さてそれでは安並水車公園へと向かいましょう。幸徳秋水の墓が途中にあるというので、寄ってもらうことにしました。車道からすこし奥まったところにある小さな墓地に、彼の墓がありました。しばし沈思、そして合掌。彼は1871(明治4)年9月22日にここ中村の豪商、俵屋に生まれ、1887(明治20)年に上京したそうです。そして…
大逆事件をめぐる旅、これまで
明科、
新宮、
湯河原、
大平台、
市ヶ谷、
正春寺を経巡ってきました。まだまだ訪れたいところはあるのですが、秋水の墓参ができたことで一区切りつけましょう。しかしこの事件にはこれからもこだわり続けるつもりです。天皇制、獰猛な国家権力、異分子の排除、思想統制に対する作家・知識人の無力といったいまだに我々を囲繞する課題について考えるためにも。なんてえことを考えながら撮影した写真を整理していたら、不覚! お墓を見つけた興奮のあまりか、近くにあった「幸徳秋水を顕彰する会」が作成した看板をよく読みませんでした。今、確認したところ、そこには彼の遺墨・遺品・書画が郷土資料館に、絶筆の碑が為松公園に、生誕の碑が京町二丁目にあると記されていました。いやはやまったくもって己の粗忽さにはほとほと愛想が尽きます。
さて近くに桜の名所で市内を眺望できる公園があるということなので、連れていってもらいました。一條氏の家老だった為松氏の居城・中村城跡を整備した為松公園で、幸徳秋水の墓から数分、やや急な坂道をのぼって到着。残念ながら桜は一分咲きでしたが、山なみにかこまれてまどろむ中村の町並みを一望できました。
次に数分ほど走って安並水車の里へ。土佐藩山内家の家老・野中兼山が開発した用水路(四ケ村溝)から、水田に水を汲み上げるために設置された水車群です。観光用に復元されたものがほとんどだそうですが、14基の水車が薫風を満身に受け気持ち良さそうにくるくると廻っていました。なお運転手さんによると、アジサイがたくさん植えられており満開の頃は見事だそうです。
そして中村駅に戻ってもらいタクシーとはお別れ。駅前にある観光案内所で自転車を借りて、市内散策と洒落込みましょう。まずは燃料補給、四万十料理「一風」という店を教えてもらったのでさっそく入ってみました。さて何を食べようかなあ、品書きをめくっていると眼に飛び込んできたのが土佐清水産サバのたたき定食。これしかないですねこれしか。サイドメニューとして、川エビのから揚げとアオサの天ぷらを注文。もちもちとした歯ごたえの濃密な味のサバと、四万十川の清冽なエキスに満ちた川エビとアオサを満喫。
本日の三枚です。