が短気で血に飢えた殺人鬼に見えないまでも、皆殺しにする必然性は感じられなくなり、主人公に感情移入できず後味が悪くなるだろう。
 「こんなワルは殺されて当然」と思える悪役でないと、ラストは爽快な気分にならないのだ。
 
(余談2)現実の世界で数百の軍勢を前に13人は少ないのだが、時代劇としては多すぎる。どの物語も悪役も入れてメインキャストは5人から7人くらいに抑えているはずだ。というのも人数が多すぎると、顔と名前を観客が覚えられない。本作でも覚えられるのは13人のうちの5・6人までで、他は「刺客A」「刺客B」の感覚だ。
 
 登場人物が多い「ヤマト」でも、メインは沖田艦長・古代・島・森・アナライザー、それに加えて悪役デスラー総統とヒス副総統でまとまり、他は助演だ。
 戦隊モノが5人なのもそんな法則があっての事なのだ。
 

 ところで市村正親氏が演じた鬼頭半兵衛、やたら藩主松平斉韶への忠義を口にしていたが、実は当時の感覚からもズレている。忠義を尽くす相手はあくまでも明石藩であって、松平斉韶個人では断じてないのが日本型封建制の特色である。明石松平家を守るためには、たとえ藩主であっても無能であれば強制的に隠居させて新しい藩主を据える。
 実際にそれが起こった事件として有名なのが伊達騒動である。藩主伊達綱宗は放蕩三昧だったため叔父の宗勝が諫言したがそれでも放蕩は治らず、やむを得ず親族大名と相談のうえ幕府に訴え、藩主綱宗は20歳そこそこで隠居させられて2歳の嫡子が藩主に就いた。伊達騒動はその後が本番なのだが、ここでは割愛する。

 鬼頭は明石藩御用人役で参勤交代の大名行列の責任者を務めていた重臣、石高は千石、元々は主人公島田新左衛門と同じ幕臣だったが、将軍弟松平斉韶が明石藩主を継ぐにあたって明石藩士になったという設定、つまり幕府から「出向」したような側面もあるので、立場としても感覚としても松平斉韶に対して作中のような忠義を示すのは不自然。あのような大事になれば斉韶個人よりも将軍家の安泰と幕政の秩序を優先させるはずだ。
 
 もっとも稲垣斉韶は人格異常者であって知能障害ではない。鬼頭の忠誠心は斉韶個人への恐怖であると解釈できるし、作中でもそんな事が窺われる描写がある。
 

 
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[ 2010/12/20 12:15 ] 映画・・男優評 | TB(0) | CM(0)

男優評 トム・クルーズ 「ワルキューレ」(2008) 

ワルキューレ
ラスト、もうひと工夫あれば・・。


 アイドルスター俳優と思われがちの俳優だが、トム・クルーズ氏はけっこう様々な役に挑戦している。88年の「カクテル」くらいまでは青春スターといった感じだったが、89年「7月4日に生まれて」では頭髪が薄くなりかけた老け役に挑戦し、その後は痩せこけたバンパイア・鎧兜のサムライ・無表情の殺し屋など、普段は髭の無いナイスガイを演じつつ、時折これら個性的キャラをこなしてきた。

 そして今回はドイツ人である。ヴュルテンベルク王国(余談1)から続く伯爵家の当主にしてドイツ国防軍の大佐、ヒトラーに反旗を翻すグループの実戦リーダー、保守的なカトリックで騎士道精神の持ち主、ドイツでは特別な人物であり遺族も健在であるから、カルト信者のアメリカ人が扮する事に強いアレルギー反応を示す。公開に漕ぎ着くまでには何度もトラブルに見舞われたいわくつき映画である。
 例えて言うなら、中国人俳優が有名日本軍将校を演じるようなものだろう。やはり所作が中国人なのである。要所要所の特徴はよく捉えているが、前髪が長い陸軍兵士がいたり、剣舞が中国拳法みたいだったり。
 
 だからトム・クルーズ氏もヤンキー臭さが出てしまうとアウトである。軍服を着る役は既に何度もこなしているが、今回の役柄は単なる将校ではなく故郷へ帰れば伯爵様だ。アメリカ青春スターのような軽くてヤンチャな雰囲気は殺さなければならない。加えて史実の大佐は30代後半の若さだから若々しくなければならない。
 トム・クルーズ氏も安っぽく見られないよう貫禄ある動きに徹すよう注意していたみたいだ。物語の大半は威厳のある姿勢で慌てず堂々と歩く場面ばかり続く。作品レビューでも述べたが、歩き方の練習をけっこうしたように見える。

 史実を御存知の方なら説明の必要はないが、ヒトラーは数々の幸運(余談2)が重なって難を逃れた。観客の多くも結末を知っているので、作品の成功は演技力にかかっているといっても良い。
 今回は大袈裟な演技やアクションで誤魔化せない。佳境では殆どを司令官席に座って指示を飛ばしたり、忙しそうに電話をかけたりする場面ばかりを演じる事になる。皆を動揺させないため常に堂々と振舞わなければならないので、今まで演じてきたヒーローのように泣いたりわめいたり焦ったりはできない。名誉あるドイツ将校なので、襟を開けたり上着を脱いでシャツ姿で腕まくり、といった表現もできない。さらに黒い眼帯で片目を隠しているので、表情の半分くらいが消える。せいぜい顔を汗でテカらせる事しか小細工ができない。魅せ辛い役柄だったろう。

 ただ、ラストの処刑の場面では、もう少し弱った大佐を演じても良かったのではないかと思った。実際の大佐は左腕に銃弾を受けて出血、手当てされなかったので血は流れ放題。そのため意識が朦朧としていたらしい。作中でも袖から血が流れているのを構わず直立不動の姿勢でいる大佐を演じているが、朦朧とした感じには見えなかった。
 腕から流れる血をもう少し強く強調し、血色の悪いメイクをほどこして処刑寸前に「聖なるドイツ万歳!」と叫ぶ方がよりインパクトがあったような気がする。

 最後に、トム・クルーズ氏の顔立ちは張りがあり実年齢よりは若く見えるし、角度によっては意外にも実際のシュタウフェンベルク大佐の面影がある。それだけに英語台詞は残念。
 真田広之氏はシェークスピア劇で17世紀の英語台詞をマスターし、「プロミス」では中国語台詞で通した。世界中から俳優たちは英語をマスターしてハリウッドで仕事をする。ならば、トム・クルーズ氏もドイツ語をマスターしてほしかった。

(余談1)ドイツ帝国を構成する王国。ドイツ南部バイエルン王国の隣にあった。1918年のドイツ革命で王政は廃止、ワイマール共和国の一州になる。現在もドイツ連邦共和国を構成する一つの州だ。
 この地方はどちらかといえばワインの生産地で有名。ローマ帝国の対ゲルマン最前線に位置しており、ローマ人が葡萄栽培と醸造技術を持ち込んだ。

(余談2)様々な幸運が重なってヒトラーは殆ど無傷で助かった。
 原因は、夏の暑い日だったので窓を開けていた。7月下旬にもなればドイツでも暑い。このため爆風が外へ逃げて威力が激減した。
 ムッソリーニとの会談などが予定に入ったので会議の時間が早まり、2つ用意した爆弾のうち1つしか起爆装置をオンできなかった。
 さらに大佐が目的の場所に鞄を置いたが、大佐が退避してから別の幕僚が鞄を移動させた。それがたまたまテーブルの太い脚の陰だったため、爆風がヒトラーを反れた。

 これらは戦史に詳しい方々にとっては超有名なエピソードで、映画でもほぼ忠実に再現されていた。
 

 
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[ 2010/04/04 07:08 ] 映画・・男優評 | TB(0) | CM(0)
映画処方箋一覧
晴雨堂が独断と偏見で処方した映画作品。
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