2010.12.26 Sun 2010年3大ニュース
毎年年末になると時折入手しては
愛読しているフリーペーパー「東京ヘッドライン」の
年末恒例企画“10大ニュース”を元に
自分なりの3大ニュースをピックアップして
その年を振り返って懐かしがろうという
別にやらなくても良い企画を続けている。
少なくとも自分の興味関心の性向を客観視する機会にもなり、
ちょっと面白いので今後も継続するつもりだ。
ちなみに昨年までのはライブドア版を削除した際に共に消滅してしまった。
まぁ大したことは言ってなかったと思うけど
①ワールドカップ開催
これは音楽と並んで人類最大の素晴らしい発明だと思っている。
スポーツイベントの中ではやっぱりこれが1番面白いし盛り上がる。
私はTVを持ってないし、PCはその頃破損寸前だったので
今大会は全てラジオ観戦(ドイツ大会の時はTV所有中)だった。
後進国の人達もきっとこんな風に観戦してるのかなぁ
…なんて遠い異国の地に思いを馳せながらの観戦だった。
優勝はアルゼンチンかオランダだと予想していた
(っていうか毎回この2ヶ国を贔屓にしている)のだが
ご存じのとおり予想は惜しくも外れたが
どちらも面白い試合を残していったと思う。
日本人目線でW杯を楽しめる要素は日本がまだまだ格下で、
全能力を駆使して世界の強豪に挑み、
それがかなり巧く機能すると時々ジャイアントキリングもあり得る
という美味しい位置にいることだと思う。
今回はグダグダなまま大会本番に突入したものの
本番ではミラクルを連発して前評判を良い意味で覆す結果になった。
とは言えやはり岡田監督の采配は直前の閃きによる偶然の産物で
監督が本来期待される役割は別のモノだったと思う。
だから結果だけで采配を評するような報道にマスコミが
一斉に手の平を返した様相はちょっと気持ちが悪かった。
言葉が軽過ぎる。
ともあれ大会自体は最高に面白く、
また4年後が楽しみで易々とは死ねなくなった。
それにしてもW杯と同年開催の冬季五輪は
ルールが判らない種目ばかりでどうも関心が向かないなぁ。
②参院選に始まり総裁選に終わる夏
「乱筆記」を始めてから事あるごとに“政治や経済は苦手だ”と言い続けて
長らく無関心を固持してきたが、
歳を重ねるごとにこのギリギリの生活が
政治や経済の影響に左右されるのをまざまざと感じるようになり、
次第に関心を持つようになり、
苦手なりにも自分なりに考察するようになっていった。
特に政治は経済をも包括した最大規模の社会運営になるので
失策が続くと社会全体の動向が大きく左右される。
それに対して個人で能動的に出来ることは少ないが、
無自覚に生きてるよりは心の準備が出来るだけでも
あまり慌てないで済むと思う。
昨年の衆院選のまさかの政権交代で、
言ってることが誰にも解読出来ない馬鹿が総理大臣になって以来、
国内経済も国際関係もすべてが崩壊していった。
夢に溢れた福祉社会を絵に描いたマニフェストの数々は
全て“無駄を省けば財源はある”という所謂埋蔵金が大前提だったが
結局そんな財源はなく(本気で無駄は省かず)、
ないならないなりに恒常的に費用の掛かる政策案は見直すべきと思いきや、
あっさり過去最大規模の赤字国債発行
及び過去最大規模の予算編成(この辺はマニフェストを反故している)
に踏み切ってまでして、
故意に条件の甘い子供手当や高校無償化を先行するあたりに
外国人参政権を見据えた私利私欲な利権誘導が露骨で7
昨今では類を見ない悪徳な政府だ。
“悪質”なだけなら合理的な解決が望めるが
“悪徳”では早く死ぬくらいしか責任の取りようがない。
しかし予算内に入ってる公務員が既得権を守るために支持しているのは判るが、
民間の組合までもが未だに揺るぎない支持をしているのは
得るモノよりも失うモノの方が多いと思うのでさすがに考え直した方がいい。
そして普天間問題を散々拗らせた責任を取るという大義名文で
馬鹿が辞めて菅が後を継いだ直後に迎えた参院選だったが、
ここは何とか日本の政党自民党が一矢を報いた。
それはまずまず明るい話題だったが、
その後の民主党代表選ではかなりの冷や汗をかいた。
今まで(自民党政権だったから)まったく気にしたことがなかったが
外国人に党員資格のある政党の党代表選は、
その政党が与党なら党代表が即ち総理大臣になるため、
外国人が懇意の人物を総理大臣にすることが出来てしまうのだ。
日本という国の体裁が曖昧なモノになり、
とても危険な状況だと思った。
その結果、やる気になってた小沢よりも
比較的何もしない菅が勝ったのは良かった。
立場を忘れて菅談話とかって私的な思想を口走ったりもしてたけど
たぶんこれでも今の方が傷が浅くて済んでいる。
青木愛はヤリ損だったが。
③極東事変
これまた昨年の悪夢の政権交代後に始まったことだが、
外交関係がこんなに拗れる様は戦後初めてじゃないだろうか。
歪んだ思想で足を引っ張ってるのは
広義の団塊世代(昭和20年代生まれ)の連中だ。
その世代にとっては未だに社会主義思想が崇高なモノで
それを体現した社会主義国家はワンダーランドにでも見えてしまうのだろう。
昨年政権奪取後の中国朝鮮詣から続く中朝への媚びっぷりと
それを褒められて喜んでる様は異常な光景にしか見えなかった。
しかもそれでも支離滅裂な因縁をつけられ続けて、
その度に跪いて隷属心を示し続ける最悪な恥辱外交が常態化している。
特に尖閣諸島を巡る中国からの理不尽な恫喝に
怯えきっている醜態は無様でならない。
それで米軍には普天間から国外への基地移転を求めているのだから
正気の沙汰とは思えない。
もっとも対中国外交については自民党も北京五輪の聖火リレーの時に
中国人サポーターを野放しにして大人しい日本人サポーターを
沿道から排除するという怯えきった対応をしていたのだから
政党の違いというより団塊世代がすでに中国に対してPTSD気味なのだ。
中国は軍事力を背景に現在に至るまで周辺国を侵略し続け、
自国民にさえも銃口を向け続けて統治しているヤクザ国家なのだ。
理路整然と常識的に考えてヤクザ相手に殊更友好関係を結ぼうとするよりは
近い将来袂を分かつ敵対関係にあると考えるのが現実的で道義的にも正しい。
友愛を感じるなんて基地外でしかない。
そしてそのPTSD世代が今の国政を担っているから
国辱を喜ぶマゾ外交になってしまっているのだ。
さらに昔からよく言われてきてる話だが
主に年寄りが正しい信仰している“ことなかれ主義”思想が
迷走に拍車をかけている。
私が子供の頃、昭和の大人達は諍いや喧嘩など日常の中で事件が起きても
集団で起きてないフリをする“ことなかれ主義”を道徳的に正しいことと
信じて疑わず信仰していた(今でも田舎者に信者が多い)が、
そんな論理も善悪も超越した支離滅裂な思考原理は
お友達同士の小さなムラ社会なら辛うじて成立するかもしれないが
グローバルな社会で諸外国に通用するはずもない。
(何ら根拠データの無い主観だが)幸いなことに
そんな筋の通らない屁理屈は幸い若年層には引き継がれず年々薄まり、
団塊世代が最後の“ことなかれ”世代だと思われる。
だからこの臆病なだけのマゾ世代がいなくなれば
グローバル仕様な国家に大転換出来ると思っているのだが、
逸早く世代交代をしないと失うのは(ロシアの返還しない宣言も出た)北方、
(朝鮮が実効支配している)竹島、
(中国に領海侵犯され放題の)尖閣だけでは済まなくなる。
ところでそんな最中に出てきた“sengoku38”の“38”が
一体何だったのか未だに知らない。
【総論】
自分の知識不足を棚に上げて主観的な見解ばかり交えてきたが、
昨年頃から今の日本の悲惨な状況の元凶は
広義の団塊世代(昭和20年代生まれ)にあると考えるようになり、
全体を通じてその仮説をこじつけた内容になってしまった。
でも実際に過去の経験則や現在の日常の中でもそう思うことが多く、
そのことを残念にも思うのだがそれでもやはり偽りのない正直な感想だ。
![101226_175444.jpg](https://blog-imgs-44-origin.fc2.com/r/e/s/respectjaco/101226_175444s.jpg)
- 関連記事
-
- 「協同運輸超パワハラ」事件 (2011/04/28)
- Rise Again, Japan! (2011/04/08)
- 「のどかな略奪」事件 (2011/03/16)
- 「四日市冤罪男性制圧死」事件 (2011/03/05)
- 「マツダパワハラ自殺」事件 (2011/03/01)
- 意味はなくとも人は死ぬ (2011/02/18)
- 悪い奴ほどよく眠る (2011/02/04)
- 2010年3大ニュース (2010/12/26)
- 無念の矛先 (2010/12/10)
- 盲目な正義 (2010/11/18)
- 正しさの定義とは? (2010/11/06)
- 怖ぇ (2010/11/02)
- リベラルな人間ですが (2010/10/19)
- まだ日本を諦めない (2010/10/07)
- 少年の未来 (2010/09/16)
2010.12.25 Sat かげろうの街を彷徨う
とある週末の会社帰り。
人身事故があったとかで電車が止まってしまい、
乗換えのために降りた途中の駅で立ち往生してしまった。
駅構内には「復旧の目処が立っておりません」などと
まったく救いのないアナウンスが流れ始めていた。
私は仕方がなく振替乗車をしている私鉄の改札に向かったが、
そこは行き場を失った流浪の民で溢れ返っていた。
まぁ週末だから翌日の心配をすることもないし、
帰りが遅くなっても構わない。
そう思って私はその駅の改札を出た。
駅を出て少し歩いたところにあるフレッシュネスバーガーに入って
しばらく時間を潰すことにしたのだ。
私はこの場所を知っていた。
この駅は「乱筆記」の創世期に
地獄の就職活動を経て入社した会社のあった場所だった。
今も大学生の就職内定率60%という絶望的な就職戦線だが、
当時の私は少し違った意味合いで絶望的な状況だった。
30歳を過ぎてから簿記の勉強を始めて
未経験の職種だった企業会計に照準を絞った就職活動をしていたのだ。
この時はとにかく書類審査だけで落とされまくった。
時々書類審査なしで面接から選考が始まる企業もあったが、
その翌日には採用の返事が来るという
ブラック丸出しな対応だったので
そういうところは私の方から断った。
“選り好みしなければ仕事なんか幾らでもある”
とか軽々しく言う輩もいるが、
短期のバイトじゃないんだ。
20年も30年もその企業に関わっていくのを想定して
納得のいく就職活動をするのは当然のことだ。
そして開示情報がわりとまともな企業に採用が決まったのは
失業保険の切れる寸前の3ヶ月目のことだった。
入社時に人事部長から聞いていたのは
「今ちょうど組織を拡大しようと人を募っている時期で
3年後の店頭公開を目指している」という話で、
人事部長自身も私の1ヶ月前に入社したばかりの人だった。
詳細は割愛するがその会社も入ってみるとかなり黒く、
社長と社長の息子とベテラン社員だけが不動で
それ以外は毎月恒例の様に多くの人が
入替わり立替わり入社と退社を繰り返し、
かの人事部長も1年足らずでいなくなった。
人が定着しないので提供サービスは劣化していき、
取引先の信用を無くし続け、無為に赤字を垂れ流し続けていた。
入社から2年近く経った年末、
私は社長の息子から言い掛かりをつけられて懲戒解雇を言い渡された。
支離滅裂な話だったので対処法をネットで調べたり、
労基署に行って状況を伝えるとやはり違法の可能性が高いということで、
労基署からの働きかけがあって
業務縮小のため会社都合ということで
結局退職にはなってしまった。
その同時期にリストラになった人が沢山いたので
私も捩じ込みたかったようだ。
しかしこの一悶着があったおかげで私だけ退職金が出たので
結果的には一番得をしてしまった。
それにその会社も店頭公開予定の年には倒産した。
ともあれまた就職活動をする羽目になったのだが、
前回に比べると書類選考の通過率が高く、
実務経験がある程度の自信にも繋がっていたので
まったく無駄な2年間ではなかったようだ。
果たして2ヶ月ほどして今の会社に採用された。
…そんな苦々しい昔のことを思い出しているうちに小1時間が経っていた。
飲みかけのコーヒーを一気に飲み干すと私は駅へと向かった。
途中で小さな人だかりの中で
キーボードの弾き語りをしている女性がいたが
歌声が淋しげだったので立ち止まらずに歩き続けた。
駅のホームに戻るといつもの風景に戻っていたが、
乗った電車がまだところどころで停車を繰り返し、
いつもなら40分くらいのところを
1時間かけてようやく最寄りの駅に到着した。
【蛇足】
今年のessayはこんな変な話でおしまい。
今年は月1くらいのつもりでいたが
暇だったのか26編も拙い随筆を書くことが出来た。
来年もリアルな生活に支障が出ない程度に
作家ごっこを楽しんでいきたいと思っている。
それでは良いお年を。
人身事故があったとかで電車が止まってしまい、
乗換えのために降りた途中の駅で立ち往生してしまった。
駅構内には「復旧の目処が立っておりません」などと
まったく救いのないアナウンスが流れ始めていた。
私は仕方がなく振替乗車をしている私鉄の改札に向かったが、
そこは行き場を失った流浪の民で溢れ返っていた。
まぁ週末だから翌日の心配をすることもないし、
帰りが遅くなっても構わない。
そう思って私はその駅の改札を出た。
駅を出て少し歩いたところにあるフレッシュネスバーガーに入って
しばらく時間を潰すことにしたのだ。
私はこの場所を知っていた。
この駅は「乱筆記」の創世期に
地獄の就職活動を経て入社した会社のあった場所だった。
今も大学生の就職内定率60%という絶望的な就職戦線だが、
当時の私は少し違った意味合いで絶望的な状況だった。
30歳を過ぎてから簿記の勉強を始めて
未経験の職種だった企業会計に照準を絞った就職活動をしていたのだ。
この時はとにかく書類審査だけで落とされまくった。
時々書類審査なしで面接から選考が始まる企業もあったが、
その翌日には採用の返事が来るという
ブラック丸出しな対応だったので
そういうところは私の方から断った。
“選り好みしなければ仕事なんか幾らでもある”
とか軽々しく言う輩もいるが、
短期のバイトじゃないんだ。
20年も30年もその企業に関わっていくのを想定して
納得のいく就職活動をするのは当然のことだ。
そして開示情報がわりとまともな企業に採用が決まったのは
失業保険の切れる寸前の3ヶ月目のことだった。
入社時に人事部長から聞いていたのは
「今ちょうど組織を拡大しようと人を募っている時期で
3年後の店頭公開を目指している」という話で、
人事部長自身も私の1ヶ月前に入社したばかりの人だった。
詳細は割愛するがその会社も入ってみるとかなり黒く、
社長と社長の息子とベテラン社員だけが不動で
それ以外は毎月恒例の様に多くの人が
入替わり立替わり入社と退社を繰り返し、
かの人事部長も1年足らずでいなくなった。
人が定着しないので提供サービスは劣化していき、
取引先の信用を無くし続け、無為に赤字を垂れ流し続けていた。
入社から2年近く経った年末、
私は社長の息子から言い掛かりをつけられて懲戒解雇を言い渡された。
支離滅裂な話だったので対処法をネットで調べたり、
労基署に行って状況を伝えるとやはり違法の可能性が高いということで、
労基署からの働きかけがあって
業務縮小のため会社都合ということで
結局退職にはなってしまった。
その同時期にリストラになった人が沢山いたので
私も捩じ込みたかったようだ。
しかしこの一悶着があったおかげで私だけ退職金が出たので
結果的には一番得をしてしまった。
それにその会社も店頭公開予定の年には倒産した。
ともあれまた就職活動をする羽目になったのだが、
前回に比べると書類選考の通過率が高く、
実務経験がある程度の自信にも繋がっていたので
まったく無駄な2年間ではなかったようだ。
果たして2ヶ月ほどして今の会社に採用された。
…そんな苦々しい昔のことを思い出しているうちに小1時間が経っていた。
飲みかけのコーヒーを一気に飲み干すと私は駅へと向かった。
途中で小さな人だかりの中で
キーボードの弾き語りをしている女性がいたが
歌声が淋しげだったので立ち止まらずに歩き続けた。
駅のホームに戻るといつもの風景に戻っていたが、
乗った電車がまだところどころで停車を繰り返し、
いつもなら40分くらいのところを
1時間かけてようやく最寄りの駅に到着した。
【蛇足】
今年のessayはこんな変な話でおしまい。
今年は月1くらいのつもりでいたが
暇だったのか26編も拙い随筆を書くことが出来た。
来年もリアルな生活に支障が出ない程度に
作家ごっこを楽しんでいきたいと思っている。
それでは良いお年を。
- 関連記事
-
- Round midnight (2011/03/21)
- 大地震の夜 (2011/03/20)
- 春薫る風 (2011/03/05)
- Chinese soup (2011/02/19)
- The third case (2011/02/13)
- Spiral to disaster (2011/02/05)
- 2011年の計 (2011/01/01)
- かげろうの街を彷徨う (2010/12/25)
- My foolish heart (2010/12/05)
- 5年感 (2010/11/28)
- 晩秋 (2010/11/21)
- Dragonfly summer (2010/07/24)
- Route410 (2010/07/17)
- アリdeキリギリス (2010/07/10)
- 久留里をくるり (2010/07/03)
2010.12.11 Sat 急転、失速そして混沌
“milestone”とは我が道しるべ
日々の反省をしております。
※ちなみに次月からはアメブロの方で続きを続けていくつもりだ。
【現在掲げている目標→進捗】
≪貯蓄活動≫
1-1)年間12万円貯蓄(10,000円/月;2010年1月~12月)
→754,753円(6月末比788,646円;11月末時点)
※断筆中にmilestoneも放置していて
詳細分析がめんどくさいのでカッコ内は
6月末時点と11月末時点の差額を表記してる。
1-2)年間自炊率70%以上(%端数は切捨)
平均;75%(760/1002食)
1月;70%(66/93食)
2月;72%(61/84食)
3月;73%(68/93食)
4月;60%(54/90食)
5月;70%(66/93食)
6月;66%(60/90食)
7月;83%(78/93食)
8月;87%(81/93食)
9月;84%(76/90食)
10月;80%(75/93食)
11月;83%(75/90食)
≪鍛錬活動≫
2-1)
2月;ビジネス会計3級
→合格。
3月;FASSベーシック(財務会計)
→不合格。
11月;日商簿記1級
→未受験。
2-2)FPの継続教育の単位を年間12単位(月1単位)取得
→すでに15単位取得。
2-3)“速読・速聴”の技能研究
→これは暇を見つけて…
3)四半期締め
3月;大掃除、棚卸
→棚卸のみ実施。
6月;大掃除(エアコン、バルサン)、棚卸
→5月に全て実施。
9月;大掃除、棚卸
→未実施
12月;大掃除(エアコン)、棚卸
4)引っ越し
→しばらく休止。
次は2011年初旬予定。
5ヶ月間断筆してきたので以下はその総括的な内容になる。
貯蓄活動は、
下半期に入ってから経常費がほぼ計画値内で収まる生活をしていたので
年間の目標値には到達する見込みだ。
上半期が終わった時点で食費が突出していたのが気になって
自炊を増やしたのが効(30%削減)を奏した。
あと過年度分の医療費控除の還付や
保険の見直しをした返戻金も幾らかあった。
FPの勉強が生活改善にじわじわと影響している。
しかしその一方で急遽パソコンを購入して予定外に過大な出費も発生した。
今まで使っていた機種が勝手にシャットダウンしたり酷い状態だったので
修理に出したが古過ぎてメーカーに修理を拒否られたのだ。
しかしまぁ家電の寿命は“黒モノ5年、白モノ10年”と思っているので
8年も使ったのなら不調だった最後の1年を差し引いても充分に元は取れた。
こんな急な高額出費にも幾らか対応出来るのは
日頃の家計管理による賜物であろう。
とはいえ現状を維持するには“雇用の安定”が絶対前提条件になるのだが
昨今の社会情勢を鑑みると個の努力だけではどうにもならない要素も
多々あり気苦労は絶えそうもない。
鍛練活動は、
最悪の結果だった。
ここ数年で受けた他の試験に比べても簿記1級は断突で難しくて、
半年で最高のコンディションを作るには“理解力”と“集中力”がなかったと思う。
少しだけ言い訳すると試験前に通っていた資格学校の初老の先生が凄まじかった。
癲癇を起こしているのか授業中ずっとぴくぴくと引きつる動きをして、
しかも息継ぎが下手なんだか呼吸が苦しくなるまで喋るから
話の語尾が聞き取りズラい先生だったのだ。
その上、同時期に会社都合で別の試験を受けることになり、
結局簿記は受験しなかった。
我が社はいつもこういう話が後から不定期に沸いてくるので
私的な計画が立てにくくて仕方がない。
そんなわけで鍛練活動は何から何まで上手くいかなかった。
今のところ来年の鍛練活動はまったくの白紙だ。
年末年始である程度照準を絞り込もうと思う。
2010.12.10 Fri 無念の矛先
無罪宣告の瞬間、驚きの声…遺族ら天井見上げる
読売新聞 12月10日(金)12時4分配信
10日、鹿児島地裁で言い渡された高齢夫婦殺害事件の判決公判は、午前10時の定刻から約40分遅れて始まり、白浜被告は濃紺のスーツに青のネクタイ、白いシャツ姿で入廷した。午前10時44分、平島正道裁判長が「被告人は無罪」と宣告すると、90ある傍聴席がほぼすべて埋まった法廷には、一瞬、驚きの声が上がった。
一方、胸を張り、正面を見据えて主文の宣告を待っていた白浜被告は、無罪が告げられると、直立不動のまま表情は変えず、「はい」と返事をして、深々と頭を下げた。その後、被告人席に戻り、背筋を伸ばし、時折うなずくようなしぐさを見せながら、落ち着いた様子で判決理由を聞いた。
この間、傍聴席の遺族らは天井を見上げたり、表情をこわばらせたりしながら、朗読に聞き入った。
重圧と向き合ってきた裁判員たちは、裁判長の判決理由の朗読中、硬い表情のまま、白浜被告をじっと見つめていた。
最終更新:12月10日(金)14時38分
三浦和義がサイパンだかで逮捕されて後日自殺するということがあったが、
その時もロス疑惑で亡くなった方の遺族の方が
「真実が闇に葬られてしまった」みたいなことを言ってたが、
三浦氏は一貫して無罪を主張していたし、
裁判でも無罪が確定していた。
もちろん三浦氏が嘘をついていて裁判が誤りだったかもしれないが、
真犯人が他にいるかもしれないとはもはや考えなくなっていた。
そのニュースを見てさすがに思考が偏向的だと思った。
亡くなった方も遺族の方も“人を殺した凶悪犯”が
死刑でも何でも相応の処罰を受けることがせめてもの救いだと思うのだが、
その処罰の相手が間違いだとかって遺族の方は考えないのだろうか?
冤罪事件の報道も頻繁に目にする昨今、
遺族の方はもっと客観的な状況認識をもって裁判に関わってくべきだと思う。
極端な話、青酸カレー事件も証拠不十分で容疑者は一貫して無罪主張なので、
“疑わしきは罰せず”が正しい司法の在り方だと思う。
ちなみにヤフーニュースのコメント欄を見ていると
コメント欄が出来た当時は
記事の論調に見事に乗っけられた脊髄反射のコメントが多かったと思うが
年々慎重なコメントが増えてきていてリテラシーが上がってきてると思う。
- 関連記事
-
- Rise Again, Japan! (2011/04/08)
- 「のどかな略奪」事件 (2011/03/16)
- 「四日市冤罪男性制圧死」事件 (2011/03/05)
- 「マツダパワハラ自殺」事件 (2011/03/01)
- 意味はなくとも人は死ぬ (2011/02/18)
- 悪い奴ほどよく眠る (2011/02/04)
- 2010年3大ニュース (2010/12/26)
- 無念の矛先 (2010/12/10)
- 盲目な正義 (2010/11/18)
- 正しさの定義とは? (2010/11/06)
- 怖ぇ (2010/11/02)
- リベラルな人間ですが (2010/10/19)
- まだ日本を諦めない (2010/10/07)
- 少年の未来 (2010/09/16)
- His Master’s Voice (2010/06/07)
2010.12.05 Sun My foolish heart
この春に某所を散策した時のことだ。
沿道に雑木林がしばらく続く田舎道を歩いていると
“お肉屋さんの匂い?”ととっさにその時は思ったのだが
どこからか生肉のような匂いがしてきた。
私はすぐ脇の雑木林の中で
動物が死んでいるのだろうと推測したのだが
原因はすぐに判った。
歩く道の少し先にピンク色の細長い肉のようなモノが見えたので
たぶんソレだろうと思った。
そしてそれがパッと見で人の腕のように見えたので
それならば警察に通報とかしなければならないだろうと思い、
おそるおそる近付いてソレが何かを認識した瞬間、
衝撃が体中を突き抜けて心臓が凍りついた。
ソレは“丸焼けになった猫の死骸”だった。
体毛が燃え尽きて皮膚がむき出しになっていたからピンク色で
(生肉ではなかったが)肉の匂いがしてきたのだ。
私はあまりにも無惨な姿に目を背けたが
その鬼のような激しい形相と歯の白さは印象深く記憶にこびりついた。
状況を知らなくても間違いなく事故なんかではない。
鳶職とかのDQNに面白半分で焼き殺されたのだろう。
しかし私とて大して偉そうにどうこう言えた話でもない。
最初に思ったとおり人間の手足であれば
警察に通報なりするつもりだったが、
動物の死骸では警察が対応する事案なのか俄かに判らなかったし、
すぐ近くに地元の人がいれば
状況を伝えて後を任せるくらいのことはしただろうが、
人通りなどまったくない田舎の小道で他にどうすればいいのか
その場ではちょっと思い付かず、
結局は何もせず通り過ぎたのだ。
実際は遠い見知らぬ街で帰る時間も気になっていたので
煩わしくなっていたのも事実だ。
今更そのことを後悔しているとか“良心アピール”をしているわけではない。
トイレの神様じゃあるまいし。
私は一般的に奨励される“善行”にどうも懐疑的な見解を持っている。
“こういう場合はこうするべきだ”と画一化された予定調和な“善行”を
ただ従順に受け入れることが出来ないのだ。
それは受け手によって一人一人違った受け止め方をするだろうし、
場合によっては余計なお世話かもしれないし、
何が親切かなんて一様に決め付けられるものではないと思っているのだ。
しかし日本社会では“善行”が
“自己顕示”や“性善説信仰”の思想基盤として根付いてしまい、
純粋に自然発生的なモノではなくなっているように思える。
“性善説信者”は型通りの正義を信じて疑わず、
それをいちいち声高に主張してやたらと他人に同意を求め、
必死になって啓蒙活動をしたがる。
私にとってはそういうのが鬱陶しいし気持ち悪い。
“情けは人のためならず”なんて開き直った諺が顕著に言い表すように
そんなモノは“利己的な正義”になっているのだ。
そんな輩が弱者利権を生み出し、
犯罪者の人権を礼賛したりして社会制度を混沌とさせている。
世界中に数多ある“宗教”もその典型だ。
“有り難う”という言葉は奇しくも仏教の輪廻思想が語源で
人間として生まれてきたことが大変“有り難い”奇跡的なことなので
そんな奇跡に対する謝意を“有り難う”と言い表すようになった
…と昔通った予備校の先生が言ってたのをふと思い出した。
私は他人の“親切”に出会えるのはごく稀な大変“有り難い”ことで
余力のある人が身近な人に向けてあげるくらいで充分だと思う。
私もそれくらいが精一杯だし、
その程度ですら実はあまり気乗りはしていない。
【蛇足】
“はっちゃける”って言葉がなんか気持ち悪い。
沿道に雑木林がしばらく続く田舎道を歩いていると
“お肉屋さんの匂い?”ととっさにその時は思ったのだが
どこからか生肉のような匂いがしてきた。
私はすぐ脇の雑木林の中で
動物が死んでいるのだろうと推測したのだが
原因はすぐに判った。
歩く道の少し先にピンク色の細長い肉のようなモノが見えたので
たぶんソレだろうと思った。
そしてそれがパッと見で人の腕のように見えたので
それならば警察に通報とかしなければならないだろうと思い、
おそるおそる近付いてソレが何かを認識した瞬間、
衝撃が体中を突き抜けて心臓が凍りついた。
ソレは“丸焼けになった猫の死骸”だった。
体毛が燃え尽きて皮膚がむき出しになっていたからピンク色で
(生肉ではなかったが)肉の匂いがしてきたのだ。
私はあまりにも無惨な姿に目を背けたが
その鬼のような激しい形相と歯の白さは印象深く記憶にこびりついた。
状況を知らなくても間違いなく事故なんかではない。
鳶職とかのDQNに面白半分で焼き殺されたのだろう。
しかし私とて大して偉そうにどうこう言えた話でもない。
最初に思ったとおり人間の手足であれば
警察に通報なりするつもりだったが、
動物の死骸では警察が対応する事案なのか俄かに判らなかったし、
すぐ近くに地元の人がいれば
状況を伝えて後を任せるくらいのことはしただろうが、
人通りなどまったくない田舎の小道で他にどうすればいいのか
その場ではちょっと思い付かず、
結局は何もせず通り過ぎたのだ。
実際は遠い見知らぬ街で帰る時間も気になっていたので
煩わしくなっていたのも事実だ。
今更そのことを後悔しているとか“良心アピール”をしているわけではない。
トイレの神様じゃあるまいし。
私は一般的に奨励される“善行”にどうも懐疑的な見解を持っている。
“こういう場合はこうするべきだ”と画一化された予定調和な“善行”を
ただ従順に受け入れることが出来ないのだ。
それは受け手によって一人一人違った受け止め方をするだろうし、
場合によっては余計なお世話かもしれないし、
何が親切かなんて一様に決め付けられるものではないと思っているのだ。
しかし日本社会では“善行”が
“自己顕示”や“性善説信仰”の思想基盤として根付いてしまい、
純粋に自然発生的なモノではなくなっているように思える。
“性善説信者”は型通りの正義を信じて疑わず、
それをいちいち声高に主張してやたらと他人に同意を求め、
必死になって啓蒙活動をしたがる。
私にとってはそういうのが鬱陶しいし気持ち悪い。
“情けは人のためならず”なんて開き直った諺が顕著に言い表すように
そんなモノは“利己的な正義”になっているのだ。
そんな輩が弱者利権を生み出し、
犯罪者の人権を礼賛したりして社会制度を混沌とさせている。
世界中に数多ある“宗教”もその典型だ。
“有り難う”という言葉は奇しくも仏教の輪廻思想が語源で
人間として生まれてきたことが大変“有り難い”奇跡的なことなので
そんな奇跡に対する謝意を“有り難う”と言い表すようになった
…と昔通った予備校の先生が言ってたのをふと思い出した。
私は他人の“親切”に出会えるのはごく稀な大変“有り難い”ことで
余力のある人が身近な人に向けてあげるくらいで充分だと思う。
私もそれくらいが精一杯だし、
その程度ですら実はあまり気乗りはしていない。
【蛇足】
“はっちゃける”って言葉がなんか気持ち悪い。
- 関連記事
-
- 大地震の夜 (2011/03/20)
- 春薫る風 (2011/03/05)
- Chinese soup (2011/02/19)
- The third case (2011/02/13)
- Spiral to disaster (2011/02/05)
- 2011年の計 (2011/01/01)
- かげろうの街を彷徨う (2010/12/25)
- My foolish heart (2010/12/05)
- 5年感 (2010/11/28)
- 晩秋 (2010/11/21)
- Dragonfly summer (2010/07/24)
- Route410 (2010/07/17)
- アリdeキリギリス (2010/07/10)
- 久留里をくるり (2010/07/03)
- The forest of museum (2010/06/26)