「『鎖国』という名の悲劇」について語る前に、まず我が国がなぜ「鎖国」と呼ばれる状態になったのかを考えてみましょう。
そもそも江戸時代の創成期には、幕府に「鎖国」をするという考えは全くありませんでした。初代将軍の徳川家康(とくがわいえやす)は海外との貿易を積極的に考えており、我が国に漂着(ひょうちゃく)したイギリス人のウィリアム=アダムスやオランダ人のヤン=ヨーステンを保護して、貿易の交渉に役立てようと思ったほどです。
ところで「貿易」というものは、通常は必ずといっていいほどもうかります。なぜか分かりますか?
外国から「輸入する」ということは、その商品が我が国では手に入らなかったり、手に入ったとしても非常に高価だったりするのが普通です。ということは、輸入によって入手した商品は、どんなに高価でも手に入れようとしたり、あるいは安く大量に手に入れたりすることとなり、結果的に大もうけにつながるわけです。「輸出」の場合も理論的には同じです。
実際、家康の時代には「朱印船(しゅいんせん)貿易」呼ばれた、主に東南アジアとの貿易が盛んに行われていました。つまり、家康は 「鎖国」をしようとはこれっぽっちも考えていなかったと断言できるのです。
それがなぜ後には「鎖国」と呼ばれるような状態になってしまったのでしょうか。その背景には、ある「宗教」への恐怖感があったのです。
いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは~♪
朱印船貿易はちらっとですが、覚えています^^
家康は本来、鎖国をしようと言う考えは全くなかった訳なんですね。。
そうすると、やはり隠れキリシタンなどという大名が存在していたということでしょうか?
それでは、黒田さんをオガンダム(^m^)
いえいえ、応援で~す
ヒロキ キリスト教を恐れていたんですね!
キリスト教信者の団体ができて、幕府に牙をむくことが十分に考えられますよね!
幕府はそのことを恐れていたのでしょうか??
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 朱印船貿易はちらっとですが、覚えています^^
> 家康は本来、鎖国をしようと言う考えは全くなかった訳なんですね。。
そのとおりです。鎖国をしようとする人間がどうして外国人を保護して外交の切り札に使おうと思うのでしょうか。ところが時代が進むと…。
> そうすると、やはり隠れキリシタンなどという大名が存在していたということでしょうか?
鋭いですね(笑)。明日の講座でまた紹介しますので、お楽しみに!
> それでは、黒田さんをオガンダム(^m^)
> いえいえ、応援で~す
オ、オガンダム…(^^ゞ
これ↓のことですね(^o^)丿
http://toymomo.blog61.fc2.com/blog-entry-1962.html#comment23574
応援有難うございます!
ヒロキさんへ
黒田裕樹 > キリスト教を恐れていたんですね!
> キリスト教信者の団体ができて、幕府に牙をむくことが十分に考えられますよね!
> 幕府はそのことを恐れていたのでしょうか??
さて、どうでしょうか?
単なる「牙むき」ならまだマシなんですけどね…。明日をお楽しみに!
ぴーち 再び。。
おお!またもや、私のブログ記事、リンク
していただいたんですね!
なんと、素早い(笑
いつもながら、ありがとうございま~す☆
今夜は裕樹さんと夢の中でリンク出来るように
お祈りしながら、寝ますね~(爆)
ぴーちさんへ その2
黒田裕樹 > 再び。。
> おお!またもや、私のブログ記事、リンク
> していただいたんですね!
> なんと、素早い(笑
> いつもながら、ありがとうございま~す☆
いえいえ、「オガンダム」の意味が分からない人のためにと思いまして…(^^ゞ
まぁ、これでぴーちさんのブログの訪問者が増えればOKですよね(笑)。
> 今夜は裕樹さんと夢の中でリンク出来るように
> お祈りしながら、寝ますね~(爆)
カープが4連敗ですので、涙目(笑)で眠ることになりそうです…(´・ω・`)
せめていい夢くらいは見たいものですね。
お久しぶりです!
h.hamauzu ご無沙汰してしまいました!
サボっている間に、授業が進んでしまって焦っております。
だめな生徒ですが、これからもよろしくしてくださいませ!
h.hamauzuさんへ
黒田裕樹 > ご無沙汰してしまいました!
> サボっている間に、授業が進んでしまって焦っております。
> だめな生徒ですが、これからもよろしくしてくださいませ!
いえいえ、戻ってこられるのをお待ちしておりました(^o^)丿
現在は6月27日の講座を順次公開しておりますので、時間の余裕のあるうちにしっかりと復習して下さい(笑)。
また鋭い(!)ご質問をお待ちしております(^_^)v
toMoka こんばんは!
ちょうど大阪旅行中に講義がおこなわれていたんですね。
家康はキリシタンに対しての弾圧がとても厳しかったと聞きます。貿易はしたいが他国の宗教は入れたくないと言う感じなんでしょうか?
いつか、講義で関ヶ原も(願!)
toMokaさんへ
黒田裕樹 > こんばんは!
> ちょうど大阪旅行中に講義がおこなわれていたんですね。
そうなんです。ご旅行、楽しめた様で何よりです!(^^♪
> 家康はキリシタンに対しての弾圧がとても厳しかったと聞きます。貿易はしたいが他国の宗教は入れたくないと言う感じなんでしょうか?
仰るとおりです。家康にとっては、キリスト教が貿易という「うまみ」に引っ付いた「余計なもの」にしか見えなかったのでしょう。もちろん家康にも言い分はありますが。
> いつか、講義で関ヶ原も(願!)
もちろん検討しておりますよ。瀞子さん一押しの光秀公のほうが早くなりそうですが…。
「鎖国」(さこく)という言葉に対して、皆さんはどのようなイメージをお持ちでしょうか?
人によって様々な考えがあると思いますが、最も一般的なのは、江戸時代に行っていた「諸外国との一切の交渉を行わない」ことによるマイナスの印象ではないでしょうか。これには、江戸末期の開国(かいこく)によって、我が国がこれまでに経験したことのない大きな混乱の時代を迎えたという現実も後押ししていると思います。
諸外国の圧力に屈して無理やりに開国させられたばかりでなく、我が国にとって不平等条約(ふびょうどうじょうやく)を結ばされるなど、失態続きの幕府はやがて世間から見放され、我が国は明治維新(めいじいしん)へと一気に進んでいきました。
我が国がアジアで有数の独立国として、19世紀後半以後の食うか食われるかの帝国主義(ていこくしゅぎ、政治や経済、軍事などの面で他国の犠牲において自国の利益や領土を拡大しようとする思想や政策のこと)の荒波にもまれることもなく、独自の道を歩めたのは素晴らしいことですが、その一方で開国までの準備期間の不足による様々な矛盾(むじゅん) は、後々(あとあと)にまで尾を引きました。
しかし、鎖国に対するマイナスイメージの代名詞たるこの「開国による混乱」が、もし回避(かいひ)できていればどうなったでしょうか。いや、実際には十分回避できる可能性があったのです。
それがなぜできなかったのでしょうか―。
いつも有難うございます。
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さすらい こんばんは。
おお、鎖国時代に飛びましたね。
十分回避できる可能性
楽しみに聞いてみます。
応援♪
さすらいさんへ
黒田裕樹 > おお、鎖国時代に飛びましたね。
月に一度の歴史講座では、時代に関係なく、様々な出来事を自分なりに掘り下げてみたいと考えております。
> 十分回避できる可能性
> 楽しみに聞いてみます。
有難うございます。是非ご期待下さい!
相模守高時 まったくの勉強不足なのですが
やはりキリシタン対策ですかね、鎖国。
それと貿易や外交権限を幕府が握ることが
徳川の安泰につながるということも
家康さんは考えたと学んだような気がします。
回避できた可能性。。。楽しみにしております。
相模守高時さんへ
黒田裕樹 > やはりキリシタン対策ですかね、鎖国。
> それと貿易や外交権限を幕府が握ることが
> 徳川の安泰につながるということも
> 家康さんは考えたと学んだような気がします。
おっしゃるとおりです。
もっぱらキリシタン対策ですが、「もうかる」貿易を独占したり、外交関係を一手に握ることが幕府の安泰につながる、と考えた節もあります。
> 回避できた可能性。。。楽しみにしております。
今日(1日)の6時からの記事でそのヒントを書いております(笑)。
18時にはもう少し明らかになりますよ。
MAHHYA 初めまして。
トラックバック失礼しますm(_ _)m
MAHHYAさんへ
黒田裕樹 > 初めまして。
> トラックバック失礼しますm(_ _)m
こちらこそはじめまして。
ご連絡が遅くなりましたが、トラックバックOKですので、宜しくお願いします。
意外とも言えるこの結末は、聖徳太子の子である山背大兄王(やましろのおおえのおう)にしてみれば、今度こそ自分が天皇になると思っていただけに、納得できないものとなりました。
皇極天皇を後継にしたのは、実力者の蘇我入鹿(そがのいるか)でした。入鹿は、自分の意のままになる天皇を選び、政治の実権を我が手に握ろうとしていました。そのためには、優秀な山背大兄王の存在が邪魔だったのです。
643年、父親である蘇我蝦夷(そがのえみし)から大臣(おおおみ)の地位を独断で譲られた入鹿は、返す刀で山背大兄王を攻め立てました。追いつめられた山背大兄王は、一族全員が首をくくって自殺するという非業(ひごう)の最期をとげました。ここに聖徳太子の血は断絶してしまったのです。
あまりの凶事(きょうじ)に、さすがの蝦夷も激怒しましたが、入鹿にとってはどこ吹く風で、新しく建てた自分の家を「宮門」(みかど)と名付けたり、自分の息子を「皇子」と呼ばせたりしました。まさにやりたい放題です。
そんな入鹿に対して、「何とかしなければ」という思いをめぐらす二人の人影がありました。
彼らは一体誰なのでしょうか―。
いつも有難うございます。
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相模守高時 こんにちは。
当方のBLOGにお越しいただきありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします
しかし。。。聖徳太子亡き後の蘇我氏は、源頼朝亡き後の北条氏みたいですw
いよいよ中大兄ちゃんと鎌ちゃんの登場ですか?
sisi ブログ村投票しましたよ。
皇極天皇のまたの名前を斉明天皇と呼びますね。
女性の天皇の活躍が目立ちますね。
そこで、私が描いた皇極天皇http://rekisimizugi.at.webry.info/200903/article_100.htmlと独身女性天皇の元正天皇http://rekisimizugi.at.webry.info/200806/article_48.htmlの似顔絵があります。
こんばんは^^
星月 冬灯 先生、来ました^^
ここで、その二人の名を明かしたら面白く
なくなっちゃいますね。なので、沈黙しています^^
ここが教室なら、大いに手を挙げていた所です(笑)
思うのですが。蝦夷は知らなかったのでしょうかね。
なんだか、一番の黒幕はどうしても蝦夷のような
気がしてしまうのですが。
山背皇子は本当にかわいそうな生涯ですよね。
しかも、一族みなとも。唯一残ったのが太子だけと
いうのも因果を感じます。
今日の授業も面白かったです。では♪
こみー 大化の改新・・・でしょうか?
この辺は高校入試前に詰め込んだ知識の一部・・・かな?
一族全員が首をくくって自殺・・・ですか。
もの凄く追い込まれたんでしょうね。。。
そして今聖徳太子の血を引く者はいないんですね。
少し残念な気がします。(´・ω・`)
えめる いやわたし、日本史わからないので、
答えられないんですけど、次回がとっても楽しみです。
誰でしょうね、勧善懲悪ドラマみたいです。ワクワクです。
相模守高時さんへ
黒田裕樹 > 当方のBLOGにお越しいただきありがとうございます。
> 今後ともよろしくお願いします
こちらこそ宜しくお願いします。
相模守高時さんのブログも、物語的で分かりやすいと思います。
> しかし。。。聖徳太子亡き後の蘇我氏は、源頼朝亡き後の北条氏みたいですw
> いよいよ中大兄ちゃんと鎌ちゃんの登場ですか?
確かに北条氏に似ていますね。
ただ、執権政治のように長続きは…。優秀な人材がいましたからね。
sisiさんへ
黒田裕樹 > ブログ村投票しましたよ。
いつも有難うございます!
> 皇極天皇のまたの名前を斉明天皇と呼びますね。
> 女性の天皇の活躍が目立ちますね。
そうですね。これから約130年の間に次々と即位されますからね。
中には皇極=斉明天皇のように、2度即位された方もおられますが。
> そこで、私が描いた皇極天皇http://rekisimizugi.at.webry.info/200903/article_100.htmlと独身女性天皇の元正天皇http://rekisimizugi.at.webry.info/200806/article_48.htmlの似顔絵があります。
拝見しました。いつもながらの独創的な楽しい絵画ですね。
ご紹介下さって有難うございます!
星月冬灯さんへ
黒田裕樹 > 先生、来ました^^
ようこそお越し下さいましたm(_ _)m
> ここで、その二人の名を明かしたら面白く
> なくなっちゃいますね。なので、沈黙しています^^
> ここが教室なら、大いに手を挙げていた所です(笑)
ご配慮、感謝します。授業で手を挙げて下さるのは大歓迎です(^_^)v
> 思うのですが。蝦夷は知らなかったのでしょうかね。
> なんだか、一番の黒幕はどうしても蝦夷のような
> 気がしてしまうのですが。
なるほど。記紀では蝦夷は聖徳太子の人柄を知っており、太子の一族を滅ぼしたら蘇我氏に災厄が及ぶと思っていたらしく、入鹿の出すぎた行動に激怒したらしいですね。でも、蝦夷が裏で糸を引いていたというのも十分考えられますね。
> 今日の授業も面白かったです。では♪
またのお越しをお待ちしております(^^♪
ヒロキ 中大兄皇子と
蘇我倉山田石川麻呂はいつ頃から出てくるんですかね!?^^;
優秀な人物が殺されてしまうのは何とも悲しいことですよね。。。
こみーさんへ
黒田裕樹 > 大化の改新・・・でしょうか?
> この辺は高校入試前に詰め込んだ知識の一部・・・かな?
さぁ、どうでしょうか?(笑)
続きを楽しみにお待ち下さい(と、言っても明日からしばらく休みますが…)。
> 一族全員が首をくくって自殺・・・ですか。
> もの凄く追い込まれたんでしょうね。。。
追いつめられて、殺されるくらいなら、と一族全員で自決したんでしょうね。一説によると20人を超えていたとか。現場は凄まじかったでしょうねぇ…。合掌。
> そして今聖徳太子の血を引く者はいないんですね。
> 少し残念な気がします。(´・ω・`)
惜しいですよね。聖徳太子の系統がもう少し続いていたら、世の中はもっと変わっていたかもしれません。
舒明天皇の時代の大きな出来事といえば、初めての遣唐使(けんとうし)が送られたことが挙げられます。久しぶりに大陸の統一を果たした隋でしたが、無謀な外征(がいせい)や内政の混乱もあって、建国後わずか30年足らずで滅亡しました。そして618年に、李淵(りえん)が隋にかわって大陸を統一し、唐(とう)を建国したのです。
我が国は、隋と同じように唐に対しても文化の交流をはかるべく、630年に犬上御田鍬(いぬがみのみたすき)らを初めての遣唐使として送ったのでした。遣唐使はその後も続きますが、ある出来事をきっかけに一時期中断しています。
さて、舒明天皇は641年に崩御されました。一代待たされた山背大兄王は、今度こそ自分が天皇になると思っていましたが、かないませんでした。この頃、政治の実権は蝦夷の息子(=馬子の孫)である蘇我入鹿(そがのいるか)に移っており、蘇我氏の勢力は、皇室をしのぐほどに強大になっていたのです。
いつも有難うございます。
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海豚 歴史講座、お疲れ様でした。
あ、「いるか」じゃないですかー(ぇ
漢字は違くとも親近感が・・・←
ヒロキ あぁー(>_<)山背大兄王は殺されてしまうんですよね。。。
やはり「聖徳太子の子供」だというのも大きいんでしょうかね^^;
海豚さんへ
黒田裕樹 > 歴史講座、お疲れ様でした。
有難うございます!(^_^)v
当面はないでしょうけど、いつの日か海豚さんの地方でも講座ができたら良いんですけどね。
> あ、「いるか」じゃないですかー(ぇ
> 漢字は違くとも親近感が・・・←
…え~と、親近感がわくのも無理はないと思うのですが、明日以降の蘇我入鹿のやることは…。
ショックを受けなければいいんですけど…。
ヒロキさんへ
黒田裕樹 > あぁー(>_<)山背大兄王は殺されてしまうんですよね。。。
> やはり「聖徳太子の子供」だというのも大きいんでしょうかね^^;
そのとおりです。優秀な人物でも、実力がないと…。
明日はかなり「ウツ」な記事になりそうです…。
さすらい こんばんは。
昨日はお疲れ様でした。
御盛況に終わられたようで
おめでとうございました。
次回も応援しております。
さて時代はさかのぼり
何やらキナ臭い感じが。。。(笑)
新政権に期待しますが。
応援♪
さすらいさんへ
黒田裕樹 > 昨日はお疲れ様でした。
> 御盛況に終わられたようで
> おめでとうございました。
> 次回も応援しております。
有難うございます。お蔭様で好評で今回も終えることができました。
次回も頑張ります!
> さて時代はさかのぼり
> 何やらキナ臭い感じが。。。(笑)
> 新政権に期待しますが。
そう、きな臭い雰囲気が…。
新政権よりも、「その後の新政権」に期待した方がいいかもしれません。
今回も応援、有難うございます!
ぴーち こんばんは!
隋はわずか30年足らずで滅びてしまったんですか?
まさに「栄枯盛衰」ですね~。。
遣唐使は何が原因で、中断してしまったのでしょうか・・
それでは、応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 隋はわずか30年足らずで滅びてしまったんですか?
> まさに「栄枯盛衰」ですね~。。
力で制圧しても、それだけでは長続きしないんですよね。
日本史にも似たような出来事があります。
> 遣唐使は何が原因で、中断してしまったのでしょうか・・
いずれこの講座で紹介しますよ。
おそらく「え!? そんな理由なの?」と思われるかと…。
応援有難うございます!
前回から引き続きご参加の方も多く、「これからもできるだけ参加したい」との有難いお言葉もいただき、感謝しております。
「継続は力なり」。今後も本物の講座を通じて、歴史教育の実践に努めていきたいと改めて実感しました。
今回の講座「『鎖国』という名の悲劇」の内容や当日の様子は、6月30日から順次公開します。
また、次回(第3回)の歴史講座「源義経 ~悲劇のアイドル」は、7月18日(土)の午後3時から行う予定です。
いつも有難うございます。
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ちゃてれ お疲れ様でしたー。
今回も無事に講座を終えることができて
良かったですね。
次回も頑張ってください~
応援ポチポチポチっとー。
ちゃてれさんへ
黒田裕樹 お気遣い有難うございます\(^-^)/
次回は三週間後ですからすぐやって来ますが、しっかり準備して、恥ずかしくない講座にしたいと思います。
いつも応援、感謝しております!(^o^)/
こんばんは^^
のらねこみゅー 応援ポチっと~♪
お疲れ様でした~^^)v
ぴーち こんばんは!
回を重ねる毎に参加人数が増していくのは、素晴らしいことですね!
講座、大成功だったようで、お疲れ様でした^^
私の方は、今日は仕事が夜まで押してしまい、
お返事が遅れています^^;
黒田さんからいただいた、貴重なコメントのお返事は
また、明日書かせてくださいね!
いつも本当にありがとうございます!
次回の講座の成功もお祈り致しております^^
それでは、応援凸
のらねこみゅーさんへ
黒田裕樹 > 応援ポチっと~♪
> お疲れ様でした~^^)v
有難うございます。次回も頑張ります!(^_^)v
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 回を重ねる毎に参加人数が増していくのは、素晴らしいことですね!
> 講座、大成功だったようで、お疲れ様でした^^
仰るとおりでして、確実に手ごたえを感じた一日でした。
ご参加いただいた皆様には本当に感謝です。
> 私の方は、今日は仕事が夜まで押してしまい、
> お返事が遅れています^^;
> 黒田さんからいただいた、貴重なコメントのお返事は
> また、明日書かせてくださいね!
お忙しい中、有難うございます!
> いつも本当にありがとうございます!
> 次回の講座の成功もお祈り致しております^^
こちらこそ何かとお気遣いをいただきまして…。
次回はもっと頑張りますよ(^^♪
お疲れ様でした!
ふとかつ 新型インフルエンザの影響で延期になったときは、どうなることかと心配しましたが、第2回目の終了おめでとうございます。
次回のテーマは、いよいよ「義経」ですね。
参加できないのが残念ですが、記事のほうを楽しみにしております。
ふとかつさんへ
黒田裕樹 > 新型インフルエンザの影響で延期になったときは、どうなることかと心配しましたが、第2回目の終了おめでとうございます。
有難うございます!
お蔭様で無事に終えることができまして、内容も好評でした。30日からUPしていきます。
> 次回のテーマは、いよいよ「義経」ですね。
> 参加できないのが残念ですが、記事のほうを楽しみにしております。
はい、義経です。今までとはおそらく違う見方になると思います。
いつかは東京でやってみたいですね…。
けん爺ちゃん お早うございまーす(^△^)
第二回講座、開催お疲れ様でした!
参加者も増え、無事に終了したようで…
黒田さんの講義を聞いてみたいです。
順次公開の講義模様、楽しみにしております(^^)
ポチポチポチ~♪
FC2のブログ日本史ランキング、1位ですよ(゚д゚)!
けん爺ちゃんさんへ
黒田裕樹 > 第二回講座、開催お疲れ様でした!
> 参加者も増え、無事に終了したようで…
> 黒田さんの講義を聞いてみたいです。
> 順次公開の講義模様、楽しみにしております(^^)
お言葉有難うございます!
明日(30日)から公開していきますので、宜しくお願いします。
> ポチポチポチ~♪
> FC2のブログ日本史ランキング、1位ですよ(゚д゚)!
皆様のお陰ですm(_ _)m
ランキングのためだけにブログをやっている訳ではないですが、やはり励みになりますね(^_^)v
さて、先日(4月25日)に第1回「黒田裕樹の歴史講座」を開催致しましたところ、5名の皆様にご参加をいただきまして、誠に有難うございました。
前回に引き続きまして、5月30日(土)に再び歴史講座を開催すべく準備を重ねてまいりましたが、新型インフルエンザによる関西での様々な状況から慎重に判断した結果、誠に断腸の思いながら、一ヶ月延期することに致しました。
いかに事情があるとはいえ、このような次第になってしまったことを深くお詫び申し上げます。
次回(第2回)の歴史講座は、大阪・梅田で6月27日(土)の午後3時より開始致しますので、是非多数の皆様にご参加いただければと願っております。
第2回「黒田裕樹の歴史講座」
日時:平成21年6月27日(土) 午後3時より
内容: 「『鎖国』という名の悲劇」
講師:黒田裕樹
場所:梅田東学習ルーム
会費:無料
ブログをご覧の皆様も、宜しければ是非ご参加下さい。この記事のコメント欄をご活用いただければと思います。また、今回の講座の内容については、前回同様後日にはブログ上で発表しますので、是非ご覧になって下さい。
尚、予約の都合上、当日の教室一覧(午後)の掲示板に「大阪読書研究会」と書かれているのが「黒田裕樹の歴史講座」の会場となります。ご注意下さい。
いつも有難うございます。
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bunyan こんばんは~
コメントありがとうございました。
二回目の講座の開催が決まって、張り切っていらっしゃると思います。
参加者が多くなって成功することを祈っています。
頑張ってくださいね !
bunyan様
黒田裕樹 応援有難うございます!
あと3週間近くしかありませんが、何とか成功に導きたいと願っております。
こんばんは~
bunyan NETで検索したら黒田さんと同姓同名の大学教授の名前を発見しました。
黒田姓の人は学術・教育関係の人が多いのに驚いています !
歴史学者の人もいらっしゃるのでしょうね。
bunyan様
黒田裕樹 私も興味半分で検索したことがあります。
字の違いでは元広島でドジャースの黒田博樹投手もいますが、全くの同姓同名は仰った大学教授くらいですね。
歴史学者ですか…。私なら努力すれば「学者もどき」にはなれるでしょうか?
けん爺ちゃん こんばんは(^△^)
おお~歴史講座ですか!
しかも鎖国!
非常に興味があります…実は本当に
静岡大学の黒田裕樹准教授では?(笑)
大阪の方だったんですね(^^)
梅田は本社から近いので(尼崎です)
何回か訪れようとした事はあります…
近場だったら参加してみたかったです。
5月30日でしたらあと10日ですね!
今回も無事成功されますように。
けん爺ちゃん様
黒田裕樹 残念ながら同姓同名の赤の他人です(笑)。
「黒田」はともかく、「裕樹」は結構珍しいと思うんですけどね。
講座にご出席されようとするお気持ちだけでも十分感謝しております。講座の日にたまたま大阪にいる…なんて、普通はやっぱりないですよね(^^ゞ
準備をしっかりしておかないと、講座の日まであっという間ですからね…。頑張ります!
講座延期
bunyan こんばんは、コメントありがとうございました☆
講座延期されたんですね。
関西はインフルエンザとか大変でしょう。
近畿高校野球も中止になったみたいだから、延期もやむを得ないかも。
一ヶ月後は無事に開けるといいですね。
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bunyanさんへ
黒田裕樹 こちらこそコメント有難うございます。
インフル騒ぎは週がかわってようやく落ち着きを取り戻しつつあるようです。
仰るとおり、一ヶ月の延期は止むなしと考えたうえの決断でした。
来月までには何とか収束されるよう祈っております。
頑張ってください
ふとかつ 黒田裕樹様
こんばんは。大切なセミナーがインフルエンザのために延期とのこと、非常に残念です。
私は東京在住のため、参加はできませんが、毎日このブログで少しずつ歴史を勉強しています。
くれぐれも、インフルエンザに感染なさらないようにお気をつけください。
老いてなお盛んであった蘇我馬子は、聖徳太子という後ろ盾(だて)を失われた推古天皇に対して、かつては蘇我氏の所有地で、その後は皇室が支配していた葛城(かつらぎ、現在の奈良県)の地を返還するように迫(せま)りました。
推古天皇は馬子の無茶な要求に対して、下記のようにきっぱりと拒否されました。
「私は蘇我氏の血を引いていますし、貴方(=馬子)は大臣(おおおみ)で私の叔父でもあります。しかし、だからといって公(おおやけ)の土地を私人(しじん)に過ぎない貴方に譲ってしまっては、後世の人に私が愚かな女だと言われるのみならず、貴方も不忠な人間だと後ろ指を指されますよ」。
こうした高い見識をお持ちであった推古天皇も、628年に75歳で崩御(ほうぎょ)されました。馬子もそれ以前の626年に亡くなっており、政治の実権は馬子の子である蘇我蝦夷(そがのえみし)が握ることになりました。
いつも有難うございます。
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さすらい こんにちは。
ここにも「ひとつの時代が終わった」があったのですね。
新しい政権も国民が幸せになればと期待します。
もちろん、現代でも。
今日はお疲れ様でした。
ゆっくりして下さいね。
応援♪
sisi 聖徳太子が49歳の若さの生涯でしたね。つまり、織田信長と同じ年齢で生涯を閉じましたよね。
ぴーち こんばんは!
推古天皇、当時としてはかなりの長命だったようですね。
今日は午前中にご訪問くださいまして、ありがとうございました^^
そして、講座もきっと大盛況だったことでしょう^^
お疲れ様でした!
応援させてくださいね^^
凸
mee; 講座お疲れ様でした。
いかがでしたか?
聖徳太子が亡くなったのは49歳だったんですね
推古天皇は素晴らしい女性だったんですね
推古天皇も蘇我馬子も当時としては随分 長く生きられたのではないですか?
ちょっとびっくりしました
ヒロキ 古代で75歳までなんてかなり長く生きていますね!
生活が充実していたのですかね?
いよいよ蘇我蝦夷の登場ですね!
さすらいさんへ
黒田裕樹 > ここにも「ひとつの時代が終わった」があったのですね。
そうですね。聖徳太子の死に続いて、有力者が数年のうちに全員この世から去ってしまいました。
歴史上ではよくあることですね。
> 新しい政権も国民が幸せになればと期待します。
> もちろん、現代でも。
新しい政権ですが、今回の場合は…。
一方、現代では総選挙の後はどうなるのでしょうか?
> 今日はお疲れ様でした。
> ゆっくりして下さいね。
お気遣い有難うございます!
今日(28日)からまた新たなスタートです。
sisiさんへ
黒田裕樹 > 聖徳太子が49歳の若さの生涯でしたね。つまり、織田信長と同じ年齢で生涯を閉じましたよね。
そうですね。我が国の歴史を激変させた二人が、同じ歳で亡くなっているのは不思議な偶然です。
「人生五十年」を見事に使いきった生涯というべきなのでしょうか。
東洋劇場 おはようございます。
聖徳太子なき後の展開に
興味津々です。
とても分かりやすいお話
ありがとうございます。
ポチ!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 推古天皇、当時としてはかなりの長命だったようですね。
当時の寿命を考えれば、75歳は長い方ですね。
摂生をされて、かつ流行病の影響を受けなかったことで、天寿を全うできたのかもしれません。
> 今日は午前中にご訪問くださいまして、ありがとうございました^^
> そして、講座もきっと大盛況だったことでしょう^^
> お疲れ様でした!
時間がなかったので、コメントなしでポチだけさせていただきました。
今日からはまたゆっくりと拝見したいと思います。
別記事に書きましたが、講座も6名の皆様に参加いただき、成功裏に終わりました。
有難いことと感謝しております。
応援有難うございます!
mee;さんへ
黒田裕樹 > 講座お疲れ様でした。
> いかがでしたか?
有難うございます。
お蔭様で6名の皆様に参加をいただき、無事に終了しました。
当日の内容は順次公開していきます。
> 聖徳太子が亡くなったのは49歳だったんですね
そうです。当時の寿命からすれば長い方なのか、それとも短い方なのか、意見が分かれるところだと思います。個人的には、今後の展開を考えれば「もっと長生きして欲しかった」ですね。
> 推古天皇は素晴らしい女性だったんですね
年齢を重ね、また後ろ盾を失くしても毅然とした態度をおとりになるあたり、さすがは最初の女性天皇という感じがします。
> 推古天皇も蘇我馬子も当時としては随分 長く生きられたのではないですか?
> ちょっとびっくりしました
蘇我馬子の生年は不詳ですが、推古天皇よりは早く生まれたと思われますので、やはり長寿ですね。
馬子の場合は、「政権への執着」が長生きさせたのかもしれませんね。天然痘にかかっても乗り越えたほどの生命力の持ち主ですから。
寺院内の建物の配置のことを伽藍配置(がらんはいち)といいますが、四天王寺や飛鳥寺の伽藍配置が大陸伝来の方式なのに対して、法隆寺の伽藍配置は我が国独特のものとされており、こんなところにも我が国独自の文化への主張があらわれています。
また、仏教の信仰は、数多くの仏像をつくらせました。中でも有名なのは、鞍作鳥(くらつくりのとり)が製作した金銅像(こんどうぞう)である法隆寺金堂(こんどう)の釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)です。他には中宮寺(ちゅうぐうじ)や広隆寺の半跏思惟像(はんかしいぞう)、法隆寺の百済観音像(くだらかんのんぞう)といった木像(もくぞう)が有名です。
この他には、工芸品として法隆寺の玉虫厨子(たまむしのずし)や中宮寺の天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)が有名ですね。
いつも有難うございます。
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海豚 あれ・・・?
「法隆寺行きました!」って書こうとしたら、
東大寺と勘違いしてました・・・。
またいつか行ける機会あったら行きたいなぁ~☆
さすらい こんばんは。
私は仏教徒ではありませんが
仏像や美術品は大好きです。
ホント、見るだけでも癒される部分もありますし
歴史を感じたりしますよね。
明日、頑張って下さい。
応援です♪
広島の修学旅行
オバrev 広島県片田舎の小学校の修学旅行は、大阪~奈良~京都です。
奈良では、奈良公園の鹿と東大寺の大仏を見てくるみたいです。
父兄としては、法隆寺へも行って、聖徳太子の話を聞かせてもらいたいところです。
明日はいよいよ歴史講座第2幕開幕ですね。ご成功をお祈りしています。
私は、初めての新球場でカープ応援に行きます。カープ勝利をお祈り下さいm(_ _)m
ぴーち こんばんは~♪
飛鳥時代。これだけの文化が発達しているという事は、それだけ、飛鳥時代は、平穏であったのですね^^
国が平和でなければ、文化は発展しないですものね!
明日はいよいよ歴史講座ですね^^
新型インフルもかなり下火となり、ひとまずは安心ですね!
私も近距離でしたら、是非に参加させていただきたい所ですが、何しろ、歩いてひと月くらい掛かりそうな場所ですので、非常に残念です^^;
無事に成功されますことを遠方よりお祈りいたしております^^
それと明日はご無理なようでしたら、大丈夫ですので
その分、どうぞ、頑張ってくださいね!
それでは、応援凸
ヒロキ いつも思うのが、昔の彫刻や工芸品の出来がものすごく綺麗ですよね!(*^_^*)
芸術センスをものすごく感じます(^o^)/
店長 こんばんは。
今日、名前の挙がってるお寺のいくつかは
修学旅行で行ったことがあります。
中に入っただけで身の引き締まる思いでした。
この歳になって、また行きたいですね。
ところで、いよいよ明日ですね。
がんばってください。 では
marihime 黒田さんこんばんは☆
いつも訪問&コメントありがとうございます。
歴史講座、いよいよ明日ですねσ(゚ー^*)
ご成功をお祈りしております!
ご成功を祈念して応援のポチ
海豚さんへ
黒田裕樹 > あれ・・・?
> 「法隆寺行きました!」って書こうとしたら、
> 東大寺と勘違いしてました・・・。
東大寺も歴史ある寺院ですからね。いずれこの講座で紹介しますよ(^^♪
> またいつか行ける機会あったら行きたいなぁ~☆
そう思って下さって、こちらも嬉しいです(^o^)丿
またいつか行けますよ。その際にはぜひ法隆寺にもお出かけ下さいね!(^_^)v
さすらいさんへ
黒田裕樹 > 私は仏教徒ではありませんが
> 仏像や美術品は大好きです。
> ホント、見るだけでも癒される部分もありますし
> 歴史を感じたりしますよね。
仏像や工芸品には当時をしのばせる「何か」がありますよね。
仰るとおり、見るだけで我々の心を潤わせてくれます。
> 明日、頑張って下さい。
> 応援です♪
有難うございます!\(^o^)/
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 広島県片田舎の小学校の修学旅行は、大阪~奈良~京都です。
大阪にも来られるのですか!
それは有難いですね。
> 奈良では、奈良公園の鹿と東大寺の大仏を見てくるみたいです。
> 父兄としては、法隆寺へも行って、聖徳太子の話を聞かせてもらいたいところです。
東大寺も貴重な財産ですが、確かに法隆寺にも行って欲しいですよね。両者はそれほど離れていませんから(電車で3駅程度です)。
> 明日はいよいよ歴史講座第2幕開幕ですね。ご成功をお祈りしています。
> 私は、初めての新球場でカープ応援に行きます。カープ勝利をお祈り下さいm(_ _)m
今日負けた分(orz)、もちろん応援しますよ。ぴーちさんのブログで今日行かれたものと勘違いしておりました(^^ゞ
明日はお互いに素晴らしい一日になればいいですね!
飛鳥文化は仏教文化を中心として、大陸の南北朝時代の文化と、我が国の古墳時代の文化が融合(ゆうごう)し、当時の西アジアやエジプト、ギリシアにもつながる特徴をもったものでした。
聖徳太子は、自ら高句麗の高僧であった恵慈(えじ)に学び、法華経(ほけきょう)・勝鬘経(しょうまんきょう)・維摩経(ゆいまぎょう)の注釈書(ちゅうしゃくしょ)である三経義疏(さんぎょうぎしょ)を著(あらわ)しました。
また、この時期に高句麗の僧である曇徴(どんちょう)が彩色(さいしょく=絵の具のこと)や紙、墨(すみ)の技法を伝え、百済の僧の観勒(かんろく)は、我が国に暦(こよみ)をもたらしたとされています。
いつも有難うございます。
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オバrev 飛鳥文化って、かなりグローバルな文化なんだ。
おそらくシルクロードを通って、遠くギリシアやエジプトから(ヒョエ~!)伝わってきてたんでしょうね。
1400年前ですけど、今の我々よりよっぽと融通がきいて凄いじゃないですか(驚愕)
さすらい こんにちは。
様々な文化が入り
日本は進化、発展していくのですね。
「飛鳥」という響きも素晴らしい。
文化だけではなく
現代では人名として影響された人も多いですね。
応援♪
初めまして!
星月 冬灯 こんにちは^^
コメント、有難うございますww
いつも拝見しております。
読み逃げばかりで、すみませっ(汗)
私も歴史が大好きで、いつも勉強になります^^
分かりやすくて、細かい所まで書かれているので
楽しいですww
また来ます^^
改めて、これからも宜しくお願いします♪
ケンシロウ こんにちは。
先日TVで小野妹子の手紙紛失のことを放映しておりました。
これを見て先生を思い出しましたよw
いよいよ講義間近ですね。
かげながら応援させていただきます。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 飛鳥文化って、かなりグローバルな文化なんだ。
意外ですよね?
でも当時の建築物や工芸品を見れば、当時の西洋文化を引き継いでいるんですよ。例えば忍冬唐草文様(にんどうからくさもんよう)とか…。
> おそらくシルクロードを通って、遠くギリシアやエジプトから(ヒョエ~!)伝わってきてたんでしょうね。
ご明察のとおりです。シルクロードは偉大ですね。
> 1400年前ですけど、今の我々よりよっぽと融通がきいて凄いじゃないですか(驚愕)
我が国の文化が成長期の真っ只中だったからこその柔軟性、という点も大きいのではないかと思います。
ぴーち こんばんは!
仏教の発祥の地であるインドでさえ、
現在はヒンドゥー教徒が9割を占めていると言いますね。
その中で仏陀の教えを忠実に受け継いでいる人口は0.7%だと以前聞いたことがあります。しかも、インドの身分の中でも一番最高位に近い裁判官などが信仰しているらしいですものね。いかに勉学に長けている方の間にしか広まらない難しい教えか・・という事がわかります。
そしてその仏教を広め、流布させようとする聖徳太子の
徳の高さや、日本人の頭の良さがおのずと図り知れるものですね。。
本題より、脱線してしまい、いつもながら、恐縮です^^;
それでは、応援させていただきますね!
さすらいさんへ
黒田裕樹 > 様々な文化が入り
> 日本は進化、発展していくのですね。
そうなんです。西アジアやヨーロッパの文明も受け入れて自己流に変えてしまう器用さが我が国の伝統でもありますからね。
> 「飛鳥」という響きも素晴らしい。
> 文化だけではなく
> 現代では人名として影響された人も多いですね。
「飛鳥」と書いて「あすか」と読ませる理由ははっきりと分かっていませんが、我が国らしさが感じられる「大和言葉」でもありますね。
人名…我々の世代だと「チャゲ&飛鳥」でしょうか(笑)。
今日も応援有難うございます!
星月冬灯さんへ
黒田裕樹 > いつも拝見しております。
> 読み逃げばかりで、すみませっ(汗)
いえいえ、私も同じようなことばかりですから、どうぞお気になさらないで下さい。
> 私も歴史が大好きで、いつも勉強になります^^
> 分かりやすくて、細かい所まで書かれているので
> 楽しいですww
有難うございます。星月さんのブログの「日本史」での聖徳太子の特集も拝見させていただきましたが、私が紹介する前に読んでおけばよかったと反省しております(^^ゞ
> また来ます^^
> 改めて、これからも宜しくお願いします♪
こちらこそ、よろしくお願いします(^o^)丿
ケンシロウさんへ
黒田裕樹 ケンシロウさんのブログにも書かせていただきましたが、お誕生日おめでとうございます!
> 先日TVで小野妹子の手紙紛失のことを放映しておりました。
> これを見て先生を思い出しましたよw
光栄です(^^ゞ
いつ放送されていたんですかね?
最近は地上波はあまり見ないものでして…。
> いよいよ講義間近ですね。
> かげながら応援させていただきます。
有難うございます。気がつけばもう明後日なんですね(^^ゞ
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > そしてその仏教を広め、流布させようとする聖徳太子の
> 徳の高さや、日本人の頭の良さがおのずと図り知れるものですね。。
聖徳太子の頃の我が国の仏教は、歴史の浅さもあって、難解なものでした。
だからこそ注釈書が必要だったんですよね。
そして、それがきっかけで仏教は少しずつ広がりを見せ始め、平安の初期になると、二人の偉大な僧によってさらに大きく広がっていくんです。そのきっかけをつくったのも、ある意味聖徳太子といえるでしょうね。
> 本題より、脱線してしまい、いつもながら、恐縮です^^;
> それでは、応援させていただきますね!
いえいえ、私も勉強させていただいております。
いつも有難うございます!
新羅からしてみれば、自分だけが取り残されたような不安な思いをしたことでしょう。何しろ、任那を滅ぼしたことで我が国とは険悪な関係が続いているうえに、その我が国が隋と対等な関係にあるのですから、いつ攻められてもおかしくはありません。
そうなれば半島の他の国は我が国と同盟しているうえに、隋にも期待できませんから、誰も新羅を助けてくれません。そこで、新羅は攻められないように自分から我が国に接近したのです。
聖徳太子は遣隋使の前に新羅と同盟しなかったのは、こうした事態を見抜いていたからだと思われます。まさに恐るべき先見(せんけん)の明(めい)といったところですが、実はその聖徳太子ですら読めなかった、時代の大きな流れがありました。
周囲からの圧迫を受け続けて追いつめられた新羅は、やがて当時の常識では考えられない行動に出ます。それが新羅にとっては起死回生(きしかいせい)となり、我が国にとっては不幸を招くことになるのですが、この話はいずれ別の機会で取り上げることとします。
いつも有難うございます。
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たか なんだか聖徳太子はすごい
先を読んでいたんですね
歴史系は苦手なんですけど
これからじわじわ
歴史について知っていきます^^
sisi ブログ村投票しました。
聖徳太子シリーズも続いてるんですか、物語が作れそうですね。
一遍に10の・・・
オバrev よくぞそこまで頭が回りますね。
絡んだ糸をほぐしていくと、実は一本の糸だったって感じでしょうか。
聖徳太子は、一遍に10人の話を聞くという伝説がありますが、多分、一遍に10の事を同時に考えながら実行できたからじゃないですかね?
たかさんへ
黒田裕樹 > なんだか聖徳太子はすごい
> 先を読んでいたんですね
そうです。政治家たるもの、国や国民のためにも、目の前のことばかりでなく、常に一歩先のことを考えて行動して欲しいものですね。
> 歴史系は苦手なんですけど
> これからじわじわ
> 歴史について知っていきます^^
私のブログでたかさんの苦手意識が吹っ飛べば、こんなに嬉しいことはありません。
今後ともよろしくお願いします(^o^)丿
sisiさんへ
黒田裕樹 > ブログ村投票しました。
> 聖徳太子シリーズも続いてるんですか、物語が作れそうですね。
いつも応援有難うございます!
実は今日でようやく一段落です。24日もかかりました(笑)。
確かにちょっとした物語になってしまってますね(^^♪
オバrevさんへ
黒田裕樹 > よくぞそこまで頭が回りますね。
> 絡んだ糸をほぐしていくと、実は一本の糸だったって感じでしょうか。
我々は歴史を結果から見ています。まさに絡んだ糸を少しずつほぐしていくような感じですね。
その結果見えてきた真実が、聖徳太子の「先見の明」というわけです。
「偶然が重なっただけ」と言う意見もあるとは思いますが、それにしては偶然が多すぎます。冷静に考えれば、優秀だった聖徳太子の真実の姿が自然と浮かんできますね。
> 聖徳太子は、一遍に10人の話を聞くという伝説がありますが、多分、一遍に10の事を同時に考えながら実行できたからじゃないですかね?
仰った伝説はつくり話だといわれていますが、火のないところに煙は立ちません。おそらくはそれだけの頭脳を持っていたことは間違いないと思われます。
ぴーち こんばんは!
そうですね。
予想外の事は当然起こりますよね。
気象予報士が、人の何倍も勉強して
ほぼ正確に予測を立てる事が出来たとしても、
様々に変化する自然には予測しきれない部分が
どうしても出て来てしまいます。
この場合は相手はたとえ、自然ではないにせよ、様々な人間の思惑が
錯誤する中では、読み取ることも困難になるし、
時代の大きな流れには逆らえないという現象も起こりうるでしょうね。
やはり聖徳太子も一人の人間であった・・・という
事でしょうかね・・。
それでは、人間・黒田裕樹さんに応援です^^凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > この場合は相手はたとえ、自然ではないにせよ、様々な人間の思惑が
> 錯誤する中では、読み取ることも困難になるし、
> 時代の大きな流れには逆らえないという現象も起こりうるでしょうね。
> やはり聖徳太子も一人の人間であった・・・という
> 事でしょうかね・・。
仰るとおりです。いくら聖徳太子が超人的であっても、自分の死後の世の中の流れを見極めることはできませんでした。そして、悲しいかな、自分の一族の運命も…。
> それでは、人間・黒田裕樹さんに応援です^^凸
そういえば私も人間でした(^^ゞ
有難うございます!
ヒロキ 新羅的にはもう立場がないですよね(>_<)
どうにかしなければ国が滅ぶとでも思っていたんでしょうね。。。
ヒロキさんへ
黒田裕樹 > 新羅的にはもう立場がないですよね(>_<)
> どうにかしなければ国が滅ぶとでも思っていたんでしょうね。。。
そういうことなんです。
聖徳太子としては、新羅をこらしめるために考えた外交だったのですが、これが思わぬ方向へと流れていくのです…。