それでは穂高駅の西側一帯を、道祖神を見ながらのんびりとペダルをこいで彷徨することにしましょう。春霞にけむる北アルプスの山なみ、水をたたえた田んぼ、すくすくと伸びるのが目に見えるような苗、かすかに聞こえる蛙鳴、とてもとてもいい気持ち。
ふたたび大糸線を東へと渡り、相馬愛蔵の友人で私塾「研成義塾」を共に主宰した井口喜源治記念館の前を通り、地図を頼りに相馬愛蔵生家を探しましたが、見つかりません。しばらくうろうろして断腸の思いで捜索を断念。黒光とともに暮らしたのも、このあたりなのでしょうか。なお彼女の自伝「黙移」にこういう記述がありました。
信越国境に重畳する日本アルプスを背景に持つ高原の生活、雲烟去来する山の姿、清冽な和泉が滾々として湧き出る榛の木林、間のびした水車の音、田圃道にいともつつましやかに微笑する可憐の野花等々、自然を友として名利をよその静かなあけくれは、幸いなものでありました。…しかしながら田園を夢みることは深かった私のことです。ようやく周囲に馴れて来ると、田園生活の実世相はその私を幻滅に導きました。野の花や水車の音や、私を慰めてくれるものは自然のうちに満ち満ちていましたけれど、その野の花の囲繞する家の内なる人間の生活は荒れていました。農民が素朴と見えるのはその外形にのみ眼を止めるからで生活そのものだけが質素、というよりも、むしろみじめであり、ワーヅワースの詩にみるような美しいものは影もなく、あまりにも原始的な、それはもう野生のままの浅間しい姿でありました。いままで見たことも、きいたこともないような不倫の行為も、ここでは草の伸びる如く、野獣等の生ける如くに存在し、私の心を暗くしました。(p.175)
彼女の、現実からやや乖離した理想主義、そして性的な厳格さが垣間見える、興味深い記述ですね。道祖神を撮影して、荻原碌山生家跡をさがしましょう。
途中で、さきほど車窓から見えた、角のような棟飾りの大きな民家を発見。これは後日、偶然にわかったのですが、これは「雀おどし」と呼ばれるもので、鷹などの猛禽類をイメージしたのだそうです。当初は、米などの穀物を食い荒らす雀を猛禽類の形で脅すために家につけたものが、やがて装飾性が重視され豪農の家に取り付けられるようになったのだそうです。なるほどねえ。近くにあった道祖神も撮影して、もすこし捜索を続けましょう。
そして路地を捜しているうちに、なまこ壁のある民家のところで萩原碌山
生家跡の碑を発見。
さて穂高駅へと戻ることにしましょう。巨木にひかれて穂高神社の境内に入ると、御船祭に曳き出される御船(山車)の骨格が展示してありました。
そして自転車を返却し、珈琲をいただきながら今夜の夕食について思いをめぐらします。何といっても馬刺し、次善の策として鶏肉をニンニクの入った汁に漬け込み片栗粉をまぶしてあげた山賊焼きを食べることにしましょう。ガイドブックによると、駅前に「米芳」という馬刺し専門店があるようなので、こちらに決定。駅に入り、列車に乗り込むと、三十分ほどで松本に到着。駅近くのホテルにチェックインをして、さっそく「米芳」に行ってみましたが…影も形もない。後で廃業したことが判明したのですが、いたしかたない。駅前の飲み屋街をうろついていると「萬来」という店で山賊焼きが食べられそうです。さっそく飛び込み、所望。ざく切りのキャベツの上にどでんと乗せられた山賊焼きにかぶりつきました。ジューシーな鶏肉と香ばしいニンニクの香りのコラボレーションがたまりませんね。
本日の四枚です。