当時の建築としては、奥州藤原氏による平泉の「中尊寺金色堂(ちゅうそんじこんじきどう)」や、陸奥(むつ、ここでは現在の福島県いわき市)の「白水阿弥陀堂(しらみずあみだどう)」、豊後(ぶんご、現在の大分県豊後高田市)の「富貴寺大堂(ふきじおおどう)」などが知られていますが、これらは地方においても文化の水準が高かったことを証明しています。
また、これらの建築物の存在は、浄土教の思想が全国に広まったことも意味していました。寺院に所属せず、公的な僧の位(くらい)を持たない聖(ひじり)や上人(しょうにん)らが民間での布教を拡大することで、貴族と武士や庶民を結んでいたのです。
院政期の頃には、一般の庶民にも「現代風な歌謡」という意味の今様(いまよう)や、古代の歌謡である催馬楽(さいばら)、芸能の一種である田楽(でんがく)や猿楽(さるがく)などが盛んになりました。特に今様は後白河法皇も愛誦(あいしょう)され、民衆の間に広まった歌謡を集めた「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」をまとめられました。
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ちなみに、前回(第98回)の講座で紹介した「弘法(こうぼう)にも筆の誤り」や「受領は倒るるところに土をつかめ」のエピソードは今昔物語集が由来となっているほか、芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)の小説である「羅生門(らしょうもん)」「鼻(はな)」「芋粥(いもがゆ)」などは今昔物語集を題材にして書かれています。
軍記物(ぐんきもの)としては、平将門の乱を記した「将門記(しょうもんき)」や、前九年の役を記した「陸奥話記(むつわき)」などがあり、当時の地方の武士の戦いぶりが伝わっています。
また、歴史物語では「栄花(華)物語(えいがものがたり)」や「大鏡(おおかがみ)」「今鏡(いまかがみ)」が仮名書きでつくられ、摂関政治の頃を懐(なつ)かしむ当時の風潮がうかがえます。
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絵画では、大和絵(やまとえ)の様式によって時間の経過に従って絵や詞書(ことばがき)を織り交ぜながら物語を描くという絵巻物(えまきもの)が発達し、「源氏物語絵巻(げんじものがたりえまき)」や「伴大納言絵巻(ばんだいなごんえまき)」「信貴山縁起絵巻(しぎさんえんぎえまき)」「鳥獣戯画(ちょうじゅうぎが)」などの作品が生まれました。
これらのうち、伴大納言絵巻は前回(第98回)の講座で紹介したとおり「応天門(おうてんもん)の変」を題材にしており、また鳥獣戯画は動物を擬人化(ぎじんか、人になぞらえること)して当時の世相(せそう)を描いているのが特徴です。
この他、安芸(あき、現在の広島県廿日市市)の「厳島(いつくしま)神社」は平氏の厚い信仰を受けて、豪華な装飾経(そうしょくきょう)である「平家納経(へいけのうきょう)」が奉納(ほうのう)されました。なお、装飾経は大阪の四天王寺(してんのうじ)に伝来した「扇面古写経(せんめんこしゃきょう)」も知られています。
ちなみに、平成8(1996)年に世界文化遺産に登録された厳島神社が現代のような建築様式になったのは、平清盛による造営が由来とされています。
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