冠位十二階は朝廷に仕(つか)える人々に対する新しい身分秩序(ちつじょ)でした。まずは階級として徳(とく)・仁(にん)・礼(らい)・信(しん)・義(ぎ)・智(ち)という6つを定め、さらに大と小とに分割(ぶんかつ)することで12段階の区別をつけました。また、それぞれの階級で冠(かんむり)の色を以下のとおりに分けました。
大徳(だいとく、濃い紫)・小徳(しょうとく、薄い紫)・大仁(だいにん、濃い青)・小仁(しょうにん、薄い青)・大礼(だいらい、濃い赤)・小礼(しょうらい、薄い赤)・大信(だいしん、濃い黄)・小信(しょうしん、薄い黄)・大義(だいぎ、濃い白)・小義(しょうぎ・薄い白)・大智(だいち、濃い黒)・小智(しょうち、薄い黒)
冠位十二階は、それまでの氏姓制度(しせいせいど)による世襲制(せしゅうせい)ではなく、個人の才能や実績(じっせき)によっては昇進も可能になるという画期的(かっきてき)な身分制度であった一方で、蘇我氏は冠位の例外とされていました。おそらくは蘇我氏が従来(じゅうらい)どおりの大臣(おおおみ)として、冠位をもらう側よりも授(さず)ける立場にあったからと考えられています。さすがの聖徳太子も蘇我氏の立場にまで一気に踏(ふ)み込んで改革することはできなかったのでした。
しかしながら、聖徳太子もなかなかの食(く)わせ者(もの)でした。曲がりなりにも昇進が可能な身分制度ができたことにより、冠位を授ける立場の朝廷の権力が向上した一方で相対的に蘇我氏の権力が後退(こうたい)する遠因(えんいん)をつくったことにもなったからです。
いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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蘇我氏打倒の布石
- 黒田先生
こんばんは
青田です。
私は、聖徳太子について、誤解していました。
というのも、聖徳太子が生きている間に蘇我氏を
滅ぼしていなかったからです。
しかし、冷静に考えると
後の『大化の改新』が成功したのは、冠位十二階
により、中臣鎌足というブレインが出現したからだという気がします。
聖徳太子の時に冠位十二階の制度を創ってなければ、『大化の改新』が実現できないほど、蘇我氏の力が膨張していたかもしれませんね。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
確かに聖徳太子の時代には蘇我氏を滅亡させることができませんでした。
しかしながら、そのための布石を着実に打っており、だからこそ後の大化の改新につながっているのです。
そのあたりの裏ワザ(?)についてこれから詳しく紹介しますので、どうぞご期待ください。
日本型のリーダー
- 黒田先生
こんにちは
青田です。
実は、私は、黒田先生の講義を聴くまでは、
聖徳太子があまり、好きではありませんでした。
とういうのは、織田信長、平清盛のよう強引なやり方で、敵対勢力を武力で、倒すような強力なリーダーこそ、社会に必要だと思っていたからです。
ただ、織田信長、平清盛も結果的に周囲に潰されました。(暗殺・反乱)
それにたいして、
聖徳太子は、協力な武力も使わず、強力な権力も行使せず、強大な敵対勢力も表面的には、友好関係を保ちながら、こちらの理想のカタチにしました。
日本という風土・国民性を考える時、聖徳太子型の表面的には、友好で、相手も気づかぬうちに
で、引っ張っていくリーダーのほうが日本に合っているのかもしれませんね。
もし、聖徳太子が強引な権力を行使するリーダーなら、聖徳太子も暗殺された崇峻天皇の二の舞になったかもしれません。
歴史から、学び現代に活かすという意味において
自◎党のA総裁こそ、聖徳太子の再来と私は、期待しています。
(優秀なのに潰されたAS氏、N氏にのようにならない願いを込めて。。)
青田さんへ その2
黒田裕樹 聖徳太子の場合は蘇我氏という強力な豪族がいましたからね。
自身が蘇我氏の血をひいていたからこそ摂政の地位についたということや、仰るように崇峻天皇が暗殺されたという現実を間近に見ていたからこそ、知らず知らずのうちに実権を回復していく「腹芸」を行ったのだと思います。
現在の世界ですが、「一度死んだ人間」はとてつもない底力を発揮するのではないでしょうか。
まず蘇我氏を冠位十二階から除外(じょがい)したということは、逆に言えば蘇我氏に対抗(たいこう)できるだけの人材を育成できるルートを新たに作ったことになります。また、その位は12段階に細(こま)かく分かれていますから誰(だれ)が見ても明確かつ客観的(きゃっかんてき)です。これらによって、長い目で見れば蘇我氏の勢力を圧倒(あっとう)できるだけの、しかも出世した優秀な人材のみをそろえることが出来るようになるのです。
さらに蘇我氏の立場で考えてみましょう。聖徳太子から「あなたは特別だから冠位十二階の位は授けませんよ」と言われれば、確かに自分の方が下であると認めるわけにはいきませんから、聖徳太子の深慮遠謀(しんりょえんぼう、先々のことまで考えた深いはかりごとのこと)に気付いたとしても首を縦(たて)に振(ふ)らざるを得ません。
そうこうしているうちに聖徳太子が朝廷での人事権を握(にぎ)って自身が抜擢(ばってき)してきた優秀な若者をどんどん増やしていけば、蘇我氏としては自分の影響力が少しずつ削(けず)られていくのを、それこそ指をくわえて黙(だま)って見ているしかないのです。
おそらくは蘇我氏も地団駄(じだんだ)を踏んで悔(くや)しがったことでしょう。それにしても、オモテの世界で堂々と大義名分(たいぎめいぶん)を述(の)べながらウラでは蘇我氏打倒(だとう)のために色々と策謀(さくぼう)を練(ね)り続けるという、聖徳太子の優秀な政治家としての顔を垣間見(かいまみ)ることが出来るエピソードですね。
いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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晴雨堂ミカエル 中学の授業で、蘇我氏の存在があまりに巨大であったために官位十二階に組み込むことができなかった、と教えられました。
しかし超大国隋との対等外交を推し進めたり、朝鮮半島情勢にも目を光らせ、太子でありながら御位に就かず摂政として朝廷の実権を握るほどの人物が、蘇我氏にはなすがままとは考えられませんでした。
黒田氏の説明なら納得できます。
ぴーち おはようございます!
なるほど、相手の欲望をバッサリ奪うのではなく、今蘇我氏が一番欲しがっているものは何かをよく検討し、逆にそれを与え、尚且つプライドをも傷つけずに相手を立てながら、己の計画も着実に達成していく・・。
やはり、人間の心理や物事の通りをちゃんと知り尽くしていた人物だったのですね。
応援凸
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 「(自分たちが捏造した)規定どおりのことしか教えない」学校教育の悪弊の一つですね。
少し頭をひねれば生徒にも理解できる内容のはずですが…。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
聖徳太子のしたたかさはこれだけではありません。今後の彼の行動に対して私たちはさらに舌を巻くことになるでしょう。
『冠位十二階』の外交的側面について
nanashi こんにちは。とある古代史家の端くれ者です。
「冠位十二階」の制定の目的が、内政の面からいえば、「冠位を授与することができる唯一の存在」として、冠位という秩序に超越する王権(天皇)の権威を確立することにあったのは間違いないでしょう。
しかし一方で、「冠位十二階」の制定が、外交的側面においても大きな役割を果たした(というよりも、外交を行うためには冠位制が不可欠な要素であった)ことはほとんど授業では教えられていません。
当時の朝鮮半島、例えば百済では、一品官の『佐平』に始まる十六等の体系的な官位制が整備されていました。
しかしこの百済と外交を行うにあたって、相互の尊卑が制度化されていない(見掛け上は横一列の)、日本の伝統的な「カバネ」秩序では、外国からやってきた使者に対して、誰が応対すれば良いのかわかりません。
通常、外交では、「首脳会談」「外相会談」というように、各国の同ランク(ここでは『大臣』クラス)の人間の間で交渉が行われますが、当時の日本の制度化(ランク付け)されていない「カバネ」制のままでは、体系化された官位制をもつ朝鮮三国との交渉の際に支障が出るのです。
このような観点から見ると冠位十二階は、単なる内政的な問題からのみ生れたのではなく、外交を行うにあたって、当時の東アジア諸国でスタンダードとなっていた「官位制」を取り込む必要性が生れた所に、その端緒を見ることもできるのです。
まだまだ書き足りないところが多くあるのですが、以上極々簡単ですが、『冠位十二階』の外交的側面について、書かせていただきました。
nanashiさんへ
黒田裕樹 なるほど、冠位十二階には外交的にも大きな意義があったというわけですね。
大変貴重なご見解を有難うございました。