昨年、山ノ神同伴で牛久・土浦へ行ってきました。「なぜそぎゃん所ね行ったかね?」と出雲弁で呟いたそこのあなた、もっともな疑問です。ま、ご一読ください。さあ天国に一番近い県、茨城へ!
日暮里から常磐線普通列車に揺られて約40分、牛久駅に到着しました。駅前には、観光案内所も貸自転車屋もレンタカー営業所も交番もなし。風に吹かれて3分ほど茫然自失。態勢を立て直すために喫茶店にはいり、サンドイッチとキッシュを頬張りました。移動手段はタクシー+徒歩か、レンタカーか。かつて雪道で立往生している千葉ナンバーの車を、「とろいわねっ」と捨台詞を残して牛蒡抜きしながら四輪スパイクタイヤで山形蔵王スキー場へと疾走した「鯖街道の黒い風」こと山ノ神は、血がうずいたのでしょう、「くるま」というご託宣をだされました。ポンッ 店の方に営業所を教えてもらい、歩くこと15分、そこで軽自動車を借りて土浦で乗り捨てることにしました。まずは牛久あやめ園へ。三分咲きほどですが、各種の可憐なあやめ・菖蒲・杜若を堪能できました。観光客もほとんどいないし、locationも素晴らしい。微笑むような里山と緑の水田、となりには"大地の笑窪"牛久沼、捕虫網をふりまわしてかけまわる子どもたち…
そして住井すゑの旧居と抱樸舎を訪問しました。「橋のない川」全七部を通し被差別部落の人間像を描き、一貫して人間平等の思想を貫いた作家です。後半生をここ牛久沼のほとりで暮らし、1997年に永眠。享年95歳。今でも学習会が行なわれている抱樸舎を見学していると、管理されている方がたまたまやってきて書斎も案内してくれました。八畳ほどの日本間に大きな座卓と火鉢、つくりつけの大きな本棚から溢れんばかりの蔵書。卓上には書きかけの原稿と眼鏡と遺影、右手を見るとあけび棚と木立から垣間見える牛久沼、庭には屹立する桜の古木。思索へと誘われるような静謐な雰囲気に包まれます。彼女が自費で制作し来客に配ったという日本国憲法の小冊子が、卓上にありました。そしてすぐ近くにある小川芋銭のアトリエ雲魚亭へ。小川芋銭、牛久沼の畔の風物に取材した独自の幻想的な南画(筆者注:知識人が趣味で描く水墨画)をかき続けた日本画家、とくに河童を題材としたものが有名ですね。芋を買える銭が稼げればいいという謙虚な画号が好きですね。私だったら酒銭か本銭かな。なお幸徳秋水に見出されて「平民新聞」の挿絵を描いていたとは知りませんでした。大逆事件はかれに大きな衝撃を与えたそうです。木造平屋の質素な和風建築で、芋銭の人柄が偲ばれます。
本日の一枚です。