栄一の実家は養蚕(ようさん)や藍玉(あいだま)の製造を手掛ける豪農であり、裕福な家庭で生まれた栄一は幼い頃から学問に励み、やがて7歳になると、10歳年上の従兄である尾高惇忠(おだかじゅんちゅう)のもとで「四書五経」や「日本外史(にほんがいし)」などを学び始めました。
学問に大いなる興味を持った栄一は読書に夢中となり、12歳の正月のあいさつ回りの際には本を読みながら歩いていて溝に落ちてしまい、晴れ着を汚して母親に叱られたというエピソードが残っています。
栄一は読書の他にも剣術や習字などの稽古に励みましたが、14歳~15歳の頃には父親から「そろそろ農業や商売にも身を入れなさい」と言われたこともあり、畑仕事や藍葉の仕入れに没頭し始めました。
すると、栄一は自分一人で藍の買い付けに出かけるようになり、その際に肥料が少なかったりして藍の出来が良くないことなどをことごとく指摘して、相手方を大いに驚かせたそうです。
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