こんばんは🐬
今日はまた
日々の思いを書きます🍓
テレビなんかで
昔のニュース画面なんかを放送している時
いつも画面の隅には
「19○○年 ○月」とか
「昭和○年」とか
そんな表示が出ています
Rが時を測るものさしになっている私は、
つい「Rが○歳の頃か」とか
「まだRに出会えてない頃だな」なんて
そんな風に考えるようになりました
それを見ていて思うのです
Rに出会えてない頃の自分は
どんな風に生きてたんだっけ‥‥と
幼少の頃から動物が好きで
セキセイインコや文鳥、十姉妹、
ハムスターなど
親に許される限りの小さい動物を
あれこれと飼っていました
中学、高校、大学‥‥
いつしか家に動物の姿はなく
自分のことでいっぱいで
部活や勉強、恋愛(!)に忙しい毎日
そして就職
もう本当に毎日がキツくて
なんでこんな職業を選んだのかと
自分を呪ったりしました
一日の仕事をこなすのが精一杯で
余裕なんてなくて
ひたすらにそれだけでした
日勤、準夜勤、深夜勤
身も心もおかしくなるようで
いつもいつも、しんどかった
特に新人の時は
夢の中でも働いていて、
人の命を預かるというプレッシャーでいっぱいでした
そして大学病院を去った後は
看護師の資格を使ったいろんな仕事を経験しました
新薬の開発やヘルパー養成講師、
とにかくいろんなことをしてきました
そしていつも
「あの大学病院時代には戻りたくない」
と私にとっては暗黒時代になっていました
そしてRと出会う日を迎えるのです
Rが来てからは
毎日が楽しくて充実していて
しあわせいっぱいでした
ケガもしたし
具合も悪くなったりしたけれど
リンパ腫みたいな
そんな大病にかかるなんて
思っていませんでした
Rがリンパ腫と診断されてから
私は実にリンパ腫について勉強しました
病気を理解しなければ
正しく立ち向かえないと思ったからです
そして勉強していくうちに
とても実感することが出てきました
病気のことを調べていると
もっと深く知りたくなり
難しい文献を読んだりしたのですが
その時、思ったのです
看護師としての知識と経験があるからこそ、
それなりにサラサラと理解できるのだな、と
そして抗がん剤治療が始まり
幾度となく副作用にぶち当たった時に
いざという時には
家で点滴や注射をサクッとできました
これも大学病院の頃から鍛えられてきたからこそでした
吐き気を予防するための策、
膀胱炎を早く治めるための策、
異常の早期発見、
いろいろな治療の選択肢の理解、
検査値が意味すること、
心肺蘇生‥‥他にもいろいろ
もちろん医療従事者でなくても出来ることですが
これまでの経験と知識が
Rのためにすべて発揮されたような感じでした
そして看護師としてだからこそ
Rの病気を冷静に見つめられた、とも思います
これまでにしてきた
たくさんの重大な選択も
経験と知識が助けてくれました
だから私は
あの頃の
自分の職業を呪ってた私に教えてあげたいのです
あなたは将来、
その知識と経験を使って
大切でたまらない子を
しっかり守ることが出来るんだよ、と
Rと闘病中、
私はそうして技術と知識をフル活用してきましたが
その時々でこうも思いました
医療従事者である私でも
パニックになりそうになったり
わからない専門用語があるのに、
一般の方はものすごく苦労しているのではないか
獣医さんの説明もよくわからなかったり
薬のことを調べても専門用語だらけで
よくわからなかったりするのではないか
そしてまた
それを獣医さんに聞くのも
躊躇してしまわれるのではないか
だったら私がわかりやすく書けばいい
Rにさせてもらった、
たくさんの経験と身に付けた知識を
ブログに書けばいいのだ
少しでも力になれたら
きっとRだってうれしいはず
そう思ってブログを始めました
最近は思いばかりを書いていますが
抗がん剤の種類についてや
なぜがんになると死ぬのか、
など
わかりやすく書いてきたつもりです
どうか
世界中の動物が
しあわせな時間を過ごせますように
今日もありがとうございます🍓
よく寝る子
たくさんのわんこの役に立てますように
クリックしていただけると嬉しいです🍓
こんばんは🐠
今日は思い出話をします🍓
Rがうちの子になって
お散歩デビューして
日毎にお友だちが増えていって
近所を歩けば必ず誰かに遭遇するほどでした
そんなお友だちの中で
ちょっとおもしろい子がいました
シェルティーの男の子で
Pたんという子でした
おっとりした子で
走ったり遊んだりもしない、
いつもみんなの輪の中にひっそりと参加しているような
控え目な奥ゆかしい子でした
そのPたんが
ものすごく存在感を現す瞬間がありました
Pたんは
「みんなと一緒にお散歩」することが最重要らしく、
誰かがお散歩中に集団から離脱すると
文句を言うのでした
公園などでたっぷり遊んで
みんなでゾロゾロと帰路につくのですが
道が分岐する度に
誰かが「じゃあこっちなんで」と
バイバイしようとすると
直ちにPたんがそれを察知!
そしてその子に向かって
「わわん わわん うううーーーん」
と文句を言い始めます
みんなで「また明日会えるよ」となだめても
Pたんは納得がいかず、
とにかく行かないで行かないで帰らないでーーー、と泣きじゃくりまくり!
「キュ~~~ キュウゥ~~ン」
と実に切ない声で帰っていく子を涙目で見送るのです
帰っていく子が見えなくなると
やっとPたんは泣き止んで
またにこにこと歩き出します
で、また次の子が帰る方向に離脱すると
また振り出しに戻って
「わわん~ わわん~ はううう~~ん きゅっ」
と帰っちゃやだコールを始めるのです
そんなことが最後の1頭になるまで
延々と繰り返されました
しかもだんだんと慣れることもなく
毎回、そして、毎日、
全力で切なく訴えるのでした
Pたん、私たちが引っ越してから会わなくなったけど
今でも懐かしく思い出しています
Rとも静かに仲良しでした(笑)
今日もありがとうございます🍓
Pたん、覚えてる?
たくさんのわんこの役に立てますように
クリックしていただけると嬉しいです🍓
こんばんは🐋
昨日の思いを書きます🍓
テレビを見ていたら
Rとの残り少なくなった日々のことを
思い出しました
命の危機に面してる子供のお父さんの台詞でした
『夜、眠る時には無事に朝が来るだろうかと不安になるし、朝が来ればその日を無事に過ごせるかと心配する。とにかく毎日、何もないことだけを祈るんだ。』
私もまったく同じでした
とにかく今日を無事に生きてほしい
そしてまた明日につなげたい
特別なことなんて望まない
ただ無事でいてほしくて
ただ生きていてほしくて
「今」がすべてでした
今日のことを考えるのが精一杯で
明日のことすら
考える余裕はありませんでした
そんな日々は
緊張感に満ち満ちて
神経をすり減らし
さらに
先にある悲しみを思い、
絶望感に襲われ、
誰でもいいから誰かRを助けて、と
ひたすらに求めながら
でも助からないこともわかっていて
命の重さを痛感し
消耗するばかりの日々でした
でも投げ出すこともできるわけなくて
Rの笑顔に支えられ
笑顔がなくなってしまってからも
Rの体温に支えられ
「その時」に向かって
「その時」が少しでも先であるように
万物にお願いしながら
どうにもならない気持ちと
最期のその時までRを守りきるのだという気持ちで
溺れそうになりながらも
必死で日々を生きていました
筆舌に尽くし難い苦しい時間だったけど
でも
「その時」に向かって心構えをさせてもらえたのは
やっぱりしあわせだったのだと思います
前にも書きましたが
「病気で死ぬということ」辛いけど悲しいけど
病気で「死」への準備時間がもてるということは
とても恵まれていることなのだと
私は思うのです
本当は
あんな怖い病気になんてなりたくなかった
だけど
私は恵まれていたのだ、と
あれできっと良かったのだ、と
そう思うことにしています
今日もありがとうございます🍓
Rの応援で頑張れました
たくさんのわんこの役に立てますように
クリックしていただけると嬉しいです🍓
こんばんは🐳
今日は事件を書きます🍓
まあ事件と言うか
おもしろ話ですね
Rは大人になったくらいの頃から
近くでわんこがケンカをしていると
必ず仲裁に入るようになりました
(参加‥‥?)
わんこ同士で何か揉めていると
それまでサッカーをして楽しんでいても
現場(!)に急行するようになりました
「わわわわわんっ!!!(こらーーー!!!)」
と怒りながら走って飛んで行って
2頭の間に割り込んで入って
ひたすらに
どちらの子にも「わわわわわんっ!!!」
と何か熱く訴えるのです
ケンカの2頭がRなんか気にせずに
そのまま場所を変えてケンカを再開させると
もれなくRも後を追って
また「わわわわわんっ!!!」と
振り出しに戻るのです
何度も繰り返され
張本犬たちは、やる気も失せたのか
おとなしくなるのです
でも一度こんなことがありました
いつものようにケンカしてる2頭がいたのですが、
明らかな体格差があり
大きい方の子が断然優勢でした
小さい方の子は必死でした
その揉め事を感知したRは
もれなく現場へ急行!
そしていつものように間に入って‥‥
ではなく、
大きい方の子と並んで立ち
その子と一緒になって
小さい方の子にちょっかいを出し始めたのです
「こらーーーっ!! R!!! ダメ!!」
私も現場に急行しました
噛んだりはしていませんでしたが
現行犯で叱らないといけないと思い、
Rを地面に仰向けにひっくり返して
首元を少し押さえ
「だめ!!!」
とレベル5(5が最高)クラスで叱りました
Rはされるがままで
仰向けのまま私をじっと見て
「おこられたわ‥‥」
みたいなしょんぼりした顔をしていました
私はRをきつめに叱った時は
しばらくは敢えてRを見ないようにして
知らんぷりで歩きます
Rはこういう時、
「ママ~ まだおこってる? ねえまだおこってる?」
と私の顔をチラチラ見ます
それでも私はぐっと我慢して
Rの方をしっかりは見ないようにします
そしてRの顔が
「ママ~ ごめんなさい~ もうしないわ~」(ちょっと必死な雰囲気になる)
という風になってから
立ち止まってRの前にしゃがんで
Rの目をしっかり見て
「はい もういいよ おしまい これからおりこうさんにできる?」
と頭をポンポンしてあげると
Rは涙目(!)で
「おりこうにするわーーー!! うわーん(泣)」
と私に登ってくるのです
その必死な姿が
本当にかわいかった
いじらしくてたまらなくて
「はい おりこうさんね もう怒ってないよ Rはいい子さん 大好きよ」
と、ぎゅっとしました
その後のRは
本当にうれしそうに
足取りも軽く、ぴょこぴょこと歩きながら
にっこにこで何度も私を見上げていました
わんこの無垢さに勝るものはありません
それ以来もRは仲裁はしていましたが
強い方を応援して加勢することはなくなりました
周りでケンカなどがあって
和が乱れると
統率したい欲に駆られるのは
コーギーがやはり牧畜犬の血統だからでしょうか
今日もありがとうございます🍓
売られたケンカは時々買ってたよね?(笑)
たくさんのわんこの役に立てますように
クリックしていただけると嬉しいです🍓
こんばんは🐊
今朝見た夢のことを書きます🍓
夢の内容は断片的で
どういういきさつでそうなったのかはわかりませんが、
家の中に猫がいて
その猫が部屋の奥の方に逃げ込んで
私はその猫を捕まえようとしているのです
それでその時に
これも何故だかわからないのですが
その猫に向かって
私は間違えて
思わずRの名前を呼んでしまうのです
「Rー!! Rー、おいでー! あっ!Rじゃなかった間違えた!」
という感じで
結構な大声で本気で
「Rー!!」
と呼んだのです
すぐに間違いに気付いてやめるのですが
R、と呼んだ時のことが
起きてからすぐ甦ってきました
「私、なんかRの名前を呼んでたような気がする‥‥」
そして猫に向かって呼んでたことを
しっかり思い出しました
Rに会えたわけでもなく
声を聞けたわけでもないのに
何だかしみじみしてしまいました
今の日常で
会話の中でRの名前を口にすることはあります
だけど、あんな風に必死で
何の躊躇もなく
大きな声でRを呼ぶことなんて
Rがいなくなってからは
ありませんでした
だから
まるでRがそこにいるかのように
「Rー!!」
と呼んでた自分が
何と言うか
懐かしいような
誇らしいような
羨ましいような
そんな気持ちになりました
たったそれだけのことですが
たったそれだけのことで
ちょっとしあわせ気分になった
今朝の私でした
今日もありがとうございます🍓
「Rー!!」
たくさんのわんこの役に立てますように
クリックしていただけると嬉しいです🍓
こんばんは🐪
今日は
Rのひげのことを書きます🍓
Rは、初めてブリーダーさんの家で会った日から
うちに来て1歳前までは
ちゃんと立派なひげがありました
Rが生後4ヶ月ほどでお散歩デビューすると
同時期に、マナースクール(お教室と呼んでいました)に行き始めました
お教室は訓練士さんに預けるとかではなく
毎週公園に集まって
いろんなわんこたちと一緒に
おやつを使わずに誉める方式で
しつけの仕方を学ぶというものでした
そのお教室では
しつけの方法だけではなく、
自分で出来るトリミングの方法や
食事の選び方、わんこ同士の社交性、
実にいろんなことを教わりました
他にもいろいろとイベントがあって
年始からおぜんざいパーティー、
春の遠足、運動会、クリスマス会等々
お楽しみもいっぱいで
Rはいつも楽しそうに行ってました
そのトリミングの講習の時に
「ひげを切る」ということを学びました
わんこのひげは
聴覚や視覚が衰えていなければ
切っても問題ないとのことでした
Rは女の子なので
ひげは切ることにしました
初めて切った時は
もしょもしょとしていたひげがなくなり
すっきりとキレイなお口まわりに
新鮮味を覚えました
Rもひげを切られることを嫌がらなかったので
それ以来ずっと
Rがひげを伸ばすことはありませんでした
切ってからある程度経つと
短いひげがちょぼちょぼと生えてきます
私はそれを「ちょびひげ」と呼んで
Rによく
「R~ ちょびひげ生えてきたね~ おひげ切ろっか」
と言っていました
以前このブログで知り合った方が
わんこのひげを集めていて
「ひげコレクション」と名付けていました
私はRの毛はたくさん取ってあるけど
ひげはありません
ひげも取っておけば良かったかな
なんて時々思ったりしています
ちなみにRのひげはおもしろくて、
右側は白いのに
左側は黒でした
ひげさえも
今でも愛しいのです
今日もありがとうございます🍓
なんとなーくですが、左の黒ひげがわかるかも
たくさんのわんこの役に立てますように
クリックしていただけると嬉しいです🍓
こんばんは🐫
日常のほのぼのを書きます🍓
勤務先から帰宅する時
いつもスーパーに寄っていくのですが
その道中で
ちょっとほのぼのを感じられるのです
職場の上司が教えてくれたのですが
あるおうちの窓際に
柴犬さんが寝そべっているのが見えると言うのです
私も見たくて
いつも探すのですが
なかなか出会えませんでした
初めてその話を聞いてから
一年近く経った先週
とうとう出会えました
陽射しがポカポカと差し込む窓際に
茶色い背中を窓ガラスにむぎゅっと押し付けて
その子はお顔をあっち向けで
スヤスヤとねんね中でした
「あ!!! いたーーー!!!」
と私は人の家を覗きながら
ついニヤニヤしてしまいました(笑)
人の家の前で立ち止まるわけにもいかないので
(私がいる道から窓まではちょっと距離があるので、かなり覗き込まないと見えないのです)
もっと見たい気持ちをぐっと堪えて
その窓を通過しました
そして今日も
「またいるかな~」と
歩く速度を緩めながら
そのおうちの前にさしかかりました
すると
今日はこっちを向いて
うっとりと外を眺めていたのです
私は「!!!!!」ともう大興奮!
さらに歩みはスローになり
あやしさ満点のゆっくり歩きで
視線は柴犬さんに釘付けのまま進みました
すると
柴犬さんと目が合いました
私があやしかったのかも(笑)
柴犬さんはおっとりした子のようで
あやしい私をただぼへ~と
左から右へと
目で見送ってくれてました
顔が見れたこと
目が合ったこと
そんなことでも何だかうれしくって
私の歩みはその後ルンルンしました
わんこの力は偉大です
これから
ちょっとした楽しみが増えました
今日もありがとうございます🍓
いつもの催促
たくさんのわんこの役に立てますように
クリックしていただけると嬉しいです🍓
こんばんは🐻
今日も日々の思いを書きます🍓
私はRがいなくなってから
数えるほどしか
Rの夢をみていません
実際はみているのかもしれませんが
「見た」という実感がないのです
時々
何となく訳もなく
ほんわかしたような気持ちになって
Rの感触が体に残ってるような
不思議な朝があります
そんな時は
Rと夢の中で会ったのかもしれません
Rがいなくなってすぐ
Rの夢をみたことがありました
その夢の中では
Rに会えたことで胸がいっぱいで
Rとお話することもありませんでした
(夢の中で私はRの死を認識していました)
このことを家族に話した時に
「あぁ、Rと話せば良かったな お空はどう?って 楽しい?って聞けば良かった」
と私が言ったら
「夢の中でなんて変な展開になること多いんだから Rが『楽しくない』とか言ったらどうすんの? 聞かなくて良かったよ」
と返されました
私は本当にそうだと思いました
たかが夢
しょせん夢
訳のわからないこともたくさんの夢
そんな夢の中で起きたことなんて
気にしたって仕方ない
でも
夢だとしても
Rが『楽しくない』とか何かそういうことを言ったとしたら‥‥
きっと私は
信じられないくらいに
打ちのめされるのだと思います
そして
「これは夢なんだから 気にしちゃだめだ」なんて自分に必死で言い聞かせて
だけどきっと
なかなかそこから抜け出せなくなるのだと想像できます
そう思ったら
無言でもいいから
ただRと楽しく夢の中で一緒にいれればいい
そう思いました
Rは今、
きっと楽しいのだと信じたい
おいしいものをいっぱい食べて
全力で走って遊んで
私の近くで安心しているのだと
信じたいし
信じているのです
私は弱い人間のようです
今日もありがとうございます🍓
こう言ってくれるのが願いです
たくさんのわんこの役に立てますように
クリックしていただけると嬉しいです🍓
こんばんは🐯
今日も日々の思いを書きます🍓
ブログをやっている方は
(特にわんこブログなど)
愛するわんこの写真を
たくさんたくさん
本当にたくさん撮っておられると思います
私は実は
そんなみなさんほどには
Rの写真を撮っていません
Rがうちに来た当時はまだ
スマホもなく、ガラケーのカメラ機能もそれほどでもなく
デジカメが出始めた頃でした
だから私はその頃
普通にカメラで撮るか
イケてないガラケーで撮るしかありませんでした
それでもやはり初めてのわんこを迎えるとあって
普通のカメラでも
とにかくRを撮りまくりました
だからうちに来たばかりの頃の写真は
プリントされたものが
アルバムにごっそり綴ってあります
Rがパピーを卒業する頃
デジカメを購入!
それからはデジカメで撮りました
ただ、いつも持ち歩いていたわけではないので
ここぞ、という時に撮っていました
普段の何気ないデジカメ写真は
この頃はあまり撮っていませんでした
お散歩の時にちょっと写したい時は
やはりガラケーでした
スマホにしてからは
劇的にカメラ機能が向上し
それなりにキレイな写真を撮ることができました
だから私のRの大切な写真たちは
プリントされたもの
ガラケー時代の画質が悪いもの
デジカメで撮ったものの画像
スマホで撮ったものの画像
と多岐に渡っています
そしてその写真たちの内訳は
Rが1歳になるまでくらいのものがとても多く
そこから11歳くらいまでは
そこそこにちょこちょこと
日々の写真があります
そして
11歳の年から
ものすごい勢いで写真は増えていきました
11歳の時
Rがリンパ腫を発症したからです
それまでは
Rがいつか命にかかわるような病気になって
もう写真が撮れなくなるなんて
思ってなかったから
命の危機を感じたその時から
いつか写真が撮れなくなる日が来るのだと
わかったその時から
私は何かにすがるように
Rを撮りまくりました
いつか、写真は増やせなくなる
そんな思いが私を支配しました
そして
Rを撮らなければ
Rを遺さなければ
という焦燥感に駆られ
何気ない日常から特別な日まで全て
いつもレンズはRに向いていました
何度かスマホの容量がいっぱいになって
家族が私のギャラリーを見て
「同じような写真は消せば?ピンぼけとかも」
と言われたことがありました
だけど
どうしても消せませんでした
とうてい有り得ないようなボケボケの写真でも
惜しくて
もったいなくて
消せないのです
1枚でも減るのが
私はたまらなく怖かった
うっかりミスで消してしまうのも怖かった
だから画像の扱いは
出来る限り丁寧にしました
あの頃私は
楽しい気持ちで撮ってなかったのだと思います
Rが消えていくことへの恐怖と
私だけがこの世界に取り残される恐怖とで
ただただ必死だった
どうにかして
どうしてもRを遺したかった
そしてたくさん後悔しました
もっともっと
病気になる前も
写真をいっぱい撮っておけば良かったのにって
でもそんなことはもうどうしようもないから
とにかく出来ることをやろうと思って
たくさんたくさん
Rを撮り続けました
もちろん
私の目にもRは
たくさんたくさん焼きついています
もう増やせないRの写真をあれこれ見ていますが
やはり
ピンぼけだろうと
謎の角度で変な風に写っていようと
もう1枚だって削除できません
ピンぼけのRも
愛しくてたまらないのです
今日もありがとうございます🍓
こんな変な写真たちも宝物なのです
たくさんのわんこの役に立てますように
クリックしていただけると嬉しいです🍓
こんばんは🐆
今日はある曲について
書いていきます🍓
IMALUさん(大竹しのぶさんの娘さん)が
歌手だとは知っていましたが
実際に曲を聴いたことはありませんでした
だけどある1曲だけ
知っている曲があります
その曲はRがリンパ腫で闘病中に
偶然知りました
IMALUさんはコーギーと暮らしておられたのですが
13歳で旅立ったということです
その子のことを歌にした、という話をテレビでたまたま知って
コーギー、という共通点に何かを感じ
何となく歌詞を調べたのでした
曲のタイトルは『4751日 もういないキミへ』
まず、タイトルで怯みました
悲しい曲なのだ、と察知したからです
まさにRがいつどうなるかわからない闘病中で
そんな曲を聴くのは怖かったのです
Rが寛解して落ち着いていた時
ある日この曲を聴いてみました
命と向き合ってるRがそばにいる私にとって
それはたまらない内容でした
そこには
一緒に暮らした日々のこと
たくさん救ってもらえたこと
たくさんの愛が込められていて
いつか私も味わうであろうその日を思って
視界がぼやけました
そしてとても
胸を締め付けられるというか
共感してたまらない歌詞がありました
『なにかひとつ願いが叶うとするなら
キミとボクの寿命を同じ長さにしよう』
私も願いたかった
Rと同じ長さの寿命にしたい
一緒に生きて
一緒に死んでいけたら
私が先に死んでRが遺されることもなく
Rが先に死んで私が遺されることもない
同じ時に
同じ世界へ
これ以上の望みはありません
IMALUさんはその後
その子が産んだ子コーギーと暮らし
さらに縁あって
その子の曾孫コーギーと
現在は暮らしているそうです
興味を持たれた方
歌詞だけでも見てみてください
今日もありがとうございます🍓
今日も会いたいよ
たくさんのわんこの役に立てますように
クリックしていただけると嬉しいです🍓