幼い頃から成績優秀(ゆうしゅう)だった季一郎は、明治35(1902)年にエリート将校(しょうこう)の早期養成のために創設された大阪陸軍地方幼年学校に入学し、優秀な成績で卒業すると明治38(1905)年には東京の陸軍中央幼年学校に入学し、明治40(1907)年5月に卒業すると東京の第一師団(だいいちしだん)の歩兵第一連隊(ほへいだいいちれんたい)に配属(はいぞく)の後に、同年12月には陸軍士官学校に入学しました。
明治42(1909)年に第21期で陸軍士官学校を卒業した季一郎は見習い士官としての歩兵第一連隊第二大隊での勤務(きんむ)を経(へ)て少尉(しょうい)から中尉(ちゅうい)に昇進(しょうしん)し、第一次世界大戦中の大正4(1915)年に後の陸軍大将(りくぐんたいしょう)の阿南惟幾(あなみこれちか)らと共(とも)に陸軍大学校に入学するなど、陸軍将校としての道を着実に歩みました。
なお、陸軍中央幼年学校時代からの同期生には後に陸軍中将(ちゅうじょう)となった石原莞爾(いしわらかんじ)がいました。また、季一郎は18歳の時に叔父(おじ)にあたる樋口家の養子に迎えられ、樋口季一郎と名乗りました(当講座では季一郎のことを今後は「樋口」と表記します)。
いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち おはようございます!
なるほど、樋口という苗字は、後の養子として迎えられた家の名前だったのですね。
それにしても、多感な年頃に両親の離婚や、親戚に養子に入るなどを経験されて、何かと波乱万丈な少年期を過ごされたようですね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり波乱万丈な年少期でした。
しかし、そんなハンデを感じさせないほどのエリートとして出世していくのが樋口将軍のすごさですね。