しかし、棄捐令はいわゆる徳政令と同じ意味を持ちますから、旗本や御家人の収入を増やすといった抜本的な改革がない限り、結局は一時しのぎに過ぎないばかりでなく、再び借金をする際には棄捐令で痛い目にあった札差から断られる可能性もあり、逆効果に終わってしまうという一面もありました。
定信は田沼時代に進められた重商主義を徹底的に否定し、吉宗の時代よりも厳しい重農主義の政治を行いました。その中の一つに旧里帰農令(きゅうりきのうれい)があります。これは、地方から江戸に流れてきた農民を無理やり元の農村に帰すという法令ですが、そのままの政策で農村へ帰されたところで、待っているのは今までと同様の苦しい生活の日々でしかありません。
重農主義に戻すということは、吉宗の時代と同じく現実には不可能な「米本位制」を続けるということですから、いくら農村に帰したところで、いずれは再び江戸へ出て来ざるを得なくなるというわけです。かくして旧里帰農令は失敗に終わり、後の天保(てんぽう)の改革の際に同じような法令である「人返(ひとがえ)しの法」を出す結果になってしまいました。
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