べっこう細工はタイマイ(ウミガメの一種)の甲羅(こうら)を利用した工芸品や装飾品(そうしょくひん)を作成するのを生業(なりわい)としており、非常に精緻(せいち、極めて詳しく細かいこと)な金属細工を必要としていました。
儀右衛門は幼い頃から父や職人による高度な技巧(ぎこう)を見て育つとともに、血のつながりもあったためか、生まれつき手先が大変器用でした。
9歳の頃、儀右衛門は通(かよ)っていた寺子屋(てらこや、江戸時代の庶民の教育施設のこと)にお手製(てせい)の硯箱(すずりばこ)を持参し、開けてみるよう仲間に声をかけましたが、誰もが開けることが出来ませんでした。
実は硯箱には巧妙(こうみょう)な細工(さいく)がしてあり、仕掛けを知っている儀右衛門だけが開けることが出来たのです。普段から自分の硯箱を仲間に勝手に開けられていたことから思いついたからくりだったのですが、こうした工夫が簡単にできるあたりが儀右衛門の豊かな将来性を感じさせるエピソードでもありますね。
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ぴーち こんにちは!
手先の器用さというのは、やはり血筋なんでしょうかね(笑)
手は脳の出先機関と同じですので、指先を動かしていると自然と脳の活性化が促進されるので、手先が器用であれば、それに比例して頭も冴えていたのでしょうね^^
それにしても9歳で既にからくり箱を作成するなんて
素晴らしい才能ですね!
応援凸
オバrev 田中久重って、全く知りませんでしたが、平賀源内のような多才な人だったんでしょうか・・・それは明日からの記事で?^_^;
でも小さい時の環境って大きいのかもしれませんね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり血筋だと思われますが、本人の努力の賜物でもあると思います。
9歳の神童が、より素晴らしい人物に育っていくところも凄いですね。
オバrevさんへ
黒田裕樹 技術面がクローズアップされがちですが、後述のように興行師としての才能もありますね。
そのあたりが多才と言えるかもしれません。
仰るとおり、環境による影響も大きかったと思います。
その女性とは同じ久留米に住んでした井上伝(いのうえでん)であり、彼女は久留米絣(くるめがすり)の創始者でしたが、絣に絵を入れることがどうしても出来ず、儀右衛門に依頼(いらい)したのでした。
儀右衛門は伝の期待に応(こた)えて絣に絵模様(えもよう)を織り込(おりこ)むための織機(しょっき)を完成させ、久留米絣の技術をさらに向上させることに成功しました。この時、儀右衛門はわずかに15歳です。
発明家として自信を深めた儀右衛門は、愛読していた「機巧図彙(からくりずい)」という様々なからくりの仕掛けを図解(ずかい)した本の影響も受けて、寝る間も惜(お)しんで創作に明け暮(く)れる毎日を送っていました。
そんな儀右衛門に対して、父の弥右衛門はべっこう細工の家業(かぎょう)を継(つ)いでくれるように願っていましたが、創作意欲に燃えていた儀右衛門は、やがて「日本一のからくり師」を目指して自分で生計(せいけい)を立てる決意をしました。
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ぴーち こんにちは!
世間一般に、出来の良い子供程、家督を継いでくれることが難しくなるようですが、田中久重の場合もやはりその溢れんばかりの才能が故に、世間から放っておかれなくなってしまったんですね。
親からすれば、家督を継がない親不孝な子供でも、
世の中に役立つ人間に成長してくれたことに
良しとしなければならないでしょうね(^_^;)
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
儀右衛門の場合は弟がいましたし、自分のやりたいことを認めてくれた父親の器量の大きさも素晴らしいものがあると思います。
世に出ようと思えば、家族の協力は不可欠とも言えそうですね。
やがて成人した久重は「からくり興行師(こうぎょうし)」として大坂や京都、江戸などを行脚(あんぎゃ)して次々と新作のからくり人形を人々に紹介し、その名が全国に知られるようになったのです。
久重が作ったからくり人形は多数存在しますが、なかでも有名なものには、人形が持つ台の上に盃(さかずき)を置くと動き出し、盃を取ると止まるという童子盃台(どうじはいだい)や、人形が矢立てから矢を取り、弓につがえて的(まと)を射(い)るという高度な動作を繰(く)り返す弓曳童子(ゆみひきどうじ)などがあります。
このうち弓曳童子は4本の矢のうち1本だけをわざと射損(いそん)じるという高度な演出を加えており、こうした久重の洗練されたセンスが興行師として彼を大成功に導(みちび)いたのでしょう。
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ぴーち こんばんは!
盃を置くと動き出す童子の人形は、
テレビなどでも紹介されているのを拝見したことが
あります^^
あれは田中久重の作品だったんですね!
弓矢を一本だけわざと外すというのは
仰る通り、高度な技術なくしては出来ない技ですものね!なかなかユーモアのセンスもある方だったんですね^^
こういうお話を伺っていると
人形の仕掛けが知りたくなりますねェ~。
何か回転する盤のような所に4回転目に取っ掛かりを
付けて外れるように仕組んであるんでしょうかね??
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 そうなんですよね。
完璧なものよりも、わざと外すあたりのユーモアが名興行師という感じがします。
中の仕掛けは…どうなっているんでしょうね(´・ω・`)?