ろぷろす_ぶろぐ 2016年11月
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ジャン・シンさん(華妃) 華流ドラマ「宮廷の諍い女」 その16 第2部-諍いからの脱出- 第44話~第45話(全76話)

甄嬛が何故にか懐妊する。
甄嬛の知略によって今回は皇后もあからさまには堕胎医となれなかったので、公主が生まれる。
しかし、これが甄嬛と雍正帝の乖離を決定づけることとなった。

DVDでは、第22巻(全37巻)。
第44話「命を懸けて」
第45話「永遠の決別」。

今回で第2部が終了です。
次回からは、第3部-決意〜諍いの終結-(第46話~第76話)が始ります。
甄嬛によれば、
「後宮の女は御花園の花と同じだわ、散っても新たな花が咲く」
ということなので、これからどんな妃嬪が登場するのか楽しみにしたいと思います。
とはいっても、華妃を超えるほどの者は出ないでしょうけど。
雍正帝がずっと純元皇后の幻を追うように、わたしも華妃の幻を追いたいと思います(笑)


☆あらすじ

謹慎(実質的な幽閉)によって、ろくな食事を与えられない甄嬛(しん・けい)(スン・リー(孫儷))はその傷心と相まって痩せて体調を崩してしまう。
心配した崔槿汐(さい・きんせき)たちは甄嬛を侍医に見せたいがために、侍衛に賄賂を贈ってなんとか侍医を呼ぼうとするのだが、侍衛に拒絶される。
そんな折り、遂に甄嬛が倒れたので、流朱(りゅうしゅ)たちは門を蹴破って外に出て侍医を呼ぼうとする。
それを阻止しようと侍衛は剣さえ抜こうとする。
それを見た流朱はここを打ち破るにはこれしかないとばかりに、その刃に向かって身を投げ出す。
その刃は流朱の首筋を斬り、流朱は倒れる。
浣碧(かんへき)は驚き流朱を抱えると侍衛に侍医を訴える。
侍衛は慌てふためき総管に報告する。
侍衛総管が皇帝に報告すると、雍正帝(ようせいてい)(チェン・ジェンビン(陳建斌))は激怒して甄嬛の元に侍医として温実初(おん・じつしょ)(チャン・シャオロン(張暁龍))を派遣するよう命じる。

甄嬛は温実初の診察を受けてことなきを得るが、この診察で意外なことが判明する。
それは、甄嬛が懐妊しているということである。
このことは、甄嬛にとっては名誉挽回の機会になるかもしれないことであった。
そのためには、どうしても無事、子を産まねばならなかった。
この後宮で子が産まれないのは、皇后(エイダ・チョイ(蔡少芬))の策謀であることをうすうす感じていた甄嬛は、この出産の後見人として皇后を指名するという奇策を用いる。
こうやって皇后にも責任を持たせることによって、皇后の策謀を封じ込めようということである。
この後、流朱に粥を作って欲しいと頼んだことから、浣碧(かんへき)によって流朱が侍医を呼ぶためにその身を犠牲にしたと明かされる。
甄嬛は泣き崩れて、その復讐のためにも生き抜くと言う。

皇后は皇太后から、甄嬛の出産の後見人になることを命じられ、不本意ながらそれに同意する。
こうやって、表向きは甄嬛の出産のための脅威は去ったのであるが、以前甄嬛の謹慎は解けない。
沈眉荘(しん・びそう)(ラン・シー(斕曦))や皇后が甄嬛の謹慎を解くように嘆願するのであるが、雍正帝はそれを却下する。

一方、朝廷では、銭名世(せん・めいせい)の詩集の件がまだ尾を引いていて、銭名世を罷免した上で臣下の者に銭名世に関して詩を書かせ、その詩から銭名世に同情的な者を割り出し、その者を処分するということがなされていた。
その施行の担当者は、最初に銭名世(せん・めいせい)の詩集を甄遠道(しん・えんどう)が持っていたと言って訴えた爪爾佳卾敏(ギワルギャ・オミン)である。
爪爾佳卾敏によると甄遠道だけが銭名世に関する詩を書いていないということである。皇帝は甄遠道を警戒しだす。

甄嬛の知略の為に甄嬛に手の出せない皇后であったが、安陵容(あん・りょうよう)(タオ・シンラン(陶昕然))は秘かに甄嬛を亡き者にしようと皇后に入れ智恵をする。
その安陵容の敵対は、温実初によって甄嬛にもたらされる。
沈眉荘の火傷の傷痕のことから、安陵容がくれた舒痕膠(しょこんこう)に麝香(じゃこう)が含まれていることが甄嬛の知るところとなった。
それを聞いた甄嬛は、「人(安陵容)のあさましさ」に吐き気すら催す。
しかし、それは崔槿汐によれば良かったとのことである。
敵の正体が分かれば対処がしやすいとのことである。
崔槿汐の言う「たとえ優しくしても、相手が恩を感じるとは限りません」は箴言(しんげん)であろう。
相手に関係なく、自分がしたいからするが第一義でしょう。

雍正帝は、甄嬛を慰撫するために、ある日秘かに甄嬛を見舞うのであるがその時は甄嬛は寝入っていた。
甄嬛の負担を軽くするために、芳若(ほうじゃく)が甄嬛の元に派遣されるが、甄嬛に言わせると付き添いではなく監視であるとのこと。
その芳若と浣碧を伴って御花園を散策しているときに、祺貴人(ききじん)と欣貴人(きんきじん)に出くわす。
祺貴人は尊大な態度だが欣貴人は礼をつくす。

朝議で甄遠道(しん・えんどう)は、言官(げんかん)として銭名世(せん・めいせい)の件をこれ以上追求するとおもねる風潮になると諫言(かんげん)するが、雍正帝(ようせいてい)は爪爾佳卾敏(ギワルギャ・オミン)や張廷玉(ちょう・ていぎょく)の言を入れて、甄遠道を解任して投獄しその家族を屋敷に監禁するように命じる。

周りの者は、懐妊中の甄嬛(しん・けい)が衝撃を受けて子をそこねるのを心配して、甄家に起こったこの不幸を甄嬛には黙っていた。
しかし、ある日内務府から易産石(いさんせき)を持ってきた新入りの小貴子(しょうきし)という太監から甄家の不幸な境遇を聞いてしまう。
甄嬛はその衝撃から体調を崩してしまう。
そして、診察に来た温実初(おん・じつしょ)から、詳しく甄家の没落の顛末を聞く。
それを知った甄嬛は雍正帝に嘆願するべく文をしたためまたその文に雍正帝とのなれそめの品を添えて、雍正帝の目に留まるようにする。

新入りの小貴子という者は、安陵容(あん・りょうよう)の手の者で甄嬛の子を葬るためにわざと甄家の不幸を甄嬛に漏らしたのであった。
皇后は皇太后から子を守るようにきつく釘を刺されたのであるが、安陵容が皇后の気を汲んで自ら暗躍してのことである。
これだけでは甄嬛の子および甄嬛を葬れないと思った安陵容は、甄遠道にすらその魔の手を伸ばす。
安陵容の命を受けた小貴子は、牢獄にいる甄遠道に鼠を忍ばせる。

雍正帝に謁見を許された甄嬛は、父である甄遠道の無実を訴えるが雍正帝は取り合わない。
雍正帝はいままでの功績及び甄嬛のことから厳罰ではなく寒冷地の寧古塔(ねいことう)に家族と共に流刑にすると言う。
それを聞いて甄嬛は驚愕し、とても年老いた両親は耐えられないといって再考を嘆願する。
その嘆願の言い過ぎに雍正帝が怒り、机の物を払い除けると、その中に雍正帝が純元皇后を慕って書いた文があり、それが甄嬛の目に留まる。
それを読んで甄嬛は雍正帝の本心を知る。
はっきりとそこには甄嬛は純元皇后の面影でしかないと書かれていた。
自分に対する愛などないと知った甄嬛は更なる絶望に陥る。
しかも、それに追い討ちをかけるように、蘇培盛(そ・はいせい)から甄遠道が鼠の疫病に罹(かか)ったとの知らせがもたらさせる。
甄嬛は雍正帝の足元にすがって、父の甄遠道の命を救って欲しいと懇願する。
それは雍正帝が約束したので、甄嬛は傷心のため疲労困憊しているがなんとか退出する。

籠に乗り崔槿汐(さい・きんせき)に伴われて急ぎ碎玉軒(さいぎょくけん)に戻った甄嬛であるが失神して出血しており、早産となった。
しかし、幸いにも子は無事に生まれた。
公主であった。
公主であることに皇后はほっとし、雍正帝はそれでも笑みが止まらない。
上機嫌の雍正帝は、甄嬛に対し罪を許し、妃にするというが甄嬛はそれを受け入れない。
業を煮やした雍正帝は、甄嬛に「仏堂に移り、心を静めよ」と言う。
甄嬛はそれを受けて皇宮を去り、子の名前を綰綰(ワンワン)とし、その養育を敬妃に託すことを願い出る。
雍正帝は、それを許し、綰綰の封号を朧月(ろうげつ)とする。
甄嬛はそれに感謝し、雍正帝との別れを詩に託し、三度の礼をすると、雍正帝はその別れを別れとする。


☆所感

う~ん、雍正帝(ようせいてい)の甄嬛(しん・けい)への愛はこんなものだったのか。
結局、最初から最後まで、甄嬛ではなく純元皇后だったということか。
甄嬛は純元皇后の代役であったということ。
とはいっても、そもそもそういうことは可能なのか。
甄嬛は甄嬛でないのか。
そこにいくら純元皇后を見ても結局は幻を見るしかないのでは。
それでも、幻を見るだけでも見ないよりはましだったのか。
こういうことは、分かるようで分からないといえる。
おそらく、本人にしか分からないことだろう。

甄嬛が何を言って何を行っても、それはすべて純元皇后ということだったのか。
生前の純元皇后というよりそこにある偽りの純元皇后が雍正帝の純元皇后だったのだろう。
だから、あれほど怒ったのだろう。
つまり、あの甄嬛の妃への冊封の時、雍正帝は甄嬛は甄嬛であって純元皇后ではないということを自覚したのだろう。
いままでの、甘い夢の世界から現実の世界に戻ったということだろう。
甄嬛が雍正帝の夢を壊したということなのだろう。
あの時に初めて雍正帝は甄嬛を見たといっていいだろう。
いままでは、雍正帝にとって甄嬛は純元皇后の生まれ変わり(第2の純元皇后)であったのだろう。
一度として雍正帝は甄嬛を愛してはいなかったといえるだろう。
雍正帝にとっては甄嬛との愛は純元皇后との愛であった。

甄嬛を甄嬛として自覚したならば、甄嬛はもはやあまたの妃嬪の一人でしかない。
政治的に利用する相手でしかない。
子を産むということは最も政治的に利用価値が高いということである。

しかし、なぜ雍正帝は過去の呪縛から逃れられないのだろうか。
そういうことでは、また皇后も同じである。
自らの子を失ったということが自らの存在として認識されないということなのだろう。
それは単に自分の地位が脅かされるということではない。

過去の呪縛から逃れられない。
それは、自分の不幸をけっして認めないということだろう。
つまり、運命を認めないということなのだろう。
己に力がなければ、運命を認めざるをえないが、己に力があるばかりに運命に逆らおうとしているのだろう。
終わった過去を認めなく、その運命を変えられると思っての必死の抵抗なのである。
しかし、いくらあらがっても運命は運命なのである。
それは、人間ではけっして変えられるものではない。
おそらく、この種の人間は、死の床について初めて、己の運命を知るということもあるでしょう。

運命にあらがうことが己一人の所業であるならば、それはその人の生き様なのでしかたない面もあるが、運命にあらがう者は得てして力を持っているので、多くの者をその己の生き様に巻き込んでしまうということなのだろう。

その犠牲者の主は、甄嬛であり安陵容なのかもしれない。
見方によっては、人間の神々へのあらがいといえるだろう。
そして、神々へのあらがいはそのスケープゴートをまた必要とするということなのだろう。

犠牲者といえば、流朱(りゅうしゅ)があのような形で生を全うするとは思わなかった。
侍衛が刀を抜きかけそれに対して流朱が思いつけた表情をしていたので、何かをするのは分かっていたが、まさか自分の身をその刃に投げ出すとは思ってもいなかった。
ちょうど頸動脈のあたりであったから出血多量になったのであろう。
それだけ甄嬛への思いが強かったのだろう。
とはいっても、甄嬛をあのままにしておいて、もし甄嬛が死ぬようなことになれば、やはり雍正帝によってその命を散らすことになったであろうが。

支配者という者は、自分が原因で災厄が起こっても、けっして自分のせいで起こったことであるとはしない。
それは古今東西同じである。
過ちを認めたら、多くの者はもうその支配者を信じなくなるだろう。
また、どこかで過ちを犯すと思うだろう。
支配者というのは、仲間内以外では神聖不可侵なのである。

それは原発などがいい例である。
原子力村の支配者は、原発は(絶対に)安全であるという安全神話を掲げていたが、現実に東電福島原発放射能汚染事故が起こると、「想定外」といって未曾有の災害のせいにして、自らの過ちを認めないばかりか事故の隠蔽すら行おうとする。
原発の安全神話が間違っていたと言えば、すべての原発を廃止しなければいけないことにすらなるので、そんなことはけっしていわない。
誰かをスケープゴートにすれば、安全神話はまた復活して再稼動できるのである。
なぜなら、安全神話は原発にとって神聖不可侵なのだ。

つまり、そういうことでもまたスケープゴートであったのである。
甄嬛のために誰かが死ぬようなことがなければその罪は許されないのである。

流朱が死ぬとは甄嬛でなくとも悲しいことである。
流朱の最後がこういう結末になるとはまったく予想できないことであった。
利発であるが故にそこに固い信念があったということであろう。
合掌。

それにしても、甄嬛が懐妊するとはびっくりです。
てっきり安陵容の舒痕膠(しょこんこう)で子の産めない体になっていると思ったのだが。
どういうことなのだろう。
麝香(じゃこう)に対してある程度の対抗性があるのだろうか。
でも、第1子の時の流産は華妃の歓宜香(かんぎこう)や仕打ちがあったとしても、舒痕膠の影響も大きかったと思われるのだが。

その舒痕膠であるが、その正体が温実初(おん・じつしょ)の口からはっきりと語られることとなった。
麝香が含まれていると。
そこで甄嬛は安陵容がはっきりと自分の敵であると認識出来たわけである。

その安陵容(あん・りょうよう)は、今回の甄嬛への策謀でも明らかになったように、この舒痕膠への麝香の混入は自らの意図であったということである。
自分の救い手であった甄嬛から皇后への乗り換えはその保身から起こっているものであろう。
後ろ盾の乏しい安陵容がこの後宮で生き残っていくのには、より力のある者に媚びるのは当然であろう。
だから、もし皇后が失墜したら、それに代わるより強力な者に媚びるであろう。
しかし、そのより強力な者が受け入れたらの話であるが。
そういうことでは、安陵容はついていたといえよう。
皇后の手駒として働けるだけの技量があったのだから。
やはり、家系(家柄)の後ろ盾がなくてこの後宮に入宮しようというくらいだから、自らに力があるという自負はあったのだろう。
だから、今は良くも悪しくも自分の生き様を見つけて活き活きとしているといっていいだろう。
それが、あの前髪からの総なで上げ髪(オールバック)に象徴されているといえるだろう。

皇后の指示なのか自らの発案なのか分からないが、甄遠道の投獄を甄嬛に告げたりまたその甄遠道を鼠の疫病にかからせたりするのを積極的に行っている。
その勢いは正に自分が第2の甄嬛になろうとしているようでもある。
そしてその可能性はあるということなのである。
あれほど雍正帝の寵愛を独占していた者でも没落するのである。
華妃は政治目的の寵愛であり、甄嬛は純元皇后の代理の寵愛であった。
つまり、そこには愛などなくその時その時の雍正帝の都合での寵愛なのである。
ということは、雍正帝のその時その時の機微さえつかんで立つ回ればそれなりの寵愛を持続できるのである。
そのそれなりの寵愛こそこの後宮で生き残る最善最良の方法なのである。
誰も真の寵愛など受けないのなら、そのかりそめの寵愛をどうやって保持していくかが大切なのである。
そういうことでは、元々控え目で耐えることができあえて自尊心をださない安陵容にとってはこの後宮は自らの巣のようなものかもしれない。
そういうことを悟ったのかもしれない。
ということで、さりなく皇后に媚びているふりをしつつ自らの地位を高めていくのであろう。

見た目に怖さが分からない者は、そういうことでは判断しにくいのでより怖いともいえる。
といってもこういうタイプはおそらくそんなにはいないと思う。

沈眉荘(しん・びそう)っていい度胸をしているというか図々しいというか。
偽懐妊から雍正帝に不信を抱いて、ずっとよそよそしくしていたのに、甄嬛が窮地だとなるとその皇帝に嘆願するということなのだから。
普通に考えたら、どう見ても自分によそよそしくしている相手のいうことなど受けいれるはずがないだろう。
しかも、その見返りもなしである。
また、雍正帝とよりを戻すとかいうのならまだしもであるが、そういうこともないようだから。
というか、あの偽懐妊から沈眉荘が以前のように雍正帝の寵愛を受け入れていれば(受けていれば)、甄嬛の立場も大いに変わっていただろう。
華妃も皇后も、甄嬛と沈眉荘を相手にしなければいけないということで、力は分散されるということになろう。
いまでは、標的は甄嬛一人である。
ということは、沈眉荘は甄嬛のような報復するだけの知略がないので、雍正帝というよりそういう諍いから逃れるために雍正帝の寵愛を断ったということなのか。
これが沈眉荘なりの保身術なのか。
諍いに勝ち残るためには、雍正帝の寵愛が必要十分条件なのだから。
それを捨てるということは、そこから身を引くということである。
つまり、若い端妃である。

甄嬛の賢さには畏れ入る。
虎穴に入らずんば虎子を得ず、ではないけど、あえて皇后を後見人にすることによって、皇后の策謀を封じるというこの見事さである、
しかし、甄嬛が賢ければ賢いほど皇后は甄嬛に脅威を感じ憎しみが増すということである。
正に、悪魔の循環である。
このことから甄嬛が逃れるには、皇后が皇后でなくなるか甄嬛が後宮から離れるしかないだろう。
そういうことでは、甄嬛が尼寺にいくのはいい機会である。
これでいままでのことをじっくりと総括することができるということである。
この尼寺に行くということも、これも甄嬛の仕組んだことなのか。
そんな気もしてしまうのだが。

甄嬛の雍正帝への愛がどういうものだったかはいまはまだ分からないが、この時点では本当に甄嬛は甄嬛として雍正帝を愛していた(信じていた)ということである。
実は、わたしとしてはこれは意外であった。
そういうことでは、甄嬛は初心を貫徹していったということである。
ここらへんも、自分の気持ちをはっきりさせるということになるだろう。


☆会話(引用)

安陵容(あん・りょうよう)のあさましさ・おぞましさを知った甄嬛と崔槿汐の人生訓のような会話(44)
崔槿汐(さい・きんせき)(甄嬛の掌事宮女(じょうじきゅうじょ))
「よかったではないですか」
甄嬛(しん・けい)(莞嬪(かんひん))
「よかった?」
崔槿汐
「ええ」
「安小主は疑わしかった
 でも、これで疑いが確信に変ったのです」
「防ぎやすいかと」
「見えぬ敵は少ないに越したことはありません」
「安小主との友情が壊れたと悲しみに?」
甄嬛
「こうなっては
 彼女との友情なんて滑稽に感じる」
崔槿汐
「恵貴人(けいきじん)とのような友情は誰とでも築くのは無理です」
甄嬛
「でも、なぜ彼女はあんな真似を?」
崔槿汐
「理由が分かったところで
 真相はおぞましいはず」
「たとえ優しくしても、相手が恩を感じるとは限りません」
甄嬛
「今の私に対抗するほどの力はないわ」
「あなたが正しい」
「みんな自分の利益だけを考えている」
崔槿汐
「うん」
甄嬛
「陵容の裏には黒幕がいると疑っていたけど
 手を下したのは彼女自身だわ」
崔槿汐
「うん、うん」
甄嬛
「槿汐」
「あなたの言葉は宝ね」
崔槿汐
「小主は情がおあつい」
「でも-後宮では実の姉妹でも反目するものです」
甄嬛
「そうね」
「君臣や夫妻も同じ
 妃嬪ならなおさらよ」

父の甄遠道(しん・えんどう)の罪の嘆願のために雍正帝に謁見した甄嬛は、そこではからずも雍正帝の甄嬛への愛の本当の姿を知る(45)
雍正帝(ようせいてい)(皇帝)
「身重だろう、礼は不要だ」
「芳若(ほうじゃく)より眠れぬと聞いていたが
 落ち着いたようだな」
甄嬛(しん・けい)(莞嬪(かんひん))
「なぜ分かるのです」
「芳若殿の言葉だけを信じるのですか?」
「侍医に安魂散(あんこんさん)を処方させたかどうか
 聞かないので?」
雍正帝
「何が言いたい」
甄嬛
「一方の意見だけで、決めつけてはいけません」
雍正帝
「では、まだ眠れないと?」
甄嬛
「最初の数か月は-
 寝不足でしたが今は改善されました」
雍正帝
「芳若の報告は正しい」
甄嬛
「芳若殿は無欲ですが
 権力を争う臣下たちとなれば、正しいとは限りません」
雍正帝
「接見を求めてきたのは、そんな話をするためか」
「そなたは-純元皇后に不敬を働いたのだぞ」
甄嬛
「故意ではありません」
「信じますか?」
雍正帝
「故意でなかろうが罪に変わりはない」
{甄嬛、ひざまづく}
甄嬛
「純元皇后への不敬は許されぬ罪です」
「一生、監禁されても構いません」
「ですが-
 父が陥れられていないかお調べください」
雍正帝
「一方の言葉だけを信じてはならぬのだろう?」
「卾敏(オミン)の話をすべては信用できぬ」
「だが銭名世(せん・めいせい)の一件で
 そなたの父は看過できぬ言動を取った
 濡れ衣(ぬれぎぬ)ではない」
甄嬛
「朝廷のことは複雑で分かりませんが
 父は陛下に忠実でした」
「少しも情けはないので?」
雍正帝
「甄夫妻は年配ゆえ厳罰を下すつもりはない」
「すでに勅命を出し
 家族と共に寧古塔(ねいことう)へ流刑としてある
 苦役は免ずるゆえ、ただ住むだけでよい」
「これでそなたも心配あるまい」
甄嬛
「寧古塔は極寒の場所」
「老いた両親がそんな苦しみに耐えられると?」
「陛下」
「本当に証拠はおありで?」
「それとも年羹堯(ねん・こうぎょう)の件で
 疑い深くなったのでは?」
{雍正帝、机の物を払いのける}
雍正帝
「何を言っておる」
{甄嬛、その中の1枚の文に目をやりそれを取る}
甄嬛
「”愛しき妻、宛宛(えんえん)よ”
 ”そなたが逝き独り苦しみを味わう”
 ”今も姿が目に浮かび”
 ”想い断ち難し”
 ”莞莞(かんかん,ワンワン)は
  宛宛(えんえん,ワンワン)の面影あり”
 ”暫(しば)し苦しみを除く”
 ”だが巫山(ふざん)の雲にあらず”」
「巫山の雲とは純元皇后」
「私めは単に巫山の雲の面影?」
{甄嬛の目に涙}
「私めが寵愛されたのは-
 純元皇后のおかげだと?」
「だったら私めは・・・
 一体、何なのです?」
「何なのですか」
雍正帝
「分かっておろう」
「面影があるだけでもそなたは幸運だ」
甄嬛
「幸運?」
「幸運ではなく
 不幸でしかない」
「陛下だけでなく、私めも間違っていた」
「この数年の愛や時間は
 全部、無駄だったのです」
{蘇培盛が入ってくる}
蘇培盛(そ・はいせい)(雍正帝の首領太監(しゅりょうたいかん))
「陛下」
雍正帝
「何だ、早く言え」
蘇培盛
「報告によると甄殿が鼠の疫病にかかり-
 命も危ないと」
{甄嬛。倒れる}
蘇培盛
「娘娘、しっかり」
(甄嬛、蘇培盛を払いのける」
「身重です、落ち着いてください」
{甄嬛、雍正帝の足にすがりつく}
甄嬛
「陛下」
「勅命は覆せませんが
 父は無実です」
「見殺しにすることなく治療してください」
「すべての罪は私めが負いましょう」
雍正帝
「分かった」
(雍正帝、退出の指示を出す}
蘇培盛
「行きましょう」
{甄嬛、雍正帝に哀願する}
「娘娘」
雍正帝
「・・・」
甄嬛
「・・・」
(甄嬛、蘇培盛に支えられて立ち上がる}
蘇培盛
「娘娘」
(甄嬛、蘇培盛に支えられて退出する}
雍正帝
「・・・」
甄嬛
「あっうっ」
雍正帝
「・・・」

甄嬛に公主が生まれ、祝福に来た雍正帝は甄嬛とよりを戻そうとするが、甄嬛は拒絶して皇宮を去ることを願い出る(45)
浣碧(かんへき)(甄嬛の侍女)
「小主、陛下です」
公主
「おぎゃあ」
太監
「陛下のおなり」
{雍正帝、入ってくる}
敬妃など一同
「ごきげん麗しゅう」「ごきげんよう」
雍正帝(ようせいてい)(皇帝)
「立て」
敬妃など一同
「感謝します」
{雍正帝、甄嬛の寝台に座る}
雍正帝
「莞嬪」
「まだ分からぬか?」
甄嬛(しん・けい)(莞嬪(かんひん))
「何がです?」
{甄嬛の目に涙}
雍正帝
「公主を生んだのだ
 もう意固地になるな」
「甄家がどうであれ、そなたとは関係ない」
「そなたが望めば明日にでも妃に封(ほう)じよう」
甄嬛
「妃の位などおこがましいこと」
雍正帝
「嬛嬛」
「そなたはまだ朕の寵妃なのだぞ
 以前と同じく厚遇する」
甄嬛
「以前?」
「まさか以前に-戻れるとでも?」
雍正帝
「・・・」
甄嬛
「・・・」
{甄嬛、顔をそむける}
雍正帝
「どうやら-憐(あわ)れみすぎたようだ」
「そなたの性格は後宮にはそぐわぬ」
甄嬛
「感謝します」
雍正帝
「仏堂に移り、心を静めよ」
甄嬛
「ええ」
「確かに去るべきです」
「私めのような落ちぶれた母親がいれば
 公主も将来、苦労します」
「去るからには
 子の名だけ
 私めが命名をお願いします」
雍正帝
「よし」
甄嬛
「名は-綰綰(ワンワン)」
雍正帝
「宛宛(ワンワン)?」
甄嬛
「純元皇后への冒とくなどできませんよ」
「”夫君と心を綰(わが)ねる”
 私めの望みを公主に託しましょう」
「余生は仏に仕える身となり
 公主のため日々、祈ります」
雍正帝
「皇宮でも修行はできる
 宝華殿(ほうかでん)があるだろう」
甄嬛
「いいえ」
「私めがいては後宮を乱します」
雍正帝
「それもいいだろう
 後宮には置けぬ」
{甄嬛、寝台から出て雍正帝の前にひざまづく}
崔槿汐(さい・きんせき)(甄嬛の掌事宮女(じょうじきゅうじょ))
「娘娘」
浣碧
「小主」
甄嬛
「もう1つお願いが」
雍正帝
「何だ」
甄嬛
「皇宮を出たあとは-
 敬妃娘娘に公主の養育を
 そうなれば心残りはありません」
雍正帝
「端妃(たんひ)も温宜(おんぎ)を養育している問題はない」
「おぼろ月夜だな」
「公主の封号は朧月(ろうげつ)としよう」
甄嬛
「通常は満1か月で封号を与えられる
 生まれたばかりの朧月には大変な栄誉です」
雍正帝
「他に話したいことは?」
甄嬛
「”朱弦(しゅげん)断ち 明鏡缺(か)く”
 ”朝露晞(かわ)き 芳時歇(や)む”
 ”白頭吟(はくとうぎん) 離別に傷む”
 ”どうか私を思うなかれ”
 ”錦水(きんすい)に誓う”
 ”君と-”
 ”永遠の訣別なり”
雍正帝
「・・・」
{甄嬛、三度の礼をする}
雍正帝
「よし、分かった」
「何も言うことはない」
「そなたの意思だ」
「朧月は敬妃にしっかりと養育させよう」
{雍正帝、出て行く}
崔槿汐
「娘娘」
浣碧
「小主」
敬妃
「なぜ、つらい道を選ぶの」
甄嬛
「・・・」


ジャン・シン(蒋欣)さんの
ウィキペディアは
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%8B%E6%AC%A3
 中国版(蔣欣);http://zh.wikipedia.org/wiki/%E8%94%A3%E6%AC%A3
その他の情報は
 蒋欣_百度百科;http://baike.baidu.com/subview/4962/6226733.htm
です。


宮廷の諍い女
DVDのHPは
 http://isakaime.com/ 
放送のHPは
 http://www.bsfuji.tv/isakaime/
ウィキペディアは
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%BB%B7%E3%81%AE%E8%AB%8D%E3%81%84%E5%A5%B3
 中国版(後宮甄嬛傳 (電視劇));http://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E5%AE%AE%E7%94%84%E5%AC%9B%E5%82%B3_(%E9%9B%BB%E8%A6%96%E5%8A%87)
です。

YouTube(https://www.youtube.com/)から
《后宫·甄嬛传》第44集 Empresses in the Palace EP.44【东方影视剧场】 - YouTube(https://www.youtube.com/watch?v=6L1MW-qbYh4
 
《后宫·甄嬛传》第45集 Empresses in the Palace EP.45【东方影视剧场】 - YouTube(https://www.youtube.com/watch?v=XJA2lSK4wfc
 


ウィキペディア(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8)から
 福島第一原子力発電所事故;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80%E4%BA%8B%E6%95%85
 原子力村;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E6%9D%91
 日本の原子力発電所;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80
 日本の原子力政策;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E6%94%BF%E7%AD%96


余談:佐々木希さん とある1枚

佐々木希さんのブログ「佐々木希オフィシャルブログ」のトップ写真がいいですね。
見た瞬間から魅入ってしまいました。

その振り向き様に語りかける表情がなんとも愛らしく惹きつけられてしまいます。
そして、右目はカメラアイなのです。
こういうのは小憎らしいばかりの所業です。
正に、その右目が見ているものが何なのか、それは世界であって世界でないもの。
ちょっと考えられないくらいの演出です。
そのままだったら、単に振り返っただけの写真です。

一見したらスナップショットのようですが、これは意図した写真でしょう。
いくらスナップショットの名手といってもこれだけのいいタイミングでは撮れないと思うからです。
たぶん、何かのことで、こういう動作をしたのではないかと思う。
そして、おそらくその動作が誰かを触発したのかも知れません。
あるいは、佐々木さんがそういうイメージを持っていてそれで撮ったのかもしれません。

それをこういう風に一見したらスナップショットに見えるようにしたのが、凄いと思う。
なせ、スナップショットのように見えるかというと、うしろの建物です。
うしろの建物の水平線が傾いているからです。
スナップショットではその瞬間瞬間を撮るので、しばしばこのようなことが起こります。
そういうことでは、ある程度、佐々木さんに自由に動いてもらっていて撮ったのでしょうか。
それにしてはあまりにも表情が出来すぎです。
これ本当にスナップショットで撮ったのなら、奇跡の1枚といってもいいくらいです。

逆に言うと、これを演出で撮ったのなら、撮る側撮られる側の呼吸がぴったり合ったといえるでしょう。
いずれにしても素晴らしい写真です。
こういうのは写真だからこそ表現できるのです。

ほんと(スナップショットとして)わたしの撮りたい写真を実現してくれているという感じです。
風景論と場の理論と関係性の革命の三位一体の写真だと思います。

この写真をトップに持ってくるとは、佐々木さんの素敵な感性に驚嘆をもします。

わたし的に題名は、「邂逅(かいこう)」とします。

この写真を撮った方は、クレジットによると、KOTORI KAWASHIMAさんです。
川島小鳥さんということなのでしょうか。

ということを書いてから、佐々木さんのブログを読んでいたら、この川島さんとのコンビで「かくしごと」という写真集を出しているというので、どんな写真があるのかと誘惑されて、買ってみました(笑)

この写真集はファンにとっては、佐々木希さんがとてもよく分かる1冊ではないかと思います。
やはり、素でも美少女であることには変りませんが、しかしわりとどこにでもいる美少女という感じも受けます。
それだけ、普通(普段)の自分を出して撮影していたのかもしれません。
そういうことでは、もう少し作ったものがあっても良かったかなとは思いましたが。

インタビューを読んでいて、モデルと役者に絞ったら、すぐにオフが4日も出来たというのはそういうものかと思いました。これなどを始めとしていろいろな裏話は面白くまた新たなことを知ったという感です。
いずれにしても、役者やモデルというのは自分の中のいろんな魂をその時々の状況で発動しなければいけないので、それに対していろいろと悩んだのは分かる気がします。

ところで、この「かくしごと」をアマゾンで買ったのですが、かなり驚くことにこの表紙の顔のとこにバーコードが貼られているのですが、普通こういうことするのでしょうか。
過失なのか悪戯なのかよく分かりませんが、なんとも不思議なことです。
これがその表紙です。
 20161130水 佐々木希 かくしごと
しかしながら、このバーコードをよく見ると何か書いています。
「このラベルはきれいにはがせます」
ということは故意にバーコードを貼ったということでしょう。
管理のためなのかも知れませんが、正直、好ましいとは思えません。

佐々木希さんの
ブログは
 20161130水 佐々木希 BlogTop
 http://www.topcoat.co.jp/sasaki-nozomi/
HPは
 http://www.topcoat.co.jp/artist/sasaki-nozomi/
ウィキペディアは
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E3%80%85%E6%9C%A8%E5%B8%8C
です。

川島小鳥さんの
HPは
 http://www.kawashimakotori.com/
ウィキペディアは
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%B3%B6%E5%B0%8F%E9%B3%A5
です。


去来
20161107月 去来


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ジャン・シンさん(華妃) 華流ドラマ「宮廷の諍い女」 その15 第2部-諍いからの脱出- 第43話(全76話)

甄嬛がその功績により妃に冊封されることとなった。
その甄嬛の寵愛による早い出世に脅威を抱いた皇后は甄嬛追い落としの策謀を行う。
それは死してなおその寵愛を独占している純元皇后を使うことであった。

DVDでは、第21巻(全37巻)。
第43話「純元皇后」。


☆あらすじ

皇后(エイダ・チョイ(蔡少芬))は、雍正帝(ようせいてい)(チェン・ジェンビン(陳建斌))の元に来て、甄嬛(しん・けい)(スン・リー(孫儷))が十皇弟の息子の弘暄(こうけん)の冊封に関与したのは、甄嬛の驕りであるとそれとなく言う。
その雍正帝は、母である皇太后にあって年羹堯(ねん・こうぎょう)の件に絡めて自分の政権を脅かそうとするものはすべて始末すると言う。
それは、雍正帝の叔父で政権立脚時の功労者である降科多(ロンコド)ですら例外でないことをそれとなく皇太后に告げる。
火事で損壊した碎玉軒(さいぎょくけん)が修復したので、碎玉軒に戻るように雍正帝は甄嬛に言う。
そして、雍正帝は碎玉軒に甄嬛だけが住むように命じる。
甄嬛は了承してお互いの心の絆を確かめ合う。

皇后に朝の挨拶に行くために、安陵容(あん・りょうよう)(タオ・シンラン(陶昕然))が養心殿(ようしんでん)に甄嬛を誘いに来る。その時に雍正帝は甄嬛を「莞莞(かんかん)」と呼ぶ。
それを聞いた安陵容は、早速、そのことを朝の挨拶で皇后に言うと、皇后はなにやら思惑ありそうな笑みを浮かべる。
沈眉荘(しん・びそう)(ラン・シー(斕曦))の火傷の傷痕を見て、甄嬛は自分の猫の引っかき傷の跡が消えたので、沈眉荘にも舒痕膠(しょこんこう)を奨めてその傷痕に塗る。
そこへ、沈眉荘の火傷の治療にあたっている温実初(おん・じつしょ)(チャン・シャオロン(張暁龍))が来て、その舒痕膠に疑義を抱き調べてみると言う。

その頃、朝議では爪爾佳卾敏(ギワルギャ・オミン)が甄遠道(しん・えんどう)の所に銭名世(せん・めいせい)の詩集があったと同僚の甄遠道を訴えていた。
銭名世の詩集の中では、年羹堯や十皇弟を讃えている箇所があった。
それ故に、爪爾佳卾敏は甄遠道が彼らに同情しているとの讒言(ざんげん)をするが、雍正帝は汪景琪(おう・けいき)の時のような直接的な怒りを表さない。
このことを祺貴人(ききじん)から聞いた皇后は、雍正帝が甄遠道に対して疑念を抱いていないようなので、それは甄嬛を寵愛しているが故のことであると察し、ますます甄嬛に脅威を感じる。
その雍正帝は事の真相を秘かに確かめるために甄嬛に会いに行く。
そして、その詩集を甄嬛に読ませて意見を聞く。
甄嬛は、大した詩ではないので問題にするほどではないと言う。それに対して雍正帝がこの詩集は悪に媚び讃えていると言って、どうするかを甄嬛に問う。
甄嬛は、済んだ事として発禁処分にするだけでいいのではないかと答える。

そんな中、甄嬛の冊封の日がやって来る。
さて、内務府から届いた着ていく礼服はと見ると、なんとその礼服は破れていた。
これでは着ていけないということで、内務府の長の姜忠敏(きょう・ちゅうびん)を呼び戻して問いただすと、特別の物なので修繕に数日かかるとのこと。
それでは儀式に間に合わないと困惑していると、姜忠敏が皇后から修繕で預かった衣装があるからそれを代用にしてはと提案する。
この際、躊躇は出来ないのでその案でいくことにする。
その衣装を見て、崔槿汐(さい・きんせき)は見覚えがあるが思い出せないと言う。

冊封の儀式のために皇后の元に甄嬛が来ると、皇后は頭痛がするので雍正帝に先に行ってくださいと言う。
雍正帝が一人甄嬛の元に行くと、甄嬛は仕切り布(カーテン)の向こうにいる。そのうすぼんやりとした姿を見て雍正帝は思わず「莞莞」と呟く。
そして、甄嬛に近づき「莞莞、戻ってきたのだな」と言う。これを聞いて違和感を感じた甄嬛は「甄嬛です」と言う。
そこで、雍正帝はその者が甄嬛だと分かり、その衣装を着ていることに激怒する。
そこへ皇后が来て、甄嬛の着ている衣装を見て驚く。
その衣装は、雍正帝が純元皇后(じゅんげんこうごう)に初めて出会った時のものであった。
甄嬛は弁明するが、雍正帝の怒りは収まらず、甄嬛の妃への昇格は取り消された上に、碎玉軒での謹慎が命じられる。
甄嬛の寵愛はここに終わる。

死罪となった姜忠敏に代わって内務符の総管となった者によって、碎玉軒は閉門となり出入りの禁止が施行される。
失意のどん底にある甄嬛は崔槿汐を問い詰める。あなたの忠義の源は何かと。
それは自分が純元皇后に似ているからだと言うと、崔槿汐は始めはそうだったがいまはあなたの素晴らしさに忠義を尽くしていますと言う。
甄嬛は崔槿汐に忠義を疑ったことを謝り、今回の事は皇后が仕組んだことであると言う。
そして、雍正帝にとっては己は純元皇后の身代わりでしかないことを自覚してしまう。
皇后は己の策略が見事にはまってまんまと甄嬛を追い落としたのでご満悦である。
そんな皇后にご忠心の安陵容は、今後も皇后に忠義を尽くすと媚びる。
安陵容が甄嬛の復活はありうることだと示唆すると、皇后は甄嬛は自尊心が強いので、自分が身代わりであったことを知ったこれからは、もう以前のような親愛の情は起こらないと言う。
そこに、沈眉荘が甄嬛の取り成しのために、皇后に拝謁を願うが皇后は体よく追い払う。
皇帝にも皇后にも拝謁を断られた沈眉荘は、もうここしか頼れるとこがないとばかりに皇太后に拝謁を願うがこれも断られる。


☆所感

物語が急展開します。

華妃(かひ)がいなくなって、甄嬛(しん・けい)が妃になるということで、甄嬛が後宮内で皇后と対等な立場になり第二の華妃になるのを怖れた皇后が、はやばやと甄嬛を陥れます。
それは、雍正帝(ようせいてい)の琴線に触れる純元皇后(じゅんげんこうごう)をだしに使うということでした。
甄嬛の妃への冊封の日に、甄嬛の礼服を秘かに破り、巧みに甄嬛に純元皇后の衣装を着させ雍正帝に謁見させるということでした。
仕切り布越しに甄嬛を見た雍正帝は、その姿を純元皇后と見間違うのであったが、それが甄嬛だと分かると激怒して甄嬛を妃にしないばかりか、謹慎とし碎玉軒(さいぎょくけん)を閉門してしまいます。実質的に幽閉です。

それにしても、この雍正帝の怒りようは異常ともいえる。
甄嬛は故意ではないと弁明しているのにそれをまったく信じないということなのか。
雍正帝は甄嬛を信頼していたのではないのか。
いくら、甄嬛が純元皇后と似ているから気に入ったといっても、やはり甄嬛が聡明だからこそなのではないのか。
その甄嬛が雍正帝の気持ちを逆なでするようなことはしないと思わないのか。
これは誰かの謀略ではないかと思わないのか。
それともこれが雍正帝の本心なのか。ようするに暴君であるということ。特に今は粛清をしているので誰も彼もが敵に見えているということなのか。
もう長く仕えている皇后は、雍正帝の裏と表の顔を知っているが、まだ甄嬛は雍正帝の表の顔しか知らなかったということか。
このことで、雍正帝と甄嬛の間に修復不能なひびが入ったといえるだろう。
ここらへんも、華妃の呪いといえないこともないということ。
いままで、皇后は華妃がいたからこそ、甄嬛と手を組む必要があって、甄嬛にはあえて手を出さなかったといえよう。
やはり、雍正帝が甄嬛にこれだけの仕打ちをするのも、甄嬛が華妃に引導を渡したというのもそれなりに関係しているであろう。

正に、皇后の思惑通りの展開になったということである。
それにしても、この皇后の甄嬛に対する仕打ちの手早い行動はどうしたことだろうか。
これだけの謀略があるなら、華妃にも適用していればよかったと思うのだが。
つまり、皇后でもどうしようもないほど、年羹堯(ねん・こうぎょう)の力が強かったということなのだろう。
下手に動くと、皇后の地位すら危なかったということなのだろう。
だから、好機がくるまでじっと我慢したということなのだろう。
それに比べ、甄嬛の父の甄遠道(しん・えんどう)は文官でありまた謀略をするような者ではないので、すぐに甄嬛の追い落としにかかったのであろう。
しかも、祺貴人(ききじん)と連携しての謀略である。
祺貴人の父の爪爾佳卾敏(ギワルギャ・オミン)が、甄遠道が年羹堯を賛美する詩集を持っていたというでっち上げをまず行なって雍正帝の心に甄家への揺さぶりをかけるという周到さである。
このでっち上げは、親の背を見て子は育つ、というように、主君が政敵を倒すためにでっち上げをするので臣下も主君に学んで平気で政敵を陥れるためにでっち上げをするのだろう。
こうやって、誰も彼もがでっち上げをし、国が乱れていくのだろう。

これで、甄嬛は皇后が自分に対して敵愾心(てきがいしん)を持っていることをはっきりと確信するのである。
皇后のおぞましさは華妃以上であることをこれから甄嬛は知ることになるのであろう。

さて、沈眉荘の火傷だが、沈眉荘は温実初(おん・じつしょ)に会いたいがため、わざと治さずにいると、甄嬛はその火傷を気にして安陵容からもらった舒痕膠(しょこんこう)を持ってきて塗る。
そこに、温実初が来て、不審がりそれを持って帰って調べると言う。
これで、おそらくこの舒痕膠には麝香(じゃこう)が入っているということが分かるであろう。
それで、甄嬛は安陵容の怖ろしさというより残酷さを知ることになるだろう。
とは言っても、安陵容は知らなかったということもありうるかも。
安陵容は、皇后の命令で舒痕膠を甄嬛に届けただけかも知れない。
それはちょうど、端妃(たんひ)が皇太后の命令で華妃に流産の薬を届けたのと同じようなことである。
ということは、甄嬛はこの舒痕膠を長く使っていたので、あの流産だけではなくもうおそらく子が産めない体になっているだろう。
華妃は雍正帝と皇太后によって流産し子を産めない体になり、甄嬛は皇后によってそうなった(と思われる)。
また、安陵容は皇后に懐妊しない薬を飲まされているため、こちらも子が産めない体になっているかも知れない。

ところで、安陵容であるが、嬪になって髪形が一新しました。
前は前髪があって、少女っぽかったのですが、今回は総なで上げ髪(オールバック)にして妖艶になった感じです。
一瞬、誰と思ってしまいました。

襄嬪(しょうひん)(かっての曹貴人(そうきじん))が侍女の投薬する薬で毒殺されました。
裏切り者の末路はこんなものでしょう。
これで、後宮の華妃一派は一掃されたということです。朝廷の年氏一派も一掃されたのでもう年氏の痕跡はどこにもないということです。
それにしても、侍女が毒を投薬するとは驚きですね。
侍女あるいは宮女というのは、一見、忠誠心はあっても結局は皇帝(あるいは皇后あるいは皇太后)の手の者という事なのですね。
そういうことから考えると、安陵容の宮女の宝鵑(ほうけん)は間違いなく皇后の手の者であろう。
そうでなかったら、安陵容のような身分の低い小主にあれだけ忠義立てをしたのが理解できない。
はじめ安陵容が後宮に来たときは、こんなうだつの上がらない小主に忠誠心があるということでわたしは感心していたのですが。
皇后の手先という方が納得するということである。
そういう意味では、甄嬛が崔槿汐(さい・きんせき)の忠誠心を疑うのであるが、これはしごく納得する行為である。
なんで、華妃がわざわざ碎玉軒(さいぎょくけん)に追いやったような者(甄嬛)のところに、こんな出来た掌事宮女(じょうじきゅうじょ))(崔槿汐)が来たのかと疑問に思っていたのであるが。
これだけの人物ならそれなりに宮女の間で知れていると思うので(蘇培盛(そ・はいせい)とも対等に話していて懇意であるようだから)、なんらかの意図があって甄嬛のところに来たと思われる。
自分で志願したのか、それとも誰かの指図なのか。
ここでは、まだ甄嬛に忠誠心があるということしか分からない。

襄嬪が毒殺されて、温宜公主(おんぎこうしゅ)は孤児になってしまったのであるが、その温宜公主は端妃(たんひ)が育てるという。
そうすると、義母の甄嬛も育ての母(養母)の端妃も実母の襄嬪が雍正帝に毒殺されるのをだまって見ていて、これ幸いと温宜公主を実母から切り離して手に入れたということになる。
このことを知ったら温宜公主はどう思いどうするのだろうか。とは言ってもおそらく知ることはないだろうけど。
というか、甄嬛にしても端妃にしても温宜公主よりも自分のことを考えているといえよう。
甄嬛は、華妃が温宜公主に木薯粉(ぼくしょこ)は飲ませた時は、母子の情とかなんとか言っときながら、温宜公主から実母の襄嬪を取り上げるような謀略に加担する訳だ。これは温宜公主にとっては華妃の時よりひとい仕打ちではないかとか思ってしまうのだが。

華妃の時代と華妃後の時代は、第二次世界大戦の時代と第二次世界大戦後の時代になぞらえてみると面白いと思います。
華妃はナチス・ドイツ、華妃の配下である曹貴人(襄嬪)と麗嬪(れいひん)は日本とイタリア、皇后はソ連、甄嬛は米国、沈眉荘はイギリス、安陵容はフランスというところでしょうか。
華妃(ドイツ)と皇后(ソ連)は犬猿の仲、そこへ甄嬛(米国)が入り込んでくることによって、皇后(ソ連)が少しずつ有利となりつつも、実質的には甄嬛(米国)が華妃(ドイツ)を倒す。それによって皇后(ソ連)は漁夫の利を得る。
しかし、華妃(ドイツ)という共通の悪がいなくなると、皇后(ソ連)と甄嬛(米国)はお互いの力を意識することとなる。だが、その戦いは華妃との戦いのように表立ったもの(直接的な暴力)ではなく、陰湿な騙しあい(冷戦)となる。


☆会話(引用)

皇后の企みにより純元皇后(じゅんげんこうごう)の礼服を着た甄嬛(しん・けい)を純元皇后と見間違え、それが甄嬛だと分かると激怒する雍正帝(ようせいてい)(43)
皇后
「私めが悪いのです」
「突然、頭痛がし遅れてしまいました」
雍正帝(皇帝)
「構わぬ、よくなるまで待つ」
剪秋(せんしゅう)(皇后の侍女)
「莞妃娘娘が到着されました」
皇后
「陛下、先に行ってくださいますか?」
雍正帝
「いいだろう」
{雍正帝、甄嬛の所へ行く}
雍正帝
「莞莞(かんかん)?」
甄嬛(莞嬪(かんひん))
「陛下、ごきげん麗しゅう」
雍正帝
「莞莞、なぜ四郎と呼ばぬ」
甄嬛
「四郎」
雍正帝
「莞莞」
{雍正帝、甄嬛の元へ歩む}
「莞莞、戻ってきたのだな」
{甄嬛手を差し出す、雍正帝その手を撫でる}
甄嬛
「甄嬛です」
「陛下に拝謁を」
{雍正帝、仕切り布を開ける}
雍正帝
「なぜ、そなたが?」
{甄嬛、跪)ひざまづ)く}
甄嬛
「拝謁いたします」
雍正帝
「その礼服はどこから?」
「無礼者!」
{その声を聞いて、皇后たち駆けつける}
皇后
「陛下?」
皇后
「ああっ、なんてこと」
「絵春、説明して」
絵春(かいしゅん)(皇后の宮女)
「先日、皇后娘娘が純元皇后の衣装を整理した際
 この衣装の南珠が取れ糸もほころびていたため
 内務符に修繕させたのです」
「折を見て取りに行くはずが
 ここ数日、忙しくて忘れておりました」
「あぁあぁっ」
「なぜ衣装が莞妃娘娘に届けられたのか」
「陛下、皇后娘娘、どうかお許しを」
皇后
「愚かな」
「ちゃんと保管するよう命じたでしょう」
「不手際が過ぎるわ」
「よりにもよってこの衣装だなんて」
雍正帝
「初めて会った時の衣装だ」
皇后
「覚えておいでで?」
「姉が初めて親王府を訪れた時の衣装ですよ」
雍正帝
「忘れるものか、脱げ」
{甄嬛、礼服を脱ぐ}
皇后
「ああっ」
甄嬛
「不注意でした」
「純元皇后の衣装を着るなど」
皇后
「莞妃は故意ではありません」
「理由を申してみよ」
甄嬛
「届いた礼服が破れていたので
 内務府に借りたのです」
「まさか純元皇后の物とは-思いませんでした」
「お許しを」
皇后
「莞妃は・・・」
雍正帝
「莞妃?」
「皇后が言葉を与えねば儀式を終えたとは言えぬ」
「修繕された碎玉軒(さいぎょくけん)で謹慎するとよい」
{雍正帝を始めとして皆去る}
{絶望の甄嬛}


ジャン・シン(蒋欣)さんの
ウィキペディアは
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%8B%E6%AC%A3
 中国版(蔣欣);http://zh.wikipedia.org/wiki/%E8%94%A3%E6%AC%A3
その他の情報は
 蒋欣_百度百科;http://baike.baidu.com/subview/4962/6226733.htm
です。


宮廷の諍い女
DVDのHPは
 http://isakaime.com/ 
放送のHPは
 http://www.bsfuji.tv/isakaime/
ウィキペディアは
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%BB%B7%E3%81%AE%E8%AB%8D%E3%81%84%E5%A5%B3
 中国版(後宮甄嬛傳 (電視劇));http://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E5%AE%AE%E7%94%84%E5%AC%9B%E5%82%B3_(%E9%9B%BB%E8%A6%96%E5%8A%87)
です。

YouTube(https://www.youtube.com/)から
《后宫·甄嬛传》第43集 Empresses in the Palace EP.43【东方影视剧场】 - YouTube(https://www.youtube.com/watch?v=rmNcuo2UFlU
 


ウィキペディア(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8)から
 ナチス・ドイツ;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%81%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84
 第二次世界大戦;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6
 冷戦;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%B7%E6%88%A6


新たなる行方
20161107月 新たなる行方


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センブリ 高水三山(たかみずさんざん)(東京都) 2016年11月13日(日)(ろぷろす暦2016年12月10日(日))

2016年11月13日(日)、高水三山(東京都青梅市)に行ってきました。
高水三山とは、惣岳山(そうがくさん)と岩茸石山(いわたけいしやま)と高水山(たかみずさん)の三山を合わせた総称です。


センブリがここにもありました。
これはとても嬉しいことでした。
まさか、まだセンブリが見れるとは夢にも思っていなかったからです。
正に、武川岳の無念を、江戸の敵を長崎で取った(討った)ということが今回も起こったということです。
ただし、センブリの花は時期的には末期で、8割くらいは花が終わって実になっていました。
これはこれでまた嬉しかったです。
センブリの実というのはどんな感じになるのか見て見たいと思っていたからです。
センブリは花冠(花びら)が落ちるのではなく、開いた花冠が閉じてその中に実があるということです。
だからパッと見た目には、蕾か花後かよく分からないという感じです。
杓子山でムラサキセンブリを見たときも、初めは花後の状態を蕾かと思いました。
蕾の場合は花冠がねじれているのですが、花後(開花後)はねじれていません。
小さい花なので、よく見ないとそこらへんが分かりづらいということです。
センブリは全部で30株くらいあったでしょうか。
相対的に繁殖力の強い植物ではないようだからはびこるということはないのかもしれません。

そして、もうひとつの嬉しさというか驚きはキッコウハグマがやたらと多かったことです。
キッコウハグマはこの高水三山では、雑草ではないかと思われるくらいにありました。
数えたわけではないですが、感じとして優に300株以上はあったと思います。
いままではそんなに頻繁にキッコウハグマを見ることはなかったので、わたしの中ではキッコウハグマは希少な植物であったのですが、ここではその概念が崩されてしまいました(笑)
何度も言いますが、ほんとあるとこにはあるものです。
そういうことでは、センブリもあるとこにはあるのかもしれませんが・・・
当然、キッコウハグマは実になっていました。3つほど花が咲いてはいましたが。
この実になっているのを見て思ったのは、1株に実のものと閉鎖花のものがあったので、閉鎖花すべてが実になるわけではないのかもしれないということです。
いくら、閉鎖花といってもすべてが実になるとなればそれなりの多大なエネルギーがいるので、自分で間引きをしているのかもしれません。早い者勝ちみたいな感じで、先に受粉したものが先にエネルギーを取ってしまうということでしょうか。エネルギーがある限り次のも受粉して実になるが、エネルギーが無くなったとこで受粉しても実になることは出来ないということなのでしょうか。
農業で収穫する果物を大きくするために、枝を切ったり花や実を選定してエネルギーのロスをなくすのと同じようなことなのでしょうか。

わたしなどは我がままなもので、なければないでがっかりだし、たくさんあればあったでがっかりということです。
まぁ、見れるにこしたことはないですが、なければいつかあれを見たいと思って、探してやっとそれを見つけるとまた喜びも大きいということです。
やはり、喜びの度合いはその労力に見合っているということでしょうか。
極端なことを言うと、見たい花を一度に全部見れたら、それはそれで素晴らしいことかも知れないけど、もう初めて見れるという楽しみはそれで終りということ。一歩一歩と歩んでこそ辿り着けるから楽しいということもたくさんあるってこと。
毎年毎年、今年こそはあの花を見たいというのもそれもまた人生の楽しみといえよう。
そして、それが何年かの思いの後に巡り会える(達成する)というのもまた限りない喜びといえよう。

閉鎖花と言えば、センボンヤリは1株にひとつの閉鎖花だから、こちらはきれいに実になっていました。
実はタンポポと同じようなかんじです。
柄の長いタンポポです。
センボンヤリもどこにでもあるという感じではなくて、特定のとこにあり、全部で20株くらいでした。
ツルリンドウもそれなりにありました。
こちらも当然ながら、すべて赤い実でしかありませんでした。
リンドウは3株ほどありました。まだ蕾でした。
それにしても、リンドウは杓子山ではたくさん見たがそれ以外の地ではあまり見ないという感じです。
昔はもっと見たような気がするのですが。
リンドウも個体数が減っているのかな。

あと、カンアオイの花も見れました。
カンアオイは5株くらいしかなかったのですが、2株で花が見れました。
とはいっても、花自体は茶っぽくしかも地面に少し埋まっている感じなので、知っている人ぞ知っているという花です。
ぱっと見て花が咲いているなどというのはまず分かりません。
そういうことでは面白い花です。
ほとんどの花が終わるというこの時期に咲くということでも異色です。

さすがに、花の百名山に入っている地域だなと思わせるものがありました。
春には花が多いといわれているのでどんな感じかなとも思ってしまいます。

また、紅葉も天気が快晴だったので、赤や黄を楽しむことができました。
とはいっても山全体は植林が勝っているので紅葉になるものはそれほど多くはないのですが。

そんな感じで、山草的にはそれなりに楽しめました。
しかし、今日(13日)は別の花には難渋しました(笑)それは、また後で・・・


御嶽駅(みたけえき)で降りたのは初めてです。
いままでは夜になってからの乗りだけだったので、ここはどんな感じなのかなとしばらく駅周りを見ました。
駅を眺めた後、駅から左に国道411号線(青梅街道)を下って行くと、右側(道路の反対側)に西東京バスの御岳山のケーブルカー滝本駅行きのバス停留所があります。バス停留所の先にはセブンイレブンがあります。
これで、初めてケーブルカー滝本駅行きのバス停のある場所を知りました(バス停があることは知っていたがいままでは夜で暗かったからその場所は分からなかった)。
そんな感じで行くと、直ぐに「関東ふれあいの道 惣岳山3.2km・岩茸石山4.7km」という道標があります。
それに従って、左側に行くと右に茅葺屋根(かやぶきやね)のそば屋があります。
このそば屋の茅葺屋根はとても風情がありました。屋根には苔(こけ)やシダや草のヒメツルソバが生えており、ヒメツルソバは蕾あるいは花後でした。
道標に従いそこの左側の坂を登ると、踏み切りがあり、踏み切りを通ってちょっと行くと左手に、また道標があります。
その道標は、お寺の慈恩寺を指しているので、ちょっと躊躇しましたが、お寺の中に入ると、左手に小道が見え、そこが惣岳山(そうがくさん)への登山道(山道)入口となります。

山道の始めは、九十九折(つづらおれ)ですが、しばらく登ると、尾根道を登る感じになります。
こうなったら、道なりに登るだけです。
急坂を登ると、最初の鉄塔に出会います。その鉄塔からしばらく行くと第2の鉄塔に出会います。
第2の鉄塔からまたしばらく行くと道標があり、惣岳山1.8km・岩茸石山3.3kmと御岳駅1.5kmと沢井駅1.8kmと丹縄1.0kmを示しています。
沢井駅からもこれるのですね。丹縄ってどこって感じですが。
この後は、道なりに登るだけです。
ところどころに「高水三山ハイキングコースNOX」と書いた道標もあります。NOXのXは番号で1番から始っています。
この1番のは道端に倒れていました。そこに第3の鉄塔があります。
また、関東ふれあいの道の石盤の里程標もあります。

かなり行くと、惣岳山0.3km・岩茸石山1.8kmと高水山3.5kmと御岳駅3.0kmを示した道標があります。
ここの高水山を示している道が気になります。地図を見てもちょっと見当たらないからです。
それともここは単なる巻き道なのでしょうか。岩茸石山ではなくそれを飛ばして高水山へ行く道ですよ。
支線ってけっこう気になります(笑)
道標の示すとおり、惣岳山の山頂はもう少しです。途中に祠があります。
山頂は広くて、金網で囲まれた青渭神社奥の院(あおいじんじゃおくのいん)があります。
それなりにベンチもあります。
山頂には指標と道標があります。指標は惣岳山 760m(手書き)を示し、道標は岩茸石山1.5km・黒山4.9kmと御岳駅3.3kmを示しています。

惣岳山から下りながら岩茸石山(いわたけいしやま)に向かいます。少し行くと岩場の急坂があります。ここは慎重に下ります。
ここの急坂を下りると道標があり、岩茸石山1.4m・黒山4.8kmと惣岳山0.1km・御岳駅3.4kmと御岳駅(まき道)を示しています。
まき道は、ここの急坂を嫌う人のためにあるのだと思います。この巻き道があの高水山を示していた道とつながっているのでしょうか。
後は尾根道なので適当にアップダウンしながら進みます。
岩茸石山に近づくと急坂になります。一つ目の急坂を登ると道標があり、岩茸石山0.1km・黒岩3.5kmと惣岳山1.4km・御岳駅4.7kmと高水山1.8km・軍畑駅4.1kmを示しています。高水山・軍畑駅はおそらく巻き道的なものでしょう。
ここもそれなりに慎重に登ると、岩茸石山となります。
岩茸石山の山頂も広いです。それなりにベンチもあります。ここは開けていて周りの山々が見えます。
山頂には指標と道標があります。指標は岩茸石山793.0mを示し、道標は高水山・軍畑駅と惣岳山・御岳駅と黒山・棒ノ折山を示しています。

岩茸石山から急坂を下って高水山(たかみずさん)に向かいますが、急坂を下ると道標があり、高水山・軍畑駅と岩茸石山山頂・大丹波と惣岳山・御岳駅を示しています。惣岳山・御岳駅が巻き道的になります。
以後は尾根道だからアップダウンがあるのですが、ここはほとんどピークをさけて巻き道的になっているのでそんなにアップダウンはありません。
ほどなくすると、高水山への登りとなります。ここに道標があって、高水山山頂・軍畑駅と岩茸石山・惣岳山と高水山北面を経て軍畑駅を示しています。高水山北面を経て軍畑駅というのは巻き道を示していると思います。
ここを登りきると高水山の頂上となります。ここもそれなりに広いです。ベンチもあります。
山頂には兼用の指標と道標があります。指標は高水山 標高759mを示し、道標は軍畑駅と岩茸石山・惣岳山・御嶽駅を示しています。

高水山を少し下ると東屋(四阿・阿舎)(あずまや)があります。
ここに道標があって、トイレ・常福院を経て軍畑駅と高水山と軍畑駅を示しています。
常福院はすぐそこなので常福院に行きます。
常福院は麓にも同じ名のお寺があるので、あれっと思っていたのですが、帰ってからネットで調べたら麓が本院でこちらは不動堂とのことです。(*1)
ここでトイレを借りました。泡状の水洗トイレです。

高水山からは常福院の裏手になるので表の階段を下りると道標があり、軍畑駅3.8kmと常福院・高水山0.3kmと成木バス停を示しています。
その下には、上成木バス停付近からの林道なちゃぎり線(なちゃぎり林道)が通っています。
車でこの常福院不動堂まで来る人はこの林道を通ってくるらしいです。
高水山(常福院不動堂)からは下りです。
どんどん下っていきます。横木の階段などもありますが、多くの人が通るためでしょうか土がほぐれていて段差がありすぎて通りづらいです。
道標は適宜、一般的な立木のものや高水三山ハイキングコースNOXのものや果ては石造の合目を示したものとかがあるのでそれに従って下ります。

ベンチのある石造の示す六合目を過ぎると、左に折れるとこにある道標が軍畑駅3.0kmと高水山1.1km・岩茸石山2.3kmを示しています。
ここは真っ直ぐ行くとピークに登れるような踏み跡があります。
ピークには行かず左に折れます。ここはちょっと滑りやすい感じです。今日は快晴なのですがここらへんは昨日雨でも降ったのでしょうか、地面が湿っている赤土なので気をつけないとしりもちをつきかねないです。
ここはカヤトの原となって開けています。春にはここに花が多いのかなと思うようなところです。
そんなとこを下っていくと沢に出で今度は沢沿いを下ります。
沢沿いを下って行くと、立派な砂防ダムに出会います。この砂防ダムの横の階段を下りると、車を止められるほどの少し広くなった舗装されたとこに出ます。
ここが、軍畑駅(いくさばたえき)からの高水山への登山道(山道)入口となります。
あの立派な砂防ダムの説明板もあります。

ここまで、山道は山道として特に危険なとこはありません。
急坂のとこは巻き道があるので、急坂を嫌う人は巻き道を通ることができます。
しかし、後で述べるように山道ですから、わたしみたいに集中力を欠くと滑って転ぶことになります。

ここからは、民家のある舗装道路を下ると高源寺に出ます。ここには男女共有の1式のトイレがあります。
高源寺を過ぎると、直ぐに平溝通り(ひらみぞとおり)という平溝川に沿った舗装道路に出ます。
わたしは、ここで大きな失敗をしてしまいました。
本来なら左側に行かなければならないのに右側にいってしまったのです。
右側に行くということはまた高水山の方に登るということです。

なんでこんなアホな間違いをしたかというと変な思い込みがあったのです。
当初の計画では、この高水山から下りて時間があったら、青梅丘陵ハイキングコースを通って青梅駅に出たいと思っていたからです。
でも時間的にはもう青梅駅まではいけないのでそれは断念するとしても、ここからそのハイキングコースの入口となる榎峠(えのきとうげ)を見ておきたいと思ったのです。
そして、その榎峠がこの平溝通りの右側にあると思い込んでしまったのです。
思い込んだら一途にって奴で、にっちもさっちもいかなくなるまでは間違いに気づきません(苦笑)

そんなことで、右側に進んで上っていくのですが、榎峠というくらいだから峠までは登りということなので何の疑問も起きません。
しかし、行けども行けども榎峠らしき道標がありません。道の両側にはかっての林道であったような狭い山道はあるのですが、どこにも道標はありません。
かなり上ってから林道平溝線(平溝林道)というゲートがあるところに出ました。この林道は舗装されていません。
ここでやっとなんかおかしいと思い引き返すことにしました。

で、高源寺のところまで戻って改めてそこにあるハイキングコースの案内板を見て間違いに気づきました。
正しくは、この平溝通りを高源寺から見て左側すなわち下っていくと、平溝橋のとこで都道193号線と交差し、そこに道標があり、軍畑駅と高水山・岩茸石山を示していました。
この都道193号線を左側すなわち北上していくと青梅丘陵ハイキングコースの入口である榎峠があるということです。


まったくもって方向音痴の極めつけのような間違いを犯してしまったのです。
アホ、アホ、アホ・・・と10回くらい言われても耐え難きを耐え忍び難きを忍ばなくてはいけないくらいの間違いです。
とはいっても、転んでもただでは起きないということで、ここで負け惜しみを一杯言いたいと思います(笑)

実は、平溝通りを上って平溝林道に突き当たったのですが、この林道ではなく右側が舗装されたまま上に上っているのです。
つまり、舗装されたこの平溝通りが林道のとこで右に折れているというべきでしょう。
その舗装された道がどこに続いているのか気になったので地理院の地図を見たのですが、記載されていません。
山と高原地図23奥多摩2016にも記載されていません。
とっても気になったので、平溝林道でネット検索してみました。
そうすると平溝林道で多数検索にひっかかりました。
そして、その記事を読んでびっくりです。いってみれば、林道ファンです(笑)
ほんと何にでもそれに惚れ込むファンという者はいるんだということをまたしても思い知りました。
オフロードバイク(オートバイ)で、林道を踏破している人たちのブログやHPの記事で一杯だったのです。
中には東京及び関東の林道を制覇していてそのマップを作っている豪の者すらいます。
これをみれば、関東の林道がすべて分かるという感じすらします。

いやぁ、いろんな人がいるもんだとは改めてびっくりしています。
この方たちは、おそらくオフロードバイクだから、舗装道をツーリングしている方たちとはまた種族が違うのでしょう。
舗装道をツーリングをする人たちはある意味スピード主体でしょう。
だから、奥多摩周遊道路のように信号がなくまたヘアピンカーブのような場所をどれくらいのスピードで走れるかというような危険なこともするのでしょう。
とはいっても、オフロードバイクでも舗装されてない道をいくので危険であることは変わりないでしょうけど。

山に登る人といっても、登山者(登山家,アルビニスト)とトレッキングの人(トレッカー)とハイキングの人(ハイカー)ではその趣が違うのと同じようなことでしょう。そして、山に登るということでは皆危険は同じです。
それはまた自転車でも林道を走るような人は、マウンテンバイクでしょうし、舗装道路を走る人はロードバイクなのでしょう。

関東の山ではほとんど見かけないのですが、関西の山などを歩いていると、山道に突然、自転車やオートバイが現れてびっくりしたことがあるのですが、おそらくマウンテンバイクやオフロードバイクで走っていた人たちだったのでしょう。

わたしも林道にはそれなりの愛着があります。
山道(登山道)とかをあまり知らなかった頃は、山野草行として林道を歩いていたことがあるからです。
栃木のとある林道でセンブリを初めて見たのはいまでも覚えています。
林道の山肌に一株だけ可憐に咲いていました。もうきっと今はないだろうな、いや繁殖しているかも(笑)
時間があったら、わたしは林道を歩いてみたいですね。どんな山野草があるか気になる。

おかげでまたひとつ違う世界を知ったということです(笑)
ほんとネットの威力ってすごいと思う。ネットがない時代ならこういうことも本人に出会わなければ知ることもないのだが、ネットではこうしてそういう人たちのことも本人のブログやHPの記事で知ることができるわけだから。
世界が手軽に大いに広がっていることは確かであろう。
が、結局、この検索ではあの右に折れた道がどこにいっているのかは分かりませんでした。
あの道はどこに行っているのか結構気になっています(笑)早く地図に記載してくれ、いやしてください!

あともうひとつは、この平溝通りを上っていると右側の平溝川に沿ったおそらく高さ10mはありそうな岩壁の上に家が建っていたことです。
あんなとこに家が建っているということで、わたしなんか見るだけで身震いがしました。
確かに岩盤だから、地震とかきても岩盤が崩れることや揺れることはないでしょう。
原発も岩盤の上に構築されているから地震にも強いと原子力村の専門家が言っているくらいですから(笑)
でも、その岩盤の上に立脚している柱(木だったと思う)が折れたら、家は下の谷に真っ逆さまということになるのではと思ってしまいますが。
そういうことを考えると、わたしなら岩壁の上ではなく下に家を建てると単純に思ってしまいました。
何かそれゆえの思惑があって立てたのでしょうか。
かなり凄いと思ってしまいました。

話がかなりずれてしまいましたが、平溝通りから都道193号線と交差した地点(平溝橋)を左側に上れば榎峠にいけるのですが、もう時間が遅かったのでそれは断念しました。
懐中電灯は戻って来たときの高源寺から使いました。
右側の軍畑駅(いくさばたえき)へと下ります。
途中、右側に坂を上るところがあったのですが、その坂がどこにいくのか分からないので、そのまま193号線を下ります。
青梅線の鉄橋の下を通るので軍畑駅は近いとは思ったのですが、どこから軍畑駅にいけるのか分かりません。
でどんどん下って軍畑大橋の近くまで来ると、軍畑駅は戻っての左を指している道標があったので、その指示に従って戻って左に行きます(その軍畑駅へは下がってきたままなら右となります。わたしはそこを通り過ぎて戻ったので左です)。
その左に行くとこでは、何故にかライダーの方が一見して何もないようなとこなのに止まっていました。何か故障でもしたのでしょうか。

ともかく、その軍畑駅に行く道は結構な坂です。最後に一汗かくくらいの坂を登ったら軍畑駅に着きました。
時刻は、17時51分です。
軍畑駅は初めてです。
駅の前にはお店があります。
そして、高水山方面はこの登ってきた坂ではなく、都道193号線を下っていた時にあった右側の坂がこの軍畑駅につながっていたということです。
軍畑駅には道標があって、高水山には駅の左側に行くように示しています。

さて、これで今日の山草行も終りかなと思ったら、乗車拒否に遭(あ)いました(笑)
駅で、カードで切符を買おうとしたら、カードも切符も出てこずに、そのまましばらくお待ちくださいということになりました。
しばらく待っても何も変わらないので、右側を見たらインターホンが在ったので、それで状況を説明すると軍畑駅は無人駅なのですぐには対応できませんということでした。そこで、対応を聞くと青梅駅から係員が行かなければいけないということなので、どれくらい時間がかかるかと聞くと、車で15~20分ということだったので、特に急ぎの用事のないわたしは待つことにしました。
おにぎりを食べ缶コーヒーを飲んでまったりと待っていると、係りの人が来て、切符とカードを無事に手渡してくれたので、乗車拒否は解消されました(笑)
ちなみに、この駅はスイカを使えます。

で、18時35分の電車に乗ったのですが、なんとこの時間帯の電車ならいつもは悠々と座れるのですが、山帰りの人が一杯で座る席を探さなくていけませんでした。
それでも、なんとか座れました。


この最後の電車のエピソードでも分かるように、今日(13日・日)は本当に人が多かったです。
おそらく、山で250名くらいの人と出会ったでしょう。内訳は追い越し60名すれ違い190名くらいでしょうか。
これは、富士山を除けば山で人と出会った最高記録ではないかと思います。
老若男女、老人から子供まで、登山者からトレッキング・ハイキング・観光客・トレランまで、単独からペアや大小のグループまで、外国人もというように多種多様な人のこの山への登りでした。
正直言って、これほどの人に出会うとは思っていなかったので疲れました。
とてもまったりなんかできませんでした。
特に、ここまでの2回の山草行がほとんど人に会わなかっただけに、この多さにはけっこういじけてしまいました(笑)

今回の山草行は駅から駅なので、バスを使わなくていいので、少しゆっくりということで、ホリデー快速おくたま号に乗ることにしました。
この電車は都心から10両編成で運行され、前4両があきがわ号で後6両がおくたま号となります。
この切替は、拝島でなされ、あきがわ号は拝島から各駅停車で終点の武蔵五日市駅に行き、おくたま号は拝島から福生(ふっさ)と青梅(おうめ)と御嶽(みたけ)にのみ止まり終点の奥多摩駅に行きます。なお、立川から拝島までは西立川のみに止まります。西立川に止まるのは昭和記念公園の入口駅だからでしょう。

このおくたま号は、青梅駅からは見た目ほぼ山登りの人のみとなりました。
わたしの乗った車両は立ちの人も多かったので、100名くらいいたでしょか。あとの車両も似たようなものだとすると6両なので600名くらいということになります。
青梅からは、御嶽で降りるか奥多摩で降りるかです。御嶽で半数以上が降りたと思います。そして、そのほとんどが御岳山(みたけさん)に行ったと思います。

わたしは、みんながいなくなった頃に御嶽駅から惣岳山(そうがくさん)に向かったので先行した人がどれくらいいたのか分からないのですが、そんなに多いとは思えないです。
というのは、この高水三山のハイキングコースの始点は軍畑駅(いくさばたえき)が主流だからです。
ハイキングコースの紹介を見ても各人の記事などを見ても軍畑駅から始っています。
またこの御嶽駅から棒ノ折山(ぼうのおれやま)に行くのも主流ではないでしょう。こちらからだと最後がバスになるので、このコースなら棒ノ折山から御嶽駅でしょう。
ということで、この御嶽駅から惣岳山というより惣岳山から御嶽駅の方が断然多いと思います。
御嶽駅の北側の山からは、始点としてよりも終点としての価値が大きいと思います。
南側の山からは始点・終点は同じくらいの価値でしょう。

そんなことなので、惣岳山に向かうのはわたし一人ということで、山道に入ってからも誰も追い抜いてこないのでこれはもしかしてこちらは誰もこないのかなとかすら思いました。
しかし、それは完全に甘く、徐々に追い越されるようになり、また下山者とも遭遇するようになりました。
惣岳山まででそうですね、40人くらいに追い越され10人くらいとすれ違ったでしょうか。
で、これくらいで終りかなと思ったらまだまだ大甘でした(苦笑)
惣岳山の山頂はもう20人くらいが休んでいた上に、岩茸石山方面からも続々と人が来るので、ここはもうパスということで早々と岩茸石山(いわたけいしやま)に向かいます。

ここから、追い抜かれる人は10人くらいになったのですが、すれ違う人がまるで大群です。気の休まる暇もないくらいに次々と人とすれ違います。
基本ここは尾根道の一本道だからこうなるのです。
箱根山は人が多くても神山ルートとお中道があるからそれなりに分散されます。また裏お中道や早雲山駅口の方は人が少ないです。
もう少し色んなルートから上り下りできればかなり分散できると思うのですが、そういうことではあの平溝通りから上り下りできるルートがあってもいいと思うのだが。

惣岳山から岩茸石山へ向かう途中の岩場の急坂を下っていると、初老の男女のペアが急坂を登るか巻き道を行くか迷っていて、せっかくだから急坂を登ろうというような会話を聞くとはなしに聞いたので、すれ違い様に、急坂だから気をつけてください、と一声かけると、ありがとうございます、と返ってきました。

岩茸石山への道のとあるとこで人が固まっていたので、そこに行ったら急坂を大勢の人が下っているのが見えたから、これを通るのは難儀だと思って、引き返し少し広いとこでリュックを下ろしすれ違いの人が通過するのを待ちました。
40人くらいの長い列でした。
そこで待っていたら、最初のおばさんが声をかけてきて、そこで何か写真を撮っているの、いいモデルさんとかいればいいのにと言ったので、わたしも乗って、じゃあなたを撮りましょうというと、そのおばさんがおどけたポーズをしたのには笑ってしまいました。ひょうきんな人もいるものだと思いました。その中年の男女のグループは16人だと言っていました。

この40人くらいの行列をやり過ごしたので、出発します。ところが急坂を登ったらまた20人くらいやってくるので、この急坂のとこ(岩茸石山の巻き道のあるとこ)が少し広くなっているので、ここでまた待ちます。
で、20人くらいが通り過ぎたので、また出発します。岩茸石山への最後の急坂で子供たちが降りてくるのでこれを待ちます。この待ちで30人くらいをやり過ごしたと思います。
やっと下りる者が途切れたので登ります。ここを登ると岩茸石山は目の前です。
やっとまったりと出来るかと思ったら、なんとこの頂上に40人くらいいます。しかも、高水山方面からまだ登ってくる人もいます。
時刻は13時13分。
ここもパスして早々と通過します。

岩茸石山から高水山方面への急坂を下るまでに12人くらいとすれ違います。
急坂を下ったとこで、やっとすれ違う人は少なくなりました。
やれやれ、これで高水山(たかみずさん)まではのんびりと山草行できるかと思ったら、今度は追い越されることになります。
10人くらいに追い越されたでしょうか。
もうこのへんで、すっかりいじけてしまって、人が来ないであろうピークの方にわざわざ登ってしばらく引きこもっていました(笑)

おかげで、追い越されることはなくなりました。
時刻は14時13分。
わたしの時間が近づいてきます。
ここからは、トレランの中年の男女のペアとすれ違っただけで、高水山の頂上に着きます。
やっと、頂上に誰もいません。嬉(うれし)か。
でも、頂上をパスする癖がついてしまって、ここも早々と通過します(笑)

常福寺不動堂で少し休憩してこれからはわたしの時間を楽しみます。
が、何か若干疲れている感じもします。
それでもそれなりに山草を見たり景色を見たりしてのんびりと下山します。


ところがどっこい。
まだ、終りではなかったのです。
あれは15時38分頃、下から男の人らしきものが登ってくるのでした。
えっ、まじって感じになりました。
この時間に登ってくるかぁ・・・?
と不審に思いながら、そちらに気をとられていると、見事にしりもちではなく前に倒れてしまいました。
あっという間だったので状況はよく分からないのですが、岩のあるとこだったから、右足が十分に地を踏んでいない状態で左足を出したので、右足が後に滑ったのではないかと思われます。
右手は手をついたので親指当たりの手の平を痛打しました。左手はカメラを持っていたのでカメラが地面(岩か石)に激突したと思われます。

ズームレンズのフードが真っ二つに割れてしまいました。ズームレンズは軸が曲がったか何かカムが破損したかで、鏡胴の繰り出しが途中でひっかかってしまいます。
カメラは大丈夫でした。
ともかくこのカメラ(レンズ)のお陰で左手はどこも打たなかったようです。
身体の損傷は、右手の親指の近くの手の平を打撲しただけで済みました。
このこけはいままでの山行で一番ひどくこけたことになるかな。立ったままで前側にこけたなど記憶にないのですから。
大体は滑ってしりもちだから。

またしてもレンズフードが身代わりになってくれました。
思えば、2013年の天祖山に登ろうとした時には、フードが身代わりに谷に落ちてくれました。
そして、今度はわたしのかわりに骨折してくれました。
正に、わたしにとってこのレンズフードは身代わりフードと化しています。
今度は、真っ二つになったとはいえ物はあるので、わが身の守り神として祀りたいと思います。

そんな姿をこの登ってきた男性にも見られていて、大丈夫ですかと声をかけられました。
わたしは、大丈夫ですと言って、いまからどこへ登るのですかと聞くと、一応三山に登りたいとのことでした。
何時から登り始めたのかと聞くと、今登り始めたばかりですとの返事(ちなみにこの時はわたしはこの高水山への登山道(山道)入口の地点を知らなかったので聞きました)。
わたしが、今からでは遅いですよと言うと、彼は三山は3時間かかるから6時(午後)過ぎになって暗くなるけどしかたないと言いました。
一応、本人が暗くなることを自覚しているので、わたしとしはもうそれ以上は何も言いませんでした。
お互い気をつけてといいあって別れ下山登山を開始しました。
男性は20代に見えました。

それにしても、この時間帯に登る人がいるとは本当に驚きです。
下山する人がいても驚くのに登山する人がいるとは信じられないくらいです。
確かに、山小屋にとか泊まるなら遅くに登山してもそれはそれで分かるけど。いままでにそういう人に出会ったことがあるので。
でも、彼はわたしに語った限りでは三山を踏破するということだから、普通の山登りです。
暗くなるのを分かっていてなぜ今から登山をするのだろうか。
とはいってもわたしが偉そうにはいえないのですが・・・わたしは下山とはいえ暗くなるのを分かっていながらしているのだから・・・

明るい内に惣岳山までいけば、たぶん問題ないと思う。
わたしもかって惣岳山から暗い中を下ったことがあるからです。今回の登って来た感じでもそれほど危険ではないと思う。ただしわたしの場合は一度滑ってしりもちをつきましたが。
しりもちをついたといえば、今回もセンブリに見とれていて、滑ってしりもちをつきました。
ほんと、山はちょっとでも集中力を欠くと危険です。

どんな事情があってこんな時間に登山をしようと思ったのだろうか。
何か予定が狂ってこんな時間にしかこれなくなったのだろうか。しかし、それなら普通は断念するだろう。
そこまでして登る山でもないと思うし、首都圏に在住ならいつでもこれるだろうし。
今でしか見れないものがあるとしても暗くなってからでは見るのは難しいだろうし。
わたしとしては、失恋の傷を癒しに来たとかいうのがロマンチックでいいのだが・・・

とてもびっくりしたし、わたしもこけた後だったので、そこまでは聞く余裕がありませんでした。
でも、これが男性だったら良かったけど、20代の女性だったらあまりのびっくりさに沢の方に落ちていたかも(笑)
ほんと、最近の山は何が起こるか分からない。わたしの想像力を超えている(笑)

ということで、今回の山草行での山での人との出会いはこの男性が最後でした。
最初から最後まで、人の花に翻弄された今回の山行でした(笑)


11月に入って、御嶽駅(みたけえき)や二俣尾駅(ふたまたおえき)の付近で熊が目撃されたり射殺されたりということがあり、しかも目撃されたのが親子連れもありというので、かなりびびってしまいました。(*2)

当然、この高水三山はその出没範囲内なので、行くのをためらいすらしました。
でも、日曜日ならそれなりに人もいるだろうということで、とりあえず熊鈴にラジオという万全の体勢で行きました。
しかし、これほど人が多いとは思ってもいませんでした。
こんなに人が多ければ、人食い熊だってたぶん避けるでしょう(苦笑)
っていうか、熊は山に人があんまり多いので、山でまったりできないので里に下りて来たのかとすら思えるほとです(笑)
みなさんは熊とかは怖くないのでしょうか。
わたしがびびりでみなさんが剛胆なのでしょうか。感心します。

それにしても、今回の熊の出没情報で改めて奥多摩って熊が身近なのだなと思いました。
いままでは、あんまりそういう意識がなかったのですが。
これからは、奥多摩の山を歩くときは熊鈴は必須だなと思いました。
そういうことでは、わたしが熊を見たのはこの奥多摩での一度だけです。
鴨沢バス停から雲取山に登っていた時に、小袖乗越の近くで見ました。
この時は、熊の方が先にわたしに気づいたようで、後姿でした。


この御嶽駅から上日向までは、関東ふれあいの道(首都圏自然歩道)の東京都ルートの山草の道となっています。
それ故に、御嶽駅から岩茸石山までは関東ふれあいの道の山草の道を歩くことになります。
ちなみにわたしは、この山草の道は一度歩いています。
山草行を始めた年の1999年10月17日(日)に、上日向バス停から棒ノ折山(棒ノ嶺)に登り、黒山、岩茸石山、惣岳山を経て御嶽駅に下っています。

この時の行程などはほとんど覚えていないのですが、棒ノ折山への登山道(山道)入口で熊情報があったのと、山道に入ったとこで草の写真を撮っていたら中年の男性に追い越されたのと、棒ノ折山までは植林が多かったのと、棒ノ折山の頂上で人が多かったのと、マムシグサの赤い実を見たのと、ガンクビソウを見たのと、惣岳山の神社と、惣岳山から暗くなっての下山で滑ってしりもちをついたことなどが思い出されます。

確かにあの時も惣岳山辺りは暗かったのですがそれなりに山草があるという感じはあったのですが。
それにしてもなぜこんなに長い間行かなかったのだろうか。
わたしの中に奥多摩は山草があまりないという思い込みがあったということです。
しかし、今年でその思い込みは払拭されたといっていいでしょう。
新たに日の出山、御岳山、大岳山、御前山、川苔山(川乗山)、高水三山と知って山草を見れるとこは、それなりにあるということです。
それでも、富士山を始めとする富士山周辺には勝てないですけど(笑)


天気はやっと秋晴れの快晴でした。
そういうことで、それなりに汗もかいたので、下着を一度着替えました。
飲料水は、ポカリスエット500ミリリットルと水500ミリリットルを持って行ったのですが、汗をかいたわりには、ポカリスエット300ミリリットルくらいで済みました。
本当に山登りとして過ごしやすい感じの快晴の一日でした。


レンズフードは15日(火)にヨドバシドットコムに注文して16日(水)に受け取りました。
配達がほんと速い。
レンズフードは3770円でした。
ズームレンズはほんの1ヶ月前くらいにフォーカス出来ずで修理戻りしたのに、また修理に出さなければなりません。トホホ・・・

あるブログで山には一眼レフを持っていきたくないとかいうのがあったけど、こういう事態になったらなんとなく分かる気がします(笑)
山では平地より、確実に壊れたり(壊したり)キズがつく確率は高いでしょう。
わたしなんか、いつも手に持つか肩に下げているので、木や岩にカメラが接触する可能性は高いです。
かといって、わたしはそういうことはあまり気にはしませんけど。
所詮、道具は道具ですから。
道具のためにわたしがあるのではなく、わたしのために道具があるのですから。
わたしのために道具が何をしてくれるかです。
道具に対しての信頼はあってもそれ以上のものはないです。
わたしは、道具ファンではないです(笑)


(*1)
KFC TRIATHLON CLUB - わが町青梅 - 高水山常福院;http://www.kfctriathlon.jp/html/ome_jofukuin.html(+ KFCトライアスロンクラブ +(http://www.kfctriathlon.jp/html/home.html)から)
(*2)
東京・青梅でクマ出没相次ぐ 紅葉狩り「注意を」:朝日新聞デジタル;http://www.asahi.com/articles/ASJCB3K77JCBUTIL00F.html(朝日新聞デジタル(http://www.asahi.com/)から)
クマ目撃情報 - 奥多摩ビジターセンター;http://www.okutama-vc.com/%E3%82%AF%E3%83%9E%E7%9B%AE%E6%92%83%E6%83%85%E5%A0%B1/(奥多摩ビジターセンター(http://www.okutama-vc.com/)から)
クマ出没情報ブログ 【東京都】ツキノワグマ出没目撃リスト;http://sukeroku.blog55.fc2.com/blog-category-41.html(クマ出没情報ブログ(http://sukeroku.blog55.fc2.com/)から)


地図情報

地理院地図(http://watchizu.gsi.go.jp/)から
 惣岳山;http://maps.gsi.go.jp/#15/35.819099/139.177847/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
 高水山;http://maps.gsi.go.jp/#15/35.828836/139.188988/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0

地図検索ならMapion(http://www.mapion.co.jp/)から
 惣岳山;http://www.mapion.co.jp/m2/35.81906795,139.17785451,16/poi=L0578606
 高水山;http://www.mapion.co.jp/m2/35.82876105,139.18901427,16/poi=L0574061

山好きのための登山情報サイト - ヤマケイオンライン - 山と溪谷社(http://www.yamakei-online.com/)から
 惣岳山 - そうがくさん:標高756m-関東 - Yamakei Online - 山と溪谷社;http://www.yamakei-online.com/yamanavi/yama.php?yama_id=19089

東京都環境局(http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/)から
 関東ふれあいの道|東京都環境局 緑の創出と自然環境の保全;http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/nature/natural_environment/park/facility/fureai_01.html
 山草のみち(御獄駅~上日向 );http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/nature/natural_environment/attachement/kanhure7%EF%BC%88map%EF%BC%89.pdf


行程情報

電車移動
府中本町(6:52)→立川(7:05,7:11)→御嶽(8:01)(運賃550円)
(JR東日本、立川から御嶽まではホリデー快速おくたま号)
(時刻検索は、えきから時刻表(http://www.ekikara.jp/top.htm)による)

花見トレッキング
御嶽駅(8:25)→惣岳山登山道(山道)入口(慈恩寺)(8:32)→惣岳山(11:47)→岩茸石山(13:13)→高水山(14:30)→常福院不動堂(14:35,14:49)→砂防ダム(15:53)→高水山登山道(山道)入口(15:59)→高源寺(16:10)→(平溝通り)→林道平溝線起点(16:43,16:50)→(平溝通り)→高源寺(17:17頃)→(平溝通り)→都道193号線と交差(平溝橋)(17:28)→(都道193号線)→軍畑駅(17:51)

標高
御嶽駅(250m)→惣岳山(756m)→岩茸石山(793m)→高水山(759m)→高源寺(約306m)→平溝林道起点(約428m)→軍畑駅(250m)

帰りは、軍畑18:35発の青梅行きの電車に乗りました。
府中本町駅には、19時32分に着きました。


草本

☆花期
センブリ(千振)(リンドウ科センブリ属)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AA(ウィキペディアから)
 http://matsue-hana.com/hana/senburi.html(松江の花図鑑から)
カンアオイ(寒葵)(別名:カントウカンアオイ)(ウマノスズクサ科カンアオイ属)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%82%AA%E3%82%A4(ウィキペディアから)
シロヨメナ
トネアザミ
ヒメツルソバ(姫蔓蕎麦)(タデ科イヌタデ属)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A1%E3%83%84%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%90(ウィキペディアから)
 http://matsue-hana.com/hana/himeturusoba.html(松江の花図鑑から)

☆蕾期
リンドウ

☆実期(花後)
キッコウハグマ
オクモミジハグマ
カシワバハグマ
ツルリンドウ
センボンヤリ
ボタンヅル
ツリフネソウ
ハダカホオズキ(裸酸漿)(ナス科ハダカホオズキ属 )
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%80%E3%82%AB%E3%83%9B%E3%82%AA%E3%82%BA%E3%82%AD(ウィキペディアから)
 http://matsue-hana.com/hana/hadakahoozuki.html(松江の花図鑑から)
マムシグサ「有毒」
マツカゼソウ
キバナアキギリ
アキノキリンソウ
ヤマジノホトトギス
ヌスビトハギ
ヤマユリ
フタリシズカ
チゴユリ
ナガバノスミレサイシン
エイザンスミレ
タチツボスミレ


木本

☆実期(花後)
フユイチゴ(冬苺)(バラ科キイチゴ属)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A6%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%B4(ウィキペディアから)
 http://matsue-hana.com/hana/huyuitigo.html(松江の花図鑑から)
タマアジサイ
コアジサイ
コウヤボウキ
ナガバノコウヤボウキ
ミヤマシキミ「有毒」
ヤマザクラ
クサギ(臭木)(シソ科クサギ属)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%82%AE(ウィキペディアから)
 http://matsue-hana.com/hana/kusagi.html(松江の花図鑑から)


山野草などの参考HP
ウィキペディア(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8
松江の花図鑑(島根県松江市の野草樹木シダの名前が分かる植物花図鑑)(http://matsue-hana.com/


ウィキペディアから
 高水三山;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%B0%B4%E4%B8%89%E5%B1%B1
 惣岳山;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%A3%E5%B2%B3%E5%B1%B1
 岩茸石山;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E8%8C%B8%E7%9F%B3%E5%B1%B1
 高水山;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%B0%B4%E5%B1%B1
 ホリデー快速おくたま;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AA%E3%83%87%E3%83%BC%E5%BF%AB%E9%80%9F%E3%81%8A%E3%81%8F%E3%81%9F%E3%81%BE
 関東ふれあいの道;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E3%81%B5%E3%82%8C%E3%81%82%E3%81%84%E3%81%AE%E9%81%93
 登山;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BB%E5%B1%B1
 トレッキング;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0
 ハイキング;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0
 トレイルランニング;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0
 観光;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E5%85%89
 自転車;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E8%BB%A2%E8%BB%8A
 オートバイ;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%90%E3%82%A4
 自転車の種類一覧;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E8%BB%A2%E8%BB%8A%E3%81%AE%E7%A8%AE%E9%A1%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 オートバイの種類;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%90%E3%82%A4%E3%81%AE%E7%A8%AE%E9%A1%9E
 ヒルクライム;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%A0
 ツーリング;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0
 ツーリング (オートバイ);https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0_(%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%90%E3%82%A4)
 自転車競技;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E8%BB%A2%E8%BB%8A%E7%AB%B6%E6%8A%80
 オートバイ競技;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%90%E3%82%A4%E7%AB%B6%E6%8A%80
 花冠;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E5%86%A0

山好きのための登山情報サイト - ヤマケイオンライン - 山と溪谷社(http://www.yamakei-online.com/)から
はじめての登山 - 初心者の登山 - 登山を始めるための登山初心者へのノウハウ&ハウツーが満載! Yamakei Online - 山と渓谷社;http://www.yamakei-online.com/beginners/


補足:登山道の私的定義

いままでは、登山道という言葉をわりと曖昧に使ってきましたが、この記事以降は以下のように定義して使っていきたいと思います。

登山道とは、山の頂上に向かって歩いて行く道と定義します。

だから、例えば市街の自宅から所望の山に歩いて行くなら、自宅からの道が登山道となります。

故に、登山道としては、山道、林道、一般道があります。

山道は舗装されていなくて、岩場やガレ場や藪こぎなど道なき道の場合もあります。また、車が通らない(通れない)ために急坂や狭い道(50cm以下)が相対的に多いです。
林道は山(林産物)の作業用の道であり、舗装されていたりいなかったりします。
古の林道の道幅は山道と大差ないことが多いですが、車社会になって車の往来を必要とする林道は車が通れるくらいの幅があります。が、一般車の通行は禁止されていることが多いです。
一般道は人の生活の往来のために使う道路です。
現在は車社会なので、車が通れる幅の道はすべての道が舗装されています。

ただし、これは広い意味(広義)の登山道ということになります。

狭い意味(狭義)の登山道は、しばしば山道と同義です。
狭い意味で使う場合は、登山道(山道)か山道(登山道)あるいは単に山道と表記します。

なお、登山道(山道)入口と登山口は同義とします。

ウィキペディアから
 登山道;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BB%E5%B1%B1%E9%81%93
 林道;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%97%E9%81%93
 一般道(一般道路);https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E8%88%AC%E9%81%93%E8%B7%AF


写真は後日に。


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キッコウハグマ 神山(かみやま)(神奈川県) 2013年11月12日(火)

過日(2013年11月12日・火)、キッコウハグマを見に神山(神奈川県足柄下郡箱根町,箱根山(はこねやま))に行ってきました。

前に来たときに、ここにキッコウハグマの葉があったので来てみました。
が、やはり遅すぎでした。
もう、花は終わっていました。
ここには、キッコウハグマがたくさんあるので、咲いていたら小さな白い花が可憐でしたのに・・・
1ヶ月くらい遅いのかな。
キッコウハグマに限らず、ここではもう花は終りですね。
キク科の花が麓にぽつぽつ咲いているくらいです。
大体、山草は3月中くらいから11月中くらいまでですね。
ということで、木々の葉も色づいて、地面は落ち葉の絨毯になっていました。
雨の中でも紅葉はそれなりに映えていましたが。

そして、結構、腹たったのは天気でした。
またまた、天気予報屋にやられてしまいました。
天気予報は、快晴とのことだったので行ったのですが、現地に着くと曇りでした。
ええっ、快晴の予報で曇り?・・・ってな感じでした。
が、こんなものは甘っちょろいものでした。着いてから10分もすると、みぞれが降ってきました。
まぁ、快晴の予報だから通り雨だろうと思ってしばらく待っていたのですが止む気配はありません。
待っててもしかたないと思い、小降りなのでともかく入山することにしました。
しかし、一向に止む気配はなく、だんだんと強くなってきたので、やむなく引き返すことにしました。
山を下りたときにはかなり降っていました。
引き返したのが正解でした。
それにしても、快晴で雨(みぞれ)っていうのは外れ過ぎでしょう。

雨の上に、今日は寒かったので観光に来ていた人は大変だったでしょう。
もちろん、山では誰とも会いませんでした。

雨といえば、もっと酷いことにあったことがあります。
あれは、富士山に登ろうと思って、御殿場駅まで行った時のことです。
天気予報では曇りはあっても雨はなかったです。
ということで、御殿場駅まで行ったのですが、御殿場駅についたら大雨です。
天気予報では雨ではなかったので通り雨くらいに思って1時間ほど駅で待ったのですが、どうしても止みそうにないので泣く泣く断念して帰りました。
一体、何のために府中からはるばる御殿場駅まで行ったのでしょうか。
御殿場ではどんな雨が降るか見たかったため・・・
ほんとがっかりでした。

それでも、帰りにまた小田急駅の名産店で「ふきのとうみそ」((有)谷和,300g,630円)を買いました。
これをご飯といっしょに食べると美味しいのですよ。


地図情報

『箱根全山』旅のテーマパーク箱根 - 箱根町観光情報ポータルサイト(http://www.hakone.or.jp/)から
 箱根のハイキングコース;http://www.hakone.or.jp/hiking/
 はこねのハイキングコース案内図1;http://www.hakone.or.jp/hiking/pdf/hike.pdf
 はこねのハイキングコース案内図2;http://www.hakone.or.jp/hiking/pdf/hike2.pdf

地図閲覧サービス(ウォッちず)(http://watchizu.gsi.go.jp/)から
 神山http://maps.gsi.go.jp/?ll=35.240766698702,139.02641887917&z=15#15/35.233446/139.020906/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0

地図検索ならMapion(http://www.mapion.co.jp/)から
 神山http://www.mapion.co.jp/m/35.2301388_139.0240561_8/v=m5:%E7%A5%9E%E5%B1%B1/


行程情報

電車移動
府中本町(5:45)→登戸(6:00)→(徒歩)→登戸(6:19)→小田原(7:29)(運賃910円(210円+700円))
(府中本町-登戸はJR東日本、登戸-小田原は小田急、登戸からは急行)
(時刻検索は、えきから時刻表(http://www.ekikara.jp/top.htm)による)

バス移動
小田原駅(7:45)→早雲山駅入口(8:36)(運賃900円)
(早雲山駅入口行きの時刻表;http://izuhakone.jorudan.biz/files/odawara_hakone.pdf
 伊豆箱根バス;http://www.izuhakone.co.jp/bus/
 
ハイキング
 早雲山登山口(9:01)→引き返す(10:44)→早雲山登山口(11:38)

帰りは、12:13発(定刻12:08)の小田原駅行きのバス(伊豆箱根バス)に乗りました。
(小田原駅行きの時刻表;http://izuhakone.jorudan.biz/files/odawara_hakone.pdf
府中本町駅には、15時09分に着きました。


草本

☆花期
リュウノウギク
ノコンギク
タテヤマギク

☆実期(花後)
キッコウハグマ(亀甲白熊)(キク科モミジハグマ属)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%83%E3%82%B3%E3%82%A6%E3%83%8F%E3%82%B0%E3%83%9E(ウィキペディアから)
ホトトギス
モミジガサ
ウド


木本

☆実期(花後)
ミヤマシキミ「有毒」


山野草などの参考HP
ウィキペディア(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8


ウィキペディアから
 箱根山;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%B1%E6%A0%B9%E5%B1%B1
 箱根町;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%B1%E6%A0%B9%E7%94%BA
 

2016年の後記

山野草行は、写真を貼付してからアップを基本としています。
しかし、写真の整理が追いつかず記事のアップがままならないです。
それ故に、2016年の山野草行はもう写真なしでアップすることにしました。
それにつけて、2013年の山野草行も、2013年に行った日の前後に写真なしでアップすることにしました。
記事の内容としては、2013年当時のままとしますので、内容が古くなっているものもあるかと思います。
たとえば運賃なども消費税アップ前(消費税は2014年4月1日に5%から8%にアップされた)なので今は高くなっていると思います。

2013年の山野草行の記事は、これでとりあえずすべてアップし終わりました。
写真はいつになるやら、めどが立ちません(苦笑)
いつかはアップしたい気持ちはありますが・・・


写真は後日に。


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センブリ 武川岳(たけがわだけ)(埼玉県) 2016年11月7日(月)(ろぷろす暦2016年12月4日(月))

2016年11月7日(月)、センブリを見に武川岳(埼玉県飯能市・秩父郡横瀬町)に行ってきました。


2015年に山伏峠に来た特、武川岳の登山道入口の案内板にセンブリがあると図示されていたので、気になっていました。
そこで、今回行ったということです。

センブリは、今年に本仁田山で見たのが10月16日であり、また2013年に笠山で見たのが10月30日なので、ほぼ標高が同じということから、もう花は終わっているだろうが、所在の確認をしておこうと思って行きました。
それに、本仁田山も笠山も見たのが、咲き始めだったので、まだ咲き残っているのもあるだろうという期待もそれなりにありました。

ところが行ってびっくりです。
まだ蕾でした。咲いているのはひとつもありませんでした。
これは一体どういうことなのでしょうか。
そんなに山々(場所々)によって咲く時期が違うのでしょうか。
ほんと読みきれません。
咲く花に出会えるのは運だと思いました。
毎日でも登っていないと確実さはないです。
同じ場所でも年によって微妙にずれるし。

まぁ、花だけではなく景色だって運ですね。
富士山だっていつも素晴らしい富士山が見れるわけではないですからね。
前に高川山に登った時に、地元の写真家でこの山から富士山をよく撮っている方が、いままでもここによく来ているがこんなきれいな富士山は初めてと言っていました。
それくらい、度々訪れても素晴らしい富士山はそんなに見れないということです。
その時は、わたしは運のいいことに初めて登って、そんな富士山を見れたわけです。
とこんなことを書くと、高川山にも登りたくなってきました(笑)
ちなみに、この高川山は、大月市にある富士見としての秀麗富嶽十二景のひとつです。

ちょっと話がずれましたが、ここのセンブリはとても背が低くて高くても5cmくらいでした。
あまりにも小さかったです。
そういうことで、栄養が足りないために遅咲きなのでしょうか。
とはいってもこれから寒くなるから咲くのにはますます力がいると思うのですが。
それにあまり遅くなると、寒くて虫も来ないのではないかと心配してしまいますが・・・
センブリそのものは、20数株くらいはあったでしょうか。
株は、蕾が1つだけのものから10以上あるものもありと様々でした。
ともかく、あることだけは分かりました。
これで、わたしはセンブリがそれなりに見れるとこを3箇所知った事になります。
出来れば、いつまでもこの妖精たちを見れることを願いたいのですが・・・

センブリはそういうことで花見としては残念だったので、ここには他にどんな山草があるのだろうかということに期待しました。
しかし、ここには目立った秋の花はあまりないようです。
リンドウはないし、ツルリンドウはセンブリのあったとこに少しありましたが、こちらは当然のように赤い実になっていました。
花の終わったキッコウハグマが全体で10株くらいありましたが、全体的にハグマ類やショウマ類はないといってもいいくらいでした。
あっても数株です。
今回見た限りでは、ここらへんの山は秋花は不作という感じです。

ここの山は春なのでしょうか。
武川岳はカタクリがそれなりに有名です。
いまは以前と比べると少なくなっているという話も聞きますが。
わたしが、2001年の4月20日に見た時もびっくりするほどの群落ではなかったです。
カタクリは、武川岳の妻坂峠側が多い感じです。

山草はよろしくなかったので、この時期なら紅葉ということでしょうか。
紅葉はそれなりに見れました。
しかし、紅葉(もみじ)があったのは、山伏峠から武川岳までが主で、武川岳から二子山方面では目立ったものはほとんどありませんでした。
しかも、この日は晴れ予報だったのに曇りだったので、さらに輝きがなくいまいちでした。
それでも、11時過ぎくらいから日も出てきたので、前武川岳付近では、赤・黄・緑の美しいコントラストを楽しませて頂きました。
とはいっても、わたしは桜も紅葉も一般的な感じ方で、見たらそれなりに感動はしますが、あえてどこかに見に行きたいというほどのものはありません。
だから、興が乗るほどのものではありません。
やっぱり、興が乗るのはセンブリさんあんたです。
いじわるは止めてくださいな(笑)


そんなことで、武川岳(たけがわだけ)に登ったのですが、わたしはこの武川岳にはいままで2回登っています。
2001年4月には、名郷バス停から妻坂峠(つまさかとうげ)を経て武川岳に登り、天狗岩から名郷バス停に下っています。
2001年6月には、正丸駅から長岩峠を経て県立名栗げんきプラザ(当時は県立名栗少年自然の家)に出て、このげんきプラザから県道53号線を少し上がったとこの林道から武川岳に登って、焼山(やけやま)・二子山(ふたごやま)を経て芦ヶ久保駅に下っています。
この6月の時は、ロングコースのためだったのか、最後には脱水状態のような感じにもなりヘロヘロでした。
2リットルの飲料では足りなくて、芦ヶ久保駅の自販機で1リットルくらいの飲料を飲んでやっと一息つきました。

さて、今回は山伏峠(やまぶしとうげ)から登るのですが、山伏峠は公共交通機関からはアクセスが悪いです。
名郷バス停から県道53号線(青梅秩父線)を歩いてくるか、2001年6月のように正丸駅から長岩峠を経るかです。
で、飯能駅からのバスを調べていたら、名郷止まりではなく湯の沢まで行くバスがあったので、初めてということも含めて湯の沢バス停から県道53号線を歩いて山伏峠に行くことを選択しました。
そして、2015年の春によく行った旧正丸峠の秋の姿も見てみたいと思っていたので、帰路に旧正丸峠を通ることにしました。
武川岳に12時頃に登れれば、焼山の先にある登山道から、これも2015年の県道53号線をよく歩いていて気になっていた二子山・武川岳への登山道入口となる道標のところ(近くに二子山入口バス停がある)に下りてきて、旧正丸峠に向かいたいと思いました。
武川岳が13時近くあるいは以降なら、武川岳から名栗げんきプラザに降りて、旧正丸峠に向かいます。
そんなルートの計画をたてました。

ということで、飯能駅から6時55分発の湯の沢行きのバスに乗ります。
名郷行きのバスはそれなりにあるのですが、湯の沢行きはこのバスを逃すと10時台までありません。
とはいっても、武川岳に登るだけなら名郷バス停から登ってそこから山伏峠に下ってセンブリを見てもいいのですが、今回は旧正丸峠の方にも行きたいということで、湯の沢バス停(山伏峠)を起点にしました。

湯の沢バス停から県道53号線を登ることになります。
途中、一箇所だけ巻き道的な山道を通りましたが、県道53号線をひたすら歩きます。
(この巻き道的な山道に味をしめて、また山道に入ったらそこは民家に通じる道だったので引き返すというへまもありました)
当然、県道だから舗装道路です。
普通の地元の方の車や仕事のタンプカーを始め、ドライブやツーリングやサイクリングのあれこれがそれなりに通ります。
しかし、道は県道ということでそれなりの道なので歩いていても問題ありません。
というか、湯の沢から山伏峠までは初めてですが、わたしはこの県道53号線の山伏峠から正丸トンネルまでの区間は2015年に歩いているのです。

それなりにくねくねと高度を上げながら歩いて行くと右側に山伏峠と書いた指標があります。
そこから100mくらい行くと登山道入口があります。
来た方向から見て、右側が伊豆ヶ岳への登山道入口(2015年にここを通って伊豆ヶ岳に行った)、左側が武川岳の登山道入口となります。

左側を行きます。山道に入ると直ぐに左に折れ県道53号線に沿って戻ることになります。
しばらくその戻りをしたのち、右に折れ再度左に折れると、いよいよ武川岳への尾根を登る事になります。
基本ひたすら登るだけです。
かなり、登ると林道に突き当たります。この林道はここ最近に出来たものと思われます。
2m以上の幅の林道なのに、まだ7日現在の地理院地図には表記されていません。
おそらく、地図上では上にある林道がいまはここまで延びてきて通っているのだと思います。そして、地図下にある林道とつながるのでしょうか。
林道を横切ると山道(登山道)への階段があり、続きの登りをします。
基本、左が植林で右が雑木林です。
そんな中をどんどん登っていくと、天狗岩と山伏峠と武川岳を示してる道標に出会います。
この時は、何も指標がなかったので気がつかなかったのですが、ここが前武川岳(まえたけがわだけ)だったのです。
ベンチがあります。
ここから雑木林の中を緩やかに下って登っていくと、げんきプラザと山伏峠・天狗岩を示している道標に出会います。

そこを左に行くと、直ぐに武川岳の頂上です。
頂上はそれなりに広くてベンチが4つあります。
時間は12時3分。
もしセンブリが咲いていたならば、この登頂はおそらく13時近くになっていたでしょう。
ということで少し時間に余裕があるのでここで、おにぎりを食べ缶コーヒーを飲んでまったりとします。
とはいっても、おにぎりは林道を横切った所や前武川岳でも食べたのですが(笑)
展望は南側が開けているだけです。
武川岳は、また「ホウキ平」とも呼ばれているそうです。

武川岳が12時3分登頂なので、二子山方面に向かいます。
登って来た方向から見ると右側に二子山へ行く登山道があります。
山伏峠から武川岳までは、登りだから体力は使っても、特に危険なとこはありません。
ですが、二子山方面は急坂もあります。
二子山方面への道は基本、尾根道で、また右が植林で左が雑木林になっています。
だからアップダウンありの急坂もあります。
急坂として特に注意しなければならないのは、蔦岩山から焼山に行く途中で林道へ降りる手前のところと、焼山から二子山へ行く焼山直下のところです。
土の急坂は、足を八の字(つまり内股)にして重心を足にかける感じて小さな歩幅で慎重に歩けば滑ることは少ないです。
気を緩めたり他に気をとられたりしたら、滑ってしまいます。
わたしはここでちょっとよそ見をしたばっかりに、うっかり落ちている小枝に足を乗せ、その小枝が転がり滑ってしりもちをついてしまいました。地面が乾燥していたので滑落までにはいたりませんでしたが。
しっかり、足元を見ていないとこんなことにもなります。

武川岳から最初の目印となる蔦岩山(つたいわやま)は木にくくりつけた指標があったから分かったもののこの指標がなかったら通り過ぎていくようなところでした。
そして、その滑った急坂を下りると「二子山方面登山道、林道に下りて左200m先」と書いた道標に出会います。
尾根道の方はロープが張られているだけで説明がありません。
ともかく、道標通りに林道に降りて左に進むと、道幅の広い(2m以上あり)林道に出ます。
その右側には歩いてきた林道の続きと思われる林道と尾根に登る階段があります。
しかし、その前に通行禁止の看板があります。
この看板のお陰でわたしは勘違いしました。通れないと思ってしまいました。
それ故に、道幅の広い林道が正規の道だと思ったのです。しかし、この林道はどうしても来た道を下ってしまいます。
ここでおかしいと思って引き返すと車だけ通行禁止ということのようでした。
看板の位置が悪いのです。
尾根道に入る階段の前に看板があるから間違えるのです。尾根道に入る後ろに通行禁止の看板を置いてくれていたら勘違いはしなかったのです。
この通行止めは森林管理工事(ようするに森林の伐採や搬出の作業をしているということでしょう)のためだそうです。

とはいっても、幅の広い林道に行ったために武甲山(ぶこうざん,ぶこうさん)をじっくり見れたのでそれなりに良しです(笑)
ここから見える武甲山は横顔でキズのありなしの武甲山です。すなわち登山できる側(左)とできない側(右)の武甲山です。
西武秩父線から見える武甲山はキズのある側です。とはいってもあのキズのある姿、わたしは嫌いではないですが。
しかし、最終的には武甲山はどうなるのでしょうか。削られてなくなるのでしょうか。それとも途中で石灰岩の採掘は中止するのでしょうか。
武甲山は好きです。わたしは基本的に富士山タイプの独立峰が好きです。山って感じが直接的にしますから。

ある方のブログによれば、「二子山方面登山道、林道に下りて左200m先」という表示がなされる前は、その通行止めになっている尾根道がそのまま続いていたそうです。ですが、この幅の広い林道のためにその尾根を削り取ったので、尾根道が遮断されたということらしいです。
ということから思うとたぶん、あの奥多摩の浅間尾根駐車場のとこも奥多摩周遊道路を通すために尾根を削り取ったのでしょう。
この道幅の広い林道は7日現在の国土地理院の地図にはその影すらありません。
おそらく、ここ最近に森林管理工事のために作ったのでしょう。
というか、一の鳥居側(横瀬側)から妻坂峠に登る登山道を横切っている林道がここまで延びてきているのか?

そんな道迷いもしながら焼山に着きます。
焼山(やけやま)は西側・北側が開けていて、武甲山や秩父市街や二子山が見えます。また、武甲山の右横には両神山が見えます。
あとの山は知りません(笑)
残念なのはこの焼山にはベンチがないことです。
あそこまで林道があるのだから、ベンチの2つくらい設置していて欲しいと思いました。
横瀬町さん、お願いします。
とはいってもわたしがまた行く機会はないかもしれませんが・・・

そんな焼山の直下の急坂を下って、二子山に向かっていると、道標があって武川岳と二子山と林道とを指しています。
これが、焼山林道から県道53号線に抜ける例の道かなと思い、それにしては林道という漠然たる表現でどこどこに行くという具体的な表示はないなと思いながらも、この道を選択しました。
この下りの道はそれなりに広いのですが、なんか踏み跡がいまいちです。
なんとなく嫌な感じを覚えながらも、そのまま進んで行くと遂には藪がらみのここ道なのかという感じにすらなりました。
が、いまさら引き返すのも面倒なのでとにかく道標もあるくらいなのだから、なんとかなるだろうとそのまま進むととりあえず林道らしきとこに出ました。
しかし、そこには道標もなにもないので一体どこに出たのかわかりません。

とはいってもどうしようもないので、その林道らしき道を下ることにしました。
道は一直線に下る感じなので、なんとなく安心しました。
というのは、焼山林道は地図で確認したときに登山道入口(県道53号線との交差点)まではほぼ直線だったからです。
そんなあれこれ思いながら、それなりに下ると二子山と武川岳と林道を示している道標に出会いました。
これで、すっきりしました。この道標の二子山は、二子山に行くための尾根道まで上る山道(登山道)を示していたからです。
わたしが間違えたのです。
わたしが下った林道の道標のところからなんぼか二子山への尾根道を進んだら、この道標が示す二子山に行く登山道(山道)に出会っていたのです。
とはいってもそこの道標も林道とかしか書いていなかったりして(笑)
本来、道標なら二子山入口バス停とか書くべきでしょう。
そこの道標はなんて書いてあるのか気になります(笑)
ともかく、これでこの道標の示す林道を下れば、林道焼山線起点(登山道入口,県道53号線と交差,二子山入口バス停)の目的地に着けると分かったので大安心です。
ちなみに、わたしが下ってきた林道らしき道(つまりは林道ですな)は、登っていけばあのわたしが迷った道幅の広い林道のとこで通行止めになっていた林道に通じているということらしいです。
そうでないと、この武川岳を指しているのが理解できないからです。
ここでも、車はここで通行止めになっていました。

なお、あの尾根道の道標に従ってわたしが下った林道に抜ける道は地図にはありません(国土地理院,山と高原地図22奥武蔵・秩父2013)。
そういうことで、踏み跡もあまりなく藪がらみだったのでしょう。というかその前に道標のある二子山への山道(登山道)があるのにその先になぜ作ったのだろうか・・・おそらく県道53号線から入ってくる登山者はみなこの手前の道標のある山道(登山道)を登るでしょう。

あとはそのまま下るだけで、焼山林道起点(県道53号線と交差)に着きました。
ここから、県道53号線を国道299号線(正丸トンネル)に向かって緩やかに下る(歩く)だけです。
そうすると、旧正丸峠に向かう南沢林道の起点に出会えるからです。
ちょっと行くと二子山入口バス停がありそこを通過してどんどん進みます。
かなり進んだあと、左側へのカーブのあるとこの右手に道があり、そこの入口に旧正丸峠を示す道標があります。その道標には林道南沢線起点の指標もあります。
民家があって橋を渡って道なりに進みます。
かなり行くと、林道南沢線終点の指標があります。この指標は横瀬村とあります。
1884年に町に移行しているから、それ以前に立てられたものですね。
ここから、山道(登山道)となります。

まだ、明るいので周りを見ながら進めます。
旧正丸峠には16時58分に着きました。
林道南沢線終点からここまでは、春にはあれほどあった山草はその残骸すらもありません。
ここの山草は基本、春の妖精で成り立っているということです。
そういうことがとりあえず確認できました。

旧正丸峠では虚空蔵峠への道を少し確認してから出発です。
この虚空蔵峠への道もけっこう気になっています。
時刻は17時を過ぎているので、懐中電灯を使います。
旧正丸峠を17時23分に出ます。
もう真っ暗ですが、ここは2015年に4回も通っているのである程度余裕です。
とはいっても、やはり暗がりでは何かと勝手が違うのと、2015年の時は下りでは一度も通っていないのです。
それでも、正丸峠線(旧国道299号線)までは問題ありませんでした。

思ったよりやっかいだったのは、正丸峠線から山道に入って登山道入口すなわち坂本の村落に出るまででした。
ここ夜に初めて通るのなら不安になるなと思いました。
沢を何度も渡るし、道がけっこう不明瞭なのです。しかも、今回は台風か長雨の影響かは分かりませんが、一部土砂崩れしていて道が土砂で覆われているところがありました。
ここが登山道だと知っているから良かったものの一時は道迷いをしたのではないかとすら思いました。
そんな動揺があったのかそれとも知っているとこという気の緩みがあったのか、右足を根っこに引っ掛けてこけて右ひざに擦り傷を作ってしまいました。
山で多少とも怪我をするなんてめったにないことをしてしまいました。
思えば、ここを初めて通った2013年3月末も暗くなり始めでとても不安な中を下ったのを思い出しました。
ここは暗くなってからは使わない方が無難です。
っていうか、暗くなってからは山道はどこも使うな、が正論ですけど(苦笑)

ということで、センブリは残念でしたけど、初めてのとこも通れたということで楽しめました。
かって通ったことのある武川岳から二子山への尾根道もすべて忘れていたのでここも初めて通ったと同じです。
ほんと、この区間どこを通っていてもデジャヴ(既視感)は起こりませんでした。


登山者は少なかったです。
飯能駅から湯の沢行きのバスも、はっきり登山者と分かるのは、東飯能駅から乗った中年の単独行の女性だけでした。
後は、地元の者か所用の者かという感じでした。
でも、名郷でその中年の女性を含めて単独行の3人が降りました。というか名郷ではわたしを入れて乗客はこの4人しかいないということ。ここから湯の沢まではわたし一人。
この名郷からだと、どこかに山登りするしかないと思います。
武川岳を始めとして蕨山、子持山そして武甲山にも行けます。
3人のうち中年の男性はリュックもありそれなりの登山姿だったので山登りだとしか思えないのですが、青年の男性は見た目はとても山登りする感じではなかったです。靴も普通のシューズですしリュックもデイパックだしどうみてもハイキングスタイルです。
かといって一人で名郷に来ても山登りくらいしかすることはないと思うのですが・・・

寒くなり始めのこの季節は登山は下火なのでしょうか。12月23日(冬至)まで日も短くなる一方だし。
登山の季節としては、4月5月の低山から始るということでしょうか。春は草も木も芽吹き花や新緑を求めて多くの人が登るということでしょう。
6月から7月中旬は登りたくても梅雨ということで、やや自粛気味となり、梅雨が明けると一斉に高山へと登山をすることになり、富士山やアルプスが人で埋まるということになるのでしょう。
そんな高山も9月に入ると寒くなり、9月から10月中旬くらいは低山ということになるのでしょう。
10月下旬くらいからその低山も寒くなるので下火となり、草木と同じように来年の4月まで冬ごもりとなるのでしょうか。
紅葉といっても桜と同じようにあえて登山ということではなく紅葉の名所で楽しむということなのでしょう。
ということで、静かな山歩きをしたい方は、この時期がチャンスかもしれません(笑)

そんなことで、山でも2名にしか会わなかったです。
山伏峠から林道を横切ってそれなりに行ったとこで、下山中の初老の男性とすれ違いました。これで早々とパーフェクトの目はなくなりました(笑)
2人目は焼山で景色を眺めていると、中年の男性が登ってきました。
焼山はわたしが先に出発したのですが、途中で抜かれてしまいました。この男性はおそらく二子山に向かったのでしょう。
これだけです。もちろん、焼山林道でも県道53号線でも歩行者とは会いません。
起点での民家の方を除いて林道南沢線起点から旧正丸峠までではいままで歩行者とはあったことがありません。
旧正丸峠から登山道入口(坂本の村落)までは暗闇だから会うはずがありません。
正丸峠線で車は通るかなと思ったのですが、猫の子一匹もいません。真っ暗です。

飯能駅から湯の沢行きのバスには、飯能駅にて名郷で降りた男性たちを含めて10人くらいが乗りました。
小殿までで30人くらいが乗り降りしたでしょうか。
特に唐竹橋では6人くらい降りました。
このバスも名栗小学校の通学バスとなっており、名栗地区に入ってくると続々と小学生が乗り込んで来て、小殿で全員(15人くらい)降りました。この時点で乗客は4人だけとなりました。
この先に、名栗小学校があります。地図で見ると、名栗小学校の横に市立名栗幼稚園があり、その先(500mくらい)に名栗中学校があります。名栗中学校は、バス停としては名栗車庫のところになります。
面白かったというか不思議だったのは、小学生の女の子2人が大人の男性に見送られて永田大杉から乗ったことです。
小学生が通学にバスを使っているのだと思ったのですが、バスが次々と小学校を通過するのにこの子達は降りようとしません。
えっ、いったいこの子たちはどこの小学校に通っているんだと怪訝になりました。
結局、この子たちは、飯能市の最北端であろう名栗小学校の生徒ということでした。
永田大杉は飯能駅から直線で2.4kmくらいのところですから、そこから通わせるということになると、通学時間がバスで40分くらいということになります。
まさかですよね。
この永田大杉バス停の近くならもっと近い小学校がそれなりにあります。
今日は月曜日ということで、土日と親戚の家にでも遊びに来ていたのでしょうか。
永田大杉から毎日、名栗小学校に通うとなるとバス代が大変だ(笑)
よく分かりません・・・

なお、名栗(名郷)方面行きのバスの飯能駅での乗車口は、北口となります。


もうほんと寒くなってきました。
県道53号線を山伏峠に登っていた時、途中で温度を表示していたのですが、それは6℃でした。
また、正丸駅に着いた時は、駅員さんがいま6℃と言っていました。
それでも山登りをすれば汗をかきます。下着は一度替えました。
飲料はポカリスエット900ミリリットルと水500ミリリットルを持っていったのですが、ポカリスエット500ミリリットルくらいで済みました。


例の如く、朝にローソンでおにぎりを買ったのですが、店員さんがとあるおにぎり(名前は忘れてしまいまいました)だけを脇にのけてしまいました。
もしかしたら、当たりくじのおのぎりか?
そんなことを思っていたら、店員さんがいきなりおにぎりをつかんでどこかに行ってしまいました。
えっ、当たりくじのおにぎりを持ち逃げか?
そしたら、当たりでもう1個おにぎりをくれるのではなく、このおにぎりをあなたにはあげませんでした。
ええっ、そんなぁと思っていたら、このおにぎりは消費期限切れでお売りすることが出来ません、これが最後で代わりのものもありません、すみません、ということでした。
で、わたしは再度、当たりがありそうなおにぎりを探して持っていったのですが、今度は当たりでなかったので、4個揃いました。

いままで、コンビニで幾度となくおにぎりとかなんとか食べ物を買ったけど、消費期限切れといわれたのは初めてでした。
というより、バーコード読みで自動でそういう品質管理をしているのには驚きました。
管理社会もここまできているのですね。
人間の管理だと今回のようにうっかり八兵衛のミスも起こるが、コンピュータならそんな器用なことは出来ません。

で思ったのは、そのうち人間にもバーコードがついて、消費期限切れに成った者は焼却炉あるいは家畜の餌行きになるのではないかということです。
確か、そんなことをある大臣が言ったとか言わないとか。
マイナンバーはその手始めか。
何をもってその人間を消費期限切れにするかということですね。
己の支配体制に不要な者は、ある意味すべて消費期限切れということにもなろう。
消費期限切れとは、己に害毒をおよぼすものだから、支配者の体制に異を唱える者はすべて害毒を成す者であるといえるでしょう。

そういうSFってあるのから。
だれか、SFに詳しい方がいたら教えてください。読んでみたい。


地図情報

地理院地図(http://watchizu.gsi.go.jp/)から
 武川岳;http://maps.gsi.go.jp/#15/35.936907/139.130233/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0

地図検索ならMapion(http://www.mapion.co.jp/)から
 武川岳;http://www.mapion.co.jp/m2/35.93688834,139.13023999,16/poi=L0583392


行程情報

電車移動
府中本町(5:30)→新秋津(5:43)→(徒歩)→秋津(6:04)→飯能(6:32)(運賃520円(220円+300円))
(府中本町から新秋津はJR東日本、秋津から飯能は西武鉄道の準急)
(時刻検索は、えきから時刻表(http://www.ekikara.jp/top.htm)による)

バス移動
 飯能駅(6:55)→湯の沢(7:57)(運賃810円)
(バス時刻表;http://transfer.navitime.biz/5931bus/pc/diagram/BusDiagram?orvCode=00021942&course=0001000407&stopNo=1
 路線図;http://5931bus.com/files/topics/1006_ext_03_16.pdf
 国際興業バス;http://5931bus.com/

花見トレッキング
湯の沢バス停(7:59)→(県道53号線)→山伏峠(9:28)→武川岳登山道入口(9:31)→林道と交差(10:28)→前武川岳(分岐)(11:29)→武川岳(分岐)(12:03,12:20)→蔦岩山(12:54)→林道へ(13:30)→焼山(14:16,14:27)→林道への分岐(14:40)→林道(14:50)→二子山・武川岳・林道分岐の道標(15:03)→林道焼山線起点(15:32)→(県道53号線)→林道南沢線起点(15:55)→林道南沢線終点(16:19,16:29)→旧正丸峠(分岐)(16:58,17:23)→正丸峠線(旧国道299線)と交差(17:47)→旧正丸峠登山道入口(18:31)→正丸駅(18:49)

標高
湯の沢バス停(約408m)→山伏峠(約604m)→前武川岳(1003m)→武川岳(1052.7m)→蔦岩山(1004m)→ 焼山(850m)→林道焼山線起点(約470m) →林道南沢線起点(約436m)→旧正丸峠(約669m)→正丸駅(約300m)

帰りは、正丸19:12発の飯能行きの電車に乗りました。
府中本町駅には、20時59分に着きました。


草本

☆花期
ツリフネソウ
ボタンヅル(牡丹蔓)(キンポウゲ科センニンソウ属)「有毒」
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%85%E3%83%AB(ウィキペディアから)
 http://matsue-hana.com/hana/botanduru.html(松江の花図鑑から)
ヤクシソウ
ベニバナボロギク
ノコンギク
シロヨメナ
サラシナショウマ
ナギナタコウジュ
アワコガネギク(泡黄金菊)(別名:キクタニギク(菊渓菊))(キク科キク属)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%82%AE%E3%82%AF(ウィキペディアから)
 http://matsue-hana.com/hana/awakoganegiku.html(松江の花図鑑から)

☆蕾期
センブリ(千振)(リンドウ科センブリ属)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AA(ウィキペディアから)
 http://matsue-hana.com/hana/senburi.html(松江の花図鑑から)

☆実期(花後)
ツルリンドウ
キッコウハグマ
アキノキリンソウ
マムシフサ「有毒」
ヒトツバテンナンショウ「有毒」
オクモミジハグマ
カシワバハグマ
ヤブレガサ
フクオウソウ
トネアザミ
ヤマゼリ
オオバキボウシ
キバナアキギリ
タチツボスミレ
エイザンスミレ
ウバユリ
フタバアオイ
シュウカイドウ
マツカゼソウ


木本

☆実期(花後)
コウヤボウキ
ナガバノコウヤボウキ
アセビ


山野草などの参考HP
ウィキペディア(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8
松江の花図鑑(島根県松江市の野草樹木シダの名前が分かる植物花図鑑)(http://matsue-hana.com/


ウィキペディアから
 武川岳;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%B7%9D%E5%B2%B3
 飯能市;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E8%83%BD%E5%B8%82
 横瀬町;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E7%80%AC%E7%94%BA
 武甲山;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B2%E5%B1%B1
 秀麗富嶽十二景;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%80%E9%BA%97%E5%AF%8C%E5%B6%BD%E5%8D%81%E4%BA%8C%E6%99%AF
 消費期限;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%88%E8%B2%BB%E6%9C%9F%E9%99%90
 日本の峠一覧;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%B3%A0%E4%B8%80%E8%A6%A7
 日本百名峠;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%99%BE%E5%90%8D%E5%B3%A0


余談:サントリーCM 宇多田ヒカルさん

サントリーの南アルプスの天然水のCMを見ていてて、何か心に響く歌声が聞こえてきて聴き惚れました。
えって感じで、久しぶりに歌を聴いてしまいました。
では、これを歌っているのは誰かとネットで調べたら、宇多田ヒカルさんでした。
ほんど凄いさすが天才だなと思いました。
ちなみに、わたしは宇多田さんを特に好きではないので、顔を知らないのです(笑)
だから、CMに本人が出ているのにまったく分からなかったのです。

まぁ、好きっていうのは不思議なものですからね。
好きと何かが因果関係にある人にとっては好きの概念はとても簡単でしょうけど。
例えば、金ある人が好きとか、強い人が好きとか、歌がうまい人が好きとか、有名な人が好きとかなんとかですね。
そういうことなら、わたしもこれだけこの歌に感動してこの文を書くくらいなのだから、宇多田さんを好きということになってもいいのですが。
それがそうではないのですよね。
その才能の素晴らしさに敬意を持っても、特に好きってことにはならないのですよね。

テニスでもあれだけ強いセリーナ・ウィリアムズ選手に敬意は持っても、特に好きってことにはならないのですよね。

この宇多田さんの素晴らしい心に染み込んでくる歌を聴きながらそんなことを思ってしまいました。

ちなみに、わたしが山野行に持っていく水とは、このサントリーの南アルプスの天然水の500ミリリットルのペットボトルなのです。

YouTube(https://www.youtube.com/)から
サントリー天然水『水の山行ってきた 南アルプス』篇 30秒 サントリー CM - YouTube(https://www.youtube.com/watch?v=LF4DougaTIY
 
サントリー天然水『水の山行ってきた 南アルプス』篇 60秒 サントリー CM - YouTube(https://www.youtube.com/watch?v=eDjX8gM1WJ8
サントリー天然水『水の山行ってくるわ』篇 15秒 サントリー CM - YouTube(https://www.youtube.com/watch?v=Ct6XJFZCQgQ
サントリー天然水『水の山行ってきた 南アルプス』篇 インタビュー 1分44秒 サントリー - YouTube(https://www.youtube.com/watch?v=Jngw6kQoQoI


写真は後日に。


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岡村恭香さん 安東証券オープン 東京2016 予選1回戦 敗退 2016年11月5日(土)(ろぷろす暦2016年12月2日(土))

どうやらわたしは疫病神ではないらしいので(笑)、2016年11月5日(土)に安東証券オープン 東京2016の予選に出場する岡村恭香さんを見に、東京の有明テニスの森公園に行ってきました。

岡村恭香さんは、安東証券オープン 東京2016(ANDO SECURITIES OPEN TOKYO 2016 ,日本/東京,本戦11月8日(火)~11月13日(日),ハードコート,ITF10万ドル)において、11月5日(土)に行なわれたシングルス予選1回戦にてカタジーナ・ピテールさんに5-7,4-6で負けました。


それなりに微妙な試合だったといえます。
岡村さんの勝ちもあった試合を岡村さんが自滅で失ったともいえるからです。

カタジーナ・ピテールさんは初めて見る選手なのですが、筋肉質の痩せ型でした。
ウォーミングアップ時のサーブを見ていると、その筋肉質を生かしたように鋭いすなわちキレがありました。
このサーブ相手では、結構やっかいだと思いました。

第1セットは、ピテールさんのサーブで始り、そのサーブで岡村さんをはじき難なくキープします。
これを見て、このサーブ相手では簡単にはブレークできないだろうから、岡村さんがサービスをキープするのが鍵になると思いました。
ところが、第2セットを岡村さんがブレークされ、ピテールさんがキープして、ピテールさんが早々と3-0としました。
これはもしかして一方的になるのかと思ったのですが、その後の3ゲームを岡村さんがキープして、ピテールさんの5-3となります。
この分だと、ピテールさんがキープして6-3でこのセットを終わるかと思いました。
ところが、このピテールさんは勝ちびびりみたいなものがあるのでしょうか、ここでサーブが乱れて(ダブルフォールト2つ)その隙を岡村さんがうまくついてブレークバックします。
しかも、次の第10ゲームをキープしたので、これは岡村さんの流れかなという感じにすらなりました。
それを象徴するかのように、第11ゲームは40-15と2つのブレークポイントを握るのですが、それを活かしきれなくてキープされます。
第12ゲームは、第11ゲームを取れなかったのが尾が引いているかのように、安易なミスを犯しブレークされて、5-7でこのセットを失います。
まぁ、このセットは思わぬとこで、ブレーク出来たので良しとすべきだと思います。
焦点は次の第2セットでどのような戦いをするのかです。
第1セットが終わると両者、トイレットブレークを取ります。
岡村さんはウェアを替えてきました。

第2セットも岡村さんが先に第4ゲームをブレークされ、ピテールさんの3-1となるのですが、ピテールさんのサーブは明らかに第1セットと比べると安定感が落ちており、ブレークするチャンスがある状態でした。
そこで、すかさず岡村さんが第5ゲームをブレークバックし、第6ゲームをキープして3-3のイーブンにします。
しかし、第8ゲームをまたもやブレークされ、ピテールさんが5-3として、ピテールさんのサービングフォーザマッチを迎えます。
そうすると、またしてもピテールさんは勝ちびびりが出たのか、サーブが不安定になり(ダブルフォールト2つ)、岡村さんがブレークバックして岡村さんの4-5となります。
こうなったら、第1セットの再現で5-5となり、このセットは岡村さんが取るかと思われたのですが、ここでも安易なミスが出てブレークされ、終わってしまいます。

岡村さんが、もう少し丁寧なテニスすなわち粘り強いテニスをしていたら勝てたと思われます。
確かにピテールさんのサーブは良かったので、ピテールさんがキープしてもそれはしかたないことです。
しかし、サーブが良い時は得てしてストロークは普通という感じになります。
だから、ストローク戦では岡村さんの方が有利という感じでした。
また、ピテールさんは体が細いのでスタミナ面ではどうかなと思っていました。
それが、第2セットには出て、サーブも普通の感じになりました。
別の言い方をすると、サービングフォーザセットやサービングフォーザマッチの時は、サーブで決めようと力んでサーブが不安定になったともいえます。
そういうことでは、相対的にストローク戦はあまり得意ではないという感じも受けました。
だから、岡村さんがもっと丁寧な(粘り強い)ストローク戦をしていれば、おそらくピテールさんの方が自滅していたでしょう。
ところが、時々特にセット時やマッチ時に安易なミスを犯してブレークされ、相手にセットやマッチをプレゼントしたという感じです。
確かに、ピテールさんのストロークはそれなりにキレがあるので安易な返しをするとウィナーを食らう危険性があるということで、早めの攻めの強打になったのかもしれませんが、うまくストローク戦をしている時もあったので惜しいと思ってしまいます。

実力は伯仲していたと思うので、何が勝敗を分けたかというと、やっぱり勝負への執念(経験・うまさ)でしょうか。
勝ちきるには、何をすればいいかというそこの違いが出たということかもしれません。

今回は、勝負のポイント(要所)でミスをした方が負けたということでしょうか。
相手を焦らせなければいけないのに自分が焦ったともいえると思います。

勝てる可能性があったということでは残念ですが、テニスそのものは悪くなかったと思います。
それ故に、次に十分期待を持たせる戦いだったでしょう。

将来的な戦術としては、ストローク戦(ラリー)で相手をもっと揺さぶりたいですね。
それが出来れば、もっと安定した戦いができるような気がします。
今は、技術が足りないのか余裕がないのかよく分かりませんんが。
ともかく、上に勝つには課題がまだまだたくさんあるということです。
まだまだ課題がたくさんあるということは、もっともっとテニスを楽しめるってことでもあるわけです。

それから、岡村さんは相手のロブを追いかけていて見事に?転びました。
それくらい、闘志あふれるプレーをしていたと解釈しました(笑)
その後も、かわりなくプレーをしていたので、特に怪我とかはなかったようです。

シングルス予選1回戦(11月5日(土),予選第1日,コート1第4試合)(1時間31分)
岡村恭香(Kyoka OKAMURA,日本,269位) vs. [5]カタジーナ・ピテール(Katarzyna PITER,ポーランド,238位)は、
カタジーナ・ピテールが7-5,6-4で勝ちました。
第1セット 1-0,2-0,3-0,3-1,4-1,4-2,5-2,5-3,5-4,5-5,6-5,7-5(サーブはピテールから)
第2セット 1-0,1-1,2-1,3-1,3-2,3-3,4-3,5-3,5-4,6-4(サーブはピテールから)


さて、岡村恭香さんですが、初夏の頃と比べると、結果的に勢いが弱まっているという感じを受けます。
ということで、現状に対してわたしの得意の妄想を発揮してみたいと思います。
これはあくまでも妄想なので、何か客観的な根拠があるとか事実とか真実とかいうことではありません。
わたしが現状においても岡村さんに期待しているといった時に、なぜ期待しているかという主観的な根拠ということです。
(ちなみに、妄想と仮説(仮定)の違いは、妄想は言うだけであってそれの事実性を確かめるような行為をしないが、仮説(仮定)はその言った事の事実性の確認の努力をするということです)

勝ちとしての結果が出ない原因として、わたしは3つのことを想定しています。
1.故障の影響
2、初恋の恭香
3.5万ドルの優勝&準優勝(久留米と福岡)
これらが複合的に作用していると思われます。

一つ目の「故障の影響」は、このテニス人生初の長い期間の故障が尾を引いているということです。
もちろん、直接的な身体に対してではなく、間接的な精神に対してです。
一般的にいう、潜在意識(無意識)に対してです。
岡村さんにとっては、初めてのことなのでその不安を完全にクローズ出来ていないのだと思います。
もちろん、意識の中ではそういうことはありません。
身体に特に問題がなければ、プレー中に意識の中で身体を云々することはないといっていいでしょう。
しかし、これが自分のテニス人生初の長い故障だったこともあって、自分の潜在意識に不安が植えつけられていてもおかしくはないと思います。
そういうことがあって、無意識に力をセーブしているようなことがあるのではないかということです。
無理したらまた故障をしてあのような悲しみや不安な日々を送らなければならないという潜在意識です。
そこらへんが、2回戦を突破できない要因のひとつかなと思っていますが。

とはいってもこれは一過性のものだと思います。
人間はまた忘却の動物ですから、その内に故障したことなども忘れてしまって、潜在意識からも消えてしまうでしょう。
大体は、故障した時は、身体をいたわらなければいけないと思いながらも、いざ試合をするとついつい熱くなって無茶をしてしまうというのが戦士の宿命みたいなものですから。
ということで、ある程度、無茶をするというのも早期脱却の手かもしれませんが。
まぁ、わたしはそういう一か八かはあまり論理的でないので進めませんが、どうしても行き詰まった時には、「窮鼠猫を噛む(きゅうそねこをかむ)」(本能のままに五感を解放する)も必要かもしれませんが。

二つ目の「初恋の恭香」は、初めてのことに弱いということです。
岡村さんは、感覚的な対応をするというより論理的な対応をする方が勝っているので、どうしても初めてのことにはその対応が遅れてしまいます。
論理的な対応をするには、どうしても情報が必要です。
しかし、初対戦の相手ではしばしば情報不足でそのテニススタイルはよく分からないといっていいでしょう。
感覚的なら事象をそのまま受けてそれを良くも悪しくも即座に身体に反映することが可能ですが、論理的ならば事象を受けてその事象を内部の情報と照合しながらある形を作っていくと思います。
それ故に、情報がなければ形が出来ないとか誤った形を作ってしまうということになるかと思います。
だから、そういうことではある意味頭の中が考えで混乱してしまうということもあるかと思います。
とはいっても、論理的な強みは、情報さえあればその解析は感覚的な対応をしのぐことができるということです。
つまり、色んな対応が出来るということです。
もちろん、その考えを実行するのは、その技術が伴わなければ絵に描いた餅になるのはいうまでもないことですが。
例えば、相手のフットワークが弱いと分かっても、相手を揺さぶるだけのコントロールやドロップショットのような多彩なショットがなければ相手の弱点をつけません。
だから、岡村さんは初対戦で負けても、その相手と戦えば戦うほと、相手の情報が増えるので、相手に勝ちきれるようになれると思います。

長所はまた短所であり短所はまた長所であるってことで、これとどううまく折り合いをつけていくかも人生のひとつの妙技といえましょう。

ということですが、では岡村さんはいつも初対戦の相手には負けたり苦戦したりするのかというと、そういうことはありません。
人は進化するからです。
いくら個性がある(トリッキー)といっても、テニスの基本を無視したような個性あるテニスはないからです。
そのテニスの基本を高いレベルで自分が持っていればどのような相手にも、数ゲーム対戦すれば弱点が見えるようになるからです。
これが、相手をモデリングするということです。
とはいっても相手も進化するから、これがまた面白く難儀ともいえるのですが(笑)

上の故障への対応の件などもこの「初恋の恭香」のひとつの例かもしれません。

三つ目の「5万ドルの優勝&準優勝」は、自分を取り巻く環境が変わったということです。
つまり、有名になった(実力を認められた)ということです。
岡村恭香を知る者が多くなったということです。
それは相手がより岡村恭香の情報を持って対応してくるということです。
それはまた相手が対岡村恭香用のテニスをしてくるということです。
これは相手のテニスが見えにくいということになります。
なぜ、見えにくいかというと、相手は自分をも知らない弱点を見つけて攻めてきていることもありうるからです。
つまり、翻弄されるということです。
これは、自分が相手に対する時の対応で分かると思います。
勝てば勝ったで難儀であり、負ければ負けたで難儀なのが、戦いに生きる者の運命の必然なのです。

ということで、今回のなかなか勝ちきれないのは、壁やスランプではなく一時の気の迷いだとわたしは思っています。
だから、特別に心配はしていません。

解決方法は、ともかく強くなることです(笑)
一心不乱に強くなることです。
野心と信念と自信を持って強くなるしかないです。
というか、挑戦とは、また野心と信念と自信があってこそ成り立つものです。
自分が出来ないと思って(信じて)挑戦をするなんていう奇特な人はきっといないでしょう。
表に出すかどうかは別としても、心の奥には熱く燃える野心と信念と自信があるからこその挑戦でしょう。

幾多の困難があろうと、正に「やる」だけです(笑)

よって、来年はトップ200になって、グランドスラムの予選に出て、1勝することを期待しますよ、初恋の恭香さん。


あと、岡村さんの試合の前に、小関みちか対安藤優希戦を見ました。
第2セットのタイブレークから見ました。
このタイブレークは安藤さんが7-4で取ります。
第1セットは小関さんが6-1で取っていたので、第3セットに突入します。
タイブレークは安藤さん優位という感じだったので、第3セットは安藤さんに分があるかなと思って見ていました。
しかし、安藤さんが途中でふくらはぎ当たりに異常を感じてかトレーナーの治療を受けます。
メディカルタイムアウトを取るほどではなかったようなのですが、それでも思ったような動きが出来ない感じで、その後は、小関さんの一方的な展開となり、小関さんが6-2で第3セットを取り、この試合をものにします。
安藤さんは初めて見てしかも故障もありだったので、どのくらいの力を持つ選手かは判断できないのですが、闘志があって、わたしとしてはけっこう好感を持ちました。
機会があったら、またそのプレーを見てみたいと思いました。
ネットやITFで見ると、16歳の高校1年生のようです。というか、2000年生まれなのです。

シングルス予選1回戦(11月5日(土),予選第1日,コート1第3試合)(1時間56分)
小関みちか(Michika OZEKI,日本,594位) vs. [WC]安藤優希(Yuki ANDO,日本,ー位)は、
小関みちかが6-1,6-7(4),6-2で勝ちました。
第1セット (1-0,2-0,2-1,3-1,4-1,5-1,6-1(サーブは小関から))
第2セット (0-1,1-1,2-1,3-1,3-2,3-3,3-4,4-4,4-5,5-5,5-5,6-6),6-7(サーブは安藤から)
第3セット 1-0,1-1,2-1,2-2,3-2,4-2,5-2,6-2(サーブは小関から)


ところで、この安藤証券オープン 東京2016の大会名に対して前から不思議に思っていました。
単に「安藤証券オープン」ではなく、わざわざ東京と入れているからです。
東京と銘打っているということは、東京以外でも開催する計画があるってことなのでしょうか。
それとも、単純に東京の名を入れているだけなのでしょうか。
そんなことを思ってしまい気になっていますが・・・


テニス|スポーツナビ(http://sports.yahoo.co.jp/sports/tennis/)から
予選がスタート、日本勢は7人が初戦を突破 [東京/女子テニス] (THE TENNIS DAILY) - Yahoo!ニュース;http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161105-00010003-tennisd-spo


安藤証券オープン 東京2016の
HPは
 http://ando-open.tokyo/
ITFの表記は
 http://www.itftennis.com/procircuit/tournaments/women's-tournament/info.aspx?tournamentid=1100036781
(ライブスコアは、このURLで表記されるページの右上の日の丸の左横「LIVE」をクリックすると見れます)
です。


余談:呪い

岡村恭香さんも土居美咲さんも、ここ有明はまるで呪いの地であるかのように勝てません。
土居さんなどは、大坂で開催されていた時のジャパンウイメンズオープンテニスではそれなりに勝てていたのにここ有明になったとたんに初戦敗退の2連敗というおぞましさです。
もちろん、東レPPOテニスでも勝てていません。本戦1勝4敗です。

大リーグのシカゴ・カブスが108年ぶりにワールドシリーズで優勝して、ヤギの呪いを解いたので、岡村さんも土居さんもぜひともこの有明の大会で優勝して、有明の呪いを解いて欲しいと思います。


岡村恭香さんの
ブログ「プロテニスプレーヤー岡村恭香オフィシャルブログ - 夢叶うまで挑戦 -」は
 http://tennis.jp/kyoka-okamura/
WTAは
 http://www.wtatennis.com/players/player/19223/title/kyoka-okamura
ITFは
 http://www.itftennis.com/procircuit/players/player/profile.aspx?playeridext=800309592
THE TENNIS DAILY テニスデイリーは
 http://www.thetennisdaily.jp/player_detail.asp?p_idx=10460
テニス365は
 http://news.tennis365.net/news/tour/players/details/index.html?id=women00765
ウィキペディア(英語版)は
 https://en.wikipedia.org/wiki/Ky%C5%8Dka_Okamura
です。


注)断りのない限り表記のWTAランキングは、2016年10月31日(月)現在(ランキングは毎月曜日に更新されます)です。


写真は後日に。


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ツリフネソウ 浅間峠(せんげんとうげ)と生藤山(しょうとうさん)(東京都と神奈川県)(2016年10月31日(月)(ろぷろす暦2016年11月25日(月))

2016年10月31日(月)、浅間峠生藤山(東京都西多摩郡檜原村と神奈川県相模原市緑区)に行ってきました。


もうこの時期は、花ということでは目ほしい物はほとんどないということです。
この時期の山草なら実ということになるかと思います。
マイヅルソウの真っ赤な実など綺麗だし、ヤマシャクヤクの実などは面白いです。
マイヅルソウの実を見るなら2000m級の山になり、大菩薩嶺とか女峰山当たりになります。
ヤマシャクヤクは一体どこにあるのやら、一度富士山で見たことあるのですが。
いずれにしろ、実を見に行くのはなかなか大変です。

今回は花ということではなく、よく行っていた浅間峠を久しぶりに訪れたいということでした。
もちろん、あわよくば、ツルリンドウやセンブリの花が見れたらという淡い期待もあったのですが・・・
まぁ、そんなにうまくはいかないのが当たり前です。
ツルリンドウはあったのですが、もうすでに赤い実になっていました。もうこれで、おそらくツルリンドウの花は見れないでしょう。
センブリは当然ながらありませんでした。センブリはどこにでもあるっていう山草ではないですから。

目を引いて咲いている花といえば、麓にツリフネソウがありました。これは思ったよりたくさんあって50株くらいはあったでしょうか。
ツリフネソウは好きな花だからこれにはけっこうテンションが上がりました。
セキヤノアキチョウジもありました。ただし、標高の高い所では、花は終わっていました。
山道に入ってからは、咲いている花はほとんどなく、時期遅れのサラシナショウマが申し訳程度に咲いているくらいでした。
サラシナショウマといえば、初めて見たのがこの上川乗(バス停)から浅間峠への道でした。
だから、わたしにとってはサラシナショウマといえばここなのです。
でも今回見る限りでは、減っているという印象を受けました。
ツリフネソウがあったとこにもサラシナショウマが20株くらいあったのですが、今回は見つけることができませんでした。
やはり10年一昔(実際は15年くらい前)ということなのでしょうか。
人の手を入れないと環境は10年も同じ感じでは維持できないということなのでしょうか。

山道ではサラシナショウマの代わりに、オオバショウマが多くなっているという感じを受けました。
15年くらい前と、同じとこにもありました。
当然ながらもう花は終わって実になっていたり、朽ち初めている花茎もあります。
レンゲショウマも実になっているのがありました。

タカオヒゴタイが3株ほどかたまってありました。
1株だけまだ咲いていました。
リンドウは点在して3株くらいありましたが、まだ蕾でした。
この時期のセンボンヤリは閉鎖花です。槍のようになっていました。
実になっているものもありました。

また、少なくなっているといえば、オヤマボクチもほとんど見かけませんでした。

そんなことで、山草の花としては寂しいこの時期なので、題をなにしようかと迷いました。
ツリフネソウサラシナショウマかあるいはツルリンドウ(花はないが赤い実が印象的)かというところでしたが、いちばん見事に咲いていたツリフネソウということにしました。


よって、今日(31日)は浅間峠(せんげんとうげ)が主目的ということになりました。山草行というより山行です(笑)
ここには来たい来たいと思っていながら、なかなかこれなくてこんな時期になってしまいました。
ちなみにここは、上川乗バス停から浅間峠への上りとして5回、浅間峠から上川乗バス停への下りとして3回、通っています。

その浅間峠は峠ですから分岐点となっています。
登って来た上川乗(バス停)から見て、右が三頭山(みとうさん)への上り、真ん中が山梨県上野原市棡原の新山王橋(棡原中学校入口)バス停への下り(いわゆる東京から山梨への峠越えということ。今はここは都道33号線の甲武トンネルが通っている)、左が陣馬山(じんばさん)(あるいは高尾山)へのアップダウンありの下りとなります。
で、今回は浅間峠から左側の陣馬山方向へ行きます。とはいっても陣馬山までは行かず、生藤山(しょうとうさん)を経た途中の山ノ神から神奈川県相模原市緑区の和田バス停に向かいます。
というようなルートの計画を立てました。

上川乗バス停の裏手が駐車場(有料らしい)になっており、そこには水洗トイレがあります。
また、このバス停の横がゴミ出しの指定場らしく、ちょうど地元の方がゴミ出しをしていました。挨拶しました。これまたちょうどゴミ収集車も走っていました。
そんな上川乗バス停からバスの進行方向に行くと、右側に浅間嶺(浅間尾根)に登る道標があります。それを通過して行くと左側に南秋川橋があります。この橋を渡って300mくらい行くと、左側に少し広くなった路肩があります。
そこが、浅間峠への登山道入口となります。道標があります。

山道に入ると、直ぐに木橋があって沢を渡ります。
あとは植林帯の中を道なりに上るだけです。
最初は急坂で、道は九十九折(つづらおり)になっています。
途中に祠(ほこら)があります。ここが中間くらいになります。ここからは、ほぼ一本道という感じになります。
ともかく登っていくと、左側に折れる場所があり、左に折れ右に折れて、また道なりに少し行くと、広い浅間峠に着きます。
ここには、東屋(四阿,阿舎)(あずまや)があります。
ここまでの山道は10年くらい前とほとんど変わっていないです。若干、良くなったと思えるくらいです。
ちょうどお昼という11時52分に着いたので、おにぎりを食べ、缶コーヒーを飲んでまったりとしました。

休憩も取ったので、生藤山(しょうとうさん)に向かって出発します。
浅間峠(840m)は峠(山の鞍部)なので、ここから茅丸(かやまる)(1019m)までは、アップダウンありの登りとなります。
道なりを進むだけです。
目印的な物としては、最初に栗坂峠(くりさかとうげ)がありますが、峠といってもここの道標は浅間峠と生藤山を示しているだけです。
次に木に板をくっつけて坊主山(851m)と書いてある指標があります。それまでもピークはあったのになんでここだけ指標があるのだと思いました。この山の名になにか曰くでもあるのでしょうか。
基本、左が雑木林で右が植林の単調な道です。
山草も花の終わったカシワバハグマがあるくらいでほとんどないので、かなりテンションが落ちての歩きでした。

そんな中、この笹尾根(ささおね)では著名なピークのひとつである熊倉山(くまくらやま)に着きます。
ここは南側が開けていて右の端に富士山が見えます。
富士山のスカートは山と雲で見えないのですが顔(頭)は見えます。
杓子山と反対になりました。
ここで富士山が見れたので、杓子山の無念は江戸の敵を長崎で取った(討った)という感になりました(笑)
しばらく、富士山の写真を撮りました。

次の見せ場は、軍刀利神社元社(ぐんだりじんじゃげんしゃ)です。
実は、この浅間峠から生藤山へのコースは1999年と2004年に通ったと記録にあるのですが(1回だと思っていた)、あまり覚えていないのです。
しかし、この軍刀利神社元社だけは覚えています。こんなとこに神社があると思ってちょっと異様な感じをもったのと、ここからの下りが急坂だったからです。
ここでも、富士山が見えるので写真を撮りました。

次は三国山(さんごくさん)(三国峠)です。
三国山に着くまでは三国山ってどんなとこか思い出せなかったのですが、着いてから思い当たることがありました。
ここで、オヤマボクチの写真を撮っていたら、若者のグループの男の一人にその花なんていうのですかと、聞かれた事が蘇ってきたからです。
ここも広くなっていてテーブルとベンチがあります。
ここでも、富士山の写真を撮りました。ここの富士山は左側に見えます。

三国山からしばらく行くと生藤山(しょうとうさん)となります。こちらには巻き道もあります。
巻き道ではなく登ります。
ここは巻き道もあるくらいだから急登です。岩場的なところもあるので用心しながら登ります。
ここからも富士山が見えます。写真を撮ります。ここはほぼ正面という感じです。
ベンチもあるのでここで一休憩です。
下りも登りと同じ急坂です。

茅丸はまた巻き道があるのですが、ここも登ります。
ここも急坂ですが、木を埋めて階段状にしてあるので登りやすいです。
ここは今日のわたしの山行の最大のピークの1019mですが、木々が邪魔で富士山は木越しにしか見えません。
ということで、早々と通過します。

連行峰(れんぎょうほう)(連行山(れんぎょうさん))は柏木野バス停(西東京バス)への分岐となります。
ここから柏木野バス停に下ったことがあります。
連行峰は1016mなので、山ノ神までは、ほぼ下りとなります。

山ノ神に着いたのは、17時1分。
もう暗くなり始めたので、ちょっと迷いが生じました。
道標を見ると、和田峠までは2.7km、和田バス停までは1.8km。
和田峠までは通ったことのある山道です。しかし、和田峠から陣馬高原下バス停までは同じ距離くらいの舗装道路を歩かなければなりません。
和田バス停の方がはるかに近いです。しかも、未知の楽しみもあります。
ということで、暗くなってからの初めての山道なのですが、当初の予定通り和田バス停を選択しました。
ここから懐中電灯を使います。

いきなりの急坂で九十九折(つづらおり)になっている植林帯を下ります。
しかし、こちらの九十九折は本仁田山と違って、道幅が50cm以上あるので余裕です。小石があるので若干滑りますがゆっくり歩けば問題ありません。道標も適度にあるので迷うこともありません。
しばらくこの九十九折にお付き合いすると、竹やぶが見えてきます。
そうすると林道と思われる道と交差するのでそれを左に行きます。
その先に水場らしき物があって、草のシュウカイドウがありました。
これは人里に近いということで一安心です。
この林道らしき道は道幅が1m以上くらいあります。舗装はされていません。
左手が沢になるその道をしばらく下ると、道幅2mくらいの舗装道路に出ます。
舗装道路を下ると神社があって、その先の橋を渡ります。今度は右側が沢になります。
橋を渡って下っていると民家が見えます。
橋をもう一度渡って下ると、陣馬街道(案下街道)と交差します。道標があります。

そこを右側に行って下ります。
それなりに下ると和田バス停に着きます。
この時、人家のあるとこを通っているのになかなかバス停の標識が見つからないので、ちょっと不安になりました。
誰か人がいればバス停の位置を聞きたいと思いました。
そんな状態の中で歩いていると追い越していった車が停止して何かわたしを待っているような感じです。
わたしがその車と同じ位置になると、おばさんが顔を出して、どこまで行くの、というので藤野駅までと言いました。
わたしはこれ幸いと、バス停はどこですか、と聞きました。そうすると、少し行ったとこにあるとのことです。
おばさんが、バスはあるのかというので、18時20分にあると言いました。
そうすると、おばさんは、もうすぐだからバスで大丈夫だね、と言ったので、わたしはお礼を言いました。
おばさんは藤野駅の方に行きました。
おそらく、わたしを乗せてくれようとしたのだと思います。
親切な方もいるもんだなと思いました。ついていました。

で、バス停はと探しながら下っていくと、藤野駅からのバスが来ました。
そのバスを見送ると、道を上に行くのではなくて、道を外れてバスの進行方向右側のところに行って止まりました。
あれ、と思って止まったのならそのバスのところに行けばいいと思って引き返しました。
運転手さんにバスに乗れるか聞きました。乗れるとのことだったので、バス停の標識を見るとそこがバスの終点の和田バス停でした。
だからそこはバスの停車場になっていたのです。
暗がりだから、そんなことは分からないので(しかもわたしはバス停の反対側(右側通行)を歩いていたので)通り過ぎてしまったのです。
運転手さんは、わたしが引き返してバス停に来たので山側からではなく藤野駅側からということでびっくりしたと言っていました。
とはいっても、バスの発車までまだ5分くらいあったから、そのまま下っても次の停留所は見つかったとは思いますが。
また、運転手さんが言うには、日野バス停までは自由乗降区間ということで、手を挙げれば乗れるということでした。

和田バス停といえば、十数年前、醍醐丸付近だったと思うが、初老のご夫婦と出会って少し話をした時に、このご夫婦が和田バス停に下るといっていたので、それで初めて和田バス停の名前を知ったのですが、いまやっとその和田バス停をわたしも利用したということです。

ということで、初めて乗る路線のバスだったので、藤野駅の乗降もお初ということになりました。

この上川乗バス停から浅間峠・生藤山・和田峠を経由して陣馬高原下バス停までの14.7kmは、「関東ふれあいの道(首都圏自然歩道)」の「富士見のみち」なので整備されていて、登山者にとって特に危険なとこはないといっていいでしょう。
若干、変化があるといえば、生藤山の急坂ですが、これを嫌がるなら巻き道もあるので問題ないでしょう。
富士見のみちではないが山ノ神から和田バス停に行く道も整備されていて、問題ないでしょう。
そういう意味ではやや単調ということで、富士山が見れなかったら、かなりテンションの下がる山行といえない事もないです。
実際、わたしは山草がなかったのでひたすらただ歩くだけということでした。
だって、富士山以外に知っている山はないしということで、連なる山の景色を見てもいまいちピンとこないということで(笑)


今日(31日)は、登山者は少なかったです。
武蔵五日市駅から乗った登山者は、中年の女性の2人組と初老の男性だけです。
あとは所用の男たちが15人くらい乗っていました。
所用の男たちは、五日市高校で6人降り、中本宿で8人降り、笹野で1人降りたと思います。
登山者は、払沢の滝入口で中年の女性の2人組が降り、笹平で初老の男性が降りました。
あとは、わたしの貸切となりました(笑)

このバスはまた檜原小学校および中学校の通学バスになっているので、元郷当たりから中学生の女の子が2名乗ってきました。
10年前は、小学生が10人くらい乗ってきたのですが、今回は一人もいませんでした。
ここらへんは、過疎化の影響で子供がいなくなっているのでしょうか。
それとも、親が車で送り迎えをしているのでしょうか。

ともかく、この時間帯のバスで笹平からわたし一人になったので、今日はもう山では誰とも会わないのではないかと思いました。
あたかもそれを示すかのように、浅間峠までで誰にも追い越されませんでした。もちろん、すれ違う人もいません。
浅間峠でも誰も来なかったので、これはまじで誰にも会わないというパーフェクトを達成できるのではないかと秘かに期待しました(笑)

そんな期待に胸を膨らませながら、浅間峠を出発してからやっぱり人とは会わないだろうという確信めいたものが生まれようとしたその頃、この野心?は破られました。
13時7分頃、30歳代だと思われる男性とすれ違いました。
けっこう落胆しました。
というか向こうもそう思ったかもしれませんが(笑)
この時は、ショックだったので聞きそびれたのですが、どこから来たのか聞けばよかったと思いました。

結局、山では、この男性と会っただけでした。
こうなるとよけいに惜しいと思ってしまいます(笑)
まぁ、パーフェクトは次の楽しみにしたいと思います(笑)

山で登山者と色々話をするのも面白いけど、こういう風に自然とだけ向き合うてのもまったりしてとても気持ちいいです。
どうしても人間相手では気を使ってしまうから、たまにはこういうのもありですね。
まぁ、本心は俺だけの山だっていう優越感に浸りたいだけだったりして・・・
ところで、妖精とか妖女は、人間ではないからいつでも大歓迎ですけど(笑)
ケモノさんも襲ってこなければ大歓迎です。

ということから、和田バス停から藤野駅までのバスも貸切となりました。
こんな時間に下山する者はいないでしょうってことで(笑)


浅間峠への登山中に小鹿を2匹見ました。
巻き道の下の方でガサゴソと音がしたので、熊かと思ってそちらを見ていたら小鹿でした。
熊が出るというので、熊鈴をつけていたので、その音で逃げていったのかな。
久しぶりに鹿を見ました。

この甲武トンネルのある道もけっこうライダーの多いとこです。で、山道に入るまでに通ったライダーたちを撮っていたら、後部座席に乗っていた若者が手を振っていたので、わたしもお返しに手を振りました。
なかなか可愛いとこ(ちゃめっけ)あるなと思いました。

西東京バスの車内説明(放送)によると、川乗というのはここで川苔が取れたからつけられた地名だそうです。
ウィキペディアによると、川苔山(川乗山)も川苔谷(川乗谷)で川苔がとれるからこの山名になったといわれているそうです。
しかし、こちらは完全に川苔ではなく川乗であり、川苔山(川乗山)は併用されるということになっています。
なぜ、単純に「川苔」ではなく「川乗」なのでしょうか。
何か事情があって、川苔と表記できなくて、川乗と表記したのでしょうか。
例えば、川苔が取れることを隠すためとか、苔が忌み言葉であったとかなんとか。
それとも、昔は、「苔」と「乗」が同じ意味合いで使われていたとかあるいは掛詞(かけことば)的な意味合いがあったのでしょうか。
この説明(放送)を聞いてそんなことを思ってしまいました。
なお、川乗の地区(バス停)としては、下川乗と上川乗があります。


曇りで時々日が差すという天気であったため、山はもう寒いです。じっとしていたり風があったりすると震えすら感じます。
でも、登りとなるとやはり汗をかきます。下着は2度替えました。
飲料水はポカリスエット900ミリリットルと水500ミリリットルを持って行ったのですが、ポカリスエット500ミリリットルくらいで済みました。


地図情報

地理院地図(http://watchizu.gsi.go.jp/)から
 浅間峠;http://maps.gsi.go.jp/#15/35.689482/139.108608/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
 生藤山;http://maps.gsi.go.jp/#15/35.672463/139.132340/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0

地図検索ならMapion(http://www.mapion.co.jp/)から
 浅間峠;http://www.mapion.co.jp/m2/35.6885817,139.10944935,19/poi=L0646496
 生藤山;http://www.mapion.co.jp/m2/35.67280831,139.13333522,16/poi=L1066615
 (この地図では、浅間峠も生藤山も位置がずれています。注意すべし。2016年11月2日現在)
 
山好きのための登山情報サイト - ヤマケイオンライン - 山と溪谷社(http://www.yamakei-online.com/)から
 生藤山 - しようとうさん:標高990m-関東:奥多摩 - Yamakei Online - 山と溪谷社;http://www.yamakei-online.com/yamanavi/yama.php?yama_id=18067

東京都環境局(http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/)から
 関東ふれあいの道|東京都環境局 緑の創出と自然環境の保全;http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/nature/natural_environment/park/facility/fureai_01.html
 富士見のみち( 陣馬高原下~上川乗 );http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/nature/natural_environment/attachement/kanhure3%EF%BC%88map%EF%BC%89.pdf


行程情報

電車移動
府中本町(6:04)(2分遅れ)→立川(6:16,6:25)→武蔵五日市(7:01)(運賃470円)
(JR東日本)
(時刻検索は、えきから時刻表(http://www.ekikara.jp/top.htm)による)

バス移動
 武蔵五日市駅(7:19)→上川乗(8:02)(運賃700円)
(バス時刻表;http://transfer.navitime.biz/bus-navi/pc/diagram/BusDiagram?orvCode=00042639&selectDnvCode=00042136&dnvCode=00042136&course=0000422902&stopNo=1
 路線図;http://www.nisitokyobus.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/03/rosen_map_20160326.pdf
 西東京バス;http://www.nisitokyobus.co.jp/

花見トレッキング
上川乗バス停(8:15)→浅間峠登山道入口(9:04)→とある祠(10:24)→浅間峠(分岐)(11:52,12:25)→栗坂峠(12:41)→坊主山(13:19)→熊倉山(13:55,14:07)→軍刀利神社元社(14:31,14:38)→三国山(三国峠)(分岐)(14:58,15:07)→生藤山(15:14,15:30)→茅丸(15:54)→連行峰(連行山)(分岐)(16:25)→山ノ神(分岐)(17:01)→陣馬街道と交差(17:59)→和田バス停(18:13)

標高
上川乗バス停(約408m)→浅間峠登山道入口(約432m)→浅間峠(840m)→熊倉山(996m)→三国山(三国峠)(960m)→ 生藤山(990.3m)→茅丸(1019m) →連行峰(1016m)→山ノ神(約810m)→和田バス停(約350m)

帰りは、和田18:20発の藤野駅行きのバスに乗りました。
(時刻表;http://www.kanachu.co.jp/dia/diagram/timetable01/cs:0000801122-1/nid:00128824/rt:0/k:和田(相模原市緑区)
 神奈川中央交通;http://www.kanachu.co.jp/
府中本町駅には、19時47分に着きました。


草本

☆花期
ツリフネソウ(釣船草,吊舟草)(ツリフネソウ科ツリフネソウ属)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%AA%E3%83%95%E3%83%8D%E3%82%BD%E3%82%A6(ウィキペディアから)
 http://matsue-hana.com/hana/turihunesou.html(松江の花図鑑から)
サラシナショウマ(晒菜升麻,更科升麻)(キンポウゲ科サラシナショウマ属)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%83%9E(ウィキペディアから)
 http://matsue-hana.com/hana/sarasinasyouma.html(松江の花図鑑から)
セキヤノアキチョウジ(関屋の秋丁字)(シソ科ヤマハッカ属)
 http://mikawanoyasou.org/data/sekiyanoakityouji.htm(三河の植物観察から)
タカオヒゴタイ(高尾平江帯)(キク科トウヒレン属)
 http://hanamist.sakura.ne.jp/flower/gouben/kiku/takaohigo.html(野の花賛花から)
 http://okutama.eco.coocan.jp/plant2.php?syumei_in=%A5%BF%A5%AB%A5%AA%A5%D2%A5%B4%A5%BF%A5%A4(奥多摩植物目録から)
アキノキリンソウ
ノコンギク
シロヨメナ
ヤマゼリ

☆蕾期
リンドウ

☆実期(花後)
ツルリンドウ(蔓竜胆)(リンドウ科ツルリンドウ属)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A6(ウィキペディアから)
 http://matsue-hana.com/hana/tururindou.html(松江の花図鑑から)
オヤマボクチ
シラヤマギク
トネアザミ
オオバショウマ
キバナアキギリ
カシワバハグマ
オクモミジハヅマ
モミジガサ
レンゲショウマ
シュロソウ
オオバギボウシ
ヤブレガサ
アカショウマ
エイザンスミレ
ナガバノスミレサイシン
マムシグサ(有毒)
チゴユリ
ホウチャクソウ
センボンヤリ(別名:ムラサキタンポポ)(千本槍)(キク科センボンヤリ属)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%83%A4%E3%83%AA(ウィキペディアから)
 http://matsue-hana.com/hana/senbonyari.html(松江の花図鑑から)


木本

☆実期(花後)
コウヤボウキ
コアジサイ


山野草などの参考HP
ウィキペディア(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8
松江の花図鑑(島根県松江市の野草樹木シダの名前が分かる植物花図鑑)(http://matsue-hana.com/
野の花賛花(http://hanamist.sakura.ne.jp/index.html
奥多摩植物目録(http://okutama.eco.coocan.jp/plant.php?return
三河の植物観察(http://mikawanoyasou.org/index.htm


ウィキペディアから
 浅間峠;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E9%96%93%E5%B3%A0
(この記事では「東京都西多摩郡檜原村と神奈川県相模原市緑区との境」となっているが間違い。
 正しくは、「山梨県上野原市との境」です。2016年11月2日現在)
 生藤山;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E8%97%A4%E5%B1%B1
 熊倉山(東京都);https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E5%80%89%E5%B1%B1_(%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD)
 三国山(三国峠)(東京都・神奈川県・山梨県);https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%B3%A0_(%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E3%83%BB%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E7%9C%8C%E3%83%BB%E5%B1%B1%E6%A2%A8%E7%9C%8C)
 連行峰;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E8%A1%8C%E5%B3%B0
 檜原村;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AA%9C%E5%8E%9F%E6%9D%91
 相模原市;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E6%A8%A1%E5%8E%9F%E5%B8%82
 関東ふれあいの道;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E3%81%B5%E3%82%8C%E3%81%82%E3%81%84%E3%81%AE%E9%81%93
 笹尾根;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%B9%E5%B0%BE%E6%A0%B9


写真は後日に。


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