さて、来る12月22日(日)に大阪市浪速区にて、12月26日(木)に大阪府泉佐野市にて、下記のとおり私こと黒田裕樹の講演を行いますので、ブログをご覧の皆様にもご案内いたします。よろしければぜひご参加ください。
討論Bar“シチズン”歴史講座
(大阪市浪速区)
「大日本帝国憲法の真実」
日時:12月22日(日) 15:00~18:00
(※質疑応答等を含む。講演終了後に懇親会を行います)
場所:討論Bar“シチズン”
(※下線部をクリックすると、所在地や地図が書かれたリンク先に移動できます)
参加費:予約金1,000円、当日金1,200円(学生は金800円)
上記講演は定員25名で、満員になり次第受付を終了します。
※詳しくはこちらのリンク先をご参照ください。
「楽しく学べるわが国の歴史」
(大阪府泉佐野市)
日時:12月26日(木) 19:00~20:30
場所:エブノ泉の森ホール 2階会議室
(※下線部をクリックすると、所在地や地図が書かれたリンク先に移動できます)
資料代:金500円
ちなみに、今後(平成26年1月~)も引き続き私こと黒田裕樹の講演を行いますので、ブログをご覧の皆様もよろしければぜひご参加ください(詳細はいずれご紹介します)。
いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
戦後70年近くが経(た)った昨今になって、ようやく単細胞(たんさいぼう)で脊髄反射的(せきずいはんしゃてき)な「悪玉史観」だけで歴史を語る愚(おろ)かさに多くの日本人が気づきはじめ、これまで闇雲(やみくも)に蓋(ふた)をされてきた歴史の真実を見直そうという動きがあちらこちらで起きているように見受けられます。
樋口将軍による「誇りある決断」が結果として救国(きゅうこく)につながったという事実についても、必要以上に美化(びか)することもなく、冷静かつ健全な評価を行うことが今こそ可能ではないでしょうか。
「オトポール事件」や「キスカ撤退作戦」、そして「占守島の戦い」が「日本人として知っておくべき史実」であることは疑いないのであり、先人の歴史や智慧(ちえ)に学ぶ姿勢こそが、混迷(こんめい)続く世界情勢で我が国が生き抜くための指針(ししん)ともなるのです。
(※第39回歴史講座の内容はこれで終了です。次回[12月24日]からは通常の更新[=昭和時代・戦中]に戻ります)
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ぴーち こんばんは!
脊髄反射的ですか(苦笑)
確かに政治家さん達が述べてきた言葉そのものを鵜呑みにし、皆があなた任せにして来てしまったということは、事実かもしれませんよね。最近は、ネットでも詳しい情報が得られるようになり、国民もそれなりの真実を得る事が出来るようになった事も大きな流れの変化に繋がっているのではないでしょうか。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 少々過激だったかもしれませんが…(^^;
とはいえ、国民が自分の目でしっかりと真実を見据えることは重要なことだと、今回の講座を通じて実感することは間違いないですね。
冷静に考えれば、
nakating いつの時代も、軍人は目的合理性を求めるリアリストであって、戦略目標なくして軽々に軍事行動を起こすような存在ではない(軍事行動は、自らも含めた人の生死などのリスクとコストと表裏一体なので)のですが、何故か“旧日本軍”の評価になると、とたんに思想的なバイアスが掛かりますね。「日本軍なのだから、人々を苦しめることしかする訳がない」みたいなw
また、旧軍の中の人にしても、私たちのお爺さん世代の同じ日本人、同じ家族だった訳で、「その人達を信じてはいけない・そいつらは悪魔だ」みたいな洗脳まがいの教育がまかり通る戦後の状況が明らかに異常だったと思います。
nakatingさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、これまでの偏向したイデオロギーに満ちた教育姿勢が異常だったのです。
歴史的事実から当時の状況を冷静に判断できる教育が望まれますね。
しかしながら、彼の功績が後世(こうせい)の人々に語り継(つ)がれる機会はこれまでにほとんどなく、特にユダヤ人難民の救出に関しては、杉原千畝よりも2年も前に実現していながらその存在が忘れ去られようとしています。
時系列的(じけいれつてき)に見ても、樋口の人道的な決断が杉原による「命のビザ」の下地(したじ)となったことが十分に考えられながら、なぜこのようなことになっているのでしょうか。
その背景には、外交官であった杉原に対して、樋口が「現役の陸軍軍人」であったことが関係していると思われます。
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ぴーち こんばんは!
やはり軍人であった事、ネックになってしまったのですね。
確かに軍人がドイツに逆らって、ユダヤ人の救済を手助けしたとなると、国のメンツにも関わる問題でもありますものね。
辛い所ではありますが、世間の評価は職務とその人物を切り離して考えてはくれない所がありますからね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > やはり軍人であった事、ネックになってしまったのですね。
> 確かに軍人がドイツに逆らって、ユダヤ人の救済を手助けしたとなると、国のメンツにも関わる問題でもありますものね。
> 辛い所ではありますが、世間の評価は職務とその人物を切り離して考えてはくれない所がありますからね。
軍人であったことがネックになったのは間違いありませんが、ある意味もっと深刻な理由かもしれません…。
詳しくは次回(23日)の更新をご覧ください。
確かにハルビン特務機関長や第5方面軍司令官などを務めた樋口の軍歴は、ソ連にとっては「敵の大物」であるといえましたし、何よりも北海道占領の野望を打ち砕いた張本人(ちょうほんにん)でしたから、ソ連が樋口を戦犯の対象とみなすのはむしろ当然でもありました。
しかし、そんな樋口の危機に立ち上がったのがユダヤ人でした。かつてオトポール事件で樋口によって多くの人命を救われたユダヤ人たちの間で救出運動がおこると、ニューヨークに総本部を置く世界ユダヤ教会がソ連からの要求を拒否するようにアメリカの国防総省(こくぼうそうしょう)に強く訴(うった)えたのです。
これらの動きが奏功(そうこう)し、GHQのマッカーサーはソ連の戦犯引き渡し要求を拒否しました。まさに「情けは人のためならず」。多くの名もなきユダヤ人に生命を助けられた樋口はその後も各地を転居しながら静かな日々を過ごし、昭和45(1970)年10月11日に自宅で満82歳の天寿(てんじゅ)を全(まっと)うしました。
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ぴーち こんばんは!
まさに「情けは人の為ならず」の好例だと
思います。やはり人には思いやりの心を持って接していきたいものだと改めて思いました。
なかなか出来ない事ではありますが^_^;
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、思っていてもなかなかできないことですよね。
だからこそ私たちは今回のような「生きた見本」に学ぶわけでもありますが。
やがてソ連軍は22日になって停戦交渉に応じましたが、その背景にはアメリカ軍による北海道への進駐(しんちゅう)があったほか、アメリカのトルーマン大統領(だいとうりょう)がソ連のスターリンに対して「北海道占領を認めない」という書簡を出していたことも影響(えいきょう)していました。
しかし、たとえアメリカの強い意志表示があったとしても、ソ連が自力で勝手に北海道を占領するなどの既成事実(きせいじじつ)をつくってしまえば、それを覆(くつがえ)すことは難しかったでしょう。各地の将兵の決死の戦闘と、それを支えた樋口の「誇りある決断」が我が国の危機を救ったともいえます。
但(ただ)し、ソ連の理不尽(りふじん)さはこの後も止まることを知らず、占守島上陸作戦の後も南樺太(みなみからふと)を占領したほか、択捉島(えとろふとう)や国後島(くなしりとう)なども不法に支配し、我が国固有の領土である北方領土(ほっぽうりょうど)はいまだにロシアから返還(へんかん)されていません。
加えて、占守島などで戦った将兵たちが武装解除後(ぶそうかいじょご)にシベリアへと抑留(よくりゅう)され、劣悪(れつあく)な環境で重労働を強(し)いられたのみならず、多くの人々が亡(な)くなるという悲劇があったことを私たちは決して忘れてはならないでしょう。
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ぴーち こんばんは!
北方領土に関しては強引な意見ではありますが、
こうなってくると、武力行使の手段意外返還される見込みは薄いように思われますね。^_^;
日本の統治下になった国は、幸いにも日本人の悪口をいう物は余りすくないのに対して、こうしてお話を伺っていると、外国の支配下に置かれた国民は人として扱われる方が稀な様な気がしてきますね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 北方領土に関しては強引な意見ではありますが、
> こうなってくると、武力行使の手段意外返還される見込みは薄いように思われますね。^_^;
ぴーちさんのお気持ちもよく分かります。現在のロシアは中国との問題を抱えていますし、北方領土の開発に我が国のノウハウを期待しているところもありますから、我が国からの「攻め手」もあるような気がしますが…。
> 日本の統治下になった国は、幸いにも日本人の悪口をいう物は余りすくないのに対して、こうしてお話を伺っていると、外国の支配下に置かれた国民は人として扱われる方が稀な様な気がしてきますね。
大東亜戦争の頃までは、他国を支配しているのはほとんどが白色人種の国家でした。根強い人種差別が「人間として扱うか」の分かれ目になったとも言えますね。
我が国がポツダム宣言を受けいれ、終戦となった8月15日を過ぎてもソ連の攻撃は止(とど)まることなく、18日には千島列島(ちしまれっとう)の北東端(ほくとうたん)に位置していた占守島(しゅむしゅとう)に攻め込み始めました。
戦争の継続(けいぞく)を断念(だんねん)した我が国の固有の領土への上陸作戦を展開するソ連の意図が侵略(しんりゃく)にあると見抜(みぬ)いた樋口は、現地の将兵に対して「断乎(だんこ)反撃(はんげき)に転じ、上陸軍を粉砕(ふんさい)せよ」と飛電(ひでん、至急の電報を打つこと)した一方で、大本営の命令で18日午後4時をもって各方面におけるすべての戦闘行動を一切停止しなければならないことも承知(しょうち)していました。
樋口は大本営に対してソ連との停戦交渉を願い出ましたが思うに任(まか)せず、やがて18日の午後4時を過ぎてしまいましたが、目の前でソ連の卑劣(ひれつ)な侵略行為が続いている以上は、19日以降も散発的(さんぱつてき)な戦闘が続くのはやむを得ないことでした。
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ぴーち こんばんは!
何というか。。
このソ連の漁夫の利的なやり方は
どうも解せませんね。
こんな体質だから、あの国はいつまで経っても
ウダツが上がらない印象が強いのでしょうか・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 何というか。。
> このソ連の漁夫の利的なやり方は
> どうも解せませんね。
> こんな体質だから、あの国はいつまで経っても
> ウダツが上がらない印象が強いのでしょうか・・
ぴーちさんのお気持ちはよく理解できます。
同じように「漁夫の利」を得た国に現在の中華人民共和国がありますが、両国に共通するのが共産主義国家であるというのは偶然でしょうか。
ロシアの伝統
青田です。 黒田先生
青田です。
ソ連(ロシア時代から)の伝統(法則)がありますね。
① 何があっても外交で生き残る。
② とにかく、自分を強く大きく見せる。
③ 絶対に大国相手の二方面作戦はしない。
④ 弱い奴は潰す。絶対に約束は守らない。
⑤ 約束を破った時こそ自己正当化。
⑥ 戦争の財源は、どうにかしてひねり出す。
⑦ どうにもならなくなったら、綺麗事で、ごまかす。
青田さんへ
黒田裕樹 確かにそうですね。同じことが某野党の党首にも言えそうですが…。
散々(さんざん)な目にあったアメリカ軍は、我が国の撤退作戦を「パーフェクト・ゲーム」と呼びましたが、世界史上でも珍(めずら)しい完全な撤退を成功させた背景には、現地における海軍の指揮官(しきかん)の好判断と共に、将兵を一人残らず生還させるという樋口の強い意志がありました。
作戦成功の要因として、樋口は現地の濃霧や将兵を命がけで救った海軍の友軍愛、そしてアッツ島に散った英霊(えいれい)の加護(かご)を挙(あ)げると共に、後年(こうねん)にはこのように語っています。
「アッツ部隊があまりに見事な散華(さんげ)全滅を遂げたので、アメリカ軍はキスカ部隊も必ずやアッツと同じ戦術をとるものと考え、撤収など考慮(こうりょ)しなかったのではないか。この意味において日本軍の意図(いと)を秘(ひ)せしめたるは、アッツ島の英霊といえるのである」。
キスカ島の将兵全員の生還は、アッツ島の将兵を犠牲(ぎせい)にせざるを得なかったとしてもキスカ島の将兵は必ず守るという、樋口の「誇りある決断」がもたらした奇跡(きせき)でもあったのです。
いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
樋口将軍の様な戦術をあの太平洋戦争でも
発揮出来ていたら、もっと日本の戦い方にも
変化が見られたのではないかと思いました。
それにしても、相手の思う事の裏をかいた
見事な戦術ですね!
棋士が10手先を読んで攻めるかの様に
樋口将軍の頭の中では、相手の考えが
手に取るように分かっていたのかも知れませんね^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、樋口将軍の主導による見事な撤退作戦でした。
将軍の決断力の凄味を感じさせられますね。
樋口が迫ったのは、アッツ島のそばのキスカ島に残っていた将兵を撤退させることでした。 「アッツ島の二の舞(まい)は踏(ふ)ませない」。樋口の必死の思いはやがて実り、潜水艦(せんすいかん)を使って将兵を少しずつ撤退させ始めました。
しかし、アッツ島の玉砕もあってアメリカ軍に制空権も制海権も奪(うば)われた状態では、5,000人以上にのぼる将兵すべてを無事に撤退させることは容易ではありません。そこで、速度の早い軽巡洋艦(けいじゅんようかん)や駆逐艦(くちくかん)を投入して一気にキスカ島に突入(とつにゅう)し、残りの将兵すべてを一挙に撤収(てっしゅう)させる作戦が考案されました。
撤退作戦は現地特有の濃霧(のうむ)も味方して、各種兵器こそ遺棄(いき)せざるを得なかったものの、7月29日には全員が乗船し、無事撤退することに成功しました。
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ぴーち こんばんは!
確かに精神的なダメージで体重が激減する事って現実に起こりますよね。私も遠い昔、10日間で10キロも体重が減少するという痛手を負った経験がありますのでなんとなく、思いつめた気持ちが分かるような気がします^_^;
それにしても人の思いの強さとは、自然をも味方にしてしまう力を秘めているものなのだと改めて感じるお話ですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 ぴーちさんも大変な思いをなさっておられたんですね。
仰るとおり、人間の思いが自然を味方にして実現してしまうという人智を超えた現実は本当にあるものなんですよね。
「今後、戦闘方針を持久(じきゅう)より決戦に転換(てんかん)し、なし得る限りの損害を敵に与え、九牛(きゅうぎゅう)の一毛(いちもう)ながら、戦争遂行(すいこう)に寄与せんとす。なお爾後(じご、以後と同じ意味)、報告は、戦況より敵の戦法、及びこれが対策に重点をおく」。
「もし将来、この種の戦闘の教訓として、いささかでもお役に立てば、望外の幸(さち)である。その期至らば、将兵全員一丸となって死地につき、霊魂(れいこん)は永く祖国を守ることを信ず」。
アッツ島の守備隊は圧倒的な兵力を誇るアメリカ軍相手に健闘を重ねたものの、5月29日までに山崎守備隊長以下ほぼすべての将兵が壮絶(そうぜつ)な戦死を遂(と)げ、我が国初の玉砕戦(ぎょくさいせん)となってしまいました。
なお、アッツ島での玉砕直後に悲報を耳にされた昭和天皇は、「最後までよく戦った」という惜別(せきべつ)の電報を、二度と聞くことのできない部隊に対して発するように命じられたと伝えられています。
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ぴーち おはようございます!
良い結果ならまだしも、悪い結果を聞かされた
昭和天皇も本当にお辛いお気持ちであった事でしょうね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 良い結果ならまだしも、悪い結果を聞かされた
> 昭和天皇も本当にお辛いお気持ちであった事でしょうね。
仰るとおり、大切な民の一人一人を失われた陛下のご心痛はいかばかりであったかと存じます。
そしてそれはもちろん樋口将軍も…。
しかし、前線で死力を尽くして戦っている山崎守備隊長以下に「増援部隊を送る」との約束を果たせなくなったという非情な現実に対して、深い懊悩(おうのう、悩みもだえること)と慙愧(ざんき、自分の見苦しさや過ちを反省して心に深く恥じること)の念を抱(いだ)いた樋口は、自己の無力さを嘆(なげ)きつつも、大本営の命令を涙ながらに受けいれる以外に手段がありませんでした。
翌21日、樋口は断腸(だんちょう)の思いでアッツ島に向けて増援が出来ない旨(むね)の以下の電信を送りました。
「中央統帥部(とうすいぶ)の決定にて、本官(=樋口)の切望救援(きゅうえん)作戦は現下(げんか)の情勢では、実行不可能なりとの結論に達せり。本官の力及(およ)ばざること甚(はなは)だ遺憾(いかん)にたえず、深く謝意を表すものなり」。
これに対し、翌22日に山崎大佐からの返電が北方軍司令官に届きました。
いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
まさに樋口氏にとっては断腸の思いであった事でしょうね。
時にどんなに強靭で鋼の様な思いを持ち合わせていても、世の中の流れや、どうしても超えられない大きな存在に従わなければいけない場合がありますね。
一度は跳ね返されて、打ちのめされても
樋口氏なら必ずまた何か行動を起こしてくれそうな予感がしますが^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり断腸の思いだったことでしょうね。
> 樋口氏なら必ずまた何か行動を起こしてくれそうな予感がしますが^^
この件については次々回(17日)の更新で紹介することになりますが、まずは山崎隊長以下の決死の思いをご覧いただければと思います。