「今後、戦闘方針を持久(じきゅう)より決戦に転換(てんかん)し、なし得る限りの損害を敵に与え、九牛(きゅうぎゅう)の一毛(いちもう)ながら、戦争遂行(すいこう)に寄与せんとす。なお爾後(じご、以後と同じ意味)、報告は、戦況より敵の戦法、及びこれが対策に重点をおく」。
「もし将来、この種の戦闘の教訓として、いささかでもお役に立てば、望外の幸(さち)である。その期至らば、将兵全員一丸となって死地につき、霊魂(れいこん)は永く祖国を守ることを信ず」。
アッツ島の守備隊は圧倒的な兵力を誇るアメリカ軍相手に健闘を重ねたものの、5月29日までに山崎守備隊長以下ほぼすべての将兵が壮絶(そうぜつ)な戦死を遂(と)げ、我が国初の玉砕戦(ぎょくさいせん)となってしまいました。
なお、アッツ島での玉砕直後に悲報を耳にされた昭和天皇は、「最後までよく戦った」という惜別(せきべつ)の電報を、二度と聞くことのできない部隊に対して発するように命じられたと伝えられています。
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ぴーち おはようございます!
良い結果ならまだしも、悪い結果を聞かされた
昭和天皇も本当にお辛いお気持ちであった事でしょうね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 良い結果ならまだしも、悪い結果を聞かされた
> 昭和天皇も本当にお辛いお気持ちであった事でしょうね。
仰るとおり、大切な民の一人一人を失われた陛下のご心痛はいかばかりであったかと存じます。
そしてそれはもちろん樋口将軍も…。