こんばんは🐺
今日の出来事、というか
たまたま今日、目にしたものについて
思ったことを書きます🍓
さっきスーパーに行って
ウロウロと食材を見ていたら
冷蔵品を並べてある棚の下部分に
水漏れするのか、ペットシーツがたくさん敷いてありました
Rが使っていたものとは違いましたが
あの独特の質感と形を見ていたら
ペットシーツを定期的に買っていた頃のことが思い浮かびました
Rはお散歩デビューする前は
おうちでシーツを使っていましたが
デビュー後は全く使わなくなり
トイレは完全お外になりました
だからその頃に余ったシーツは
ずっと使われなかったのですが
Rがリンパ腫を発症してから
最初の頃の抗がん剤の副作用で
吐き気があった時に再登場しました
だんだんとうまく抗がん剤と付き合えるようになり
またシーツは滅多に登場しなくなりました
そして再発して再寛解した後、
膀胱炎で頻尿になったり
ステロイドで多飲多尿になったり
これから年齢を重ねて脚が弱くなったり
というようなことを考えると
今後ずっと外でしかトイレ出来ない、というのは
Rにとって大変だと考え、
13歳にしておうちトイレを習得させるべく
トレーニングを開始しました
そして見事におうちトイレをマスターし
その時から
定期的にシーツを購入して来ました
それまで10年以上の間
ペットシーツについてあまり詳しく知りませんでした
いろんな種類があって
値段もまちまちで
ショボいものからお高いものまで
いろいろ試してベストなものを見つけました
どこで買うのがお得か
お店ならここ、ネットならここ、というように
上手にやりくりして
切らさないようにストックするのが
私のルーチンワークのひとつになりました
私はそんなシーツ生活を
何気に楽しんでいました
Rがとっても上手におうちトイレするのを見るのも
うれしかったし自慢でした
そんなしあわせなシーツ生活が
胸にたくさんたくさん
甦りました
13歳にして、初めてRが自分からトイレに入って
おしっこ出来た時の
あの感動は今も忘れられません
今日もありがとうございます🍓
すっかりおうちトイレがお得意✨
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こんばんは🐏
今日は私の大好きな
キンモクセイについて書いていきます🍓
最近、外にいると
風にのったキンモクセイの匂いが
私を何とも言えない気持ちにさせます
「この時期に私が死んだら、棺の中にキンモクセイを入れてね」
と家族に言ってるくらい、
私はキンモクセイの匂いが好きです
ずっと昔からいい匂いだとは思っていましたが
すごくしんどかった時期(Rに出会う前のこと)に
あの匂いにずいぶん励まされたことがあって
それからは、より大好きになりました
その、より大好きになった匂いを
Rのいる世界で感じることで
さらにより、より大好きになりました
毎年キンモクセイの匂いが漂う頃になると
お散歩しながら
「R、いい匂いだね」
なんて言いながら楽しんできました
それが当たり前のように
毎年秋を感じて
毎年いい匂いを感じて来ました
「来年のキンモクセイ」をまた感じれることを
疑ってなかったのです
そんな私の驕りは
Rがリンパ腫を発症して
一瞬でなくなりました
「来年」が来ることが
当たり前でなくなったのです
ただ、いい匂いに包まれる
それだけでしあわせだったのに
そこに
「また今年もこの匂いに会えた」という
神様に抱きつきたくなるようなしあわせな気持ちと
「これが最後かもしれない」という
心臓を締め上げられるような切羽詰まる気持ちとが足され
いつも胸いっぱいに匂いを吸い込んで
その年のそのしあわせを
匂いがしなくなるその日まで
必死に、一生懸命追って、なぞって、噛み締めました
もともとしあわせに思ってきたことは
Rと一緒だと
さらに輪をかけてしあわせになり
もう、この世の物とは思えないくらいになりました
さらにそれが
当たり前のものでも、永遠のものでもないとわかってから
物事の見つめ方が変わりました
とにかく何事も奇跡
感謝して大切に過ごさなければ
今日もキンモクセイの風を感じて
Rと過ごした秋を思いました
この秋も奇跡のはず
Rがいない世界でも
私は自分の奇跡を大切にしなくちゃいけない
だけど
Rのいない世界でのキンモクセイは
あの頃と同じキンモクセイではないな、と
感じます
あの秋はあの秋だけのキンモクセイで
同じキンモクセイはない
今年のキンモクセイも今年だけのもの
ちゃんと大切にしなければ
Rがいなければ
多分今も、まだそんなことに気づかないままの私だったでしょう
これは
Rが教えてくれたこと
気づかせてくれてありがとう
今日もありがとうございます🍓
R、いろんな季節、しあわせだね
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こんばんは🐥
今日は
ある曲について書いていきます🍓
Rがまだ病気知らずだった頃
よくお散歩してたお気に入りの公園では
いつも誰かしら仲良しの人がいて
いろんな話に花を咲かせていました
ある時、その中のお一人と歩きながら
いろいろと話していた時
その方がご主人を亡くされていたことを知りました
多くは語られませんでしたが
その時の言葉が忘れられないのです
「本当に何年も辛くてね だけどね、数年前に『千の風になって』に出会って救われたの」
その方はそう話されました
『千の風になって』という曲
みなさんご存知ですね
「私」はお墓の中にいるのではなく
千の風になって
あなたを見守っている、という曲です
今でこそ、とても有名ですが
その話を聞いた頃はまだ、よくは知らず
家に帰ってから歌詞を調べました
そして、 ちょっとじわ~っときて
ああ、素晴らしい曲だな、なんて
その時はそれだけでした
それから何年後でしょうか
Rがリンパ腫を発症して
ある時にその曲を耳にしました
その時、あの日の会話を思い出したのです
Rがリンパ腫という状況下で聴くその曲は
「いつか来る死」を強く感じさせ、
訳もわからず悲しくなりました
いつかRがいなくなって
その時には私も同じように
この曲に救われるんだろうか
そんな時は来て欲しくないけど
私は一体どういう風になってしまうのだろう
そしてその時がついに来ました
いなくなって初めて聴いた時
時が止まるような悲しみが襲いました
曲になぞらえるなら
Rは風になっていつもそばにいるのだよ、ということなのでしょうが、
救われる、という感覚はなく
Rが風になったり
Rが星になったり鳥になったり
そんなのを想像しただけで
ただただ、悲しかったのです
時は流れ
Rがいない世界で2年半が経ちました
あの曲は
今の私にはまた違った思いを投げかけてきます
今の私はあの曲に
ほんの少し救われてるような気がします
今日もありがとうございます🍓
大好物の柿
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こんばんは🐤
今日は
ある思いについて書いていきます🍓
よく「今度生まれ変わったら」なんていう言い方をしますね
「今度生まれ変わったら○○になりたい」
なんて感じに
実際、私もよく言ってました
生まれ変わりって本当にあるのでしょうか
「輪廻転生」という考え方は仏教にあるのだそうです
真面目に調べていくと
生まれ変わることがマイナス要素を含んでいるらしく
なんだか難しい話になるようなので
ここではそこまで深く掘り下げずにいきます
誰もが、死んで生まれ変わるのだとしたら
私も誰かの生まれ変わりということになり
ます
そう考えたらRも‥‥?
前世の記憶なんてありませんが
もし前世の私がいたとしたら
次の世ではどうしたいと願っていたでしょうか
そしてRも
もしかしたら
前世でもRと私は一緒にいて
来世も一緒にいたいと願って
この世に生まれ変わって来ていたのなら
それはすごいことです
だけど
前世ではお互いに全く違う願いを持っていて
この世ではそれを叶えられていないのかもしれません
これまで生きてきて
今の時点では
概ねしあわせだったと思うし
何よりもRと出会えました
でも
この世で私が死んで
また生まれ変わるとしても
またRに出会えるかどうかわからない
来世に生まれ変わった時に
今のこの世の記憶なんてないのだろうけど
生まれ変わったらまた
楽しいこと、しあわせなこと、
たくさんたくさんあるかもしれない
だけど、今のこの世の私の感覚では
どうしても
Rと一緒じゃなきゃ意味がない、と思ってしまうのです
もしまた来世で
Rと出会えてしあわせな時間を過ごせたとしても
またいつかお別れの時が来る
そうしたらまた
今のこの苦しい時間を過ごさなくてはいけない
私は思うのです
もうこの世でおしまいにしたい
生まれ変わらなくていい
私のいちばんの願いは
この世で私が死んでお空の国に行ってRと再会したら
もうそのままずっと
永遠に空の上でふたりでいたい
もう二度と離れることのない
永遠の時間をふたりで過ごしたい
そういう時が来ることを信じて
そういう時が来ると思い込んで
Rがいないこの世を頑張って生きるしかありません
本当にそんな時が来たら
最高にしあわせです
今日もありがとうございます🍓
こんな風に
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こんばんは🐣
今日は大切な記念日です🍓
Rがうちにやって来た日
うちの子記念日です
2000年10月21日
生後ちょうど2ヶ月のこの日に
Rはうちにやって来ました
あれから19年という月日が流れましたが
私はあの日のことを
鮮明に覚えています
それまでにもRには
2度会っていました
生後ひと月に満たない時と
それから数週間後
少しずつ大きくなるRを見てきました
8匹兄弟で生まれてきたので
初対面の時は
それはわらわらと、たくさんのパピーの中にいましたが
2度目の対面の時は
それぞれの家庭に迎えられたため
半数以下になっていました
そしてお迎えに行った19年前の今日
またRは大きくなっていて
そして他の兄弟はみんなもらわれて行って
Rは一人っ子状態で
おかあさんやおねえちゃんを独り占めし、甘えまくっていました
育ててくれた、おかあさんとおねえちゃん(2歳くらい)の前に
Rを抱っこして差し出して
「また遊びに来るからね 行ってくるね ありがとうね」
とご挨拶しました
すると、おかあさんもおねえちゃんも
目の前に差し出されたRのおしりを舐めて
お世話しようとしてくれました
(おねえちゃんも出産経験あり)
やっぱりおかあさんたちはすごいなぁと
何だか感動しました
そんなおかあさんたちから
Rを引き離すのは忍びなかったけど
「大事に育てるからね」
と約束しました
Rが暮らしたその部屋を出るとき
おかあさんとおねえちゃんが
ドアのところに来て
私が抱っこするRを見上げていました
部屋を出る前にもう一度
ふたりにRの匂いを嗅がせて
「またね」
とサヨナラしました
もっとキューキュー泣くかと思っていたのですが
Rは「べつに」といった感じで
落ち着き払って無言で車に乗り、
最初から知ってた場所のように
サクッとケージに入って
ごはんをもりもり食べて
いきなりちゃんとシーツでおしっこして
そしてパタッと寝ました
「初めておうちに来た頃は夜鳴きする」
なんて聞いていたので
安心できるように
おかあさんの匂いのついたタオルをもらってくるはずでした
なのに忘れました‥‥
「タオルを渡し忘れました~」とブリーダーさんから心配する電話も来ました
でも心配してたのは人間だけで
当のRは何事もなかったように
朝までぐっすりとおやすみになられました(笑)
それがうちの子になった日の思い出です
ちっちゃかったR
ボールになんて興味も示さなかったR
あの日から日々いっぱい遊んで
いっぱい勉強して
お友だちもいっぱい出来て
毎日が楽しくて仕方なくて
そんなRと一緒に過ごせた私も
毎日が楽しくて仕方なかったのです
いつまでも一緒にいたかったけど
でも
Rを送り出せてやれたのは
本当に良かったのだと思います
Rより先に私が死んだりして
Rが私を見送ることにならなくて
それは本当に良かったに違いありません
先に逝ってしまうことは
悲しいけど、苦しいけど
見送ってあげられるということは
わんこたちにとっても
そして私たちにとっても
きっとしあわせなことなんだと思います
ずっとこの日を大切にしていきます
今日もありがとうございます🍓
19年前の今日のR
大物になる予感‥‥
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こんばんは🐓
昨日の続きです🍓
ある時期にぶつかった
なかなか認められなかったこと
ひとつはリンパ腫の発症
そしてリンパ腫を受け入れられてしばらくした頃
またひとつ
私にじわじわとした拒絶反応が現れました
はっきりと「この時期から」というのはわかりません
Rが年齢を重ねていくのに連れて
じわじわと生じたそれは
「Rの加齢」に対しての拒絶反応でした
要するに
Rがおばあちゃんになっていってる、という事実を
何故だかなかなか消化することができませんでした
おばあちゃんになっている=先が短い
という図式も浮かんだし
リンパ腫でただでさえ命の危険に脅かされてるのに
さらに歳を重ねることで
より「死」に近づいていくような気もしました
しかもまさにそんな時期に
ある心ない通りすがりの人から
Rの年齢を聞かれ、それに答えると
「結構、歳とってんなぁ もうそろそろじゃない?」
と言われました
私はますますRの加齢に気が重くなり
人から、Rの年齢を聞かれるのを避けたいような
そんな気持ちになっていました
Rはとても若見えする子でした
そして年齢に反して
運動能力も優れていました
だから余計に
認めたくなかったのかもしれません
「私のRは実際の年齢よりすごいの まだおばあちゃんだなんて言わせたくない」
こんな気持ちでした
この気持ちがいつ頃から緩和されたのか
これもはっきりとはわかりませんが
時と共に自然と受け入れられていきました
「私のRはおばあちゃんだけど、すごい の
こんな年齢だけど、こんなにキレイでこんなに若々しいの
しかも大きな病気なのに、こんなに頑張って元気いっぱいなの
すごいでしょ?」
そういう気持ちを持てるようになり
Rのことが自慢でたまらなくなっていきました
だから通りすがりの人から何歳?と聞かれて
「うわ!すごいね そんなに歳なんだ」
と言われれば
「そうなんです すごいでしょ まだまだ頑張りますよ」
と返せるようになりました
Rがリンパ腫を発症した頃に
年齢が高い子に会うと、いつもうらやましくてたまりませんでした
あの頃うらやましかった年齢を
Rはこんなに元気なまま超えている‥‥
私はRの加齢を
誇りに思うようになっていきました
リンパ腫の発症の時ほどの
必死な拒絶反応ではなかったけど
それなりに長い期間
じわじわと悩み続けたのでした
あるがままのRが
私は愛しくてたまりませんでした
もっとおばあちゃんになって
ヨボヨボになって歩けなくなったって
Rは私のいちばんの自慢でした
今も
見えないRが自慢です
今日もありがとうございます🍓
これで14歳 すごいでしょ
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