一.気が弱いというより、恰好つけ
朝7時に起きたときから二度寝をする朝8時半まで、ごおごおと音がする。うちの井戸から知り合いの畑へ運ばれる水の音だ。昨昼いくらか雨が降ったらしいので「そんなに水が必要?」とは思うのだけど、元々地域の畑では「里芋」や「苺苗」など水を多く必要とする作物には夜中じゅう水を出しっぱなしにしている人たちも珍しくはないので、まあ、水は要るのだろう。
この音が聞こえるのは洗面所にいるときなのだけど、わたしが朝活している前と後の時間帯も水が撒かれているとすると、いったい毎日、バスタブ何十杯分の水が使用されているのかと思うと、おそろしくなる。
「井戸が枯れないか」心配にするようになり、数週間が経った。
井戸水はうちの生活用水だから、これがダメになれば、たちまち自宅で暮らせなくなる。(家の横まで水道菅が引かれているそうなので、どれだけの日数かかるか分からないけど工事をすれば暮らしは再開できるだろう)。
*
・こんな大量の水を使われるとは思わなかった
・こんな雨の少ない酷暑になると思わなかった
⇒つまりはわたしが甘かった
「水の心配」をしつつ具体的な対処をできない日々に、自分の生き癖をみる。
(〈自分からアクション起こし、他者に関わり、問題を解決しよう〉という正しい道に進めないでいるところがね)。
入浴や家事で使う水を節約し、庭の水撒きも水量を気にしながらの生活を送りつつ、他方「井戸水が枯れないための有益な対策」として「知人への水の開放」を止めたいと言い出せない。「うちの井戸から出ていく水」の音に心臓きゅうきゅう言わせながらも。
事情を話せば、判ってくれる、と思う。
ただわたしに勇気がないだけだ。
(この提供を断れば、相手がとても困るのが分かるので、言い出せない)
単に「気が弱い」ともいえる。
昔から、形を変えて、本意でない事態を一人で負担する(大損となる)パターンは少なくなかった。(とーとつだが、自分の著作物の盗用に気づいたときも、出版社に相談もしなかった。話が長くなるので以下略)。
今回は「勇気がない」と表現してみたが、過去を振り返ると、「前言撤回は恰好わるい」「自分が我慢すればいいだけ」「器の大きい人でいなければ(恰好つけ)」の思いに自分が支配されていたんだな。……その底には「人に嫌われたくない」「揉め事を起こしたくない」気持ちが自覚なくへばりついているのだろう)
*
自分を大事にできていない、ダメダメさん。
よく言うよね。「自分を大事にできない人は、他者も大事にできない」「自分に優しくないと、人にも優しくできない」みたいなことを。
自分がどんな状態であろうとも、他者を大事にしたり優しくすることは不可能じゃない、と、わたしは思っているのだけど、そのかげで自分の中の自分がしくしく泣いていたら、それは幸せな世界とはいえないよね。
この音が聞こえるのは洗面所にいるときなのだけど、わたしが朝活している前と後の時間帯も水が撒かれているとすると、いったい毎日、バスタブ何十杯分の水が使用されているのかと思うと、おそろしくなる。
「井戸が枯れないか」心配にするようになり、数週間が経った。
井戸水はうちの生活用水だから、これがダメになれば、たちまち自宅で暮らせなくなる。(家の横まで水道菅が引かれているそうなので、どれだけの日数かかるか分からないけど工事をすれば暮らしは再開できるだろう)。
*
・こんな大量の水を使われるとは思わなかった
・こんな雨の少ない酷暑になると思わなかった
⇒つまりはわたしが甘かった
「水の心配」をしつつ具体的な対処をできない日々に、自分の生き癖をみる。
(〈自分からアクション起こし、他者に関わり、問題を解決しよう〉という正しい道に進めないでいるところがね)。
入浴や家事で使う水を節約し、庭の水撒きも水量を気にしながらの生活を送りつつ、他方「井戸水が枯れないための有益な対策」として「知人への水の開放」を止めたいと言い出せない。「うちの井戸から出ていく水」の音に心臓きゅうきゅう言わせながらも。
事情を話せば、判ってくれる、と思う。
ただわたしに勇気がないだけだ。
(この提供を断れば、相手がとても困るのが分かるので、言い出せない)
単に「気が弱い」ともいえる。
昔から、形を変えて、本意でない事態を一人で負担する(大損となる)パターンは少なくなかった。(とーとつだが、自分の著作物の盗用に気づいたときも、出版社に相談もしなかった。話が長くなるので以下略)。
今回は「勇気がない」と表現してみたが、過去を振り返ると、「前言撤回は恰好わるい」「自分が我慢すればいいだけ」「器の大きい人でいなければ(恰好つけ)」の思いに自分が支配されていたんだな。……その底には「人に嫌われたくない」「揉め事を起こしたくない」気持ちが自覚なくへばりついているのだろう)
*
自分を大事にできていない、ダメダメさん。
よく言うよね。「自分を大事にできない人は、他者も大事にできない」「自分に優しくないと、人にも優しくできない」みたいなことを。
自分がどんな状態であろうとも、他者を大事にしたり優しくすることは不可能じゃない、と、わたしは思っているのだけど、そのかげで自分の中の自分がしくしく泣いていたら、それは幸せな世界とはいえないよね。