大麻止乃豆乃天神社(東京都稲城市)を訪問しました
大麻止乃豆乃天神社(おおまとのつのてんじんしゃ→東京都稲城市大丸)は、平安時代の927(延喜5)年に編纂された『延喜式神名帳』記載の「大麻止乃豆乃天神社」に比定される神社の1つです。江戸時代の頃は丸宮社や丸宮明神と呼ばれ、隣接する臨済宗建長寺派寺院の大慈山 円照寺(→東京都稲城市大丸)が別当寺として祭祀を司りました。
〖主祭神〗
・櫛真知命(くしまちのみこと)
→太占(ふとまに→鹿の骨を焼いてそのひび割れで吉凶を占う)の神
〖境内社/祭神〗
・秋葉神社/迦具土命(かぐつちのみこと)
・津島神社/素戔嗚命(すさのおのみこと)
・稲荷神社/倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
・白山神社/菊理姫命(くくりひめのみこと)
・神明神社/天照大神(あまてらすおおみかみ)
大麻止乃豆乃天神社は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』多磨郡大丸村の条に「丸宮社」として次のように記されています。
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大丸村
丸宮社
小名東方にあり、円照寺の持にて、社地はかの寺境内の南の山上なり、石階十二級を登りて、半腹に石の鳥居をたつ、又五十九級を登りて社前に至る、社には二間半に三間半の覆屋を設く、神体もなく祭神も詳(つまびらか)ならず、ただ丸宮明神と号するのみ、或(あるい)は云(いう)、丸をまどかと訓す、下略するときはまとなり、これ「神名帳」(→『延喜式神名帳』)に載る八座の内、大麻止乃豆乃天神を略して麻止乃宮と称するなるべしと、されど今郡中御嶽山の内に、大麻止乃豆乃天神社ありて、祭神までも詳(つまびらか)につたへれば、当社を式内の社なりといふは、信ずべからざるにや。
末社
秋葉社、本社の右の方二十間ばかりへだててあり、石にて造れる小社なり。
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【大麻止乃豆乃天神社の鳥居・参道】













狛犬の台座には「天保十二辛丑年六月吉日」(→1841年)と彫られています。
【大麻止乃豆乃天神社の社殿】






【大麻止乃豆乃天神社の境内社(白山・神明・稲荷神社①)】







【大麻止乃豆乃天神社の境内社(津島神社)】



【大麻止乃豆乃天神社の境内社(秋葉神社)】


【大麻止乃豆乃天神社の境内社(稲荷神社②)】



【 大麻止乃豆乃天神社の小祠】


【大麻止乃豆乃天神社の境内】






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↓↓江戸時代に別当寺を務めた大慈山 円照寺


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