鹿児島の薩摩藩(さつまはん)では、下級武士から登用(とうよう)された調所広郷(ずしょひろさと)が文政(ぶんせい)の頃から改革を始めて、江戸・大坂・京都の三都(さんと)の大商人からの多額の借金を250年間の無利子返済という事実上の棚上(たなあ)げとすることを強要しました。
また、調所は大島(おおしま)・徳之島(とくのしま)・喜界島(きかいじま)からなる奄美諸島(あまみしょとう)特産の黒砂糖(くろざとう)の専売を強化したり、事実上支配していた琉球(りゅうきゅう、現在の沖縄県)を通じて密貿易(みつぼうえき)を行ったりしました。
こうした改革によって利益をあげた薩摩藩では、やがて藩主の島津斉彬(しまづなりあきら)によって製鉄を行うための反射炉(はんしゃろ)が築造(ちくぞう)されたり、洋式の砲術(ほうじゅつ)などによる軍事力の強化が行われたりしました。
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ひろもと 仙台 はじめまして。
復習のつもりで読ませていただいています。
特に振り仮名がありがたいですね。
人名・官職など思い込みで誤読していたこともあるので助かっています。
ひろもと 仙台さんへ
黒田裕樹 はじめまして。当ブログへのご訪問並びにお言葉有難うございます。
皆様に少しでも分かりやすくという思いで振り仮名をつけさせていただいておりますが、お役に立てて私も嬉しく思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
地方の時代
青田です。 黒田先生
こんにちは
青田です。
幕府が衰退し、西日本の雄藩が藩政改革に成功し、やがて、日本の近代化に成功したという事実を今にあてはめると
日本の政府が、失政を繰り返していますが
日本の地方都市で、元気な都市が出てきて、やがて、日本を救うというのが、個人的には、理想のカタチだと思っています。
そう考えると、
今、東日本は大変な状況ですが
『西日本は、九州新幹線全線開通、四国電力、中国電力は、他の地域よりも、比較的電力に余力がある。』と考えると
西日本の都市がまず、元気になるというのは、論理の飛躍でしょうか。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおりの展開になれれば我が国にとっては大きな益になりますね。
西日本の力で我が国の復興の道筋をつけることができるでしょうか。
確かに難しいですが
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
たしかに、西日本の力だけでは、日本の復興は
厳しいと思います。
幕末の雄藩は、藩政改革で、財政の建て直しに成功しただけではなく、
優秀な人材を育てる教育システムがありました。
(佐賀藩、長州藩、薩摩藩など)
ようするに、これからの日本を背負うことができる人材の育成ですね。
そう考えると、日本を建て直すには、教育改革が急務かもしれません。
青田さんへ その2
黒田裕樹 教育改革は何としてもやり遂げたいですね。
教師の端くれとして、少しでも助力できればと思っております。
大人も学習を。。
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
よく、教育=小学校、中学校、高校、大学
だけと考えると人が多いですが
幕末の志士は、大人になってからも、
薩摩藩、佐賀藩、長州藩では、教育に力を入れていました。
(薩摩藩、長州藩では、英国に密航させ学ばせました。)
明治を迎えても、優秀な人材は、どんどん海外に
留学させ、国内でも優秀な教師を海外から
招き、徹頭徹尾、学びつつけました。
もちろん、日本の近代化という大きな目的があったのは、たしかですが、
今の日本は、大学を卒業して、社会に出ると
その後、学習し続ける場が少ないし、そういう人も少ない気がします。
こういう国難で大変な時だからこそ
日本のような資源のない小さな国は、教育でしか
富を生み出すことはできないと思います。
子供だけではなく、大人も必死にになって学習していた明治の精神に戻らないといけないと思います。
これからも、黒田先生の歴史講座で、学習し、
自分を磨いていきますので、宜しく、お願いします。
青田さんへ その3
黒田裕樹 仰るとおり、私たちも学習を続けないといけませんね。
こちらこそよろしくお願いします。
また、領内の港である下関(しものせき)に越荷方(こしにかた)を置いて、諸国の廻船(かいせん)によってもたらされる商品である越荷を抵当に入れて資金を貸し付けたり、あるいは越荷の委託販売(いたくはんばい)を行ったりして大きな利益をあげました。
一方、佐賀の肥前藩(ひぜんはん)では藩主の鍋島直正(なべしまなおまさ)が均田制(きんでんせい)を実施(じっし)して農村の再建をはかりましたが、これは地主が所有していた小作地(こさくち)を小作人(こさくにん)に分け与えることで、本百姓(ほんびゃくしょう)を増やして農村を保護しようとするものでした。
また、特産品の有田焼(ありたやき)の専売を進めて収入を増やし、その資金で大砲製造所を設けて薩摩藩と同様に洋式軍事力を強化しました。
この他、高知の土佐藩(とさはん)でも「おこぜ組」と呼ばれる改革派によって支出を切りつめての財政再建が行われましたが、藩政改革に成功したこれらの藩は、有力な家臣を多数抱(かか)えるとともに、変動する社会の動きにも敏感に反応できたことで、幕末の動乱期に雄藩(ゆうはん)として登場することになるのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)
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なおまゆ 村田清風は我が故郷長州で認知度が低いんです。
残念ながら、吉田松陰先生、桂小五郎、高杉晋作の人気は高いのですが、大村益次郎、周布政之助は、マイナーで残念。村田清風の財政改革あってこその幕末の活躍だったんですが、地味に思われているんでしょうねえ。
どこの藩でも財政改革者に対して認知度が低いのは残念です。歴史教育の問題もあるのでしょうが、もっと彼らにスポットを当てて欲しいものです。渋沢栄一も名前は有名ですが、実績を知らない人が何と多いことか!!
此の辺りが、現在も国家の財政に対する無関心に繋がっているんでしょうか?
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なおまゆさんへ
黒田裕樹 お気持ちはよく分かります。
我が国では表舞台で華々しく活躍した人が紹介される一方で、縁の下の力持ちが軽視される傾向にあります。
村田清風の場合、長州藩での功績が大きかったとはいえ、改革が決して誇れる内容でなかったことや、商人との結びつきが商業蔑視の風潮で嫌われたことが尾を引いているかもしれませんね。
しー あ!!
懐かしいです、ここらへんw
均田制といえば、最近世界史でやったような…←
今、日本史は戦争に突入する所です…。
どうしても近現代は好きになれません…orz
どうしましょう;;←
しーさんへ
黒田裕樹 > あ!!
> 懐かしいです、ここらへんw
> 均田制といえば、最近世界史でやったような…←
均田制は日本史ではこの時期に学びますが、世界史では隋や唐で学習します。
ややこしいですね(^^ゞ
> 今、日本史は戦争に突入する所です…。
> どうしても近現代は好きになれません…orz
> どうしましょう;;←
近現代史になると、日本史だけでなく世界の情勢も同時に理解しないといけませんから、難しさが格段と上がってしまうんですよね。当ブログでも準備中ですが、時間がかかりそうです。
後は近現代史の内容に「偏り」がないかどうかです。一方的な話だけ聞いていれば、誰だって嫌になりますからね(´・ω・`)
その分、教師の腕が試される分野でもあるのですが。
さらに19世紀に入ると、一部の地主や商人などが作業場を設けて農業から離(はな)れた賃労働者(ちんろうどうしゃ)である奉公人(ほうこうにん)を集めて生産を行うマニュファクチュア(別名を工場制手工業=こうじょうせいしゅこうぎょう)に進化して、大坂や尾張(おわり)の綿織物業や桐生(きりゅう)・足利(あしかが)など北関東の絹織物業などで見られるようになりました。
こうした社会や経済の構造の近代化に対して、農政の復興も盛んになりました。大蔵永常(おおくらながつね)は広益国産考(こうえきこくさんこう)や農具便利論(のうぐべんりろん)を著(あらわ)して、商品作物(しょうひんさくもつ)の栽培(さいばい)や農具の普及(ふきゅう)に努(つと)めました。
また、二宮尊徳(にのみやそんとく)は藩や幕府の依頼に応じて農村の復興に努めましたが、彼の手法は報徳仕法(ほうとくしほう)と呼ばれて庶民の尊敬を集め、我が国の歴史に長く名前を残すことになりました。
二宮尊徳は現代でも有効に使用できる一円札の肖像画(しょうぞうが)となっているほか、少年時代の二宮金次郎(にのみやきんじろう)が拾った薪(たきぎ)を背負(せお)ったまま本を読んで歩いた像が戦前までの全国の小学校で見られるようになり、現在も数は減ったものの残されているものが多くあります。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)
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ててててっちゃん そういえば、今日の農作物マーケティングでも二宮尊徳の話がでました。
吉宗の呪縛。
晴雨堂ミカエル なまじ吉宗の改革がそれなりの成果をあげたために、水野たちは「成功例」にしがみついたようですね。そして吉宗でさえやらなかった極端な政策をごり押して状況を一層悪化させる。
雄藩は外様で、徳川家の「成功例」には縛られない。藩士を多く抱え、江戸への参勤交代や幕府からの普請など出費をさせられる。改革せざるを得ない。
起こるべくして起こった感じですね。
ててててっちゃんさんへ
黒田裕樹 > そういえば、今日の農作物マーケティングでも二宮尊徳の話がでました。
尊徳公は農政の神様ですからね。マーケティングの参考になるのもむしろ当然でしょう。
農政以外にも、尊徳公の生涯は参考になることが多いと思います。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、起こるべくして起こった出来事ですね。
過去の前例に縛られ、思い切った変化を許さない巨大な組織は、やがて根元から腐っていきます。
どこかの政権にも同じことが言えそうですね。
オバrev 日本でも、所謂産業革命が同じ時期にあったということですか?
それに金融業も、需要に合わせて進化している?
恐るべし江戸時代って感じがします^_^;
オバrevさんへ
黒田裕樹 規模ははるかに小さいですが、確かに産業革命と同じ要素を持っていますね。
産業の発達が金融の発展をもたらしますし、これだけでも江戸時代が決して「遅れた時代」でないことがよく分かります。
さて、マニュファクチュアなどによる近代化が進められた我が国でしたが、幕末の開国によって西洋の様々な知識や技術が導入されたことによって、幕府や各藩が洋式機械工場(ようしききかいこうじょう)を建設するようになりました。
例えば、水戸藩(みとはん)では徳川斉昭(とくがわなりあき)が幕府の命で江戸に石川島造船所をつくったほか、先述のように肥前藩や薩摩藩が反射炉を設けて大砲などを製造するようになりました。なお、石川島造船所は現在のIHI(石川島播磨重工業)のルーツとなっています。
明治時代以後、我が国は近代国家を目指して重工業を中心に力を入れるようになりますが、その流れはこれまで述べてきた江戸時代までの経済の発展などによる、様々な近代化が母体となっているのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)
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晴雨堂ミカエル 現代にあって江戸時代に無いモノ、実はおおかたあるかもしれません。
定食屋はある、ファーストフードはある、ヘアサロンもある、芝居もある、郵便もある、新聞もある、一通りのものは揃っている。
海外旅行とて、お伊勢詣りは海外旅行みたいなもの。
パソコンはないが算盤という計算器はある。
江戸時代は現代社会の原型ですね。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、江戸時代の日常は現代とさほど変わりはないですね。
だからこそ、怒涛のような明治維新の時代を乗り切ることもできたのでしょう。
何故かまかり通っている「貧農史観」や「暗黒史観」が不思議でなりません。
思わぬ
ろっぽん 貧農史観暗国史観、確かにそういうことが刷り込まれてきたような気がします。
自分が描く民話をもとにしたコミックも
毎夜出る飢餓妖怪もお話に書かれてない部分を
飢饉の時の餓鬼状態が創りだしたものと創作することなど、そういう刷り込みでしょう。
ブータンが幸せ指数という指数なるものを立ち上げましたが
お金があることが必ずしも幸福とは違いますし
でもこの例は全体の1%ぐらいでは、
江戸時代の大半は飢饉のあと疫病の繰り返しで
必ずしもこういうことだけと摺り込むのも間違いで、貧農史観、暗国士観もおりまぜてとらえるべきだと思う。例え先祖が泥棒で殺人鬼であっても誇りがもてず愛国心が萎えるものではないでしょう。大衆の歴史の民俗学が結構、若い人に人気があります。
ろっぽんさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、どちらか一方に偏ることはよくありません。私のブログでもできる限り公平に扱っているつもりです。
ただ、昨今までのどちらかと言えば「偏りすぎ」の面が見られる以上、今後の方針としていくらかの配慮があっても良いかもしれませんね。
江戸時代の商人
青田です。 黒田先生
こんにちは
青田です。
江戸時代の『貧農史観、暗国士観』もそうですが
『商人=悪人』も極端なイメージとして
描かれすぎだと思います。
単に賄賂だけで、成功できるほど、世の中は
甘くないと思い、
調べると
かなり、私財を投じて、公共事業をしている商人もしますし、顧客満足に関しては、お客さんに
喜んでもらうためにいろいろな売るための工夫も
しています。
中には、高田屋嘉兵衛のような商人もいます。
江戸時代初期は、武士が世の中を創ったのかもしれませんが、
中期以降は、商人が世の中の中核になっていった気がします。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、時代劇の悪徳商人ばかりが実際の商人ではありません。
当時は石田梅岩の「商人道」が浸透していましたから、商人が我が国に様々な益をもたらしたと思います。
鴻池新田のように地名として残っているのもありますからね。