飢饉によって農村や都市部では貧窮者(ひんきゅうしゃ)があふれ返り、追いつめられた農民や庶民(しょみん)らによって、激(はげ)しい一揆(いっき)や商家(しょうか)に対する打ちこわしが続発しました。
このような全国的な大飢饉に対して、幕府や各藩は適切(てきせつ)な救民対策(きゅうみんたいさく)を行うことはなく、逆に商家と結託(けったく)してコメを買い占(し)めることで暴利(ぼうり)をむさぼる行為が目立ちました。
「天下の台所」と呼ばれ、全国から様々な物資が集まるはずの大坂においても、容赦(ようしゃ)ない買い占め行為によってコメ不足となり、多くの人々が飢(う)えに苦しみました。そんな様子を見かねた大坂町奉行の与力(よりき)をかつて務(つと)めていた一人の男が、何度も窮状(きゅうじょう)を奉行所へ訴(うった)えましたが、幕府への点数稼(かせ)ぎのために積極的に江戸へコメを回していた役人が聞く耳を持つはずがありませんでした。
その元与力の男の名を大塩平八郎(おおしおへいはちろう)といいました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)
いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
大飢饉を救済すること無く、暴利を貪るとは
なんと酷い話でしょうか・・。
人々が飢えに苦しんでいるということは
それだけ米生産者側の生産能力が減ることになるので必然的に利益まで減る現象になるのでは無いでしょうか?結果的にそうすることで自分で自分の首を絞める行為につながるということを考える余地は当時の幕府にはなかったのでしょうか。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 権力は時間が経てば必ずと言っていいほど腐敗します。
目先の利益にこだわって、国民のことを顧みようとしない幕府政治が、この後30年しか持たなかったのもうなづけますね。
同じように腐敗しているとみなされた自民党政治に代わって、国民の大きな期待を受けた現在の民主党政治ですが、自民党以上に腐敗しているような気がするのは私だけでしょうか…。
時代劇
青田です。 黒田先生
おはようございます。
青田です。
私が小学校の時
天保年間を舞台にした時代劇で
『破れ傘刀舟悪人狩り』を放映していました。
内容は
萬屋錦之介が演じる町医者が
権力者らによって、理不尽にも弱い民たちが斬殺、蹂躙されたのを聞いた時、
その顔いっぱいに怒りの表情を見せ、同田貫一本を携えて大名屋敷であろうと
奉行の屋敷であろうと構わず土足で上がりこみ、悪党たちを前に仁王立ちして
「やかましいや!この野郎!」と理不尽な罪状(事の顛末)を述べ、
「許せねぇ!」「てめえら人間じゃねえや!叩っ斬ってやる!」と、
この決め台詞とともに悪人達の全てを叩っ斬る物語です。
ラストシーンで、この天保年間の状況を話すナレーションが流れるんですが
私は、小学生の時、それを聴くと、どうも、やるせない無情な気持ちになりました。
青田さんへ
黒田裕樹 仰る時代劇は私も見ておりました。
長い平和の時代が続いたと同時に、権力が腐敗しまくってどうにもならなくなったのが天保年間ですから、せめてドラマの上だけでもすっきりしたいのですが、現実を振り返ると確かにやりきれないですね。
大塩の決断には、陽明学における知行合一(ちこうごういつ)の精神、すなわち「知っていて行わないのは知らないことと同じだ」として実践(じっせん)を重視(じゅうし)する姿勢もあったからと考えられています。
大塩は反乱に向けて綿密(めんみつ)に計画を練(ね)りましたが、決起直前になって内通者(ないつうしゃ)が出てしまい、計画は奉行所にばれてしまいました。大塩は準備不足のまま反乱を強行しましたが、奉行所によって半日(はんにち)で鎮圧され、大塩も一度は逃走(とうそう)したものの、約40日後に自害しました。
1837年に起きたこの事件は大塩の乱と呼ばれていますが、幕府の元役人が幕政を批判(ひはん)して反乱を起こしたという事実が、幕府のみならず各方面に大きな衝撃(しょうげき)を与えることになりました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)
いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
お話から脱線して申し訳ありませんが、
「武装蜂起」と「武装放棄」では同じ読み方をするのに相反する意味を持つという・・面白いものだなとぼーっと考えてしましました(^^ゞすみません^^
なるほど、その事を知りつつも見てみぬふりをする事も、同罪だという理論は私も賛成です。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 言われてみれば確かにそうですね。発音も同じですし、ここまで正反対な言葉というのも珍しいのではないでしょうか。
陽明学の真髄は実践にありました。世間を騒がすことは確かに良くないですが、それ以前にどうしようもならなくなったからこその蜂起だったのでしょうね。
もし事前に発覚することなく、ある程度の成功を収めていれば、この後はどうなったのでしょうか…。
大塩も我々と歳頃は同じですね。
晴雨堂ミカエル 大塩平八郎の肖像画は老け顔に描かれていますが、たぶん我々とそう変わりないでしょう。生活水準は上の部類ですし、健康的な生活をしていたようですから。昔の絵師は威厳をもたせるために皺をよく強調します。
元与力で学者とはいえ、蔵書は万の数、当時の出版業界の規模(数百冊売れたらベストセラー)を考えれば大変な資産です。これらを売って困窮者の救済にあたったり、武器弾薬を購入して反乱軍を組織するのですから。
大塩がどこまで計画していたか判りませんが、予定通りの蜂起でも秩父困民党と同じ末路でしょう。
明治維新が早くなったという人もいますが、私は逆に幕府は効果的な弾圧法を編み出して芽を積んでしまった可能性をとります。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 大塩の乱がもたらした影響は様々なものが考えられますね。
確かに幕府が効果的な弾圧方法を考えたかもしれませんが、自助努力がない限りはどれだけ無理をしても結局は滅亡することも歴史が証明していますし、難しいところです。
なおまゆ お久しぶりです。
知行合一の陽明学は今の政治家の方々に是非学んでいただきたいですね。
明治維新のわずか30年前。
この後一気に情勢が動くんですよね。
尤も、維新後も庶民の生活はしばらく改善されなかったようですが、大塩平八郎氏が維新の時に存命であれば、赤報隊に加盟したでしょうか?
彼らは、官軍のスケープゴートにされて悲劇的な結末を迎え、悪名を着せられてしまいましたよね。
庶民のために立ち上がった大塩氏の勇気には敬服しています。
なおまゆさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、陽明学の知行合一は今こそ必要ではないかと思います。
明治維新かわずか30年前の話です。庶民のために散っていった大塩の精神は今もなお私たちに何かを語りかけているようですね。
わろ 窮民救済のために立ち上がった大塩さん、私も尊敬しています。日本人は、食うに困ると反乱するイメージがあります。
二二六事件も、東北飢饉を経験している東北出身の人が多く関与してたと聞いたことがあります。
ところで、このころの飢饉は、米価はどれくらいまで上がったのでしょうか??
わろさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、普段は大人しいものの、日本人は生命の危機を感じると大きな反乱を起こすことが多いです。それからでは遅すぎるともいえるのですが…。
米価については、飢饉の際には2倍~4倍に跳ね上がっている場合が多いですね。いずれにせよ、上がり過ぎては生活が成り立ちません。
オバrev 大塩平八郎を改めて再認識したのは、実はビートたけしのフライディ襲撃事件です(^◇^;)
愛人(一般人)に対するフライディの強引な取材に腹を立てたたけしが、軍団を率いてフライディを襲撃した事件ですが、その後の記者会見で「俺は大塩平八郎じゃない」と言ったのが頭に残っています。
事の真相は知りませんが、フライディの記者がその一般人女性に怪我を負わせるほどの、行き過ぎた取材?をしていて、ついに堪忍袋の尾が切れたたけしが、その記者に抗議に行ったもののノラリクラリのフライでディの対応に、ついに暴力事件へと発展したらしいです。
たけしが大塩平八郎じゃないと言ったのは、自分の愛人のために殴りこんだのであって、大義名分があった訳じゃないという意味だったんじゃないかと思います。
本日やっとたけしの言った意味が分かったような気がします(@_@;)
オバrevさんへ
黒田裕樹 ビートたけしのフライデー襲撃事件にはそんなエピソードがあったんですか。知らなかった、というよりも記憶になかったと言った方が正しいかもしれません。
大塩の乱と自らの行動をたちどころに結び付けようとするビートたけしは、やはり天才なのかもしれませんね。
また、大塩の考えに共鳴(きょうめい)した農民による一揆も多発するなどの不穏(ふおん)な情勢(じょうせい)がこの後も続くことになり、事態を重く見た幕府による綱紀粛正(こうきしゅくせい、国家の秩序やまた政治のあり方、または政治家や役人の態度を正すこと)のための改革をもたらしました。
しかし、困窮(こんきゅう)する庶民のためではなく、幕府の体面を保(たも)つことを何よりの目的とした改革が成功するはずもなく、遠からず破綻(はたん)する運命にあることはむしろ当然ともいえました。
ちなみに、大塩が乱を起こした当時の大坂町奉行は跡部良弼(あとべよしすけ)でしたが、実は彼は幕府の老中の実弟(じってい)でした。その老中こそが天保の改革を行った水野忠邦(みずのただくに)なのです。
(※明日[10月1日]からは第26回歴史講座の内容の更新を開始します)
いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
この頃の庶民は今ではとても食料としては考えられないような(例えば、ワラなど)ものを最大限に取り入れて、主食に混ぜあわせたりして飢えをしのいでいたと聞いた事があります。先日、都内でも大規模な脱原発宣言に関するデモが行われた様ですが、それを知った外国がやっと日本も国民がこういう主張をするようになったかと安堵したと書かれていましたが、やはり日本人はいくら我慢強いからと言っても、最悪な状態が己の身に降り掛かって来たときには暴動なり反乱なりを起こすのはやはり人種を問わずに当然の成り行きであるのでしょうね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 江戸時代の農民がほとんどコメが食べられなかったのは事実でないことが明らかになってきましたが、厳しい飢饉の際には仰ったような出来事があったようですね。生命の危機に人間が立ち上がるのはむしろ当然でしょう。
原発に関しては、反対を主張する人々の願いは理解できないことはありません。
ただし、私は現代社会(公民)の教師として、
1.福島原発事故で問題となった放射能が、かつての米ソや中国による核実験がもたらした放射能に比べて極めて微量であること。つまり、私たちは過去に大量の被ばくをしているが、大きな健康被害を受けていないという重い事実があります。セシウムなどの量についても大きな問題になっていますが、過去の核実験の際に調査していれば、もっと大量に検出されていた可能性が高いでしょう。にもかかわらず、私たちは無事に過ごしてきています。
2.我が国のエネルギー事情を考えれば、代替エネルギーが不安定な現状や、石油に依存する火力発電を選択するとしても、環境問題が解決されていませんし、もし石油の輸入が止まればたちまちエネルギー事情が悪化するという欠点があります。エネルギーがなくなれば、下手をすれば亡国にもつながりかねません。
3.トリウム原子炉のようにプルトニウムを出さないような最新型の原発であれば、地震や津波による被害防止を格段に高めることが可能です。福島原発の場合はかなりの旧型でしたし、地域にもっと大きな被害をもたらした女川原発には被害が出ていません。
このような事情を考慮した場合、反原発のみの選択肢を生徒たちに考えさせることが本当に正しいかどうかを見極める必要があると思います。
オバrev 大塩平八郎の乱とは関係ありませんが、公民の教師として原発のことを取り上げられていたので、このことについてコメントします。
私も原発推進でも、反原発でもありません。
ただ知りたいのは、恣意的でない、バイアスを取り除いた客観的、信頼性の高いデータを示して欲しいということです。
私自身、現時点で最大の問題は、正確な情報がない中での風評被害だと思っています。
正確なデータをきちっと示した来なかった、あるいはデータをHP等に載せているのに、それをしっかりアピールし説明してこなかった、専門家、官僚、政治家の責任は大きいと思います。
オバrevさんへ
黒田裕樹 ご意見ありがとうございます。
オバrevさんのお気持ちこそが、多くの日本人が疑問に感じていることだと私も思います。
放射能による被害は、かつての原爆や(広島のオバrevさんであればより切実な思いではないでしょうか)、チェルノブイリでの原発事故のような恐ろしい印象があると断じて、今回の被害と同一視する意見が多い一方で、正確なデータを示さずに不安のみをいたずらに煽っているのが現状です。
ところが、不安を真っ先に口にする人々に限って、数十年前から行われている米ソや中国などによる核実験がもたらした影響については固く口を閉ざしています。真実を語れば困ることでもあるんでしょうか。
いずれにせよ、過去の核実験を含めたあらゆるデータを分析した結果での発言でなければ、風評被害で我が国全体に不安を与えるだけの存在と断じざるを得ないようです。
一方、今回の原発事故について明確なデータを示し、過去と比較したうえで「安全である」という結論を導き出している識者も少なくありませんが、なぜかマスコミは彼らを出演させようとはしません。国民の不安をいち早く解消するためにも、彼らの意見に多くの人々が耳を傾ける機会が増えることを祈ります。
以上ここまで書きましたが、私は多くの国民が正常な判断ができるよう願ってはおりますが、教師としての立場上、個人による明確な意思表示は行なわないことを申し添えます。
明治維新との違い。
晴雨堂ミカエル 吉宗の改革は一応成功して、定信・忠邦の改革は失敗。一方、明治の富国強兵策も国内では士族の反乱、農民の一揆、民権派との抗争を抱え、国外ではロシアの圧迫と対峙しながら成功しました。定信や忠邦よりも難しい社会であったにも関わらずです。
一番の違いは、吉宗はまだ庶民の生活に視線があり、明治では実績をあげなければ滅びる切迫感がありました。
定信も忠邦も実を見ず実をあげることもせず、形の綺麗さのみにこだわった。これにつきます。ようするに危機感の欠如です。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、危機感を持つことで政治に対する本気度が違ってくると思います。
定信や忠邦のような、桃源郷でも見つけたかのような理想主義では何の対処もできません。もっとも、これは江戸時代の話だけではなく、20世紀に天文学的な数の犠牲者を出した壮大な実験を行って大失敗したにもかかわらず、幻想を抱きながら今もなお続けている「ある思想」にも通じることのような感じがしますが。
エネルギー問題
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
水野忠邦の弟が大阪町奉行だったとは
かなり、町奉行としての、素行がひどかったんですね。
話は、変わりますが、エネルギー問題について、
話題になったので、コメントをさせて頂きます。
① ソフトバンクの孫氏が、太陽光発電が代替エネルギーと語っています。
日本にある休耕地を利用するという考えらしいですが、
私は、異論があります。
まず、なぜ、休耕地かと言えば、
(1)日照度が低い。
(2) 耕地として、適してない地形である。
などの理由で、休耕地の場合が多いからです。
そんな場所に大規模なソーラーシステムを建設しても、費用が莫大にかかり、逆に電気料金が掛ってしまいます。
さらに
『自然エネルギー』は、優しいという言い方をしますが、『自然』ほど、厳しく、しかも、不安定なものは、ありません。
② 今は、現実的な話として、やはり、原子力発電に頼るしかないと思います。
長期的には、代替エネルギーの開発は、薦めていくとして
③ 余談ですが、四国電力の伊方原発は、瀬戸内海に面していて、内海なので、津波の心配は、比較的少ないと思います。もちろん、直下型なら、防げませんが、、
青田さんへ
黒田裕樹 跡部については確かにとんでもない奉行です。ところが、忠邦が失脚した後も出世を重ねているんですよね。彼のような人物が生き残ったということ自体が、幕府の腐敗ぶりを如実に表しているのかもしれません。
エネルギー問題に関しては私も概ね賛同します。ご意見ありがとうございました。
時代劇のヒーロー
青田です。 黒田先生
おはようございます。
青田です。
跡部良弼について、怒りと憤りを感じます。
もしかしたら、大塩平八郎は、その当時の庶民にとっては、
(名もなき元与力)
時代劇の『破れ傘刀舟』の刀舟のような悪人に立ち向かうヒーローだったような気がします。
(名もなき町医者)
なぜなら、自分自身が、町奉行の与力だった大塩平八郎にとって、反乱を起こして、成功するとは
本人も考えてなかったと思うからです。
それでも、今の民衆の暮らしと役人の腐敗を観ると自分が立ちあがらないといけないと思ったんでしょうね。
どうにも、やりきれない切ない気持ちになります。
青田さんへ その2
黒田裕樹 仰るとおり、跡部の件も含めてやりきれない思いですね。
だからこそ、人間は天下無敵のヒーローを求めるのだと思います。