こんばんは🐨
今日は戻ります🍓
2017年4月9日
最期の時が近づいていました
私の右腕の中に抱かれたRは
変わらず速い呼吸をしていました
口は軽く開けたまま
目はしっかり開けていましたが
ぼんやり私を見ている感じで
実際、私が見えていたのかどうかはわかりません
意識もなかったのかもしれません
でも私は
Rには私が見えていて
私が言うことも聞こえている、と思いたかった
だからもしかしたら見えてるかも、
もしかしたら聞こえてるかも、
そう思うと話しかけられずにはいられませんでした
とにかくRを安心させてやりたかった
いつものRのように「うふふ〜」な感じで
何事もなかったように
旅立たせてやりたかった
だから自然と
悲しいことを言ったり
お別れの言葉を言ったり
そういうことはしませんでした
お別れじゃない、と思いたかった
また会えるから大丈夫なんだと
Rにも自分にも言い聞かせたかった
これがお別れだなんて思ったら
おかしくなってしまうから
ずっとお空の国の話をしてきたように
その続きのように
もうすぐ行けるね、楽しみだね、と
お空に行くことを楽しく話しかけました
Rがわくわくするように
「うふ〜 たのしみ〜」と思えるように
そしていつもふたりで
合言葉のように言ってきた言葉
「いつも一緒 ずっと一緒 あーんしん」
それを何回も何回も
Rを撫でながら語りかけました
Rはぼんやりと私を見ていました
ふうーっ ふうーっ と一生懸命息を吸って息を吐いて
もう逝ってしまうかもしれない
でもこの期に及んでも私は
悲しいという気持ちではなく
Rを安心させてやりたい気持ちばかりでした
大丈夫、大丈夫、Rは大丈夫
こわくないよ
早くいっぱい走りたいね
早くいっぱい食べたいね
もうどんなに食べてもおブタにならないよ
食べたらダメなものもないよ
もう具合悪くなることもないよ
もう楽しいことしかないよ すごいね
ママにはRが見えなくなるけど
いつも一緒、ずっと一緒、あーんしん、だからね
そんなことを繰り返し繰り返ししているうちに
何となく
Rの呼吸がゆっくりになっていくような予感がしました
そして実際にしばらくすると
Rの呼吸がだんだんゆっくりになっていきました
大丈夫大丈夫こわくないよ
呼吸はゆっくりゆっくりになりました
いつも一緒、ずっと一緒、あーんしん、だよ
そして呼吸が止まりました
脈はまだ触れていましたが
それはだんだんとゆっくりになっていきました
Rは呼吸をしたそうに
二度ほんの少し口をぱくぱくしました
その後
脈は触れなくなりました
13時41分 Rは旅立ちました
今日もありがとうございます🍓
R、お空の国楽しみだね
たくさんのわんこの役に立てますように
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こんばんは🐻
今日は昨日の続きを書きます🍓
私にとって初めてのわんこであるRを
とにかく愛情いっぱいで育てて来ました
病気せず、長生きしてほしい、と願って来ましたが
Rはリンパ腫という
想像もしていなかった怖い病気になりました
それでも抗がん剤治療を乗り切り
寛解に至りました
そして目指した「1年半」を越えました
私は「大丈夫だ」などと気を大きく持つとバチが当たるような気がして
ひたすらに「今」を大事にして
遠い先のことは考えないようにして来ました
「今日をめいいっぱい過ごす」というように
時間を噛みしめながら過ごして来ました
そして、恐れていた再発がやはり来ました
抗がん剤が効かず
恐ろしい思いをしました
苦しくてたまらない思いをしました
それでもRはまた乗り切り
元気なRに戻りました
その後は乳がんを2回と前脚のがんになり
手術を4回もしました
膀胱に影が見つかったり
いろんなことがありました
そして
しばらく影をひそめていたのに
またリンパ腫が再発しました
影をひそめている間、
このまま再発せずに最期を迎えさせてやりたい、と心のどこかで願っていました
だからこの再発を知った時は
「やはりリンパ腫に命を奪われてしまうのか」と
ものすごく残念な気持ちでした
16歳での抗がん剤は
やはり体にこたえました
規定回数をこなす前に
Rの今後のことを第一に考えて
途中で打ち切りました
抗がん剤はやるのもやめるのも
どちらも勇気がいることなのだと思い知りました
この打ち切りがやはり原因なのか
早い時期にまた再発しました
しかもこの時は「皮膚型リンパ腫」という
抗がん剤が効きにくいと言われているものでした
最初の頃は効いていた抗がん剤
次第に効かなくなり
さらに体はダメージを受けていました
このままでは余命を縮めてしまうと判断し
すごく苦しかったけど
積極的な治療をやめる決意をしました
ここまで来れたんだから
16歳まで来れたんだから
5年半も生きて来れたんだから
いろんな理由をこじつけては
納得しようと必死でした
Rは抗がん剤が効いて運が良かった
有り得ないくらいの延命が出来た
私は、Rは、恵まれているのだ
だから受け入れなければならない
こんなにいい順番をもらえたのだから
一生懸命そう思うようにしました
緩い下り坂をゆっくり下るように
Rはゆっくり少しずつ弱っていきました
それはとても悲しくて辛かったけど
私に心の準備をさせてくれました
Rを送るための準備も
しっかりさせてくれました
Rがあの日急変して
あの夜は経験したことのない恐怖を感じ
「誰か助けて」と壊れてしまいそうでしたが
持ちなおしてからの2日間は
なぜだかすべてを受け止められ
深い気持ちでRのそばにいることが出来ました
ずっとずっとずっと私が願って来たこと
Rの最期の時は
私の腕の中でどうか安らかに
それが叶えられそうでした
今日もありがとうございます🍓
私が出かける前のいつものひとコマ
おいしいお留守番おやつがもらえることがわかってるので、私が支度中からずっとこんな感じで後追い(笑)
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こんばんは🐇
今日は戻らず
またひと休みにします🍓
だんだん、より筆が重くなってきました
私にとってRは初めてのわんこでした
小さいRを迎えて
いろいろ勉強しながら
しつけもばっちり入れましたが
とにかく愛情いっぱいで育てて来ました
子どもの頃は丸顔だったのが
だんだんと鼻が前に出てきて
胴がだんだんと伸びていくのを
「ああ、コーギーらしくなっていくんだ」と
ちょっと面白がりながらも
成長を感動しながら見守ってきました
よそのわんこともうまくやれて
人も大好き!
愛想もよく物怖じせず
明朗快活なアクティブな女の子に育ちました
私はそんなRが
本当に自慢だったのです
そして愛して止みませんでした
ずっとずっと一緒にいたい
どうか健康で長生きしてほしい
いつもそう願って来ました
シニアと呼ばれる年頃に入り
「そっか もうシニアかあ」と
ちょっとだけ感慨深い思いでした
まだその先に待ち受けることなんて
何となく想像する程度でした
Rが年齢の割にかなり若く見えたし
体力も若い子と変わらなかったせいもありました
そして10歳になったとき
初めて未来を真剣に考えて怖くなりました
あと何年生きれるのか
その頃の平均寿命は
私が調べたものではコーギーは13歳くらいでした
あと3年
本当にそんなに短いの?!
私は怖くて仕方ありませんでした
やたらとRの呼吸を確認したり
とにかくRの体調が気になって仕方ありませんでした
でもそれでもRは元気で
サッカーをして走り回り
周りの人を驚かせていました
私はそんなRがますます自慢でした
そして11歳
想像もしていなかったリンパ腫になりました
とても怖い病気だということも
抗がん剤が必要だということも
予備知識としてはあったので
診断された時は奈落の底に突き落とされました
抗がん剤がうまく効いた子で1年半、と
主治医から聞いたときのショック
もうRは平均寿命までなんていけないのか
うまくいっても1年半なのか
その時の私は「1年半」より長い時間は
正直言ってあまり考えていませんでした
最長でも「1年半」だと思っていました
だからとにかく「1年半」を目指したのです
最初の頃の抗がん剤は
本当にRを苦しめました
副作用が出ない子が多いという中
Rにはきつい副作用が出ました
ごはんが食べられなくなり
後ろ脚に神経症状が出て少ししか歩けなくなり
体重は9.4kg(コーギーの女の子の平均は11〜14kgくらいでしょうか)まで減り
頭を撫でるとゴツゴツと骨が当たり
頬がこけて目ばかり大きく見えました
この頃は「1年半」など考える余裕もなく
その日その日を無事に終えることで
それだけでいっぱいいっぱいでした
やがて寛解に至り
体重は元通り以上に増え
元気にまた走り回れるようになりました
苦しんだ日々が本当にきつかったので
私は本当に本当に嬉しかった
Rはすごい、とより自慢でした
あの頃私は
Rがリンパ腫になった、という事実を
受け入れてはいましたが
なかなか公にすることが出来ませんでした
いちばんの仲良しのPちゃんのおかあさんにも
しばらく言い出せませんでした
「Rちゃん、かわいそう」
と思われたくなかったのです
もう死ぬことが決まっているかのように
ただ何となく「かわいそう」と
どうしても思われたくなかったのです
実際はみんなとても心配してくれました
Rは「1年半」を越えました
私はとにかく慎重に謙虚にいこうと思いました
ずっと先は見ないで
ほんの少し先と今しか見ないようにしました
とにかく大切に大切に
「今この時」を過ごそうと頑張って来ました
すみません
また続きを書きます🍓
ふたりのしあわせな日々🌸
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こんばんは🐇
今日は戻ります🍓
2017年4月9日13時過ぎ
最期の時がそろそろだと感じた私は
Rをそっと抱き上げ
最後のだっこをしました
Rは体全体を使って
一生懸命呼吸していました
もう意識はなかったかもしれません
Rは開口呼吸のために口は開いていて
その口からは
ふうーっ ふうーっ
と呼吸音が聞こえていました
そして目も開けていました
視線は定まってなかったけれど
ぼんやりと私を見ているような
そんな風に感じれました
私はその時
「着る毛布」というふわふわのガウンのようなのを着ていました
その腕に抱かれたRは
ふわふわの毛布に包まれているようでした
私はただRを安心させてやりたくて
ずっと頭や体を撫でながら
話しかけていました
聞こえているかはわかりませんが
そうせずにはいられませんでした
「R、ちょっとしんどいね
でも大丈夫だよ
もうすぐお空の国に行けるからね
こわくないよ
今はお脚が動きにくいけど
もうすぐびゅーんっていっぱい走れるからね
それからごはんもいっぱい食べれるからね
おかしもいっぱい食べれるよ
楽しみだね、R
何から食べるか考えた?
Rのリュックにね、たくさんおいしいもの入れる
からね
ママごはんもバナナも
いろんなRの大好きなお菓子も全部だよ
すごいね
牛乳もあるよ
リュックの中身は食べても食べても無くならな
いからね うれしいね
大丈夫、大丈夫
Rは大丈夫
いつも一緒、ずっと一緒、あーんしん
こわくないよ 大丈夫」
何度もこんなことを繰り返していました
今日もありがとうございます🍓
いつもお腹すいてたもんね
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こんばんは🐰
今日はあの頃
Rが逝ってしまうということに
いろいろ考えを巡らせていたことを
書いておきたいと思います🍓
最後の再発をして
抗がん剤が効かなくなって
積極的な治療をやめた時から
より「死」が近付きさらに身近になり
私は毎日
本当にいろんなことを考え
自分を納得させる理由を
いろいろと考えていました
どんな逝き方がいちばん納得出来るのか
まずそんなことを考えていました
どんな逝き方だとしても
愛する子を亡くすのは
耐え難いことです
だけどあえて考えました
いつかは誰もが必ず死んでいく
その逝き方で
最も納得出来るのはどんな逝き方か
私が考えたいちばんの逝き方は
病気もせずゆっくり加齢して
平均寿命をはるかに超えて
徐々に徐々に命の火が小さくなって
眠るように逝く、というものでした
だけどそれを叶えられるのは
本当にわずかな子たちだけです
ほんのほんの一握りの子たち
多くの子たちはやはりそれなりに病気になって
それなりの年齢で
病気やその他の理由で亡くなっていきます
私はRのことを考えました
遠くない将来に逝こうとしているRのことを
Rは私が望んだような
健康で老衰死、という道ではありません
たくさんの病気にかかり
命にかかわる病気だって幾つもしました
まさに波乱万丈の生涯です
だけど、だけど、と私は考えるようになりました
確かにRはたくさん病気にかかりました
そしてリンパ腫という
恐ろしい病気によって
命の火が消されようとしている……
だけど
Rは16歳です
平均寿命はとうに超えています
しかもリンパ腫という病をかかえていながら
約5年半もの長期間を生きているのです
これはかなり確率の低いことです
以前からRにお空の国の話をする時
「みんな順番に行くんだよ Rの順番はもうそろそろだよ」と言ってきました
私は思いました
Rの順番は最高にいい順番なのではないかと
病気にならないに越したことはありませんが
病気になった上での生涯では
Rは最高に近い道を歩んだのではないか
副作用や術後の痛みで苦しいこともあったけど
それでもその度に突破できて
楽しい時間をいっぱい過ごせた
それも有り得ないと言われるレベルの長期間を
「Rは最高にいい順番をもらえたのだ これ以上の順番はない」
そんな考えが降ってきました
そう思うと
Rが逝ってしまうということにも
ほんの少しですが
納得出来るようなそんな気持ちになれました
順番には
いろんな意味があるのでしょう
いい順番ばかりではありません
いろんな順番があります
私は今でもいつも考えます
このRの順番には
どんな意味があったのか
まだ何となくですが
これだけのいい順番を与えられたことで得たいろんな経験を
たくさんの子たちに役に立ててもらえるように伝えるという意味があったのかな、と
いつもいつも
ぼんやりと考えています
これは私の一生の宿題になりそうです
今日もありがとうございます🍓
R、いい順番でうれしいね❤
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こんばんは🐀
今日はひと休み🍓
こないだショックなことがありました
そのことを書きます
私の職場の上司に
トイプードル12歳の女の子を飼ってる人がいます
ここ数年、心臓の薬を飲んでいますが
特別体調を崩すこともなく
日々元気にしていました
ところが先日突然「水晶体脱臼」という眼の病気になり
その日の内に緊急手術をして
うまくいかなくてまた別日に手術して
そしてほぼ失明してしまったというのです
いきなり目が見えなくなるというのは
その子にとって本当に大変なことで
戸惑うし怖いと思います
上司も戸惑っていました
これからどうやってお散歩させよう、と
どうやってお留守番させよう、と
とても不安そうでした
私もショックを受け
何と言葉をかけていいのかわかりませんでした
リンパ腫はもちろん怖い病気です
でも失明したりするような眼の病気も
本当に怖いのだと思いました
命の危険はなくても
日常の生活の質が落ちてしまいかねないのです
見えないということから来る危険も
こちらで回避させてあげなければなりません
一日も早くその状況に適応して
うまく動けるようになって
見えなくても楽しい毎日を送れるように
私はひたすら祈るしか出来ません
眼の病気も早期発見早期治療が大切です
異常を感じたら
すみやかに診てもらわなければならないな、と
改めて感じました
どうか
Cちゃん(上司のわんこ)が
これからもしあわせに過ごせますように
今日もありがとうございます🍓
湯上がり美人(笑)
毛が立つので1.5倍増しのR(笑)
たくさんのわんこの役に立てますように
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こんばんは🐁
今日は特別な日なので
そのことを書きます🍓
18年前の今日、
Rはうちの子になりました
生後ちょうど2ヶ月になった日でした
初めて会ったのは生後1ヶ月の時で
2ヶ月まではしっかり
Rのお母さんやおばあちゃん、そしてお姉ちゃんに育ててもらいました
8匹兄弟だったR
順番にみんな新しい家族の元へもらわれて行ったので
Rだけが残ったしばらくの日々は
お母さんたちを独り占め出来て
思う存分甘えられたのでしょう
迎えに行った時のことは
今でもよく覚えています
ブリーダーさんの計らいで
車酔いしないようにと
あえて朝ごはん抜きにされていたR
お腹が減り減りのRは
ちょっとでも腹の足しになると思ったのか
牛のヒヅメをガジガジ噛んでました
ブリーダーさんがRを抱っこして
「R、元気でがんばりや またおいで」
と声をかけ、そして私に託してくれました
その頃からおおらかというか
細かいことは気にしなーい、という子で
私に抱っこされても動揺もせず
おとなしくしていました
ブリーダーさんがRのお母さんとお姉ちゃんに
「ほら、Rとバイバイやで」
と呼びかけました
名前を呼ばれたお母さんとお姉ちゃんは
「ん?!」といった感じでこちらを見ました
私はしゃがんでRをお母さんとお姉ちゃんの目の高さにし、
「育ててくれてありがと 元気で頑張るからね」
とご挨拶しました
お母さんとお姉ちゃんは
Rのにおいを嗅ぎまくり
ふたりともがRのおしりの辺りを舐めて
一生懸命お世話してくれました
このお母さんとお姉ちゃんに
Rはずっと付きっきりで育ててもらいました
(おばあちゃんは外だったんです 室内が落ち着かない性格?で外飼い)
もちろんおばあちゃんにもブリーダーさんちの家族にも
とても愛情いっぱいに育ててもらいました
だからRは本当に性格のいい子に育ちました
社会性もあり
人間でも動物でも誰とでもうまくやっていける、
そんないい子になりました
本当にみなさんに感謝です
あの日はさすがに
最期のことなんて微塵も考えなかった
ただRが来てくれてうれしくて
シアワセでいっぱいでした
しばらくして
わんこ雑誌で読者の方のこんな言葉を目にしました
「いつか必ずこの子には最期がやって来ます。 だから、明日死んでもいい、と思うくらい、毎日をいっぱいいっぱい楽しく過ごさせようと思いました。」
これを読んで
私は胸にガツンと来ました
そうか、そうなのか
本当にそうだ
私もそうしよう
Rを世界一しあわせな子にしよう
そう誓いました
うちの子になった日
Rは動揺も見られずどっしり構えていて
家に着くなり用意してあったトイレで上手におしっこしました
もう私はびっくり(*_*)
お母さんの匂いのついた物をもらい忘れて来たので
Rが寂しがらないか、夜泣きしないかと
気をもみましたが杞憂に終わり
Rは夜泣きなんて全くすることなく
仰向けですやすやと朝まで寝てました
あの小さかったRが大きくなっていって
楽しさと喜びに溢れる時間を過ごし
晩年になって病気をたくさんして
辛い時もあったけど
いつもにっこにこで
RはRらしく生きました
(最期までRらしい生き方をさせてやれた、と信じています、というか信じたい)
うちの子記念日
Rがいなくなってから2回目ですが
1回目の去年よりは
穏やかな気持ちで迎えられました
また明日からママ頑張るよ、R
Rに出逢えてママは本当にしあわせだよ
うちの子になってくれて
本当に本当にありがとうね
今日もありがとうございます🍓
うちの子になった日
爆睡(笑)
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こんばんは🐭
今日はひと息入れます🍓
Rの最期を書くにあたって
その時が近づけば近づくほど
いろんな思いが交錯しています
Rが旅立ったのは去年の4月9日
今年の4月9日、
初めての命日を迎えました
私はその日を迎えるひと月程前から
何とも表現し難い苦しさを感じていました
どうしても「去年の今頃は」と思い出し
それはその日が近づくほどに
「去年の今日、最後のお花見をしたんだ」とか
「去年の今日の今頃、急変したんだ」とか
「去年の今日、最後の病院に行った」
「去年の今日の今頃から呼吸苦が出たんだ」
などとその思いは具体的に
かなり詳細になっていき
もうRはいないのだけど
またもう一度あの時を経験するようで
苦しくて苦しくてたまりませんでした
最近の息苦しい思いは
その時の苦しさと似ている気がします
「Rがまた死んでいく」
そんな空気になってしまうのです
命日を迎えて
旅立ちの時間を迎えて
その後はその苦しさが引いていきました
悲しみはいつも変わらないけど
あの時の息苦しい思いは
引いていきました
やはりRが旅立つまでのその時間のことが
息苦しさを呼ぶのでしょうか
だから今回も
最期の時を書いたあと、
また同じようにこの息苦しさは引いていくのでしょうか
旅立ちの時を書いたら
その後の私のことを書いていきたいと思っています
どんな日々を送ったのか
どんな悲しみに溺れてきたか
そこまでちゃんと書いていきたいと思っています
もう少し もう少し
Rの最期の頑張りを
しっかり書いていきます
今日もありがとうございます🍓
Rは本当によく頑張ってました🍓
腰を支えてもらって歩いてるとこ
病院もたくさん行きました
注射や採血はへっちゃら✨
でも痛かったよね R、エラいよ💕
きらいなのもあったね〜
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