ききわけのいい猫 | 2012年07月
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桃の芳香

夏、といえば、俺の場合、桃である。
祖父母が岡山に住んでいて、畑で桃をたくさん作っていた。
毎年夏休みは祖父母の家に遊びに行っていて、毎日桃を食べていた。
皮を剥いてそのままかぶりつき、残った種のまわりの芯の部分を庭に置いておくと、
次の日の朝にはカブトムシやクワガタがくっついている。
初孫だった俺は祖父母に大事にされて可愛がられたが、2人とも亡くなってしまった。

だから、夏の記憶には、いつも桃の甘い香りがする。

スーパーに行くと入口に今が旬の桃がたくさん置かれていて、芳香を放っている。
金曜日の夜はこれを買って帰り、冷蔵庫でよく冷やして、休日に食べるのが
最近のささやかな楽しみになっている。
その香りが、いろんなことを想い出させてくれる。

一昨日も会社の帰りにスーパーに寄って桃を選び、ペットフード・コーナーへ寄って、
うちのグルメキングのために猫缶をあれこれ物色していると、「まあ、美味しそうなのを
買ってもらって」と後ろから声を掛けられた。 振り返ると、老婦人が立っていた。

「家猫さん?」と言うので、「そうです」と答えると、そのご婦人はこう続けた。
「私はねえ、捨て猫に餌をあげてるのよ。 近所のお家が引っ越しをした時に
置いていかれてしまってねえ。」
「かわいそうですよね、捨てられるなんて」と言うと、「本当ねえ、ご近所の何軒かで
世話をしてるのよ。 やっぱり、命、だから。」

桃と猫缶を提げて歩きながら、置いていかれた猫のことを考える。
猫は、自分の運命を受け入れるからな。 捨てられたことはもちろん理解している。
でも、だからといってどうすればいいのかわからず、じっとうずくまって、目を閉じる。
猫は寡黙だ。

よく冷えた桃の皮を剥いていると、レオがやってきて匂いを嗅ぐ。

この仔は小さい時、メロンが大好きだった。 
カットメロンを買ってきて、小さく切ってひとかけらずつ手で与えると、
すごく喜んで、シャクシャクとおいしそうな音をたてて食べた。
その姿がかわいらしくて、俺もよく一緒に食べた。

「桃、食べる?」と言ってレオの口元に持っていくと、少し舐めるだけで満足する。
そして、隣に座って、俺が食べるのを見ている。
大人になってからは人間の食べ物を欲しがることは無くなってしまったが、こうやって
この桃の匂いを嗅いで、俺がそうだったように、幸せな匂いとして憶えて欲しい。

そうやって1つずつ想い出が増えていけば、この仔の一生は豊かなものになるだろう。
いつか将来、暑いときが来ると甘い匂いがしたなあ、と想い出せるようになって欲しい。
そして、それを想い出すと幸せな気持ちになる、そうであって欲しい。



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暑い毎日

先週はとても暑かった。 
館林で39度を超えた日もあった。 その日の午後1時頃、俺は新宿紀伊国屋前の
交差点にいたが、その日差しの強さと身体にまとわりつく湿気で現実感を失い、
遥か昔、子供の頃の夏休みの日々を想い出していた。

夜のニュースでは連日トップニュースでこの暑さを派手に伝えていた。
それを観ながら、最近のニュース番組は何でこんな風になったのだろう、と思った。
夏が暑いのはあたりまえのことで、そんなことを冒頭の10分以上の時間を割いて
伝える必要が一体どこにあるのだろう? 

俺がまだ小さかった頃は、一般家庭にはクーラーなんてついてなかった。
扇風機も羽根を回すモーターのついたヘッド部分が重くて、首のネジがすぐに緩んで、
ガクン、とヘッドが下に向いてしまうような代物で、大して涼しくならなかった。

毎日汗だくになって過ごし、自転車を漕いで市民プールに行って泳ぎ、帰りに駄菓子屋で
30円のアイスクリームを買って食べた。 どの街にもそういう市民プールが必ずあったが、
今はもうどこにもない。 夏の過ごし方は、すっかり変わってしまった。

日本の三毛猫に長毛種がいないのは、この蒸し暑い夏を過ごすのに不都合だからだ。
ところが、まるで日本人の夏の過ごし方の変化に合わせるかようにして、外国の長毛種の
猫たちがたくさんやってくるようになった。 彼らが現代の日本で立派に生活できている
ということからも、日本人の夏の過ごし方が変わったことがわかる。

レオも湿度には敏感で、外の気温に関係なく、家の中が蒸し暑くなってくると、
食欲がなくなる。 この週末は外気が20度前半とこの時期にしては異例の低さだが、
湿度がとても高く、家の中はちっとも涼しくない。

小さな身体のこの仔が食事を残してしまうのを見るのはつらくて、どうしても
エアコンが切れない。 エアコンの冷気自体は好きな訳ではなさそうなのだが、
つけないよりはまだマシなようだ。
また、蒸し暑いと昼寝もうまくできないようで、終日家の中をうろうろしている。
これは、家の中が快適ではない証拠だ。
よく見れば見るほど、普段と違う様子に気が付くことになる。

物言わぬこの仔が何を思い、どう感じているのかが知りたくて、この時期は
いつもより神経質にその様子を見てしまうが、果たして、どこまできちんと
理解できているのだろうか。

これは今でもよく考えることだが、うちに来て最初の1年間の0歳の頃、初めて猫と
暮らす俺は、~したい、~して欲しい、というこの仔の気持ちの実にたくさんを
きちんと理解できないまま、あきらめさせてしまっていたんだろうと思う。

その存在や一挙手一投足の全てが新鮮で驚異で、そういうことばかりに気を取られて、
この仔の気持ちを理解しようなんてことまでは気が回らなかった気がする。

だから、今からでもできるだけきちんと理解していこうと思うのだが、
4年近く経った今でも、これは難しいことだとつくづく実感する。


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                     【 何を考えてるの? 】

自負と偏見

勘違いをして思い込むというのは、よくあることとは言え、これがなかなか恥ずかしい。

イタリアの世界的工業デザイナーにピニンファリーナという人がいるが、
何をどう間違えたのか、この高名なフェラーリのデザイナーの名前を、
その語感からか、なぜかアスピリンの一種だと長い間思い込んでいて、
その昔、恥ずかしい思いをしたことがあった。

フェラーリがスーパーカーと呼ばれる所以は、その性能の凄さまじさに加えて
あの凄いデザインがあってこそな訳だが、なぜか全くわからないが、
それを薬の一種だと思い込んでいた。

先日、彼の訃報のニュースを聞いてそのことを思い出したのだが、
それと同時に、もしかして、レオのことでもいろいろ思い込みをしているかも
しれないなあ、と思った。

例えば、猫にとって、身の回りの世話をしてくれる一番近しい人と、
無条件に一番好きな人が必ずしも一致するとは限らない、という話をよく聞く。
それはそうだろう、と思う。 感情を持った生き物だ。

今まではそこで話は終わっていたのだが、でもよくよく考えると、うちの場合、
人間は俺一人しかいない訳で、他に選択肢が無いから俺に懐いてくれているだけで、
レオが本当に一番好きな人が誰なのかは、実はよくわからないのではないか。

小さな頃からこの家で暮らしているので、身の回りの全てのことをしてくれる人として
俺のことはもちろん認知されている。 例えば、妹がうちに来て、レオのご飯を用意して
出してやっても、レオはいつもの人と違うよ、という感じでテーブルの周りをしばらく
ウロウロして、なかなか口をつけなかったりする。

また、うんちとおしっこの両方がしたい場合、先にうんちをして、その後、
きれいにして~、と俺を呼びに来る。 俺がトイレの片づけをし終わると、
またすぐにトイレに入っておしっこをする。

昼寝から目が覚めると少し甘えたくなるらしく、俺のそばに来て、撫でるよう催促する。
よしよし、としばらく撫でてやると、目を閉じて嬉しそうにしている。

遊びたい気分の時は、あの手この手で遊びのお誘いをして来る。
その判りやすいことといったらなくて、俺は何をしていても一旦手を止めて、
少しの間、一緒に遊ぶ。

一事が万事こんな感じだから、レオはいつだって傍を離れないし、
何もしてなくても、俺の顔を見続ける。 

でも、その顔を見ながら、本当に好きなのは一体誰なんだ? と呟く。

この家に、もしたくさんの人間が住んでいたり、同居する猫が他にいたら、
おまえは一体、誰のことが一番好きになっていたのだろう。

今と同じように、俺の顔を見てくれていたか?


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                       【 そんなの、知らーん 】


後ろ姿が語ること

政治には、あまり興味がない。 
正直、選挙だって行ったり行かなかったり、とかなりいい加減だ。

大学時代、ケインズ(「講和の経済的帰結」は読み物としては割と面白かった)や
マルクス(「資本論」は勿論、途中で挫折した)の著作を何冊か読んで、
経済学が政治に及ぼす影響や、政治が経済に与える効果などを知って、政治本来の
意味のようなことをその時初めて知ったのだが、ニュースで流れる日本の政治は、
ケインズたちが真剣に考えていた政治の姿とは似ても似つかないことに嫌気がさして、
まともにニュースさえ見なくなってしまった。
まだ若くて、理想のようなものがこの世のどこかに必ずある、と思っていたのだろう。

そんな平均的でいい加減さな俺でも、さすがに大飯原発の再稼働には頭に来て、
2日後に再稼働を控えた6月29日(金)の夜、首相官邸前の反対デモに参加した。
先週末は仕事の都合でいけなかったが、それでも雨の中、多くの人が参加したようだ。

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現場の雰囲気はかなり圧巻で、子供を抱いた母親や茶髪の若い女の子までもが、
再稼働反対を叫んでいた。 それは、すごい光景、の一言に尽きた。

デモが終わる夜8時になる少し前に、混雑のピークを避けるために一足先に地下鉄に
乗って帰ってきたが、日本で50年振りに行われる国民によるデモの熱気にあてられて
頭の中が昂奮していたので、最寄駅を降りて途中にあるバーに立ち寄り、
少し酒を飲んでクールダウンしてから、家に帰った。

うちは、もうエアコンを入れている。 もちろん、レオのためだ。
湿度が上がるにつれて食欲がなくなり、小さな身体に負担になっているからだ。

電気がくるのは、ありがたい。 おかげで、レオは元気に過ごせる。
でも、今のこの国の状況で原発を動かしてまで電気を供給されたいとは思わない。

福島の事故が自然災害ではなく人災なら、この国では今後、原発を動かすことが
できないのは自明だ。 海外からは日本の文化や社会性が原因だと指摘されている。
その通りだ。 だから、動かしてもらっては困る。

原発を動かさなければ電気を送れないと言われたら、レオには我慢させよう。
かわいそうだと思うが、この仔だって、今の日本で一緒に生きる国民の一員だ。
この仔に住民票はないけれど、でも、いざとなったらこの国が置かれた状況に
自分を合わせなければいけないだろうと思う。 
俺は動物が大好きだけれど、盲目的な動物愛護主義者ではない。

今日は雨が上がって、薄日がさしている。
バルコニーに雀がたまに来るようになって、レオはカーテンの陰から外を覗いている。

いつまでもこの暮らしが続いて欲しい、とその後ろ姿が語っている。


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週休2日では足りない、という話

我が家のメインPCである書斎のデスクトップが数か月前から調子が悪く、
これまで騙し騙し使ってきたのだが、突然のデッドロックがやってくるのが怖いので、
止む無く買い換えることにした。 

インテルの最新チップを搭載したハイエンド機で、メモリやディスクも増設した
高性能マシンだ。 なのに、5年前に買った現行機よりも大幅に値段が下がっており、
時代の進化には驚かされる。

PCが新しくなると、ネットのブックマークなどを一からやり直すことになって
とても面倒なのだが、それまでの古い因習が全部クリアされて、全く新しい環境を
作り出すことになるので、これはとても健全で気持ちのいいことだ。

という訳で、あのー、早く開梱して作業を始めたいんですけどー。


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わざとやっているとしか思えない、この態度。 なんで、わざわざ、ここで寝るんですか?

寝室のベッドで寝ませんか? うちのベッドは、クイーンサイズですよ?
そんな風に、脚を曲げたりする必要ありませんよ?

でも、何を言っても無駄である。 レオは、荷物の段ボールが届くと、
俺が必ず開梱してそのあとすぐに箱をバラして片づけてしまうのを知っている。 
だからこそ、ここで気持ち良さそうに寝るのである。 
それが、猫という生き物である。

こういう場合、声をかけるのは逆効果である。 声をかけると、ムフフ、見てるな、
と内心ご満悦でますます居座ってしまう。 だから、リビングでツタヤから借りてきた
「ドラゴン・タトゥーの女」を観て、放置プレーすることにした。

しばらくするとつまらなくなったようで、ストン、と降りてきた。
やれやれ、とようやく作業を開始する。 開梱して、PCを取り出し、箱をつぶして
開いた口をガムテープで留めようと取りに行って、戻って来ると、こうなっている。


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当り前のように、入っている。

あのー、寝室にあなた専用の猫テントがありますよね? そこに入りませんか?
太古の時代、猫は木の洞穴の中で眠っていたというから、あなたのためにわざわざ
買ってあるんですよ。 買った当初は、毎晩、そこで眠ってましたよね?
なのに、すぐに飽きて、もう全然見向きもしないので、屋根には埃がついていますね。

でも、やはり、何を言っても無駄である。
新しい穴倉を見ると、そこには入らなければいけない。
それが、猫という生き物である。

こうやって、いちいち絡んでくるので、人間側の作業効率は著しく低下する。
PCを取り出して、箱を片づける、たったこれだけのことで1時間もかかるのだ。
もちろん、どけよ、とばかりに強制排除することはできるのが、
そうすると逆ギレして、更に作業に割り込んでくるようになる。
このあとの書斎でのPCの入れ替えと設定作業での邪魔のされっぷりは、
もはや絶望的なまでの有様だったことは、言うまでもない。

休日には休日にしかできないことがあって、それはどうしてもやらねばいけない訳だが、
猫と暮らしていると、週休2日では全く足りない、と思うことがしばしばである。

サラリーマンが猫と暮らすのは、案外難しいことなのかもしれない。



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プロフィール

リアノン

Author:リアノン
独身男の一人暮らし。

猫と暮らしたくて、一人で寂しい思いをしている子を、と思い里親募集に申し込んだら、一方的に断られた。

一人暮らしの男に猫と暮らす資格はあるのか? 

これが、このブログのテーマです。

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