光があることで影も出来る
喜怒哀楽の深い所を他者に直球したことがなかったから、タガが外れてんだ!(大の大人が喜怒哀楽を人にぶつけてよいのだろうか?)▲親しき仲にも礼儀あり。もともと親しくない人に何やってんだ! という話。職業的特性とお人柄に甘え切っている。スーパーマンでもなくドラえもんでもない、現実にいる「個」の感情もっている相手に云いたい放題し過ぎだじょ。▲人間関係の努力というものをほとんどしてこなかったわたしが(大病の発覚を機に)大胆になってしまったけれど、いつまでこの夢を見続けるのですか? という話。▲信じるって、何を信じるのだろう、と、先日手紙に書いたけど、んー、「その存在によっておのれの人生に少しは陽が射す」ことなのかもしれないなー。▲比喩じゃなく、ほんとうに光なんだ。(過去形で書こうとしたが、あえて現在も光であるがごとく書いた。分からないのだもの、過去形なのか否か)。(過去形にしない限り、自分のなかでの現在進行形であり続ける の法則)。つまり Hさんの存在が自分にとっての光であると信じることが わたしの救いになっている。▲それはいつまで続けていいの? まったくもって一人芝居な話であるが…そもそもこの世の全ては一人芝居…悩む。(悩むのも一人芝居)。▲光はわざわざ消すことないさ。と思う。でも光があることで影も出来る。その影は己の心を病むし、相手にも迷惑がかかる。
足元の意識を止める。そして別の芝居に意識を向けるよう努力。(一人芝居を一日でも早く止める方法 )
(2021年11月25日 感情吐しゃ)
足元の意識を止める。そして別の芝居に意識を向けるよう努力。(一人芝居を一日でも早く止める方法 )
(2021年11月25日 感情吐しゃ)