これらによって旗本や御家人の暮らしは一息ついたものの、商人は大きな打撃を受けることになり、また厳しい倹約令によって不景気が続いたことで、庶民の不満が次第に高まっていきました。
こうした中で、水野は財政の改善や対外防備を強化するとともに、幕藩体制の強化を目的として、天保14(1843)年に江戸・大坂周辺の約50万石を幕府の直轄地とする上知令(じょうちれい、または「あげちれい」)を出しました。
しかし、上知令は対象となった領地を所有していた譜代大名や旗本らの反発を招くと同時に、これをきっかけとして水野本人への非難が激しくなったこともあり、上知令が中止になっただけでなく、水野自身も老中を辞めさせられる結果となりました。
約2年という短い期間で天保の改革が失敗に終わったことは、幕府の政権能力の減退を意味しており、この後わずか10年余りで激動の幕末を迎えてしまうのです。
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