1776年にアメリカがイギリスとの戦争を勝ち抜いて独立すると、19世紀には太平洋を目指して西部へと開拓し始めました。また、1789年にフランス革命が起きると、やがてナポレオンが登場して急速に勢力を拡大し、イギリスやロシアと激しい戦いを繰(く)り広げました。
一方、そんなイギリスやロシアはアジアへの進出をもくろみ、特にロシアはシベリアを植民地とした17世紀以降に南下を進め、18世紀末にはしきりに我が国の近海に出没するようになりました。ロシアの思惑(おもわく)に気付いた老中の田沼意次は、前回(第81回)の歴史講座で紹介したように蝦夷地の開発を試みるとともにロシアとの交易も視野に入れました。
もしこれが実現していれば、我が国は通史より半世紀以上も早く自主的に開国する可能性があったのですが、その後に意次が失脚したことによって夢に終わり、後を受けた松平定信の消極策によって、我が国は再び門戸(もんこ)を固く閉ざすようになってしまったのです。
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