こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。
トランプさんが次期大統領に選ばれたことで、TPPと道徳教育に終了の鐘が鳴り響いています。
これまで学校の道徳教育では、「ウソをつくな」「他人の悪口をいうな」「差別やいじめをするな」「異性を侮辱するな」と教えてきました。ところが、それに反することを公然とやってきた人が、アメリカという超大国の最高権力者に選ばれてしまったのです。
不道徳なことをやりたい放題やっても叱られるどころか、大統領になれちゃうのなら、もはや道徳教育は意味をなしません。
さて、学校現場で道徳の授業をやっている先生がたに、ぜひうかがってみたいものです。この道徳の危機的状況を、こどもたちにはどう教えます? 「本当はトランプさんはいいひとなんだよ! さあ、みんなでトランプさんのケツをなめよう!」とでも?
そんな絶妙だか微妙だかわからんタイミングで発売された私の最新刊が、道徳教育の本質をえぐる『みんなの道徳解体新書』。
ツイッターには、ちょこちょこと感想などが流れてきます。さっそく読んでくれたみなさん、ありがとうございます。
本の帯の「きみのこころも、シュールにかがやけ!」というコピーをほめてくれたかた。うれしいですね。あのコピーも私が考えたんです。『みんなの道徳解剖教室』というタイトル案のほうは変更されちゃいましたけど、解体新書というタイトルも気にいってます。
数時間で読めた、一日で読んだというかたもいます。そうでしょう。さくさく読めるように書いてますから。だからといって私の本はスカスカではありません。それどころか、1年以上かけて調べた情報がぎっしり詰まってます。
漫談のような軽い文体でふざけてるようだけど、じつは私の言葉にはすべて裏付けがあるので、きちんと反論しようとするとかなり骨が折れると気づくはずです。ゆるキャラだとなめてキックしたら、着ぐるみのなかに鉄板入ってた、みたいな。
『「昔はよかった」病』など、以前の著書でも同様で、毎度のことなんで慣れっこですが、私があきらかにした事実を受け入れたくなくて批判してる人たちのほとんどは、まともに反論できてないんです。彼らは抽象的もしくは紋切り型のフレーズで、ふわっと全否定してるだけ。
道徳の授業をしている現役の先生が『みんなの道徳解体新書』を読んでくださったようですが、現場を知らない人間が勝手なことをいってるだけだ、と紋切り型のフレーズで斬り捨ててました。
私が道徳教育のダメなところを辛辣な皮肉と笑いで批判したもんだから、気分を害したのでしょう。でもね先生、ご自分が私の主張になにひとつとして反論できないからって、紋切り型の批判はいけません。
「現場を知らない者が口を挟むな」というフレーズは、なんの根拠もなく自分を正当化できるので便利ですが、説明や反論の義務を放棄してるわけで、ディベートだったら反則負けです。
「学校現場を知らない民間人校長が教育方針に口を出すな!」
「医療現場を知らない患者が医療ミスだとか騒ぐな!」
「政治の現場を知らない市民が政治家のやることに文句をいうな!」
「テレビの現場を知らない視聴者が番組にケチをつけるな!」
こんなんで論破したことになるのなら、まあ、ラクはラクですけどね。でもそれが通るなら、私はこういって批判をかわすこともできるんですよ。
「出版の現場を知らない読者が、オレの本をレビューで批判するな!」
もちろん、私はそんなこころの狭い人間ではありません。自由に意見や感想を述べてくださいね。
現場の先生たちは、道徳副読本に載ってた江戸しぐさが捏造された歴史文化であることに気づかなかったじゃないですか。むかしの人は礼儀正しかったねー、なんて適当なことを教えてたんでしょ?
たとえ道徳教育のまちがいに気づいてたとしても、現場にいるから何もいえないってこともありますよね。先生だって家のローンがあったり、養う家族がいたりする。上が決めたことにヘタに逆らってクビや左遷になるリスクは避けたいはず。学校にかぎりません。そうやってすべての現場はゆがんでいくのです。
だから、外部の人間がゆがみやまちがいを指摘することに意味があるんです。むろん、根拠のある客観的事実を指摘しなきゃダメですよ。感情的なクレームでなく。
私は『みんなの道徳解体新書』を書くにあたって、入念な下調べをしました。そうして得た大量の情報を、笑いをまじえた軽い読みものに仕立てるのがいつもの私の流儀なんです。なので、紋切り型で片付けられるほどヤワなものではございませんよ。
現場の先生がたにこそ有益な情報をたくさん提供してる本なんだけど、読まないなんてもったいないなあ。
もちろん、生徒のみなさんが読んで、先生を論破しちゃうのもアリですよ。
[ 2016/11/18 21:57 ]
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