Princess Chu's Pleasure Sac Wow!!
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Tony Takitani
私は邦画って雰囲気だけで内容無い!って偏見があるのでほとんど観ないのですが、観るとやっぱり「雰囲気だけで内容がない」ので「やっぱり」って思わされる!!まあさ、こういう繊細な感じの映像って、邦画独特なものなんだろうし、そういうフワフワした雰囲気を楽しむためにあるんだよ!って言うのだったら、まあ私の好みじゃないんだろうなあ。
あとどーしても許せない、邦画に出てくる女のしゃべり方!「アタシ・・・・わがまま・・・・なんです」あー!!!痒い!日本の女あんな風にしゃべらん!そもそもこれ観ようと思ったの、宮沢りえって今どうよって思ったからなんだけど、あんなほにゃららな役じゃなくて、もっとビシー!としたところ観たかったなあ。 でなんか、キャラ設定もどうなのよ、って感じ。トニーの生い立ちとか、なんで孤独になっちゃったとか、変わっているけど結構誰でも思いつきそうなアイデアで、その割には共感しないという、ほんっと雰囲気。アメリカとか戦後とかの。感情があまりないってのが、彼がメカニカル・デザイナーになった理由とか、小学生が作ったみたいなキャラだなーと思う。 で、そのトニーが惚れる女がブランド狂いの女で、「君のように服を着る人は見たことない」・・・なんだっけ、風のように?忘れちゃったけど、背筋が寒くなるようなフワフワしたこと言うのよ~!!!!でこの女がフィアンセが居て~苦悩して~って、本当に月並みな感じで。 ナレーションで語られていくところがまたウザい。だいたいこのナレーターが登場人物じゃないので、誰の目線でもないから、まさに演技とか演出で表現すべきところを全て説明されている気がして超つまらん。で時々登場人物が唐突にナレーションし始めるんだけど、これも「奇をてらった」って感じがして、狙っている効果がない、っつか、何を狙っているのかもわからんけど。 なんか素人が作った映画みたいって思うんだけど、市川準?ってすごい人なの? あと、ストーリーもさ、フィアンセが居る女をとくとくと説得したら結婚できた、とか、ブランド狂いの女が返品した服のことを考えてて交通事故に会って死んだ、とか、なんか話を「こっちへ持っていく」ためにお膳立てしたエピソードって感じがして、必然性があまり感じられない。 必然性って言えばさ、奥さんが死んだ後、若い女の子を雇ってきて、妻の服を着て仕事をさせようと、妻の衣裳部屋に入れると、服を試着しながら女の子が泣くのよね。で、「どうしたの」って訊くと、 「すいません、すいません、きっと・・・・こんなキレイな服を一辺に見たことなかったから・・・・混乱したんだと思います」って言うんだけどさ。 意味不明!!デパート行ったらこの何百倍もの服を一度に見れるじゃん!!それにこのセリフ!何も示唆してないし、意味の無いセリフ。それとも、これがこの女の子がお金が無いってことを示唆しているとでも言うのか。それ示唆じゃないよ。泣くか?!なんで泣くの?わから~ん。 あと、終わりに男がこの女の子にもう一回電話をかけるんだけど、彼女は出なくて、出なかった理由が近所のおばはんに引き止められたせいなんだけど、これを演出するのに、おばはんがどーでもいい会話を女の子としているんだけど、この会話の内容もなんか、この程度の話しか浮かんでこないのかなあと思う。女の子が「そんなものもらわなくていいよ」って思う手袋の色が黄色と紫って言うのも、奇抜過ぎて普通買わない色だよなって位の理由しかない。この会話がなんか伏線になっているとか、話の始めの方で女の子がこの色が嫌いって言ったとか、なんにもないの。それとも私がそこを見逃している? こういう風に書くと、この映画を好きな人が怒るんだろうけど、怒らなくていいです。アタシにこの映画を観る感性がないのよ。もう邦画はあきらめた! |
127 Hours
ウィキによるとダニー・ボイル監督はインタヴューで、「この映画は、動けない男を描いたアクション映画だ」って言ったらしいんですけど、本当その通りで、すごい躍動感のある映画でした。さすがスラムドッグ。主人公は右腕を石の間に挟まれて動けず、だーれも彼がどこにいるか知らないので、誰とも会えず、話し相手もいない、そういう状況を面白い映画にできんのかよ?っていうのがチャレンジだったんだと思うんですけど、ダニー・ボイルさん、この実話を映画化したくて4年も待っただけあって、すごい斬新な解釈と言うか、映像!
そういう美しい映像と前後して、細くて小さな峡谷に捕らわれたアーロンの映像が・・・・言っとくけど、ってわかってると思うけど、なんたって『28日後・・・』のダニー・ボイルですから、キモイです。 『28日後』って言えば、アーロン役の最初のチョイスはキリアン・マーフィーだっったんだって!?!?それも観たかったなあ。でもジェームス・フランコもいいよね~(ヨダレ)。アメリカ人の友達は、この実話が起こったときにニュースで経過をチェックしていたし、アーロン生還後に出たインタヴュー・番組とかも観たので、「ジェームス・フランコは、本人の雰囲気を良く出してる!」って感心してた。最後に本人が出てくるんだけど、このカルーイ感じは、ジェームス・フランコの方が当たり役だったかも。でもキリアンは化けるからなあ。 もっと怖いかと覚悟して行ったんだけど、意外と怖くないなと思いました。アタシがこの状況に陥って一番怖いのは、まず、時間が経つのがすごいのろいじゃない?どこにも行けないし話す人いないし。しかも、このまま誰も助けに来なかったら、ゆ~っくり餓死するわけじゃない。すっごい辛い死に方じゃん、それって。 とかさ、石に挟まっちゃった腕を切り落として自由になればいいんだけど、そんな身体で本当に生きて帰れるのかもわからないじゃん。立ったままだから眠るのも大変、食べ物も水もどんどんなくなっていく。なんかさー!こういう蛇の生殺し状態って最悪じゃない? あと、腕を切って助かるとしても、自分で自分の腕を切るって決心するのがさ~。タンポンの紐が切れて「自分で手を突っ込んで出せ!」って言われたらできないし、アタシ。 腕切ろうか切るまいか、できね~よ~とか、水がなくなっちゃうよ~とかそういう状態なのに時間が経つのが遅かったら、苦しみが長引くじゃない。そういう感じがこえええええよ~~~って思ってたんだけど、アーロンは持ってきたビデオに両親や友達へのメッセージを入れたり、過去のことを振り返ったり、最後の方は幻覚とか見てて、「ああ、幻覚とか見てもう現実がなんだかわからなくなればそんなに辛くないなあ」と思った。 怖くないったって、異常に緊張して疲れたけどね。渓谷に石と一緒に落っこっちゃってからは、もう身体固まりっぱなし。すごい緊迫した。腕を抜こうとして取れなくて、引っ張ったりするともげるんじゃないかと思ってハラハラするし。 このアーロンて人は、インタヴューを見たことのある友人によると、すごい楽観的な人なんだそうで、映画観ててアタシもそういう印象を持った。あきらめね~な~って。アタシだったらもう絶望しているな。腕を切り落とす勇気はないし、かと言って誰も助けに来るわけないし。そういう心持ちでいたら、この127時間はものすごくながーく辛い時間なんだろうけど、アーロンみたいに、「こうしたらどうか」「ああしたらどうか」って自分で忙しく思考していれば気が紛れるし、生存の確率も上がるわよね。 オスカーは監督賞にノミネートされてないんだね。これ監督賞だと思うなあ。脚色賞でもいいんだけど、脚色賞は『トゥルー・グリット』に獲って欲しいし!編集賞と音楽賞は『127時間』に上げてもいいな。 |
Dot Com Lovers
アタシもアメリカでマッチ.com やってたのですっごい読みたかったのですが、この間地元の古本屋で99¢で売ってました!やっぱり縁があったのかな~。
アタシと吉原さんは似ているみたいで、まずプロフィールは自分と言う人間をきっちり表現し、ここで誤解のないようにして置く。でも、気になる人が見つかったら、余り深く考えずにコンタクトして、余り深く考えずに会って、結構そんときのノリで行っちゃう。 吉原さんは、こっちが「うわーこの人いい!」とか盛り上がっているのに相手はイマイチ熱くなってない、ってのをレポート調の文面で淡々と書いていて、飄々として気にしてないみたいに聞こえるけど、本当はすごいショックだったと思うよ。メイル送った相手から返事来ないとか、1回デートした相手が連絡してこないとか、結構がっくーんと来るんだよね。「ああ私ってやっぱ魅力ないのかしら。ネットでさえ男見つからないの?」とか(笑) そこが「書く」ってことの魔力で、こうして人様に読んでもらおうと思って書くと、実際に自分に起こったことを第三者的に見られて、悲劇だったものがユーモアのあるものに見えてきちゃう。吉原さんも、カルチャーやなんかの研究者であるから自分の体験をそういう風に見て「これは書いたら面白い」って思ったのと、自分の体験を昇華させるといった2重のメリットがあるからこれ書いたんだと思う。 しかしこの人はタフな人だよ。恋愛して、振って振られて、わんわん泣いて、立ち直って、またトライしてって。アタシもかなり怖いもの知らずだけど、こんなによく受け皿があるなあと思う。あ!あと、元彼とは友達でいるって言うのはアタシにはできなくて、吉原さんはみんな友達としてキープしているらしいんだけど、やっぱりそれって複雑な心境らし。いくら恋心が冷めていても、今自分には好きな人がいても、昔付き合ってた男が燃えるような恋愛をしていたり、結婚したり、子供ができたりするとすごい複雑な心境なんだと。全く同感。だから私は、別れたら一切連絡取らない。 それにアタシのケースは吉原さんと違ってだめんず遍歴みたいなもんだから、あきれ返って別れることが多かったので、別れた後に連絡されても、「今頃遅いわよ!」としか言い様がないし。 アタシがオンライン・デーティングをしてて感じたのは、みんな相手を探している割には慎重なんだよね~。やっぱり年齢的にも離婚したり色々しているので、真剣になってキズつけられるのが怖いというか、カジュアルな付き合いにして置く、って言うのが多い。で、アタシ的には、こっちはかなりその気になってもう一段階進めたいのに向こうがグズグズしているからイライラしちゃって、こっちが「あーもう面倒くさい!」って振る。すると半年位して「君のことはすごく好きだった」とかってメイルが来るパターンが多いんだけど、これってさ~、バーチャルな環境ではこうやってロマンティックになれるけど、面と向かって、生身の人間同士になるとできないのかな、って思った。実際に会っているときは、面倒くせーなーとか、この女たいしたことねーなーとか、縛られたくないなーとか思っているくせに、会えなくなると頭の中でアタシのこともアタシたちの関係も美化して、「忘れられない」とか言うくせに、いざ会うとまたそっけない感じなの。恋愛する能力ない人って意外に多いなあって感じたわ。 今の彼氏もマッチで見つけたんだけど、今回はだめんずではなく、もう一年以上も続いているんだけど、吉原さんもすごい気が合う人が出てきたのに、結局別れてしまい、なんかそれを読んだら「うーん」って考えさせられたね~。 やっぱりこの年になってくると、余りに色々な経験を積んでいるので、若いときみたいに、「この人なんだわ!」みたいに思えない、そう思って今まで何人の男と別れてきたのよ!とか思っちゃう。吉原さんのケースは、お互い大学教授で、仕事があるところに引っ越していくのは当たり前、吉原さんも苦労してテニュアを取った大学を辞めて彼についていくわけには行かないし、彼はやっと教授として勤められる大学の仕事をあきらめてハワイに残るわけには行かない、という「大人の事情」で別れちゃう。 恋愛ってすごく不安定なものだから、大人になるとプライオリティが下がる。とにかく喰っていくために仕事がなくちゃ、お金がなくちゃ。でも男はいてもいなくてもどうにかなる。恋愛すれば楽しいけど、他に楽しいことはわんさとある、とか思っちゃうとさ~。 でもアレなんですよ、恋愛って、あえて積極的にするものだと思う。最初に「男が見つからない女は頭でごちゃごちゃ考え過ぎ」って言ったけど、上手く行くかな、幸せになれるかな、結婚できるかな、とか思っちゃダメなのよ。恋愛っていうのは自分を成長させるもので、時間の無駄って事はないし、しないよりはした方がいい。 かと言ってキズ付かないとかがっかりしないって言ってるわけじゃないのよ。なんかあっさり「なーんだこれ」ってなるかもしれないし、すっごい辛い別れになるかもしれない。でもさー、もう恋愛と失望とか苦労ってカップリングだって思って、受け入れるしかないのよ。おいしいとこ取りはあり得ない、楽あれば苦あり!そう思うと気楽になるし、かつがんばれるわ。 この本の最後の章が『大人になるということ』というタイトルだったので、きっと吉原さんもそういう心がけなんだろうなと思った。一緒に飲みに行きたいな~こういう人! |
Gia
11歳の頃のジーアをミラ・クニスが演じているつーだけで借りてきたのですが、うんうん、可愛い!でもやっぱこの子ちょっと豊満なタイプで、今は20代だからがんばってスレンダーな体型してるけど、もう少しおっきくなったら、やっぱりキャサリン・ゼタ・ジョーンズみたいになっちゃうんじゃないかしら。
このジーアの役は、かなり実際のジョリ姐と近いものがあるんじゃないかしらん。なんか誰かを思い起こさせると思ったら、コートニー・ラヴだった!自由奔放で、型破りで、不良で、新鮮で、センセーショナル! だもんで、ジーアはモデルとしてはすぐ成功するんだけど、私生活では孤独感が強いせいでドラッグを始め、結局身を持ち崩してしまう。 小さい時に両親が不仲で、大好きなお母さんが自分を置いて家を出て行ってしまったことがトラウマになっちゃったみたいで、すっごい寂しがりなジーア。ボーイフレンドのT.J.は、ジーアがモデルになるのをサポートしようと一緒にNYCに出てくるんだけど、自分の生活もあるから故郷に帰ってしまう。そん時ジーアは「なんで帰っちゃうの?あたしより大切なものなんてあるの?」って迫っちゃう。 お母さんは、再婚していながらもジーアと仲良しで、NYCに何週間も来てくれたりするんだけど、帰る時にはいつもケンカ。 で、モデル・エージェントのウィルヘルミア(フェイ・ダナウェイ)が母親代わりみたいになるんだけど、彼女が死んだ後、ジーアはどんどんドラッグにハマって行く。 若いときは「たとえ短期間でも、成功できたからいいじゃん」ってこういう生き方を賞賛したり、少し前だったら「愛されたい人に愛されない、誰にも愛されていると感じないって可哀想だなあ」と、至極感情的になって観てしまったと思うけど、今は冷静に捉えてしまいます。「愛されたい」っていう気持ちで物事に取り組むのって、上手くいかないんだなあって。「愛されたい」って気持ちは人間誰しもが持ってる感情だし、特に芸能人になろうなんて思う人は、「愛されたい」って気持ちが人一倍強いからこそこういう道を選ぶのだろうけど、それがモチベーションな内はダメなんだなって。 だって「愛されたい」って言うのは自己愛だもん。何か成し遂げて成功しようと思ったら、自分を殺す、自分を超えるってことが必要でさ、自己愛が強過ぎるとそれは出来ないのよ。 この間ご近所さんと話していた時、「例えば母親と上手く行ってなかったとか、父親がいないとかで、友達や恋愛対象の相手がそれを埋めることは出来ない」って話になってさ。 はっとさせられたよ。私は父親がいないんだけど、それはもう「いない」って事実が残るだけで、それを埋めるものって言うのは生涯現れない。みんなが持てるものなんじゃなくて、それは私にはないもの、として受け入れるしかない。 そういう心の空洞みたいなものを埋めて欲しくて誰かと一緒にいる、っていうのは愛じゃないんだなって。 ジーアの場合も、人から注目されたり、必要とされたりすることが楽しかったんだろうけど、それはそれで、家族の愛とか、恋愛の愛の代わりにはならない。お母さんは再婚して自分の家庭もある。恋してしまったリンダ(ジーアはレズビアン)と上手く行かないのも、「愛して愛して」っていうばかりで、リンダは何が必要なんだろう?って考えられないから、上手く行かない。 それから、モデルの世界なんて競争も激しいし、いやらしい、陰険なことも多い世界じゃない。そういう世界で本当に生き残っていく人たちは、「モデルとして成功するにはどうしたらいいか」ってこともちゃんと考えられる人たちなのよ。 ジーアの場合は、自分がモデル業に捧げるものは何も持っていなかった。だから一発屋で終わっちゃったんだろうなあって。 ミュージシャンでも、役者でも、才能があるから祭り上げられて出てきて、身を持ち崩すと「芸能界ってのは怖いところだ」って言われるけど、成功しないのは、やっぱり本人の心構えなんだなあ、とつくづく思わされたし、また、人は愛されることでなく、愛することでしか満たされないものなんだなあというのをつくづく考えさせられた1本でした。 追記: DVDのタイトルは、『ジア 裸のスーパーモデル』ならしいのですが、いかにもエロで売ろうっていう根性がイヤだったので、ブログのタイトルはオリジナル・タイトルのままにしときました。 |