杉並の自然学/植物/日本産植物の学名の命名者
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 植物: 日本産植物学名著者(命名者):TOP20人など
最新更新日:2019/12/20
1.日本産植物学名著者TOP20  2.番外編  3.参考図書 4.シーボルト展
2016 
5.牧野富太郎の植物学
工事中

   1.日本産植物学名著者TOP20
 画 像 名前と関係国    概 略 
1
リンネ
 Carl von Linné
(1707-1778)
 
左画像:ウイッキペディア:2019/1/10
 著者名の省略表記は「L.」。『植物の種誌』(1753)で学名の二名法を提唱し、現在の植物学は、二名法がすべての植物の学名の出発点とされ、「植物分類学の父」といわれる。世界各地から集められた標本をもとに、日本に産する植物に多くの学名をつけた。
 リンネ生誕300年で、ウプサラを訪問された平成天皇陛下の御歌(2007):「二名法 作りしリンネしのびつつ スウェーデンの君 とここに来たりつ」。同年5月訪問されたロンドン・リンネ協会でリンネと日本の分類学について「リンネ生誕300年記念行事での基調講演はリンネが創始した二名法の学名を称えています。また、同講演では、日本の植物研究に情熱を注いだ欧米の植物学者たちの活動を紹介した内容です。(宮内庁のサイトに全文が掲載されています)。
 2
牧野富太郎
牧野富太郎(1862-1957)

左画像:ウイッキペディア:2019/12/10
著者名の表記は「Makino」。
 日本の植物分類学・その知識の普及に偉大な貢献を果たし、東京都名誉都民 (1953)、文化勲章を受賞した(1957)。 日本全国の植物を精力的に採集して、日本人植物学者で最も多くの日本産植物種の学名に名を残した。『牧野植物図鑑』は氏の没後も版を重ね、ロングセラーになっている。
3
マクシモビッチ
C. J. Maximowicz
(1827-1891) 

左画像:ウイッキペディア:2019/12/10
著者名の省略表記は「Maxim.」。
 3年間にわたりアムール川流域の植生調査の結果を1859『アムール地方植物誌予報』にまとめ出版し、東アジアの地域の温帯植物に欠かせない書となった。この本で、得た賞金で、1860 - 1864、日本に滞在、東アジアにおける日本植物の地理的関係を研究した。明治期、日本人植物学者が氏に同定を依頼した標本がロシアのコマロフ植物学研究所に今も残されているという。命名した属の中にはイイギリ属 がある。
4
ツュンベルク
Carl Peter Thunberg
(1743-1828)

左画像:ウイッキペディア
著者名の省略表記は「Thunb.」。
 長崎県出島のオランダ商館に医師として(1775)1年間滞在。リンネの高弟で、後継者として後にウプサラ大教授。日本植物学の基礎を構築したスウェーデンの植物学者、1784年には『日本植物誌』を出版。「日本の植物を集大成した最初の著作でもある」(大場秀章)。
5
中井猛之進
中井猛之進(1882-1952)
 
左画像©「小石川植物園300年の歩み」
著者名の表記は「Nakai」。
東京大学教授、小石川植物園園長(4代)、戦時中、インドネシアのボゴール植物園園長、国立科学博物館館長。 ケンペル、ツンベルク、フランシェらの研究標本を現地で接し、研究した。『大日本樹木誌』1927、小泉源一と共著。 
 6 
フランシェ
Adrien René Franchet
(1834-1900)
 
左画像: Wikipedia:2019/12/10
著者名の省略表記は「Franch.」。
東アジア産植物の分類学的研究を進めた。フランスの植物学者。サヴァチェと共著で『日本植物目録』を発表した。
和名、フラサバソウは、フランシェ と サヴァチェに由来。

サヴァチェ
 P.A.L.Savatier
(1830~1891) 

左画像:ウイッキペディア
著者名の省略表記は「Sav.」。
横須賀造船所の医師、1866-1871に滞在し、採集した植物をフランシェへ送った。フランスの植物学者フランシェと共著で『日本植物目録』を発表した。本サイトのタチクラマゴケ、などに詳細があります。
7  
シーボルト
P. F. von Siebold
(1796 -1866)

画像:シーボルト生誕200年記念切手1996/02/16発売
著者名の表記は「Siebold」。
ドイツ人医師・博物学者。
 長崎県出島にあったオランダ商館の医師として滞在。帰国後、ツッカリーニと共著で『日本植物誌』第一巻(1835-1844)を出版。シーボルトの意志を引き継いだ第二巻は1870年、下述のミクエルによって出版された。2016年はシーボルト没後150年で、日本でも数ヶ所で展示会がありました。 本頁下部 
8  
小泉源一
小泉源一 (1883–1953)
 
左画像:1943、退官の際撮影。撮影時: 60才
著者名の省略表記は「Koidz.」。
京都大学植物学教室を創設のちに教授。ケンペル、ツンベルク、フランシェらの研究標本を現地で接し、研究した。『大日本樹木誌』1927、中井猛之進と共著で発表。日本植物分類学会の創立者で、日本の植物分類学の基礎を築いた一人。
左画像: ©「Jouornal of Japan、Vol. 29 No.1」, 1954、January
9
ミクェル
F.A.W. ミクェル
(1811-1871)
 
左画像:ウイッキペディア:2019/12/10
著者名の省略表記は「Miq.」。
オランダ王立植物標本館館長としてシーボルトらが残した日本の植物標本などを研究し、『日本植物誌試論』を発表した。
 
10  
倉田 悟
new
倉田 悟 (1922-1978)
 
左画像:1957研究室で撮影時:35才。 ©「倉田博士著作論文目録刊行会」
著者名の表記は 「Sa. Kurata」。
東京大学農学部(林学科森林植物学)教授で樹木・シダ植物の研究者。また、植物民俗学の専門家。『原色日本林業樹木図鑑』 (全5巻) 、『日本のシダ植物図鑑』(全8巻)などがある。
本サイトの「シダ植物」の頁: オシダ科キノクニベニシダアイアスカイノデの学名の命名が氏であることを紹介。
左画像: N氏、S氏のご協力をいただきました、両氏のご協力に感謝いたします。
11  
ブルーム
Carl Ludwig von Blume (1796-1862)

左画像:ウイッキペディア:2019/12/10 
著者名の表記は「Blume」
オランダの植物学者。
1823-1826、ボゴール植物園園長。ライデン大教授、王立植物標本館の館長を務めた。東アジアの植物研究者。  
12
大井次三郎
大井次三郎
 (1905 -1977)
 
左画像:撮影:1958/06/24。
撮影時:52才。©田中 肇
著者名の表記は「Ohwi」。京都大学で小泉源一に師事、主にカヤツリグサ科の研究者。国立科学博物館の研究員。1953年、『日本植物誌』を刊行。本誌を基に1965、米国が改訂英訳版を出版。この英訳版の功績で 1971「朝日賞」を受賞。牧野富太郎と並んで、日本の植物分類学の基礎を築いた。
左画像
:田中氏が大井氏の許可を得て「科学博物館の図書室で撮影しました」とのことです。画像をご提供下さいました田中氏のご協力に感謝いたします。
13
早田文蔵
早田文蔵 (1874-1934)
 
左画像©「小石川植物園300年の歩み」
著者名の表記は「Hayata」。
両親の死などで苦学しながら学問を続け、東京大学で松村任三教授に師事。台湾、インドシナの植物相の研究をした。後に東京大学教授、小石川植物園園長(3代)。「動的分類体系」という独自の見解を提唱した。
14
北村四郎 
北村四郎 (1906 - 2002)

左画像©「小石川植物園300年の歩み」
著者名の省略表記は「Kitam.」。
京都大学で小泉源一に師事、キク科植物研究の第一人者とされる。後、京都大学教授。昭和天皇の植物学研究の相談役を務めた。
15
フッカー 
Joseph Dalton Hooker
(1817- 1911)
 
左画像: Wikipedia:2019/12/10
著者名の省略表記は「Hook.」。
イギリスの植物学者。父W.J.Hookerの後をついで、キュー植物園の園長。 南極、ニュージランど、タスマニア、インド、ヒマラヤ、シッキム地方などを調査し多くの植物標本を収集し、植物誌として発表。 ロンドン王立協会の会長を務めた。
16
田川基二
田川基二
(1908-1977)
 
左画像:1972、京都大学退官の際撮影。 
著者名の表記は「Tagawa」。
 京都大学理学部植物学教室で小泉源一に師事。同時期、大井次三郎、北村四郎も在籍していた。シダ植物の分類学的な研究者。後、京都大学教授。多数のアマチュア研究者を育てた。
本サイトの「シダ植物」の頁:、ヤマドリゼンマイミドリヒメワラビオオイタチシダアスカイノデオニイノデの学名命名が氏であることを紹介。
左画像岩槻邦男氏本頁下部、「番外」をご覧下さい)がお忙しい中、快く画像をご提供下さいました。氏のご協力に感謝いたします。
17
 ドゥ・カンドール
Augustin Pyrame de Candolle (1778-1841)

左画像:ウイッキペディア:2019/12/10
著者名の省略表記は「DC.」。
 スイスの植物分類学者。1813『植物学言論』で新たな自然分類体系(生物そのものが持つ特徴に注目して分類を行う)を発表した。「植物分類学に新時代を開いた革命者と呼ぶにふさわしい」大場秀章P280『植物分類表』2009、㈱アポック社。
18
エイサ・グレイ、1870年代時撮影
Asa Gray
(1810-1888)
 
左画像: Wikipedia:2019/12/10
著者名表記は「A. Gray」。
 米国の植物学者。ハーバード大学教授、グレイ植物標本館設立者、米国東部植物の研究者。『北アメリカの植物学マニュアル』の著者。
 1853 & 1854-55、 黒船艦隊に植物学者が乗船し、植物採集をした。その植物標本を基に、1859、植物分布に関し、アジアの極東地域と北米地域の共通性と隔離分布について世界で初めて研究発表した。
19
初島住彦
初島住彦
 (1906-2008)
 
著者名表記は「Hatsusima」。
九州大学農学部林学科で学び、鹿児島大学林学科教授を務めた。 九州、琉球などの植物研究者。著書に「琉球植物誌」、『琉球の植物』、『日本の樹木』、「鹿児島県植物目録」などがある。
20
原 寛
原 寛 (1911-1986)

左画像©「小石川植物園300年の歩み」
著者名表記は「H. Hara」。
東京大学で中井猛之進に師事。ハーバード大学に留学。日本とアジア大陸、北米東部との植物相の解明に力を注いだ。東京大学教授、小石川植物園園長(11代)、日本植物学会、日本植物分類学会会長を歴任、植物学の発展と国際交流に功績した。

  2.番外編
画 像  名前と関係国   概 略

岩槻邦男
岩槻邦男
(1934年- )

左画像:@「日本シダの会」 2019/12/08
著者名の表記は「K.Iwats.」。
京都大学理学部植物学科で田川基二に師事。京都大学教授を経て、東京大学理学部教授、小石川植物園園長(15代)。シダ植物の系統・分類学の研究、東アジア・東南アジア植物相の研究、維管束植物の分子系統学的研究、植物多様性の研究の発展・保全に貢献。1994、「日本学士院エジンバラ公賞」、2007、「文化功労者」、2010、「瑞宝重光章」、2016、「コスモス国際賞」を受賞。★本サイトではウチワゴケヒメワラビ の学名命名が氏であることを紹介。

ウィルソン
Ernest Henry Wilson
(1876–1930) 

左画像:ウイッキペディア:2019/12/10
著者名の表記は「E.H.Wilson」。
英国人プラントハンター、後に米アーノルド樹木園の園長。2度来日し、クルメツツジ、日本のサクラ、ウイルソン株と呼ばれる屋久杉を世界へ紹介した。プラントハンター時代の内容は『プラントハンター 東洋を駆ける』(アリス・M・コーツ著/遠山茂樹訳、㈱八坂書房 )がおもしろい。庭師として働きながら、自らの運命を切り開いた努力・才覚・情熱の人で、多くのアジアの植物を欧米へ紹介した。

須川長之助
須川長之助
(1842年-1925)

左画像:ウイッキペディア:2019/12/10
 岩手県出身。ロシアの植物学者、マキシモヴィッチ(Maxim.)の助手として植物採集をし、Maxim.が死去するまで標本を送り続けました。Maxim. が学名発表の際、献名した植物の内、★本サイトでは、イヌシデがある。 マキシモヴィッチとの心温まるエピソードは、★本サイトサイカチで紹介。  氏については、「ダニイル須川長之助』(児童書)井上幸三、©「岩手植物の会」と、『伊藤篤太郎』 岩津都希雄、八坂書房P120-123 がおもしろい。 

フォーチュン
Robert Fortune
(1812 - 1880)

左画像:ウイッキペディア:2019/12/10
 スコットランド出身のプラントハンター・植物学者。中国からインドへチャノキを移植したことで有名。手段は今では考えられない方法だったが、現在の英国の紅茶文化の拡がりは彼の成功があったからで、もし失敗していたら、相当遅れたか、今ほどの拡がりはなかったのではないだろうか。
本サイトではアオキチャノキシュロオシダ科のヤブソテツ属ヤブソテツで氏の名を紹介。

E.・ケンンペル 
Engelbert Kämpfer
(1651-1716) 

左画像:ウイッキペディア:2023/04/15
 ドイツ出身の医師、博物学者。1690、オランダ商館付の医師として出島に滞在。1691と1692に将軍、徳川綱吉にも謁見した。
 日本の植物、イチョウ、ヤブツバキ、などをはじめて図入りで『廻国奇観』(1712)に記した。リンネは二名法でこの図を参考にイチョウ、ヤブツバキなどに学名をつけた。また、ツュンベルクも同様にナギなどに学名をつけた。
  3.参考図書 
1) 2) 3)
『小石川植物園300年の歩み』
『植物の学名を読み解く』 
『多様性の植物学』(1)植物の世界2.3「日本の植物相研究と植物誌」
 大場秀章編集 田中 學  (1)構成要素の発見:邑田 仁 
東京大学総合研究博物館、1996 朝日新聞社、2007  P29、東京大学出版会、2000 
 
1)©『小石川植物園300年の歩み』、東京大学
 
2)©『植物の学名を読み解く』、朝日新聞

3)©『多様性の植物学』(1)植物の世界』東京大学出版会 

 4.シーボルト没後150年記念企画展 「日本の自然を世界に開いたシーボルト」、2016。国立科学博物館、下写真撮影: 2016/11/02
展示内容: 1) シーボルトの生立ちとその時代背景、2)シーボルトの植物コレクション、3)植物学者としてのシーボルト、 4)日本の植物でヨーロッパの庭を変えたシーボルト、5)海藻もコレクションしたシーボルト、6)シーボルトと幻の日本鉱物誌、7)動物学におけるシーボルトの素養、8)未完に終わったファウナ・ヤポニカ第六巻

企画展で撮影したポスター
(部分)。様々な分野に取組んだ。その広さと深さに驚きました。

長崎県出島にあったオランダ商館の医師として滞在したシーボルト:左端:ビュルガー(★本サイトここ)。右端:シーボルト

シーボルトの植物研究に協力した日本人: 左から宇田川榕菴桂川甫賢水谷豊文伊藤圭介(★本サイトここ
その他 

アジサイ(東京大学総合研究博物館で撮影)シーボルト採集の標本

ナガサキアゲハ: 
和名はシーボルトが1824に新亜種として記載したことに由来。
 
コオニヤンマ:学名:Sieboldius albardae Selys, 1886


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