家のリフォームについては
特に台所に関しては、長年
十分悩んできたんだ。
*
ゴミ屋敷ともいえる部屋がいくつもあった実家。
台所は十年以上前に作った保存食(溶けて中味不明)
稼働率3%もない調理道具や食器、役割の
ほとんどない複数の棚、埃や虫の糞や死骸
に満ち満ちて・・・・
母が家事をしていたころは、それらの
「わたしには不要」に見えるものを捨てると
いつの間にか、ゴミ袋からそれをレスキュー
している母であり、(食品であってもね。
で、冷蔵庫に戻しても、結局また食べないまま)
筆舌に尽くしがたいほどの、内的バトルがあったよ。
(母の目の黒いうちは「この実家の辛さ」が続くのか。
ああ、いつの日か母が死んだらさみしいだろうけど
この苦しさからは解放されるのだなと考えたことも
数えきれない。
たかが「汚れ」くらいで、と、ヒトは思うだろう。
しかしわたしにとっては幼少期からの様々な
トラウマと絡まり合って、虐待されているくらいの
精神状態だったんだな。・・・今思えば
「どうにもできない」ということで、自分で自分を
虐待していたのだろう)
*
それがこの数年で、母の老いがすすみ
台所に立つこともなくなり
かなりのものを処分した。
それでもこの台所には(わたしにとっての)
辛い記憶が刻まれ過ぎていて
またシステムキッチンの収納は怖くて(!)
まったく使っておらず、あらゆるモノが
出しっぱなし状態で
・・・広さだけはあるので、なんとかやっている。
でも超々ゴチャゴチャ感は否めない・・・
壁も床も、その他あらゆる場所が
拭き掃除ではとれない強力な汚れが
しみついていて
炊事自体は嫌いじゃないのに
台所=苦しい、の念が消えないでいる。
*
<一>わたし自身の体力気力のなさ
<一>母とのバトルを増やしたくない
<一>「環境の変化」が認知症を招いたら困る
「台所をきれいにしたい」思いは
上記の理由で実行できないでいたけれど
そんなことをいっていては、いつまでも
自分の苦しみを温存させるだけだ。
*
あと何年、もしくは何十年、使われるか
分からないこの家を、どこまで直すか
問題はあるけれど
切実に困っている点は、とりかかりましょう。
1.最低限の事(システムキッチンの入れ替え等)
2.自分自身が将来老いたとき、単身で暮らすのを
視野に入れた、間取りを変えたリフォーム
3.(2.までするのは超時間がかかるし
母のこともあるし、なにより画期的なアイディアが
浮かばないので) 1.と2.の折衷が無難かなぁ。
そもそも一回のリフォームで完璧にするなんて
無理だろうから、まずは経験・勉強というか
理想への途上という位置づけ
1.と2.と3.の選択を、ぐるぐる迷う・・・
もうね、ひとりでは堂々めぐりなので
プロに相談します。
1月25日(月)
さて、珍しく人間界の予定が
詰っている週の始まりだよ~。
頑張りましょ~。
*
とある会社の方に来訪いただき
台所を中心に、あれこれ採寸してもらう。
「最低限、システムキッチンの入れ替え」
「それと、その周りの壁や床のリフォーム」
「居間を含めた(これはかなり大がかり)
改修のアイデアを出してほしい」とお願いする。
*
「いつか、そのうち…」と、不快な現状を維持
し続けるのを止めて、今年はできることから
やっていくぞ。
まずは「見積もり」の依頼をすること自体
わたしには大ジャンプであり
「L型からI型にしたい」と告げたくらいで
「キッチンと居間を一空間にはしたくない
(煮物の鍋などを出しっぱなしにするから)」
というのは話しそびれたけれど
まあ、よかろう。
*
将来のはっきりとしたメドが立たないなか
(親の介護はさいごまでする。
でもそのあとはどうするの?
わたしはどこで暮らす?)
家のリフォームをどこまですればいいのか
問題はある。
でもいくら考えても
確実な答えはないんだよな。
今は進むしかない。
「考える」とは期待することである
という感じのことをレーネンさんが
https://twitter.com/williamrainen仰っていたっけな。
*
Rのイベントのあと、思考の連鎖が止まらなくなり
イベント主催者にその一部を書きなぐって(?)いたら
ますます連鎖が加速して
あー、キリがない(危ない)と
最終的には、強制終了し・・・
日記でその整理をしようか?とちらり思ったが
ううん、やっと寝た子を起こすようなことは
止めておきましょう。
*
(別方向のことをメモしとく)
あらためて気づいたのは
わたしは人に寄り添うのが苦手なんだな
ということ。
(自分が疲れすぎない程度に浅くかかわることは
できる。体調が許せばね。稀に、とことん話を聞く
こともあるけれど、それは「信頼関係ある」相手に
限られるのかな)
(話を聞いている最中から、ずんずん頭のなかの
お喋りが始まって、無心で相手の話を聞けなくなる。
「それは~だよ」「~すればいいのに」など、自分本位の
価値判断が始まって、ジャッジ癖がさく裂!
ただ「聴く」ということが出来ないのだ。
その場では「傾聴」態度を装っても、のちのち
思考のリフレインを招いてしまう)
これはつまり
どーゆーことかというと
人と話していても、「自分」「自分」意識が
強すぎるんだね、たぶん。
(いつでも、自分が過剰に優位なのだ)。
あとさ
人とコミュニケーションすると疲れる!!
ちゅうのは、自意識過剰の産物にほかならぬ。
*
*
*
言い訳になるけれど
これまでわたくしに関わって下さった
すべての人々に申し上げたい。
付き合うことへの暗雲オーラを
醸し出したこと数知れず
また極々少数、この日記で
伝播してしまったことも
あるかもしれないが
それはね
あなたが嫌いとか、あなたの責任では
ないのです。
ひたすらね、わたし自身の問題。
自意識過剰な自分に疲れ果て
連絡を絶ってしまったり、失礼な言動をしたり
いきなり言葉少なくなったり・・・etc 。
時間は戻ってこない。
こんな人生を作ってきた責任は
おのれで負うのみだじょ!
1月24日(日)
古書店Rのイベントに参加。
店舗の佇まい、そして店主の存在は
「ともしびだなぁ」と、印象を深めるなり。
それにしても喋り過ぎてしまったよ。
昨年一年分の発話を超えるほどの量を
大声で喋り散らしてしまい、のちのち
反省。
(追記 その後、頭のなかでどんどんと
「もっと喋りたかったこと」が膨らんで
それを(それの一部を)店主さんにメールして
するとますます「喋りたいこと」が増幅し
最終的には・・・自己制御。思考を止める)
で、思ったんだが
おいらは心のなかで一人喋りすることに
慣れ過ぎてしまって、「人と会い、話す」欲を
すっかり忘れてしまっていたんだ。
(自分のなかで「ないもの」としていた)
実はその欲、しっかり持ってんのね。
*
まあ、人と喋ったり、メールしたりすると
その何倍何十倍にもなって、反省要因が湧いてきて
・・・人と関わるのはしんどい! と、なっちゃう癖が
大きいのだけれど
あーんど、反省はしかるべき血肉にならず
すぐに自己嫌悪に転化しちゃうのだけど
人と関わる回数を増やすことで
もしかしたら「しんどさ」「嫌悪」を減らすの
可能になるのでは? (免疫力をつけるのじゃ)。
*
*
追記
のち数日間、恥ずかしさ募り
(初対面の人たちを前に、多々
調子にのった言動を発したことや
一方的なメールを送ってしまったこと)
モウレツ後悔に襲われそうになりつつ
過ごしておったよ。
これを書いている現在は
Rのイベントから約一週間後デス。
仕方ない!
恥ずかしい自分を許せ! 行動には
失敗は付きものじゃ! (ひきこもっていれば
あたらしい失敗を招くこともないけれど…。
何かをすれば、必ず「反作用」はあるのじゃ)
今は反省モードで、イベントの参加自体を
悔いそうになるかもしれないけれど、いやややや
長~い目でみれば、「行ってよかったんだ」と
思える日がくるかもよ!
と、全力で、自分を励ます。
1月23日(土)
母ちゃんに日記をつけるようお願いしても
(日記といっても、たとえば「リハビリ」と記す
単語メモ程度)、いっこうに実行されないので
ノートとペンを渡し促したら。。。毎度のことながら
今日が何日か分からない様子。
(ノートは「日曜始まり」月間カレンダー型)
「今日は土曜日だよ」とヒントを出すと
「んー、9日?」だって。
(ねぇねぇそれじゃあ、一週間前が
お正月ってことになっちゃうよーん。
ちなみに母の日記帳は1月6日の水曜日で
止まっており、その続きで「9日」と思ったの?)
ふうっ。
長らく、同居家族か介護関係の人としか
会っていない母ちゃん、少しでも
脳を活性化しておくれ~!!
1月22日(金)
Kさんの所をのぞいたら
帰宅直後のようだった。
(話の感じから、デイサービスの
利用を始められたのかなー)
そっか、そっか。
数年前の秋の夕暮れ、畑にいるK氏に
ちょっと相談事をもちかけた際、彼も
奥さんのことをこぼされ、ずばりの単語は
使わなかったけれど、認知症の症状のようで・・・
あれからそれなりの月日が流れ
ときどき会う奥さんから進行の具合は
分からないものの、サポートなさっていた
K氏の急逝で、どうされているかなぁと
気になっていたのだ。
そっか、そっか。
わたしですらまだまだ気持ちがポカンとするのに
ご家族の負担は言葉で表せないだろう。
奥さんにはできるだけご自身の望む形で
これからも暮らしていってほしいし
…我の未来にも必ずやってくる老い。
すべての高齢者は、我の先輩だ…
交流も続けたい。
*
夜、久しぶりにアルコール7%の
350ミリ缶を4本続けて飲んだら
少し酔いがまわったのかな?
ブログをばーーっと書いて
某所に問い合わせのメールを
送ってしまった。
1月21日(木)
青ーい空の広がる一日。
そして暖かい!
午後一のケアマネさん訪問のあと
「貴重な晴れ、外に出たらいいなぁ」
と思いつつ
自転車は道がつるつる凍っていて怖いし
今から出かけるとしても積雪のこる田園地帯を
歩くくらいしか出来ないし(そんな気分じゃない)
(こういうとき、町暮らしはいいね。
ぶらぶら商店街歩いたり、珈琲屋に寄ったり
銭湯につかったり、思い立ったらすぐ出かけられる環境は)
と、結局、本日もまた
ひきこもりなのでした。
(今年はまだ片手で数えられるほどしか
家の外に出ていない。しかもほぼ極近所)
1月20日(水)
明日のケアマネさん来訪に備え
駐車一台分のスペースを確保しようと
雪かきし、またまたへとへと。
「車を停めるスペースがないから
来週にして下さい」と言えなかった、わし。
できるだけNOを使用しない日常でありたい
という(もしかしたら間違っているかもしれない)
頑張りモードと、長らく来客のいない家のさみしさ
(人と会話する機会の少ない母の心配もあるが
我自身にもどこか人恋しさ…)が、あったのさー。
*
三日前、薬の副作用でぼーっとしているとき
やかんで沸かしたお湯をポットに入れようとして
パジャマの上から足に熱湯をかけてしまった。
ぼーっとし過ぎてて、冷やすの面倒で
(冷たい手を当てるだけの処置)
そのままにしていたら・・・
翌日、すごい跡になっているのを発見。
~お医者に行ったほうがいいのか?ちらりと
思いつつ、時間経ってるしなぁ、と、また放置~
そして本日、「水ぶくれ」が破れたもよう。
(目視確認せずとも、濡れた感覚で分かる)
1月19日(火)
「いい加減、雪かきにうんざり」の昨日
寝る前の雪かきをせず、今朝も放置していたら
ああ、積雪のままのわが家をポストマンが
配達してくれてたよ、の午前。
午後からはちらちら降りで、もう
これ以上は積もらんだろう。
*
我の勘違いで一週間以上風呂に入ってなかった
母に、夕飯前の入浴をしてもらうことにしたのだが
「おしっこしてから」という母の言葉を聞いて
別室で用事をしていたら、ドテン!の音。
浴室でお転びあそばしました。
(母が転ぶのは慣れているのだけれど
「お風呂で」というのは心配度が上がる)
なんとか体制を戻し、通常通りに
入浴でき、何よりであった。
(お風呂の見守り、といっても
ずーーーっと観ているこちらも大変だし
母本人もリラックスできないだろうから
ときどき安全確認で目視したり声をかけたり
しているんだけど、んーーーー
どういう方法がより良いのだろう?)
*
昼は塩焼きそば。(市販の千切りキャベツ。
白菜の欠片。ほうれん草。ホタテ。パプリカ)
柚子胡椒添え。
牛丼(生協のレトルト一人前を二人で分ける。
納豆、セロリ、海苔をトッピング)と、味噌汁
(大根、人参、牛蒡、白菜、油揚げ、はんぺん)
など。
1月18日(月)
毎度同じパターンを繰り返してしまうの巻である。
長時間睡眠dayだったから、いつもの睡眠薬を控えたら
当然のごとく眠れず。朝になってから少しうつらうつら。
あー。
今回の雪はさほど積もらんだろうと
あなどっていたが、その予想以上には
積もっておるよ。
リハビリ送迎車はなんとか家の前まで
来てくれて、母、無事に出かける。
*
夕飯時、カレンダーをしきりに見ている母ちゃんに
「今日は何日?」クイズを出したら、「4日!」だって。
(月曜日というのは分かっていて、咄嗟の質問に
そう答えたのだろう)。「えー、それじゃあ、昨日まで
お正月の三が日ってことになるよっ!」とからかって
二度目の質問をしたら、正解が導かれました。
まあ、わたし自身、曜日は意識していても
「何日」というの、ほとんど分ってないぞい。
(日記は帳尻合わせ的にカレンダー見つつ
書いている)
1月17日(日)
ゆうべ1/2錠服用。
副作用が強いぞ、あいかわらず。
アルコールになかなか酔わず
睡眠の薬もよく効くとはいえない
このカラダに・・・、この薬はすごいよな
(薬は常に毒性をはらんでおる。なので
もちろん「すごい」は称賛の意でない)
あらがえない眠気が、服用20時間ほど
後も残ってるなんて。
~もともとはロングスリーパーなので
それに同調するスイッチが入るの?~
今度から1/4錠にしてみようか。
(という手を、この日記書きながら気づいた)
午後遅く、眠くて仕方なかったが
本格起床を果たす。
また雪が積もり始めている。
*
近年の体調のわるさは、しっかり睡眠を
とれていない影響があるのだろうと思っている。
なので、藁をも掴む。薬を飲んで
少しでもよりよく眠り、元気になりたいから
薬を飲むのじゃ。
1月16日(土)
調子がドーンと落ちているようで
何も手につかず、ただただぼーっと
一日が終わった。
(家庭内運搬中のメンチカツを宙に舞わせたのち
床にぶちまける!粗相したのはこの日だっけ?)
*
つい先日まで、最高気温が0度に
満たない日が続いていたのに、今日は
三月並の暖かさだったらしい。
1月15日(金)
母とKさん宅を弔問。
先客が大勢おり、母は用意してもらった
椅子に座ってお参りしたあと、ゆっくり
話もできずにお暇したのだけど
またの機会にね。
*
今週は生協の配達が中止となり
来週は「定期登録している品」の配達予定で
通常の配達体制に戻るまで、三週間のあいだが
開いてしまう・・・というこで
頑張ってスーパーに買い物に行く。
生き延びるためだけの食料なら
数週間分の蓄えはあるのだけど
卵やパンや柑橘類がないのは
気持ちがつらいからね。
お店を出たら17時をまわっていたが
うっすら明るい。日が伸びているね。
1月14日(木)
夕方、KSちゃんからの電話で
母が要領を得ない会話をしている様子
だったので、スピーカーで会話に参加……
「あんたの所から、よく聞く名前
えーーっと誰だっけ」と、しきりに尋ねられ
結果、きのうの新聞をめくり
Kさんの訃報を知る。
*
信じられない思いいっぱいで
お宅にかけつけると、奥さんとお嬢さん
そしてお骨になったKさん。
新聞には「葬儀は終了しました」と載っていた
はずなんだけど、頭が動転し、まだ御身体のある
Kさんとお別れできるような気がしており
髪を黒々と染めていた頃の遺影に、一瞬、とまどう。
え、ええ?
先週の、あの大雪の土曜日午後
自宅のトイレに行った際、倒れて、そのまま
旅立たれたという。
コロナと大雪で、家族葬にされたようだ。
(田舎特有の大がかりな葬儀に疑問をもっていたけど
見送る立場としては「あの儀式」は意味があるのだなぁと
今回は思った)
それにしても
あまりに急だよ、Kさん。
いつも助けてくれて、励ましてくれて
恩になりっぱなしで、ちゃんとお礼もできずに
永いお別れになってしまったよ。
「時代が変わる」という気持ちで見ると
(略)希望の方向が見えるんだな。
と、ひとつ下に書いた。
*
昨今、うげげぇ~、ということが
(特に政治方面で目立って)
表面化しているけれど
長い目で見れば、それは「膿」なのだろうな
と思う。(思いたい)。
同時進行で、既成概念が日本社会全体で
ガタガタと音を立てて崩れていると感じる。
(あいかわらずの場面も多々あるが
「それじゃあ上手く行かんよ」のサインが発動。
サインを受け入れるか無視するかそれぞれだけど)
*
99、99999……%端折った書き方になるけれど
理不尽な「常識」とか、伝統という名の重圧とか
「右に倣え」の習いとか、そういうものへの疑問を
一人ひとりが抱きやすくなったのではないかしら?