豊臣秀吉による兵農分離(へいのうぶんり)の政策は徳川家康によってさらに進められ、いわゆる「士農工商(しのうこうしょう)」と呼ばれた社会秩序が確立しました。
政治や軍事などを担当した武士は行政や治安の責任を負う一方で、苗字(みょうじ)と帯刀(たいとう、刀を持つこと)が許されるなどの特権を持っていました。なお、武士の特権として有名なものに、気に入らない相手がいれば刀を抜いて斬り殺してもかまわないという切捨御免(きりすてごめん)があります。
武士以外の身分としては農民や職人・商人などがあり、これら以外の身分としては公家や僧侶・神官(しんかん)がありました。なお、士農工商のいわゆる四民とは別に、皮革の加工などを行った穢多(えた)や、受刑者に関する業務などを行った非人(ひにん)といった賤民(せんみん)の身分がありました。
この他、江戸時代の社会を支えた生活共同体として家(いえ)制度があり、家族は家長(かちょう)を中心に団結して協力した一方で、長男が単独相続することが普通であり、原則として女性は相続できませんでした。
ところで、江戸時代の身分制度を象徴する「士農工商」ですが、これは確かに当時の社会秩序であったことは間違いないですが、その本質は「区別」でした。
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