アロー戦争で清はまたしても敗北し、1858年にさらに不平等となる天津(てんしん)条約を結ばされましたが、ハリスはこの条約を口実として、以下のように幕府に対して通商条約を強く要求しました。
「清に勝ったイギリスやフランスが、勢いに乗って日本を侵略する可能性が否定できないから、これを防ぐには、日本と友好的なアメリカと通商条約を先に結んで、彼らに戦争の口実を与えないようにする以外に方法はない」。
ハリスによる最後通牒(さいごつうちょう)ともいえる警告を受けて、当時の大老であった井伊直弼(いいなおすけ)は、勅許を得ないままアメリカと通商条約を結ぶことを決断しました。
※下記の映像は10月17日までの掲載分をまとめたものです。
いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
そうでしたか。。今まで日本ばかりが開国を迫られたとばかり思っていましたが、中国もまた外国から開国を迫られ、戦争にまで発展してしまったのですね。
まだ、戦って敗北した方が、良かったのでしょうかね・・?
無条件降伏の様な日本の開国は今考えると良かったのか、悪かったのか。。(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 当時の我が国にとって、清国の悲劇は決して対岸の火事ではありませんでした。
攻められて植民地化されるよりは、勅許がなくとも条約を結ぶ方がましだという考えだったと思われます。
もし、ジョン万次郎が通訳なら
青田です。 黒田先生
青田です。
私は、ジョン万次郎に、この条約を結ぶ前に『欧米の文化・考え方』を
幕府が勉強し、少なくともジョン万次郎を
通訳にすべきだったと思います。
ジョン万次郎こと中浜万次郎ですが、幕府ではペリーの来航によってアメリカの知識の重要性が増していたことから、
1853年、幕府に召聘され直参の旗本となりました。
しかし、「いざ交渉」となった時、徳川斉昭をはじめとする攘夷派(→ 尊王攘夷運動)は、
アメリカの教育を受けた万次郎がアメリカ側のスパイをするのではないかと懸念し、
結局交渉の席で万次郎が通訳をすることはありませんでした。
(ただ、1860年(万延元)、日米修好通商条約の批准書交換のための遣米使節には通弁(通訳)主事にえらばれ、
咸臨丸で活躍しましたが、完全に後手に廻りました。)
ジョン万次郎は、単に、英語ができるだけではなく、日本語と英語の背景まで、十分に理解していました。
① 日本語は、『共感』、英語は、『人間関係』
を大事にすることから、成り立っていること。
(英語)
・ thank you.
英語は、ほとんどの文章には、必ず、youが入る。
それにたいして、
(日本語)
・ 有難うございます。(こんなことは、滅多にないですね。)の意味です。
つまり、英語は、相手との関係性を基に二成り立っていますが、日本語は、二人称のない文章が多いです。それで、日本人は、相手に伝わると思っていました。
② 英語は、地名に人の名前をつけるが、日本語では、滅多に地名に人の名をつけない。
たとえば、
・ アメリカ・カナダの州・駅の名前はほとんど人の名前。
・ 日本では、岡山県の方谷駅(山田方谷という例外はありますが)では人の名前を地名でつけない。
英語(アングロサクソン)は、人間を地名につけることで、人間をカリスマス化する傾向があります。
③ 日本人では、挨拶をする時、自分を小さく見せるようにする。(お辞儀)
アングロサクソンは、自分を大きく見せるように挨拶する。
→ 手を広げるのは、手に武器を持ってないことの証拠。
→握手は、効き手に武器を持ってないことの証拠を相手に示すこと。
こういったことを背景に知らないと、やはり、欧米と平等な条約を結ぶのは、至難の技です。
この条約を結ぶ際、英語の通訳もいたようですが、いくら通訳がいても、相手の国の歴史・文化的な背景まで知らないと難しいと思います。
このことを日本人は、知らないで、条約締結したことが、不平等条約に繋がったと思います。
ジョン万次郎への起用が後手に廻り過ぎたと思います。
青田さんへ
黒田裕樹 なるほど、確かにジョン万次郎の起用を誤った風潮がありますね。
それだけ当時の幕府が外交下手になっていたと言えそうです。