2023年12月 - ともみ@ピクニック
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亜鉛サプリ

12月27日(水)

Aヨガ、初めて
妖精のポーズを
習ったが、太ももの
肉にハンモック(布)
が食い込みイテテ…

(「痛いはずだから降りて
いいですよ」と先生に言われた
ものの、とっさの対応できなくて
最後までイテテに耐えたわたし。
~翌日見たら内出血していた~
ガンコというよりは「耐える」が
標準になっている人生の癖)

きのう蕪の皮むきで
左親指に包丁傷(血がどばどば
出て絆創膏&何重ものテープ&
手袋でしのいだ)と
右人差し指下に包丁の豆の
つぶれ があり

万一、レッスン中に出血して
備品を汚してはいかんと厳重に
対処していったのでその点の
そそうはなかったのだが

数日前に割れた左人差し指の
爪(正確に言えば爪だった場所
の肉か)が痛くって難儀した。

はぁ。



余談だが、今夏ごろ
あまりに体調しんどいのを
少しでも向上すべく「亜鉛」
サプリを飲んでたのね。

そうしたら、それまで
ちょくちょく割れていた爪が
ほとんど割れなくなった。

最近、亜鉛を飲み忘れがち
だった&乾燥で、また爪が
割れたのかな。

できるだけ一日一回
亜鉛サプリを飲みましょ。


気持ちの酸欠

「他人が足りてない」ってのは、さみしいとか、孤独感がある、とか、そういう直接的なものじゃないんだよね。たぶん。

大人になると「わざわざ何かを教えてくれる」人はいなくって「叱ってくれる」人はほぼ皆無で、よほどのコトを起こさない限り、平穏に頭のなかのお喋りがひとり進行していくんだ。(友人知人だって気心知れている分「相手仕様」に無意識になるのだろう誰だって。そうそう波風立つことはない)。気持ちが酸欠になりますの、ひとりお喋りだけでは。

風をとおしたい。そういう感じなのじゃないかな。他人が足りてないっていうのは。

わたしも雑談して心と頭に風をとおしたいなぁぁ。



この日記もまあ酸欠ですの。

礼節もった大人の雑談したいなぁ。





「他人が足りてない」

雑談を仕事にしている桜林直子さんの頭のなかがおもしろく、ときどき彼女のポットキャストを聴いたりしているが、最近は新潮社のweb連載を読み、うなった。

まず
【雑談が足りない状況とは、つまり他人が足りないということだ】(桜林直子さんの言葉)
名言!!と思ったぞ。



以下も連載のなかで気になった桜林さんの言葉

【どんなに感情を出してぶつけても話を聞いてもらえず、受け取ってもらえないと感じることが多かった子供も、出しても意味がないと伝えることを諦めるようになる】

【我慢強いことが自分の価値になり、つらい場所で我慢することでようやく存在していいと思えるからだ】

【蓋は自分自身に生まれつき備わっているものではなく、環境に対処するために後からついたものなので、新しい考え方ややり方をクセにすれば、時間はかかっても古いクセは必ずとれていく】




わたしは自身のなかに「他人が足りてない」と、数か月前からわりと濃厚に感じている。

欲しいなぁ、雑談。

青山ゆみこさん、尹雄大(ユンウンデ)さん、桜林直子さんなど、文章形式、インタビュー形式、雑談形式……、人と人が向き合うことを「仕事」にしている方々が増えている。モノを売るのではなく、「向き合う」時間を売るのである。

いってみれば、青山さんや伊さんや桜林さんという器を通して客が客に向けているベクトルの方向をズラす作業であり、「客のなかに他人を注入することをしやすくする」そういう仕事なのではないか。

わたしも、他人を注入したーーい!!
(近年のわたしの一番大きな変化かも。昔はできるだけ人から離れたかった)



最後にまた桜林さんの言葉を。

【過去の経験について話を聞いているとき、相手の口から出てくるものは、その人にとって本当のことで、紛れもなくその人が見てきた世界だ。どんな出来事があったとか、それをどんなふうに捉えているかを聞いて、一旦、それが事実かどうかよりも、「その人にはそう見えている」ということを大事にする。頭の中でたくさん考えてきたことや、いろいろな感情を、雑談することによってまずはテーブルの上にそのまま全部出してみてほしい】


雪中かぶら33個

12月26日(火)

自転車で
かぶらの収穫に行く。

DSC_2613.jpg DSC_2619.jpg DSC_2633.jpg

帰宅してすぐに
皮むき作業。

大中あわせて33個
傷みはほとんどなく
それはそれは美しい
かぶらでした。

皮むいたあとの実
13.8キロ
塩(4%)552グラム

樽で塩漬け
重石15キロ

と致しました。


【メモ 去年2022年は
12月14日 塩漬け
かぶら4.41㌔
12月23日 本漬け】

【今年】
DSC_2641.jpg

「ミッピー?」

12月25日(月)

昨夜は沢木耕太郎さんのラジオを流しつつ就寝(もう20年程になるのか…イブの定番)。

母はデイサービスへ。(基本ショートに行かない週に利用)。かつてはデイを毛嫌いしていた母だが、今では当たり前のように通っている。責任者兼送迎担当のTさんにも気軽に手を振ったりしているし。「人はいくつになっても変われる」をわたし自身が学ぶ日々。

ミッフィーの名前を、音で伝えても「ミッキー?」と言い返す母。「ミッキーじゃないよ、ミッフィー」と言い直すと、なぜか必ず「ミッピー?」となる。最終的には紙にカタカナ書いて説明するなり。(別に母がこのうさちゃんの名前知らなくてもいいわけだけど、わたしの甘え時間というかコミュニケーションなんだよね)

DSC_2604.jpg

今のところ「間に合った」と

備忘として書いておくと、わたしは「父のこと」も「母のこと」も間に合ったなと思っている。最近の日記でしばしば「恵まれている」とか「幸せ」と文字化することあるけれど、おおむねその方面への感謝の気持ちからの表現でもある。



わたしにとって両親は幼き頃から大人になるまで「好き」な対象であった記憶が一度もない。むしろ好きか嫌いか二択せよと迫られたら後者であったかも。

父は昭和五年生まれで典型的な昭和のおとこ。家のなかでは偉ぶって、若いころはやんちゃな面もあったようで、結婚後も家庭人というよりは仕事人間(&仕事上の付き合い酒が頻繁でひどく酔って帰ること常)だった。当時どこにでもいそうな父親だ。単身赴任生活は長く、実際のところ、わたしが父と一緒に生活したのは十年ちょっとか。

名古屋で一家で暮らしていたころは(月一回くらい?)父と母と姉とわたしの四人で都会のお出かけを楽しんでいたようだ。数少ないわたしの記憶のなかには「父がお店で一番高いステーキを頼み、母は一番安いサンドイッチを頼み」という家族の外食風景がある。わたしはそれがイヤだったし、わたしはそのとき自分や姉が何を食べたかはまったく覚えていないけど、家族の力関係や両親の性格をあらわしているなという印象が今もって残っている。

わたしが高校生の頃か単身赴任先の父のもとに一人で遊びに行ったことがあり意外とまめな父の常備菜が出てきたのに驚いたり、わたしが大学生の頃には(父の定年前かな)誕生日プレゼントのセーターを父の職場に送った記憶もある。大人になってからはわたしの転勤先が父の仕事のOB会開催地であり二人で待ち合わせてなじみの居酒屋に連れて行ったりもしたっけ。

とは書いたけれど、それはわたしの父の嫌いな面にフタをした部分の付き合いのことで、わたしは父のことをほとんど知らなかったし(一部の性格だけを「この人」と思い込んでいた)たぶん遠い存在だったのだろう。

それが父の余命宣告を機に、迷いに迷い実家の地方に生活の拠点を移し、物理的な距離が縮まった。当然それまで知らなかった「老いた父」を初めて間近で見ることになる。

(父の単身赴任のときはもちろん、父の定年後はわたしが社会人となっておりたまの短日の帰省でしか顔を合せなかった、ある意味このときはじめて父と向き合ったのかもしれない)。

わたしは父の好々爺ぶりに驚いた。

顔つきがとても穏やかになっていたのは、働き盛りの頃のストレスがすこーーんと消えたからだろう。隣の市には娘(わたしの姉)家族が住んでおり、孫たちはかわいい盛りでじーちゃんじーちゃんとまとわりつき、酒もたばこもたしなんで、盆栽や畑仕事に生きがいを見出し、当時は友人や親せきもまだたくさんいて、どこからどうみても幸せな人だったと思う。なにより父自身が毎日の生活に自力で楽しみを見出していた。(海岸通りから摘んできたものを活けたり、料理番組のメモをとったり、小道具を自作したりなどなど)。

父と一緒にいると、クククっと、あふれてしまう笑いがあった。当時わたし四十前後の発見。

たまに腹立つこともあったし、めっちゃイヤなこともあった、だけどだけど、圧倒的にわたしは当時七十代半ばだった父の魅力に気づいたのだな。そして病気がまださほど進んでいないときは二人で映画を見たり飲みに行ったりと、(自宅では毎日家族で晩酌、あの頃は骨酒作ったり楽しかったなぁ)大人になった娘と父で楽しんだりもした。通院にはほぼ全部わたしが付き添ったので色んな話をしたのだろうが、そのときの細かな記憶は残念ながらない。

そして父の晩年、すっかりわたしは父を嫌いではなくなり、この世から父が消えてからは正真正銘のファザコンになった。

「間に合ったなぁ(父に関して)」と思うゆえんである。



つらつら書いていたら長くなってしまった。

母に関しては(かなり省略して書く。父のこと長く書いて疲れてしまった)、介助・介護が必要な頃になり、ようやく「イヤ感」が薄らいできた。今は「かわいいな」「愛おしいな」と思うけれど、それは若い頃の母に対してではなく、現在の老いて「わたしの嫌がるようなことをほとんど言わなくなった」「そこに存在するのが役目のようになった(代替わりをして家のことにわたしが主導権を握るようになった)」「保護の必要な、半分子供みたいになった」母との関係上の思いである。

これからまだまだ親子関係が変化するかもしれないけれど、今のところ、わたしは母についても「間に合った」と思っている。



ささやかなクリスマス会

12月24日(日)

いつからか心の部屋の
様子が違っていて。。。

なぜかは分からない。

お稽古などと
メンタル薬の相乗効果?

去年が地獄級の辛さだった
ので生還のご褒美?

コロナ禍の一人療養生活で
学ぶことが多かった?

いずれも「有る」ような気がする。



おやつはクリスマスの飾りを
並べ、89歳の母と小さな
ケーキを2つずつ食べる。

リビングの大きなテレビで
クリスマスソング流して
知ってる曲を歌いながらの
ささやかなひととき。

この時間に幸せを
感じられるようになった
自分に感謝します。

(来年以降はどうなるか
まったく不明だが、今は
今の幸せをかみしめよう)



夜ごはんは、ひき肉とおからで
ハンバーグもどき。(おからを
入れすぎてぱさぱさだった)。
ソースは夏に半乾燥させ冷凍
しておいたプチトマトとアボカド
で作る。あとはお雑煮(これで
年初のお餅を食べきった)。

DSC_2597.jpg


メリークリスマス 🎄✨🎄✨🎄✨


酒好きとアル中

追記

わたくしの場合
アルコールを大量受け付けるのはDNAの影響で
アルコールを飲み過ぎてしまうのは意志のせい?

(飲まずにはいられない精神構造
飲むことで何かを埋める
単純に飲酒=快楽 etc )

うーん。

酒好きとアル中の(我の考える)違いは

前者は「飲む内容。味とか香りなど
お酒そのものの質」にこだわる。

アル中は前者の要素よりも
「酔えるかどうか」「アルコール度数」
「費用vs酔い」を即座に計算して
しまう

ってのがあるんだな。

わ、わたくしは完全
後者であります。



呑んべえDNA

これは遺伝的要素の強い、わたしの特徴なのだろう。アルコールに相当なる耐性あるのだ。ときどき「ほにゃららの量を常飲してアルコール中毒になりました」話を見聞きするが、それくらいの量はもう何十年も常飲してるよ、わたし、と思う。キッチンドリンカーから医療的措置が必要なアルコール中毒になった女性の手記を読んだとき、わたしはただただ持って生まれたDNAのおかげで強烈なアル中症状がでていないのだなと思った。

広義で言えばわたしは中程度のアルコール中毒なのだろう。だけど「必要な時はカラダのほうからストップかけてくれる」という恩恵に救われ、今まで生きてこられた。大きな病気をしたときは数か月お酒を一滴も飲まなかったし、二日酔いの日はお酒を飲む気にならない。(自ら迎え酒をするなんてことはまずない)。特別のことでもない限り、飲むのは基本夕方以降だ。

履歴 ⇒ お酒の常飲は大学入学時から。学年が上がるにつれ一人で飲むことも覚え、社会人になったあとは飲み会のあとの飲み足らなさを補うためにバーや居酒屋に出入りするように。転勤先では毎日最低フルボトル1本のワインを飲んでいて。。。(この時期は会社のおじさんたちと飲むか、一人で飲み屋に行くか、一人で家飲みか、のパターン。二日酔い酷く点滴を打ってもらったこともあるし、通常の二日酔い症状が出ず、翌日の夜とか三日目くらいから二日酔いの症状出ることも時々あった。かなり肝臓がまいっていたのだろう、と今にして思う)。 

現在 ⇒ 外で飲む機会は激減したし、基本は家で晩酌。昔よりは飲む量が減ってはいるけれど、休肝日はめったにない。

これを書いているのは12月27日であり、すでに四日以上休肝中だ(記録的なこと!)。このまま晦日あたりまでお酒を休めたらいいなー。

***

22日の夜は、気持ちが明かるすぎて、ついつい飲み過ぎたのだと思う。飲み始めてから短時間でSNSに記憶のない書き込みまでしておった。おそろし~い。

わたしはお酒を飲めない・飲まない人がうらやましいよ。「飲む」ことで神経を緩ませ快感を味わっているのはたしかだが、「飲む」ことで失っているものもたくさんあると思う。しかしまあ(ここではあえて意志のせいとはしない)、飲むDNAをもって生まれたのだからこれは生涯のお付き合いだなぁ。たぶん長生きできたら90代になっても、わたしは飲んでるよ。

二日酔い

12月23日(土)

もしかして二日酔い
なのかしら?

このカラダの感覚は。

昨夜は軽く飲んでたつもりが

(夜のお出かけのあとは
解放感・充実感・喜び等が
入り混じり、お酒が進み
食も止まらぬの、いつも。

昨晩はそれが顕著で)
前日に開けたウイスキーが
空になっていた。ストレートで
6百ミリほど飲んだのかも🤔



水曜の振り替えで日中
Aヨガのレッスンへ行く。

(水曜夜とはちょっと違う雰囲気)

その帰り、久々に
SKちゃんの家に寄り
茶飲み話をたのしむ。

そのあとホームセンターで
お正月準備品を色々買い
スーパーに寄り、帰宅。

晩御飯は具沢山味噌汁と
買ってきた握り寿司を。

時間がたつにつれ
二日酔いは疑いから確信に
変わる。


DSC_2588.jpg
昨日いただいたT子庭の金柑


本格的初積雪(23)

12月22日(金)冬至

うわっ、かなりの積雪。

昨夜一回雪かきしてあった
のだけど、その跡形もなく。。。

DSC_2585.jpg
朝8時前の庭

早朝に除雪車が来てくれた
ようで助かる。

まずは母の送迎車までの
道のりをせっせと雪かき。

どうしても雪の取れない部分が
あるのでムシロを準備したが
早めに敷いても上から雪が
積もるの必須だから、送迎車
到着してから敷こうと思っていたら

あら、ま

玄関の戸のド真ん前まで
車椅子で迎えに来てくれ

母、一歩も外を歩かず
(段差も上手く扱われ)
車椅子のまま車に乗り込んだ。

助かりました。



朝ごはんを食べ、一人暮らしの
T子さんのところに茶飲みに行き

昼に戻ってまた雪かきし

午睡後、母の帰宅に合わせ
また雪かき。

(車椅子に乗って帰宅して
そのまま玄関のド真ん前まで
運んでもらった)

ふうぅぅぅ。

わたしはまた仮眠。

DSC_2582.jpg

夜はお稽古へ。

(公共交通が止まらずよかった)

今年の稽古
おさめでした。

帰宅して
また雪かきを。


庭の冬支度(23年)

12月21日(木)

さて。昨夜の雪
盆栽にも少し積り。。。

悲しいところでは

DSC_2548.jpg

太い枝が折れておった。

例年は「考えて」作業するのだが
今年はもうそんな余裕ありません。

とにかく経験を元に
運ぶのです。

DSC_2540.jpg

HORIZON_0001_BURST20231221145103253_COVER.jpg

まずは玄関ポーチに
入るだけ入れ、その次は
軒下に盆栽台を組みなおす
の大変だし、毎年屋根からの
雪で骨折する枝が出てくるので
ひとまず納屋に移すことに。

DSC_2555.jpg

初めての試み。
日当たりや空気の入れ替え
水やりの課題は一旦保留の
緊急避難。

春の球根系はそのままでも
いいのだが一応、縁の下に
野菜小物はガレージに。

DSC_2561.jpg DSC_2559.jpg

落葉樹の盆栽やイワヒバ
バラやブルーベリーなど
寒さに強いものは生垣の
下に運び並べる。

ふ~うっ。間に合った。

(最低でも四本の手が欲しい
ところ一人でやるのだから
…今日も人力とは思えぬ
力を発揮した。数十キロ
ものを何十と一人で運び
幾つかかけがえのない枝を
折ってしまったよ。取り返しの
つかないこと。深い悲しみ)

重い板は車庫に入れ
ブロック類はそのまま
(細かい続きはまたね)

DSC_2573.jpg DSC_2567.jpg

例年何日もかけてやる作業を
ほぼ一日でやったのでした。



夜ごはんはレトルトカレーと
お味噌汁(青梗菜、油揚げ
鰹節、水と豆乳、米味噌)

大きなプレッシャー
ひとつ終了した晩

しんしんと雪が記録的に
積もったらしい。


③メンタル薬は生活の補助輪

このドラマはわたし自身の現実的な助けにもなった。
(メンタル薬に対する偏見の緩和)

😚👻😊🫠

患者「薬っていつ止められますか。ここまで治ったのは薬のおかげかもだけど、いつまでも薬を止められなくなりそうで…」

医師「自転車の練習のとき誰かに支えてもらえると安心でしょ。薬も同じです。ふらつかないように手伝っているんです。薬を止めようと頑張らなくていいです。あるとき急に自転車に乗れるようになるように自然と薬がなくても生活に支障がでなくなります」

患者「実は就職しようかと思っているんですけど、正直言ってこわいです。発作がでそうで」

医師「再就職に挑戦しようと思った理由はなんですか」

患者「自分が未熟者のように感じるんです。だから少しでも改善したくて」

医師「ということは、周りの誰かに『未熟者だ』『しっかりしろ』と言われたんですか」

患者「いいえ、言われてません」

医師「じゃあそれは誰の評価?」

患者「ええーーーっと、自分です」

医師「人に言ってはいけない言葉をわざわざ自分に言い聞かせている」

患者「(ふーう。大きくため息)そうですね」

(『今日もあなたに太陽を』エピソード11より)

😚👻😊🫠

わたしにとっては自転車の練習のとき誰かに支えてもらっているというより「補助輪」のほうがイメージしやすいかな。

メンタル薬は生活していくための補助輪、そういうとらえ方だ。


こちらネットフリックスの公式ページ
https://www.netflix.com/jp/title/81572595



②「あなたは自分を責めないで」

「ある病気をきっかけに鬱病を患い心療内科に通うになった」と古い知人が連絡をくれたのは去年のことだったか。年に数回短いメールのやりとりをする間柄だが、その彼が薬の服用をするのはネガティブなことととらえてる様子で、心が弱いから病気が完治しない、と自身を直球で責めているのがとても残念だ。そして歯がゆい。

「精神疾患がなによ。なりたくてなったわけじゃない。何も悪いことしてないのになぜ人の目を気にするの。あなたはわるくない、あなたは自分を責めないで」(韓国ドラマ『今日もあなたに太陽を』エピソード11 看護師長の言葉)

Kさんにもこの言葉を届けたいな。


お勧めドラマ『今日もあなたに太陽を』①

久々におもしろい
ドラマと出会った。

『今日もあなたに太陽を
~精神科ナースのダイアリー』
(2023年、韓国)

舞台は大きな病院の
精神科病棟。主人公の
看護師歴数年の女性が
内科から異動になった
ところから物語が始まる。

最初は「精神の病を
大雑把な扱いでドラマ
仕立てにしてるのかな」
程度に思っていたのだが

なんのなんの、想像とは
まったく違う方面にまじめで
真摯に繊細に描かれるストーリー。

第一話では成人し結婚もした
女性患者の母親との関係を扱い
「低い自尊心を隠すために仮面をかぶっているのです」
なんてセリフが出され。。。

ラブストーリー展開あり
コメディ的要素もあり
次から次への転換を楽しんで
いたところに、突如、主人公に
おそいかかる試練。

これが大きな醍醐味だった。

患者--医療スタッフ
どちらか一方に立つのでなく
人は誰でも白寄りになれば
黒になるときもあり、なんなら
たいていはグレーだ
という人間観。

現代社会に蔓延する
色々な精神の病のかたち
それが観る者にも分かりやすく
描かれているのが
すばらしいなと思った。

看護師の事情に詳しいな
よほど綿密に取材したのかな
と思ったら
原作者は精神科病棟で
働いていた経験あるのだとか。

主人公のみならず
一緒に働く仲間たちの
人生もしっかり描かれており
(仕事中とは違う私生活の姿)
放送の時間の長さに比べ
深いところまで物語が作り
こまれている印象だ。

また主人公に恋する二人の
男性の「病」も特徴的で
それがまた「病気になるのは
特別なことじゃないよ」この
ドラマの底からの声援のような
気がした。

自他への偏見、噂、エゴ
そういう息苦しいものも詰まって
いたけど、エンタメとして楽しめる
要素が高く

(とはいえ、自殺サバイバーの回
あたりから「ドラマとは思えない」
感覚になることがあった)

人と人のさりげない
情の掛け合いがしみる…
不適切な関わり合いをしても
それを乗り越えたり、許したり
慰め合ったり励まし合ったり

(わたしはNの
「自殺について考える」の会の
メンバーたちにもこのドラマ
の存在を教えたいと思った。

こんなことを思わせるドラマ
初めてだわー)

このドラマを見たら、みんな
もうちょっと優しくなって
今よりも生きやすくなるのじゃ
ないかしらーー。



そしてこのドラマの一番の
教えは「自分を大切にする」
ことなんだよね。

主人公の成長とともに
わたしも自分を大切にする
手間を忘れないように
しようと思った。

ちなみに登場人物の
わたしの一番推しは
看護師長だな。彼女の言動に
救われる場面が多々あった。

既存の常識に左右されない
人生経験ゆえの
深い愛が見え隠れして
おるのです!


☆☆☆じぶん救済日記☆☆☆ 背伸びせず日常生活などをつづります

はえともみ

Author:はえともみ
すべてがいとおしい。だから書く?
(since2003)

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