鎌倉幕府は、そもそも武力によって他の勢力を自分の支配下に置くことで成立していました。そんな幕府が、いかに強敵だからといって元に服属してその軍門に下ったとすれば、幕府以外の組織や武士団にはどのように映るでしょうか。
「鎌倉幕府は敵に対して尻尾(しっぽ)を巻いて逃げた」ということになり、幕府のメンツが丸潰れになるどころか、権威が失墜(しっつい)して以後の支配に悪影響を及ぼすことは間違いありません。さらに付け加えれば、そもそも幕府の「征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)」が外国に服属することを選択すれば、その瞬間に将軍の権威は消失してしまうのです。
当時の鎌倉幕府の執権は、同年旧暦3月に就任したばかりの北条時宗(ほうじょうときむね)でした。このとき時宗はまだ18歳という若さでしたが、幕府の重臣たちと協議を重ねた末、国書に対する返書を黙殺するとともに、元の来襲を予想して、九州の御家人に異国警固番役(いこくけいごばんやく)を課し、沿岸の警備を強化しました。
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