基本、「反なんとか」というのはあまり好きではないのです。
その「反なんとか」がなくなったら、次にどうするんだということがないからです。
こういうことしたいからというほうが先ですね。
だから、反米ではなく阻害や邪魔しているものを除外したいというのが基本(理想,形式)です。
わたしは、日本の国は日本人(日本国民)が守るべきだという思想です。
そして、それこそが独立だと思っています。
いまの日本が日本人が守っていません。
守っているのは米国の駐留軍です。
これがよくわからないのですよね。
日本が米国の1州あるいは自治領であるならば、これは分かります。
しかしそうではないですよね。
ということは、占領されている?
いや、それとも、米軍を傭兵として雇っている?
どうなっているのでしょうかね。
もしかしたら、日本の支配者(支配層)はものすごく頭がいいのかもしれません。
米国に支配されているふりをして米国をうまく操っているということ。
つまり、実質、米国を傭兵と見ているということ。
もちろん、傭兵だから必ずしも、国を守ってくれるという保障はありません。
それで、万が一のときのために、自衛隊を持っています。
しかし、他国に対しては米国の傭兵がいるということは特別のにらみになります。
おそらく、自国で国防軍を持っているよりも強力だと思います。
それは、戦後、ドイツがすべての責任をナチスに被せて(ナチスはドイツ人ではない)、自身は平和の使者の顔をして平和を強調して欧州を翻弄してEU(ド連)を創り、実質的にヨーロッパを支配しているのと同じような深謀遠慮なのでしょうか。
日本もドイツの大ドイツ主義と同じような大日本主義が支配層に浸透していて秘かに米国を翻弄しているのでしょう、か。
もし、そうなら、政治というのはなんとも奇奇怪怪、摩訶不思議で一般庶民の立ち入れるようなところではないですね。
自分が幸せになる→家族が幸せになる→親族が幸せになる→村が幸せになる→町が幸せになる→県が幸せになる→国が幸せになる→世界が幸せになる、というのが理想だとします。
しかし、一般大衆の思考では親族が幸せになるくらいまででしょう。まぁ、頑張って村が幸せになるでしょうか。
ただし、資本主義社会では村は企業(会社)が幸せになるに置き換わっていますが・・・ゲマインシャフト(共同社会)よりゲゼルシャフト(利益社会)ですね。
特に、現代のようにボーダレスになると企業が町も県も飲み込んでいる場合もありますし、グローバルになると国も世界も飲み込んでしまいかねないですね。
おそらく、多くの一般庶民にとっては、親族が幸せになるのであれば、どんな体制であろうが問題はないでしょう。
独裁主義であろうが民主主義であろうが資本主義であろうが社会主義であろうが・・・関係ないですね。
親族を幸せにしてくれればいいのです。
(独裁主義がこれを満たしてくれないから民主主義に変わったのなら、これを満たさない資本主義は社会主義に変わるしかないと思うのですが・・・)
おそらく、戦後の日本はいままではこの条件をかなり満足させてくれたと思います。
しかし、これからはどうか分かりません。
これからどうする。
第一次世界大戦と第二次世界大戦、特に第二次世界大戦で先進国や大国が学んだのは、自国を戦いの場すなわち戦場にすると戦争をするメリットはまったくないということです。
そこにはただ、破壊しかありません。
だから、先進国や大国同士の戦争はおそらくありえないと思います。
だから、戦後の戦争は弱い国(と思っている)に侵攻しての戦争しかありません。アルジェリア戦争、ベトナム戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争などなど・・・
しかし、この構図は核ミサイルで崩れます。
相手が核ミサイルを持っていると、いやおうなしに自国は戦場となってしまいます。
だからこそ、核ミサイルを現有している国は他国に核ミサイルを持たせないのです。
侵略できないからです。
核ミサイルさえ持っていなければ、国境を接していない国には容易に侵略することができるのです。
さすがに、国境を接していると容易にテロに脅かされる危険はあるでしょうから、国境を接している国との紛争は避けたいと思うでしょう。
ということで、日本が自国(内)で戦争しなくてもいいようにする(あわよくば他国を侵略する)には、核ミサイルが必要でしょう。
米国が、半永久的に守ってくれるのならそれでいいでしょうが・・・
しかし、それはありえないでしょう。
米国は米国の本土に核が落ちるような戦争はけっしてしないからです。
だから、究極的に日本が自分で自分を守るには、憲法改正→国防軍→核しかないと思うのですが・・・
そして、それを阻害、邪魔をしているのが米国の駐留軍なのです。
もちろん、日本が米国の1州になれば問題ないでしょうが・・・
自治領(自治国、自治区)だと見捨てられる可能性はかなり高いですね。なにせ、相手が中国なり露国になりますからね。核ミサイルを持ってますからね。
もちろん、1州になれば日本人はインディアンと同じ運命になりますが・・・
まぁ、日本が相手に攻めてこないでといえば、誰も攻めてこないのならなんら問題ないのですが・・・
そうはうまくいかないだろう。
平和といわれる日本でさえ、警官はピストルを持っているのだから・・・
ましてや、文化も習慣も宗教などなども違う人々と利害の一致はなかなかどうかな。
やはり、警官と同じくこっちのほうも力(暴力)を持っているんだよって見せることが必要では・・・
さぁ、あなたならどうしますか・・・
いまから考えると、明治維新後、朝鮮や中国を侵略したのは失敗だったな。
侵略すべきは、欧米だったのにね。
朝鮮や中国を欧米から解放し、独立させ共に対欧米同盟を結ぶべきだった。
たぶん、明治維新後、何人かはそういうこと考えていただろうが、そういう風にはならなかったのだろう。
大東亜戦争でも名目は、東南アジア(アジア)を欧米から解放することであったがこれも同様なことになってしまった。
おそらく、日本が対欧米の先兵になるべきだったのに、何故にか、欧米化の先兵になってしまった。
本来は大東亜共栄圏(アジア同盟)でもって日本は対欧米の橋頭堡となさなければならないと思うのだが・・・
いまは残念ながら対欧米は中国に期待するしかないか。
日本は欧米の犬になっているからね。わんわんキャンキャン
まぁ、わたしの能力では平和のユートピアさえ描くことは出来ないので、天才か英雄を待つしかないのですが・・・
それは希望なのか切望なのか絶望なのか、はてさて・・・
ところで、新興国が原発を持ちたがるのは電気ではなくその真の目的は核でしょう。
なんたって、核を持つために原子炉を造るってはいえないですからね。
一応、核の平和利用と言って、原発を持っていれば、核に対しての知識は蓄積できますからね。
なんせ、大国に対応するには小国は究極的には核しかないですからね。
だから、新興国では原発の建造は必須ですね。
余談:歴史と意識
それにしても、歴史の怨念というのは凄いですね。
この間、田舎に帰っていたとき、母と話していて、母は隣の息子さんがお嫁さんを貰ったのだが、鯉のぼりのことで言い争いになってお嫁さんが実家にに帰ってしまい離婚したといったので、なんで鯉のぼりくらいで離婚?と聞いたら、どうもうちの部落は平家の落武者らしいので、反源氏(非源氏)で鯉のぼりは揚げないらしいのです。
そういえば、うちの部落で鯉のぼりって見たことないなぁって改めて思いました。
子供の頃は、貧乏なのでそれで鯉のぼりがないのだと思っていました。
しかし、まぁ、鯉のぼりを揚げないのはそれはそれでいいのですが、違う部落から来た嫁さんと口論になり果ては離婚となると、う~ん、と思ってしまいますね。
もう、1000年も前のことを云々言って、いまどれだけの価値があるのだろうか。
いまの生活を犠牲にするだけの価値があるのだろうか。
(もちろん、母からの又聞きなので、真相が本当に鯉のぼりなのかどうかは定かでないですが・・・もしかして日頃から不満があり単に鯉のぼりはそのきっかけとなっただけでその不満が噴出しての離婚かもですが・・・それにしてもそういうことで鯉のぼりが離婚のネタになるというのが・・・)
ほんと、田舎では意識の変革というのはほんとに長いですね。
ロシアでのギリシア正教、中東でのイスラム教などなどの宗教、米国での南部の黒人差別などなどの人種差別が、田舎(農村部)ではいかに根強いかということを改めて思い知らされた気がするエピソードでした。
美しきこと
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