時代が平成に入る頃から、地方自治において「市民参加」や「市民による自治」あるいは「市民が主役」などというキャッチフレーズの名の下に「自治基本条例」という名の条例を制定する動きが活発化しており、現在では200を超(こ)える自治体で制定されています。
「市民による自治」という言葉は耳に心地(ここち)良く響(ひび)きますが、実際の地方自治は「執行機関(しっこうきかん)としての首長(しゅちょう)」と「議決機関としての議会(=議員)」を住民が選び、首長と議会が車の両輪のように意思決定を行うとする間接民主主義(かんせつみんしゅしゅぎ)が採用されており、これは憲法や地方自治法によって定められた地方自治の大原則でもあります。
にもかかわらず、各地で制定されつつある自治基本条例はこうした地方自治の大原則を破壊(はかい)し、また特定の勢力が地方政治に介入(かいにゅう)する危険性が極めて高いという指摘(してき)がなされているのです。
では、自治基本条例とはどんな条例であり、またどのような問題点があるというのでしょうか。
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青田です。 黒田先生
こんにちは
青田です。
単純に思うのは、こんな市民参加の条例が出来れば、市会議員は、必要ないですね。
しかも、選挙で、選ばれてない市民が、参加するというのも、理解できません。
知らず、知らずのうちに、けったいな国になってしまった気がします。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおりですが、条例の内容に関しては今後の更新で少しずつ明らかにしていきますので、ネタバレにならないようにご配慮願います。
ぴーち おはようございます!
自治基本条例。
名前だけは耳にしたことがありますが、
内容は全く存じません(^^ゞ
今後のお話に期待しますm(__)m
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 日本人の多くはぴーちさんのような感覚をお持ちだと思われます。
無理もないことですが、それだけに自治基本条例の恐ろしさを少しでも多くの日本人に共有していただきたいと切望しております。
1.「市民」をその自治体に居住する住民以外にも拡大して定義している
2.1.で拡大された「市民」に政治参加の権利を認め、また住民投票を発議(はつぎ)することができるなど住民投票制度を重視している
3.「市民委員会」のような直接民主主義的な要素が盛り込まれており、委員会の決定事項に対して首長や議会に尊重義務を負わせている
4.自治基本条例を他の条例に優越(ゆうえつ)する「自治体の最高規範(さいこうきはん)」としている
まず1.ですが、多くの自治基本条例では「市民」を以下のように定義しています。
「市内に居住する者や市内に勤務、通学する者並びに事業所を置く事業者その他の団体をいう」。
すなわち、自治基本条例で定められた「市民」とはいわゆる住民だけでなく、他の市町村から通勤あるいは通学する人々や、その地に存在する全国的な組織や団体の関係者も「市民」になれることを意味しており、さらには国籍条項が存在しないことから外国人も「市民」に含むことが可能になるのです。
こうした「市民」の定義は法律の規定のみならず、多くの国民の一般常識と余(あま)りにもかけ離(はな)れてはいないでしょうか。
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晴雨堂ミカエル 自治体に関わる全ての「住民」には自治体運営に参画する権利がある「市民」と定義するのが特徴ですね。
私は非常識とは思わず、理念としては素晴らしいと思っています。
ただ、住民自治会の役員経験者としては眉唾です。
自治会はいま岐路にあります。勤務形態の多様化(人が集まらん)、大阪府の方針による外国人の大量受入(外国人の立場を楯に自治会に協力しない)、過度の個人情報保護(何か問題が発生しても自治会の連絡先が判らない)などなど、形骸化しながらも維持してきた自治会の機能はますます不全に陥りつつあります。
そもそも、問題の条例がまともに運用される社会であれば、自治会存続が危ぶまれる状況にはならず、充実した運営になるはず。
住民自治会が充実していたら、問題の条例そのものも存在の必要はありません。
私は住民自治の現場の立場として疑念を持っています。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 なるほど、そういう見方もあるものなのですね。
有難うございました。
ぴーち おはようございます!
確かにこの条例に限らず、そこの住所を置かずに
通勤で通っている者でも参加出来るという内容で発令されている事って多いものですよね。
外国人問題の件ですが、
先日、ボストン・マラソンで多数の犠牲者を出した事件がありましたが、爆弾を製造し、配置した人間は、もしかしたら外国人であり、留学と称して一般人になりすまして、その機会を伺っていた人物かも知れない(あるいは米国人独自の犯行であるという見方もされてはいますが)
と報道されていましたが、そういう事件があると、まず最初に外国人の仕業かも知れないと
疑うのも嫌ですし、また疑われて白い目で見られる方も嫌だと思うんです。
そういう疑念を払拭する意味で、確かに外国人を積極的に参加させるという動きには、慎重になるべきかなとも思いますね。
日本は何処の国からも恨みを買うような事はしていないはずという考えであれば、それは危険ですよね。同盟国が敵視されれば、自ずとそれに付随している国も憎まれます。坊主憎けりゃ・袈裟までじゃないですが、日本もよくよく警戒すべき時が来ていると思います。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
経済的な理由だけで外国人を受け入れ続けることで、国全体の安全保障に問題が生ずれば本末転倒です。
住民投票による「市民の判断」と、首長や議会による「為政者(いせいしゃ)としての責任ある判断」が異なるのは過去にいくらでもありますから、住民投票の結果を重視するという内容を条例に明記することが果たして適法といえるのでしょうか。
さらに問題なのは、住民投票権を持つ「市民」に1.で指摘したように外国人が含まれるということです。つまり、自治基本条例が制定されていれば、外国人が地方の政治に密接に関わる住民投票に参加が可能となってしまうのです。
言うまでもないことですが、我が国では日本国憲法15条で規定されているように、国政・地方を問わず外国人には参政権が認められておりません。にもかかわらず自治基本条例で外国人にも政治参加の道を開くということが、憲法や地方自治法の趣旨(しゅし)に照らして許されるものでしょうか。
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ぴーち おはようございます!
日本人というのは、外国人に対して余りにも寛容的な所が有りますよね。
やはりそれも島国に住んでいるものの性なのかもしれませんが。
大陸に存在し陸地に国境がある国は、いつ周りの国から攻めて来られるか分からない為に、常に緊張感を持った対応が求められるのでしょうけれど。昔聞いた話ですが、日本の標識、案内板程
外国人に親切な国は他に存在しないと言っていましたが、英語のみならず、アジア諸国からの外国人の方への配慮にも怠らないと言った風潮は、友好的、親切だと捉えられて良い印象である反面、悪事を考えている者には、それこそ赤子の手を捻るかの様に騙すには最適な存在だと認識されてしまう事でしょうね。
お人好し過ぎるのか、あるいは歴史的に外国から迫害され、酷い仕打ちをされた経験に乏しいというのか分かりませんが、
怖いもの知らずになんでも受け入れて、無防備過ぎると、最後には身を持って痛い目に遭う可能性は大ですね(^^ゞ
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
標識については英語はともかく、それ以外の言語が本当に必要か疑問ですからね。
いずれにせよ、「痛い目」に関しては講座の最後の方で考察してみたいと思います。
地方自治体における議員は選挙で選ばれた市民の代表であり、議会での決定が間接的に市民の決定であるといって何ら差し支(つか)えありません。しかし、市民委員会を運営する公募された市民は選挙で選ばれたわけではなく、また年齢(ねんれい)や性別なども制限がないことから市民委員会の見解が市民全体の平均的意見とみなすことはできず、市民の多数意見とする根拠もありません。
それなのに、市民委員会の委員の公募に応じる人々の思想や信条が仮に特定の内容に偏(かたよ)っている場合であっても、彼らの意見が「市民の意見」であるかのように判断されるだけでなく、そのような偏向(へんこう)した見解に対して市長や議会が尊重義務を負わねばならないのであれば、民主主義の基本原理を完全に無視していることになってしまいます。
要するに、市民委員会を設置するということは本来の政治を行う場である議会の他にそれと同等、いやそれ以上の強い権限を持つ「第2議会」を持つのと同じことを意味するのであり、こうした屋上屋(おくじょうおく)を架(か)すことによって本来の議会が軽視されてしまう危険性が極めて高いのです。
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ぴーち こんばんは!
確かに市民はあくまで市民であり、
選挙によって選ばれた代表ではないので
思惑に偏りが生じたり、間違った考え方がまかり通ってしまう可能性も大ですものね。
余り目立つ存在になってしまうのも、考えものですね。・
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
選挙による洗礼を受けていないのに「市民の代表」扱いされたくはありません。
「自治体の最高規範」の概念(がいねん)としては、例えば「他の条例などの制定や改廃(かいはい)並びに運用にあたってはこの条例との整合性を図(はか)らねばならない」とか、あるいは「既存(きぞん)の条例や規則の中でこの条例に反する内容が含まれていれば、速(すみ)やかに改正しなければならない」とされていることなどが挙(あ)げられます。
しかし、地方自治法において実際に条例を制定する権利を持つのは議会であり、法律の範囲内であれば議会は自由に条例を制定できます。従って自治基本条例によって議会の権限が法律以外の制約を受けることなど認められるはずもなく、たとえ「最高規範」と規定したところで何の法的拘束力も持ち得ないという結論となります。
さて、自治基本条例には今まで述(の)べてきたように数多くの重大な問題がありますが、さらに深刻(しんこく)なのはこうした自治基本条例の危険性を、市民はおろか多くの地方議員が理解していないことです。もし自治基本条例が一部の思想家によって恣意的(しいてき、気ままで自分勝手なさまのこと)に運用されたらどのようなことになるでしょうか。
実は、自治基本条例の「餌食(えじき)」となってしまった自治体が存在しています。それは埼玉県志木市(さいたまけんしきし)です。
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ぴーち こんにちは!
市民はいづれにせよ、専門家であるはずの
議員が危険性を把握していないというのは、
どういうものかと思いますね(^^ゞ
余談ではありますが、病院で看護師さんなどに
薬について質問させていただいたことがありますが、それについては分かりませんと返答が返って来たことがありますが、そういう時はなんとも、もどかしさを感じるんですよね。案外、資格保有者よりもそういうモノに興味を持っている一般人の方が色々と詳しく知っている場合もあったりするものです(^^ゞ
凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 分かりやすいたとえをありがとうございます。
仰るとおり、条例を作成する立場の地方議員が、新たにつくられようとしている条例の危険性を知らないというのはあまりにも認識不足だと思います。
司法権はどうなるのでしょうか
- 黒田先生
こんばんは
青田です。
自治基本条例が制定された場合、司法権、具体的には、裁判所、警察はどうなるのでしょうか。
刑法と条例の違いが出た場合、警察は、どちらを
順守するのかが、どうもわかりません。
裁判所は、刑法で、裁くのか、条例で、裁くのかが、どうも理解できません。
というのも、自治基本条例が次々に改変、拡大された時、
『こんなことが、罪になるの??』ということも
有り得るからです。
青田さんへ
黒田裕樹 本来は刑法によって裁くべきですが、全国のあちらこちらで騒乱状態になると、司法どころか警察などの公権力すら使用できなくなるかもしれませんね。北京五輪の聖火リレーにおける長野の騒擾がその例です。
それこそが相手方の狙いかもしれませんが。
しかし、後になって公募された市民による「市民委員会」がつくられると、条例に書かれていた「市民主体の自治」「市民の市政への参画(さんかく)」という文言(もんごん)を根拠として市民委員の一部のメンバーが行政についてしきりに口を出すようになり、また市議会の場で市民委員会を批判した議員に対して直接議事録から発言を削除しろと圧力をかけるメンバーまで現われるなど、市政が大混乱となりました。
その後、平成17(2005)年に埼玉県議会の会派(かいは)である「地方主権の会」に所属していた元埼玉県議会議員が市長に当選するとようやく混乱は収拾(しゅうしゅう)されましたが、その背景には新市長の誕生によって、市民委員会や彼らと同じ考えを持つ市議会の会派に市政が有利に展開するようになったからではないかという見方もあります。要するに、自治基本条例によって志木市の行政が市民委員会を中心とする一部の勢力に乗っ取られた可能性があるというわけです。
これらの事実を考えれば、自治基本条例を定めている地方公共団体のすべてがいつ「第2、第3の志木市」になるかどうか分からないという危険性を秘めているということにならないでしょうか。
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ぴーち なるほど、1つの例を作ってしまうと
その後、同じような事例がせきを切ったように勃発してしまう可能性はありますよね。
特に情報の伝達が早くなればなるほど
その傾向は高まりますものね(^^ゞ
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
情報化社会だからこそ、こうした「悪例」が広まる可能性はますます高くなります。
発想そのものは100%悪いとは思わない。
晴雨堂ミカエル 運用面で黒田氏が指摘の問題は当然あると思いますし、仮に100%善意でつくられた法規であったとしても、運用を誤れば害毒ばかりが目立ちます。
私は発想自体は悪くないと思っています。
市民委員会を自治体の「上院」として機能させれば市政に良い刺激を与える可能性があります。
参院不要論がありますが、衆院と似たような選出方法で選ぶから、似たような議会が2つ有るだけの存在に成り下がっていますが、全く異なる選挙制度で選び、建前上でも参院議員任期中は所属政党から離党するとすれば、少しは変わります。
市民委員会も裁判員と同じく選挙人名簿から無作為に選んだ市民のよる上院議会にすれば面白い。
もっとも物理的に運営が困難ですが。
公募にすれば特定の政治思想を持った人が集まりやすい。
例えば、パブリックコメントにしても、真に普通の市民がコメントすることは少なく、左派系市民の活動家や彼ら彼女らに教唆された人々、それに対抗するため行政側市民や職員が市民の資格で主にコメントする。たまに行政側市民の素性がバレると左派系市民やマスコミはヤラセと喧伝する。
現状の市民委員会の運用では、かなりしんどい。しかし改良して活かす価値はあると思います。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 仮に発想自体が悪くなかったとしても、志木市のような様々な問題や、あるいは数日後に紹介するような「最悪の事態」が考えられる以上、現状ではあまりにも危険すぎます。
戦前の貴族院のような「崇高な思想」が望めない以上は、自治基本条例や市民委員会に価値を見出すことはあり得ません。
これまで述べてきたように問題だらけの自治基本条例ですが、そもそもこの条例を提唱(ていしょう)したのは政治学者の松下圭一(まつしたけいいち)法政大学名誉教授(ほうせいだいがくめいよきょうじゅ)であり、その後に公益財団法人(こうえきざいだんほうじん)の地方自治総合研究所(ちほうじちそうごうけんきゅうしょ)や自治労(じちろう)などが中心となって条例制定を推進してきたとされています。
また、松下氏の有名な弟子(でし)にはかつて内閣総理大臣(ないかくそうりだいじん)を務(つと)めた菅直人(かんなおと)氏がおり、菅氏は「松下理論は私の政治理念の原点である」と述べています。
こうした事実を鑑みれば、自治基本条例がどのような考えに基づいて推進されてきたかが分かるというものですね。また、松下氏は「政治権力は国と自治体に二重に市民から信託(しんたく)されているのだから、自治体も独自の行政権や立法権を持つとともに、国の法律を独自に解釈する権利を持っている」とする複数信託論(ふくすうしんたくろん、別名を二重信託論=にじゅうしんたくろん)を唱(とな)えています。
このような理論がまかり通ってしまえば、憲法や地方自治法がその根拠を失うだけでなく、国家すら否定されてしまうことになってしまい、いわゆる「人権法案」と同じくらい極めて危険であると言わざるを得ません。
しかも、国の法案ということで周囲の監視が厳しい人権法案と違(ちが)って、全国の地方公共団体で同時進行しているのみならず、いつどこの自治体で志木市のような実害が出るか分からない自治基本条例の方がより悪質であると言えるでしょう。
いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんばんは^^
二重信託論ですか・・
何事も同じような立場や勢力が対等に存在するのは良くない状態ですよね。
例えばパソコンの中に違う会社のセキュリティソフトを
2つも入れてしまうと、その1つ1つは優れた特長を備えて居たとしても
その力が相殺してしまう様に、逆に悪い結果を齎してしまうものですし・・(^^ゞ
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりのたとえですね。
何のための地方自治か分からなくなってしまうと思います。