我が国が大陸と海でへだてられたという地理的環境は、大陸や朝鮮半島と近い距離にあったために文化的交流が行われ、大陸の文明の影響を受ける一方で、日本列島に独自の歴史と文化を生み出し、育てるという効果をもたらしました。なぜなら、海という天然の防壁(ぼうへき)が、大陸の政治や軍事情勢に巻き込まれたり、あるいは異民族が大挙して侵入(しんにゅう)したりするようなことから守ってくれたからです。
現在に近い自然環境になったことにより、大型動物は絶滅して動きの早いニホンシカやイノシシのような中小動物が多くなり、植物も亜寒帯性(あかんたいせい)の針葉樹林(しんようじゅりん)から落葉広葉樹林(らくようこうようじゅりん)に変わり、ドングリやクリなどが実るようになったほか、九州地方からはシイなどの照葉樹林(しょうようじゅりん)も広がりを見せました。
さて皆さん、大型動物と中小動物には大きな違いがありますが、何かわかりますか?
え? 身体の大きさ?
それでは答えにならないでしょう(笑)。
大型動物は身体が大きいから動きが鈍(にぶ)く、のっそりと歩きますから、人間が石槍(いしやり)などを持って獲物を捕まえることができます。しかし、イノシシやニホンシカのような中小動物はすばしっこいですから、今までのように走って追いかけていくのは大変です。
さぁ、どうやって捕まえれば良いですか?
いつも有難うございます。
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井上真太郎 こんにちは。
ブログ始められたんですね。
黒田色全開で頑張ってください!
祝ブログ開設
モリモトです モリモトです。
ブログ開設おめでとうございます。これを機会に歴史に触れてみます
頑張ってください
黒田裕樹 井上様
モリモト様
コメントありがとうございます!
今後ともよろしくお願いします。
そう! 弓矢です!
これさえあれば、遠くの獲物でも捕まえやすいですよね。
完新世になってから大きく変わった自然環境に対応するために、様々な新技術や道具が登場しました。弓矢もその一つで、遥(はる)かに遠くの獲物でも正確に捕まえることができました。弓矢の矢じりには石鏃(せきぞく)が用いられ、石斧(せきふ)などとともに当時は磨製石器(ませいせっき)が用いられていました。また、獲物を落とし穴などの罠(わな)にかけて捕まえる方法も盛んに利用されました。
また、植物を煮炊(にた)きするためや、食物を貯蔵する目的で土器(どき)が用いられ始め、人々の食生活は格段に豊かになりました。この時代の土器は、厚手(あつで)で黒褐色(くろかっしょく)のものが多く、また低温で焼いているためにもろいものが多いのが特徴で、その形も初期から後期にかけて大きく変化しています。
これらの土器は縄目(なわめ)の文様(もんよう)をつけているものが多いことから縄文土器(じょうもんどき)と呼ばれした。これらの縄文土器と磨製石器が使われた時代を縄文時代といい、その文化を縄文文化といいます。
ところで、皆さんは打製石器と磨製石器の区別がつきますか?
例えばハサミが錆(さ)び付いて切れなくなったときに再び切れ味を増そうと思えば、ハサミをカンカンとたたくのと、表面を磨(みが)くのとどちらの方がよいですか?
当然磨いた方が切れ味が復活しますよね。ですから、打製石器よりも磨製石器の方が新しいのです。
いつも有難うございます。
完新世になって日本が列島化したということは、周りを海に囲まれたということですよね。そうなると日本の各地で入江(いりえ)が発達しますから、魚類が捕りやすくなるのはむしろ当然といえます。
魚類のほかにも貝類の採集が活発化しました。縄文時代の遺跡には、人々が食べた貝の貝殻(かいがら)などが堆積(たいせき)してできた貝塚(かいづか)が数多く残されています。
ところで、皆さんは我が国で最初に本格的に調査された貝塚をご存知ですか?
東京にある大森貝塚(おおもりかいづか)なんです。
この貝塚は、1877(明治10)年にアメリカ人の動物学者であるモースが汽車の車窓から偶然発見しました。後に研究結果をまとめたモースが、貝塚で発見された土器に縄目の文様がついていたことから土器の名前を「cord marked pottery(=縄文土器)」と名づけたのが、今日用いられる「縄文」の名称の由来です。
いつも有難うございます。
その他にも網を用いた漁も行っていました。また、丸木舟(まるきぶね)も各地で発見されており、八丈島(はちじょうじま)や伊豆諸島(いずしょとう)まで渡るなどの航海術も身に着けていたようです。なぜなら、前述した島々にも縄文時代と見られる遺跡が残っているからです。
植物性食料としては、ドングリ・クリ・クルミなどの木の実や、ヤマイモなどの根茎類(こんけいるい)が主に採集され、木の実をすりつぶすには石皿やすり石が、根茎類を掘り起こすためには打製の石斧(せきふ)が使われていました。集められた食料は、集落の一角に設けられた貯蔵穴(ちょぞうけつ)に保存されました。
また、縄文時代の晩期には水稲耕作(すいとうこうさく)が行われた可能性があります。
いつも有難うございます。
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とまと こんばんは(^o^)
ご訪問&コメントをありがとうございます。
歴史と言えば、聖徳太子以降の時代のイメージでした。
縄文時代を、こんなに丁寧に説明なさっているのを、はじめて読みました!!
かなり、ジャンルの違うブログですが、勉強させて頂きたいので、リンクさせて下さい。
宜しくお願いします。
有難うございます。
黒田裕樹 早速のご連絡有難うございます。
こちらもリンクさせていただきました。
ブログ自体はまだ始めたばかりですが、「継続は力なり」の精神で少しずつ更新していきますので、今後とも宜しくお願いします。
はじめまして
胡麻むぎ 応援のコメントありがとうございます。
ブログを始めてから初めてのコメントでした。
かなり詳しいブログをされているようなので
これからも参考にさせていただきます。
またよろしくお願いします。
胡麻むぎ様
黒田裕樹 初めてのコメントだったとは光栄です。
こちらも昔の写真等には興味がありますので、これからもブログにお邪魔させていただきたく思います。
リンクさせていただきましたので、これからも宜しくお願いします。
一つの住居には一つの家族が住み、数件の竪穴住居が寄り合って形成された集落には、30~50人前後の人々が住んでいたと考えられています。そんな竪穴住居などが数多く発見された、我が国最大級の縄文時代の遺跡として有名なのが、青森県の三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)ですね。
縄文時代の集落では基本的に自給自足の生活を送っていましたが、石鏃(せきぞく)などの材料になる黒曜石(こくようせき)やサヌカイト、装身具用のひすい(硬玉=こうぎょく)などの不足する物資はかなり遠方の集団との交易で手に入れていました。
なぜそんなことが分かるかというと、例えば黒曜石は火山帯でしか産出しないなど、これらはいずれも生産地が限られているにもかかわらず、全国の遺跡で見受けられるからです。
いつも有難うございます。
そのためであったのか、縄文時代の人々は、あらゆる自然現象や自然物に対して霊威(れいい=不思議な威力という意味)が存在すると考え、畏(おそ)れていました。これをアニミズムといいます。人々は呪術(じゅじゅつ)によって災いを避けようとして、豊かな収穫などの自然の恩恵を祈りました。
こうした呪術的風習を示す遺物(いぶつ)に、女性を形どった土偶(どぐう)や、男性を象徴する石棒(せきぼう)などがあります。このうち土偶はハート型やミミズク型、遮光器(しゃこうき)型などがある土製の人形で、何らかの儀式の際に意図的に破壊(はかい)されたのか、大半が一部分(特に脚部)が破損された形で出土しているのが大きな特徴です。
縄文時代の人々は、おそらくは病気からの回復や子孫の繁栄(はんえい)、豊かな実りある生活、あるいは魔除(まよ)けなどの目的のために、これらを使用したものと考えられています。
いつも有難うございます。
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ブンヤン コメントありがとうございました。
失礼ですが歴史の先生でしょうか。
私は素人でありながら、歴史にはまってしまい、あれこれ手を出した結果、今は史跡めぐりが生活の中心みたいになってます。
ただし、暇はあれども金はなしの毎日です。
ぶしつけですがリンク貼らせていただいても
よいでしょうか。
OKであれば書き込みをお願いします。
ブンヤン様
黒田裕樹 こちらこそコメント下さって有難うございます。
私は歴史の先生の「経験者」です。
今は別の仕事をしていますが、教師時代に研究した自分なりの歴史を再勉強しながら細々と書き込んでおります。
リンク大歓迎です。こちらからも是非リンクさせていただきますので、お互い頑張りましょう!
追伸:私も「暇はあれども金はなし」です(笑)。
ブンヤン 大変失礼しました。
名前を間違えるなんて私らしい。
ときどきやってしまってへこみます。
以後、十分注意するよう本人に言っておきます。(あっ私か)
じゃあ貼らせていただきますネ。
ブンヤン ずいぶん前になりますが、静岡の登呂遺跡を訪問したことがあります。
縄文といえば日本の草創期のこと。私の範疇に属していないのでいいコメントが浮かばないんだけど、古代史にはロマンを感じますね。
tomst こんばんは
ブログへのコメントありがとうございました。
歴史にお詳しい方だなと思ったら上の方への
コメントで歴史の先生をなさってたと書かれて
いたのでなるほどと納得いたしました。
私の歴史といいますと幕末や戦国武将の本などを
読んだりするぐらいです。
いつの時代も形は変われど信仰心を大切にしてるんですね。
ブンヤン様
黒田裕樹 古代史には古代史のロマンがありますからね。私たちの遥かな先祖の歴史は興味深いものがあります。
ところで、登呂遺跡は弥生時代の遺跡です。また紹介しますよ。
tomst様
黒田裕樹 こちらこそコメント有難うございます。
篤い信仰心は我が国の大きな特徴です。いずれ紹介できる機会もあるでしょう。但し、このブログが続けば、の話ですが(笑)。
戦国も幕末も「非日常」の時代ですから、興味深いエピソードが多いですね。当時の庶民にとってはたまったものではないですが…。
宜しければリンクさせていただけますでしょうか?
こんばんは^^
のらねこみゅー はじめまして♪
ご訪問コメントありがとうございました^^
これからも宜しくお願い致します♪
tomst リンクして頂いても結構ですよ。
よろしくお願いします!
のらねこみゅー様
黒田裕樹 こちらこそ有難うございます。
また是非ご訪問下さい!
また、死者の多くが手足を折り曲げて埋葬(まいそう)する方式で屈葬(くっそう)されているのは、死者の霊(れい)が生存者に災いを及ぼすことを防ぐためと思われています。
我が国の縄文文化は狩猟・漁労・採取を中心とした文化ですが、単にそれだけではなく、多彩な呪術用具を使用することで精神面でも充実しており、また弓矢などの新技術や道具の発達、黒曜石の分布に見られる活発な交易活動や優れた航海術など、世界的にも引けを取らない高度な発達をとげた文化の一つといえるでしょう。
私たちよりも遥(はる)かに遠い祖先である縄文時代の人々が世界的にも高度な文化を持っていたなんて、悠久(ゆうきゅう)の歴史と太古(たいこ)のロマンが感じられる事実ですね。
(これで縄文時代は終了です)
いつも有難うございます。
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felicity こんばんは。先日はご訪問ありがとうございました。
実は、私、歴史が嫌いでした。ところが、ここ最近、過去の全ての歴史の延長線上に自分がいる、ってことを考えたんです。
私がいる、「今」の点と、過去の「点」は確実に繋がっているんだ・・そして、100年前、200年前、1000年前、それ以前の人達がいたから、今の、発展した「日本」があって、私達が暮らしてるんだ・・と考えたとき、歴史を紐解いてみたいかも・・と思ったんです。
まだまだ、新米で知りたいことが山済みです!黒田さんのブログで、学ばせて頂きたいと思います。
長々とすみません。ありがとうございました。
felicity様
黒田裕樹 コメント有難うございました。
以前までのFelicity様に限らず、最近は歴史が嫌いな人が多いのが寂しいですね。
そういう人たちに限って、「詰め込み方式で理解度ゼロのままの単なる暗記科目」とか「現代の目でしか見れない、悪口と反抗心に満ちた歴史」を「学ばされて」いるんですよ。これは大きな不幸です。
私がこのブログを始めたのも、歴史の本当の楽しさを、一人でも多くの方々に知っていただきたいと思ったからです。
Felicity様のおっしゃるように、過去の歴史は現在、そして未来と必ずつながっています。その流れさえ理解できれば、必ず歴史が好きになれるんです。
僭越な物言い失礼しました。こんなブログで宜しければ、いつでもご訪問下さい。
それから、早速リンクさせていただきます。有難うございます。
こんばんわ
ツクヨミ 古代史も好きなので、拝見しておりました。
当方リンクは、大歓迎です。
おかまいなければお願い致します。
私の方も、事後承諾となりましたがこちらにリンクはらせて頂きました。
宜しくお願い致します
ツクヨミ様
黒田裕樹 コメント有難うございます。
早速リンクさせていただきました。
こちらのリンクも大歓迎です。
今後とも宜しくお願いします。
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hirots こんにちは^^
今日は縄文時代を読ませていただきました!
日本人の宗教観って、自然と共生し、先祖を大切にするというくらいだと思うんですが、なぜ先祖を大切にするのか、少し納得した気がします。
自然を大切にするのは、農耕民族だから、ということで分かります。
でも先祖を神様にまでして大切にするのはなぜか、ピンと来ていませんでした。
今回この記事を読ませていただき、海で囲まれていたということがその要因だと感じました。
異民族の侵入がないから、自分たちの先祖は誰なのか、ハッキリしている。
自分たちの先祖が、大昔からこの地に住み、文明を築き上げ、今日の暮らしがある。それは疑う余地もないから、先祖に感謝を忘れない。
勝手に自己完結してすみません^^;
でもいい文化ですね。ますます日本が好きになりました☆応援ぽち
hirotsさんへ
黒田裕樹 いつも有難うございます(^^♪
確かに海に囲まれているというのは大きいですよね。
そのあたりの歴史を、一番最初の講座で紹介しておりますので、よろしければご覧になってください。
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-entry-45.html
自分の国に対して、変に意識せずに自然に愛せるということは、我が国以外の国では当然の話ですね。