一方、水戸藩の徳川光圀は藩の総力を挙げて紀伝体(きでんたい、人物や国ごとの業績を中心に記述していく方法)の「大日本史(だいにほんし)」の編纂を始めました。大日本史における全体的な内容は朱子学に基づく大義名分論が主流であり、後には水戸学と呼ばれた尊王思想に発展し、幕末の思想に大きな影響を与えました。
このほか、山鹿素行は「中朝事実(ちゅうちょうじじつ)」を著して、儒学の流行による中華思想を批判し、日本人にとっては日本こそが中華であるという立場を明らかにしました。また、新井白石は古代史を研究して「古史通(こしつう)」や「読史余論(とくしよろん)」を著しました。
ちなみに、大日本史は全397巻にのぼる大作であり、着手以来約250年の歳月をかけて明治39(1906)年にようやく完成しました。また、中朝事実は明治の軍人であった乃木希典(のぎまれすけ)が、明治天皇の崩御(ほうぎょ、天皇・皇后・皇太后・太皇太后がお亡くなりになること)を受けて殉死する直前に、若き日の裕仁親王(ひろひとしんのう、後の昭和天皇)に献上したことで有名です。
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