ききわけのいい猫 | 2013年01月
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言葉少なめの土曜日

昨日、仕事から帰ってくると、レオが随分久し振りに毛玉を吐いていた。 
猫トイレの前のマットの上だったので、えっ?、と驚いたが、毛玉だった。
人の小指くらいの大きさと形で、この仔の身体のサイズから考えると結構な大きさだ。
そう言えば、この2日ほどいつもよりおとなしかったし、おやつのシーバも
いつもほどは欲しがらなかった。 きっと、気持ち悪かったんだろう。
めったに吐かない仔なので、毛玉だとわかっても、少し心配してしまう。


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                         【 すっきり~ 】


いつも思うのだが、なぜ、こんなものがいつまでも胃の中に残るのだろう。
食事は普通に食べて、おやつも欲しがって、猫草もむしゃむしゃ食べて、
出るものも毎日きちんと出ている。 胃に入ったものはきちんと腸へ送られている。
なのに、毛だけは胃に残って細長い毛玉になる。 それはいつも同じ形をしている。
不思議だ。

レオは、吐くときはなぜか必ずマットなどの敷物の上を選んで吐く。
かたずけているとそばにやってきてじっと見つめるので、「あのさあ、吐くんなら
フローリングの上とかにしてくんない? こういうところだと掃除が大変なんだよね」
と言ってみるが(毎回こう言ってみるのだが)、どうもこの仔はフローリングの上には
吐いちゃいけないんだ、と思っているフシがある。 
不思議だ。


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                  【 だって、ピカピカを汚しちゃ悪いじゃん。 】


片づけ終わって、マットを取り換えると、レオは新しいマットの周りをウロウロと
歩き回り、毛玉が無くなってきれいになったことを確認していた。
きっと、自分が汚してしまったことを一日中気にしていたのだろう。
トイレをするのも、がまんしてたかもしれない。 
俺が家にいればすぐにきれいにしてやれたのに、と思うと胸が痛んだ。


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                     【 まあ、気にしなくてもいいよ。 】


休日のレオの朝ごはんは、俺の朝寝坊のせいでいつもより遅い9時頃になる。
お腹が空いた、と起こしに来ることもなく、俺が起きるのをおとなしく待っている。

その後しばらくして正午近くになると小腹が空くようで、おやつを催促する。


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                       【 シーバちょうだい。 】


こういう小腹が空く感じは、とてもよくわかる。 だから、ちゃんとシーバをあげる。 
すると、すごく喜んで、全身で満足した様子を表してくれる。
人も、猫も、いっしょなのだ。 きっと、本当は毎日こうやって食べたいのだろう。

リビングでこうやってブログを書いていると、レオはいつもずっとそばにいて、
気持ち良さそうに眠ったりしている。


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                          【 眩しいなあ 】


休日は俺たち2人にとって、とても大事な時間だ。

別に、何か特別なことをしてやるわけではない。 
それぞれが思い思いのことをして、気ままに過ごしているだけだ。

でも、いつも互いに姿の見えるところにいて、互いに何をしているか知っていて、
時々顔を見合って。

土曜日は楽しいね。 そんなことを話す。
いつもより言葉は少なめだけど、ずっと一緒にいるから、それでいいような気がする。


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撮りたくても撮れないもの

ブログをやっていると必ずぶつかる写真の問題。
もともと興味はなかったのに、だんだん考えざるを得なくなってきている。

デジタルカメラの登場が無数の素人写真家を生みだして、世界は写真で溢れかえる
ようになった。 写真が一部の人たちだけのものではなくなったのはいいことだと思う。

ブログを始めた当初は、できるだけいい写真をとろうとしていた。
いい写真というのは、つまり、レオの顔映りがよく、姿見もいい、
できるだけかわいく見えるような写真のことだと思っていた。  
また、プロの写真家が撮るモノクロの芸術的な人物像や風景や夜景の写真が
素晴らしい写真なんだ、とも思っていた。

それまではネットでブログを見る趣味も無かったけど、自分で書くようになって、
初めていろんなブログを見るようになった。 そこには、写真が溢れていた。

写真集なども手にとって見るようになった。 それらを見るうちに、写真には
いろんなものがあるんだな、ということがわかるようになった。


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これは、フランシス・ウルフという写真家が撮った、Blue Note レーベルの録音風景の
写真を集めたもの。 これらの写真は、Blue Note のレコードジャケットに使われた。 
黒い影と楽器を強調した写真がモダン・ジャズの夜の雰囲気を見事に表現している。
ソニー・ロリンズの写真なんて、サックスの音が本当に聴こえてきそうな気がする。
彼の写真は、光と影の関係や構図の大切さを教えてくれる。


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猫好きには有名な、荒木経惟の「チロ愛死」。

写真が映しているのは撮る人の内側なんだな、と教えてくれた写真集だった。
こんなことを教えてくれた写真家は、この人だけだった。

一度こういうことを知ってしまうと、写真に対する考え方は変わってしまう。
かわいいだけの写真にも、きれいなだけの写真にも、心は動かなくなる。
自分もそんな写真を撮りたいとは思わなくなった。


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ブログを始めた頃のレオは、カメラを向けると顔を背けてしまい、まともに顔を写すことすら
できなかったが、最近は少しカメラ目線をくれるようになった。

でも、俺が撮る写真は、ただのポートレート止まりだ。
その先が、全く撮れない。
ポートレートはあくまでポートレートで、それ以上どこにも行けない。
本当に写したいのは、もっと全然違う別のことなのに。

レオと暮らす中でいつも感じている何か、どれだけ文章を重ねても表現しきれない何かを
写真なら捉えられるかも、と思ってシャッターを切るが、まだダメなようだ。

技術的な課題をクリアする必要もあるが、もう少し頭の中を整理する必要もありそうだ。
どちらも簡単ではなさそうだけど。


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美声の理由

中世ヨーロッパにはカストラートという、去勢した男性歌手がいた。

当時のキリスト教教会では女性は沈黙を守らなければならぬという掟があったので、
教会で讃美歌を歌う女性役は声変わり前の少年のボーイ・ソプラノが担っていたが、
彼らが高音を出せる時期は短く限られていたので、声変わりする前に去勢手術を行い、
成年になってもソプラノ域の歌声が出せる男性歌手が登場するようになった。

物珍しいカストラートは世間からもてはやされ、スターとなって大金を稼ぐ者が現れ
始めると、貧しい家庭の親が一攫千金を狙って自分の子供に去勢手術を受けさせる
ようになった。 でも、当時の不衛生な医療現場の中で、術後の感染症で命を落とす
子供が増えるようになると、今度は手のひらを返したように、カストラートは
人道的理由から世間の非難を浴びるようになり、やがて姿を消した。

現代にはカストラートは当然いないが、カウンターテノールという存在がある。
裏声で高いオクターブを歌う男性のことで、その代表格がベラルーシ出身のスラヴァだ。


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「アヴェ・マリア」と題された歌曲ばかりを録音したこのアルバムは素晴らしい出来で、
バッハ、シューベルト、ヴェルディらの手による楽曲に混じってカッシーニの曲が
収録されているが、これが知られざる名曲だったことが世界中の人々を驚かせた。

俺は歌曲やオペラが苦手で、例外的に、モーツァルトの「魔笛」とドニゼッティの
「ランメルモールのルチア」だけは好きでたまに聴くが、それ以外はまったく聴かない。
リュック・ベッソンの「フィフス・エレメント」という面白い映画の中で、歌姫が歌を歌う
シーンが出て来るが、あの時歌っていたのが「ランメルモールのルチア」の中の曲だ。

スラヴァのこのアルバムを聴くたびに、こんなにきれいな歌声が出せるんなら、
カストラートの存在なんてそもそも必要なかったじゃないか、と思う。
去勢されたカストラートたちはホルモンバランスが崩れて、内面は情緒が不安定になり、
外見は小太りになった。 そんな犠牲を払ってまで、人は去勢する必要なんかない。

一方、去勢するのがあたりまえとなっている家猫たち。
バースコントロールやマーキング防止、ストレス抑止のためというが、
それはあくまでも人間目線。
彼らはどんな代償を払っているのだろう。 いつか、それがわかる日は来るのだろうか。

レオも、生後6ヶ月に去勢した。
大人になっても下あごが発達せず逆三角形の小顔で、その表情はあどけないままだ。
声もきれいに澄んだソプラノのまま。
まるで、ある時期で時が止まってしまったかのようだ。


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問題行為もなくて、見た目も愛らしいままだし、大人の込み入った悩みなどとは全く
無縁の様子で、そのこと自体はおおいに結構だけど、本当にこれでいいのだろうか、
という疑問は今でも拭いきれない。

去勢手術のお願いをした時、病院の先生からは、室内飼いなんだったら
手術の必要はないんですけどねえ、と少し抵抗された。 
医師の純粋な立場からすれば、こういうのには反対だったんだろう。 

あることについては、人間と同じ基準でなければならぬ、と言い、
あることについては、人間ではありえないことを強制する。

種が違うのだから当然だといえばそれまでだが、どうも首尾一貫しないこういう
我々のやり方には腑に落ちないところが多くて、どうしても違和感が残る。

行き過ぎた話や行為も時々見られて、それが一体何を代弁しているのかが
よくわからないことも多い。 それは、本当に猫の気持ちを代弁しているのか?

ごめんな、こんなことになって。 
時々、そう呟かずにはいられない時がある。
俺がレオを甘やかすのは、ただかわいいからだけではないのかもしれない。


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新しい出発は希望の物語

あけましておめでとうございます。
すっかり遅くなりましたが、本年もよろしくお願い致します。


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                          【 あけおめ。 】


大晦日から正月三が日にかけて、両親がうちにやってきて泊まり込んでいくのが
毎年の慣例となっていて、食事の用意を始め、全て俺がやることになる。
家の中がいつもと違い騒がしいので、レオは昼寝もままならずお疲れのご様子だった。
ただ、レオは来客好きで、誰かがうちに来ると喜んで相手をしてくれるので、
両親もレオをかわいがっている。 久し振りの来客で、いい刺激になっただろう。

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                     【 フンッ、まあね。 ちょっとはね。 】


年末に部屋の掃除をしていた際、本棚にある新潮社のカフカ全集に目が留まり、
随分長い間触っていなかったなあと思い、その中の1冊を手に取ってみた。
背表紙が日焼けして色が少し薄くなってしまっていた。

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                   【 埃くさいぞ。 ちゃんと掃除したら。 】


カフカには、「アメリカ」という一般的にはあまり知られていない長編小説がある。

カフカが残した数少ない長編にも関わらず、これが未完の小説だったことや、
「城」や「審判」という有名な作品に見られるいわゆる「カフカ的」な要素が希薄だった
ことから失敗作だ評価する向きもあって、残念ながら日陰者扱いになっている。 

しかし、この小説にはざらっとした読後感が残る不思議な何かがあって、
1度読むと、なぜかいつまでも心の中のどこかでそれがゆらゆらと揺れることになる。

17歳のドイツ人少年のカール・ロスマンが1人でアメリカに船で渡り、様々なことを
経験する、というカフカの作品では唯一明るい希望を扱った内容だ。
ニューヨークの港に入ってきた船の甲板の上から自由の女神をしげしげと眺めるシーン
からこの小説は始まる。 そこから孤独なカール・ロスマン少年の心理が綴られて行くが、
これが俺には人の家にもらわれていく猫の心情にどうしても重なってしまう。

人と暮らすことを定められた猫には、初めてその人の家にもらわれていく日がある。
その時、その仔はどんな気持ちなんだろう、とよく考える。
訳もわからず見ず知らずのところへ連れてこられて、おどおどと家の中を見渡す。
健気に探検を始める仔もいれば、怯えて物陰に隠れる仔もいる。
ロスマン少年は前者、うちのレオは後者だった。

どちらかと言えば、後者のほうが自然な振る舞いに思えるが、健気に家の中を
探検している心の中も、実は不安でいっぱいなんだということを忘れてはいけない。
その姿は我々から見れば愛らしいものであっても、その日の夜、その仔はひとりで
以前いた場所やそのまた以前にいた場所で過ごした日々のことを寂しく思い出して
いるかもしれない。 人も猫も、見た目の様子と心の中はいつも同じとは限らない。

カフカはこの作品を愛し、保険会社での仕事が終わったあと、唯一愉しみながら
毎晩書き続けたそうだ。 当時の共産主義体制下のプラハで深い孤独に
苛まれながらも書き綴った新しい出発の物語が彼にとって希望の物語であった
のだとしたら、猫たちが始める人との新しい暮らしも、いつだって同じように
明るい希望の物語であって欲しい。

新しい2013年からは、不幸な猫の話が聞かれることがなくなって欲しいと願います。


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                       【 ピンボケだけど、ことよろ。 】




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プロフィール

リアノン

Author:リアノン
独身男の一人暮らし。

猫と暮らしたくて、一人で寂しい思いをしている子を、と思い里親募集に申し込んだら、一方的に断られた。

一人暮らしの男に猫と暮らす資格はあるのか? 

これが、このブログのテーマです。

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