投げやりな精神状態になりながら
「SOSを出す力が足りんのだよなぁ」
の思いも、ふわふわ浮遊。
(空回りしたり、出し方下手だったり・・・。
「かえってメンドウなことになるくらいなら
自分で抱えたほうがいい」と今では・・・)。
あとさ、ヒト前では
元気なフリしちゃう癖は相変わらずで
(生来の癖というか、自動スイッチが入ちゃう)
しんどいときにしんどいと言えないのは
昔も今も自分の首を絞めている。
半年ほど前までは、月に数日であろうと
「(ひとり暮らしの)自宅」に滞在することで
物理的にも精神的にも「解き放つ」時間が
自然にもてたのだと、今更ながら思う。
毎日、好きなように過ごしているのだから
「なに言ってんの!」と鼻で笑われそうだが
引越し以来、「ゆっくりした」感覚が
ほとんどないのだよね。
*
あきれる話だが
「引越しの片付け、まったく進んでいない」のも
地味~に、慣れすぎた、プレッシャー。
がお~。
(しかし半月近く、開封しないダンボールが
何十もあるって、そもそも必要なものなの?)
*
停滞している実家の片付けや
引越しの後始末を「やらなきゃ」というのは
なじみすぎて、そのプレッシャーの存在が
おのれの血肉のようになっている。
これは危険だね。
*
二階を片付けて、(昨冬、キレイにしたのだが
そこに一人暮らしの荷物を運び込み、今では
ダンボールや仕舞われないモノモノに覆われている)
自分のスペースを確保したら、心理的にも
落ち着くだろうし、夜もゆっくり休める場を確保できる
と思いつつ、なぜ出来ないままなのだ、自分は。
*
優先順位が狂い過ぎだろ。
たとえば
「花を育てる時間があれば、電話一本かけて
網戸の修繕のヒトに来てもらえよ」というのが
正しい答えだと、疑いようないのに
どうして実行できない?
(そして、網戸を外したままの窓から侵入した
蚊に刺されて寝ている毎日なのです)
こういうことの繰り返しで、我の日常ができている。
*
アホがあふれているぞ。
アホから脱出できない理由を
自分では説明できない。
(アホ依存症にかかっているのだろうか?
潜在意識では、そういうアホを望んでいるの?)
どうせ出来ないのなら、「やらなきゃ」なんて
思い込みを消せばいいのに、そうはいかなくて
毎日まいにち、自分を責める(=やらなきゃ、やらなきゃ。
ああ、今日もやらなかった)の思いが、ぎゅうぎゅう詰め。
*
最低限の日常をまわすだけで精一杯なのに
(家事や親のこと。デイリーな外しごと)、加えて
最近は地域の用事や、親戚や友人との約束も守り
「わおっ、頑張りすぎ!」かもしれんのに
(あくまでも自分能力比ね)
褒めてあげるのも忘れ、「やらなきゃ。やらなきゃ。
嗚呼、また今日もやらなかった」と、己を責める自分が
ずしーーーんと、胸の底に常連鎮座している。
精神のセルフ・プレイ!
*
普段、うつの自分を忘れているんだよね。
それはありがたいことである。
「抑うつ」にとらわれず、前向きに暮らそう!
という姿勢は、ウエルカムなのだけど
(軽い抑うつ感があっても、そこに引っぱられないで
だいたい無視する感じで、近年はやっている)
あまり自分を過大評価するなよ、「うつな自分」は
完全に死んでいないのだよ、もっと自分にやさしくして
あげなさい、・・・・・ なのかしら?
容量オーバーなのだよなぁ、と
知りつつ、オーバーオーバーの
まま、月日が流れている。
成人の平均活動量と比べ、自分が多くのことを
抱えているとは、さらさら思っていない。
能力を超えて、アタマの「to DO」リストが
多すぎる、という意味。
言い換えれば、「やらねば」という
思い込みの奴隷なんだろう。
*
毎年のことであるが、春から秋は
庭や畠の強迫観念っぽいものがある。
水遣りや草取りはほぼデイリーワークとして
庭木の剪定、盆栽や鉢物、野菜の世話など
「やらなきゃ」感は、theエンドレス。
(実際は「to Do」の一割も着手できているだろうか?)
ぱお~ん。
*
客観的に見れば、「そんなのヒトに任せばいい」
「無理してやることない」ということばかりだと
分かっているのだ。
・・・剪定なんて、プロに頼んだほうが早くて上手。
畠も、作ったって食べきれない。・・・
繰り返しになるが、思い込みの奴隷であるし
「なんでも自分でやりたがる」、エゴなんだね。
7月18日(木)
暑いなか、一日寝ている。
(昨日に引き続き、今日も20時間近く
寝たのでは。睡眠のクスリ飲まずとも
メンタル凹み過ぎていたら、今でも
けっこう眠れるんだな~。睡眠逃避力!)
ウツすぎて、抜歯のあとに処方された
抗生物質を、ずっと飲み忘れていたと
深夜に気づく。
(抗生物質は最後まで飲みきらんとアカン。
後々の体質に響く・・・ と、よく聞くのだけど
「あらゆることが、どうでもいい!」マインドに
陥っていると、カラダを労わるのは高ハードル)
連日30度前後の暑さなのに、数日間
入浴もしていない。
7月17日(水)
ほぼ一日寝ている。
どうでもいい、なにもかも。
そんな心境。
(ただ、通所リハビリの日なので・・・。
一週間ぶりのシャワーを浴びてもらうよう
やや威圧的に母に言い、プラスαの手伝いのみ。
ゾンビ状態なので送迎車の方に挨拶もできず)
心もカラダも、うつのシャワーを
浴びてる感じ。
7月16日(火) おまけ
グチりたいので、おまけ編デス。
帰宅後、どーーーっと疲労襲来。
*
まず、内科を受診できなかったことへの
心的負担はあるだろう。(クスリの有無は
生活リズムに直結するので)
抜歯の隠れストレスはどう?(自覚は薄い)。
単純に歩きすぎ。街に出たことの疲労は
けっして悪いものではないけれど、まあ
肉体的な消耗は大きいな。
先にも書いたが、口腔内の現状はきびしく
(ときに頭痛まで引き起こしたり・・・)、しかも
それがいつまで続くのか見通しのつかない不安。
etc 気づいたら
自分でも驚くほどの
シンドサのなかにいるのだった。
*
(「夕飯に食べてね」と出しておいた
生協の冷凍弁当が常温放置されていたのにも
がっくし。・・・老母よ!)
*
ちょっとクヨクヨしておく。
行きの乗り換えが予定どおりだったら
内科の受診が叶ったのでは? と思う。
そもそも予定の公共交通に乗れていたら
(説明省く→)内科の医院までの歩行距離が
ずいぶん短縮されたのになぁ。
そしたら、あれがああで、これがこうで・・・
色々と予定どおりにコトが進んでいたら
千円の買い物券のためにスーパーに寄るなんて
発想にならなかったかもね。(ここに足を伸ばし
時間も体力もずいぶん使った)
(少しでも有意義なことを~と望んだのだろうな、自分。
千円のために肉体酷使するのは、理性的に考えたら
有意義といえないだろうけどさ。貧乏根性のサガ。
この日は、クスリ貰えず、歯医者の見通しつかず
遊ぶ心の余裕もなく
でも、遠出した甲斐というか、抜歯以外にも
「やった」と思えることが欲しかったのだ、わたくしは)
7月16日(火) 歯医者編
S歯科では、予定どおり
歯を半分に切って(!)、抜いてもらった。
(もし根っこが下で連なっていたら、まるごと一本
抜くことになる、と言われていたが、それには及ばず)
スムーズに進行したようである。
で、抜いたところのケアをしてもらい
注意事項の説明を受け、終了。
*
抜いた根っこを見せてもらったが
上から下まで、見事なまでに、ぴしーっと
縦線が入っていた。(=割れている証)。
食いしばりのせいか、硬いものを食べたせいか
直接の原因は分からない、とのこと。
うううむ。
(食い意地に負けて、たまに煎餅や柿の種など
食べていたせいかなぁ)
*
次回の予約はまた半月後。
(時間はいつでもOKと伝えても、一番早くて
半月後なんだよぉぉぉ~)
ええーっと、「ココ痛い」と、今回
歯医者にかけこんだのは、6月。
この分では、一本の歯が終了するの、いつになるやら。
治療中の患部の横も、歯が無くて
(ブリッジだったところを外したので)、ずいぶん
長いあいだ、まともに食事できてないし
&噛み合わせがおかしくなっていて
口腔内あちこちが不調!痛い! で
あああああーーーーーツライ。
*
通院がたいへんだし、なかなか予約とれないし
主治医も変わったし…前に緊急で診てもらったときから
担当の先生が変わった…、実家から通いやすい
ほかの歯医者を探そうかなぁ、と思いつつ
過去何年分ものカルテあるし、ここの歯医者に出会って
うんと歯の痛みが減ったし(マウスピースのおかげ)
今回のことだって、経過をご存知だし、レントゲン写真も
保管してあるし
と、結局、歯医者を変えずにいるのだが
まだまだ先は長そうだなぁ。
7月16日(火)
一時間半近く待っても順番が回ってこない内科
次の用事(歯医者)があるので、受診を中止。
その後、歯医者をすませ
前に住民票あったエリアのスーパーで
千円分の買い物券になるスタンプカードを
財布に忍ばせたままだったので
足を伸ばしてそこへ寄り、成城石井の味噌汁と
菓子パンを求め、そのまま歩いてK駅まで戻り
ああ、(久しぶりに長距離歩いた!)疲れたなぁ
と、思いつつ、また少しうろうろ。
*
今日の難は、K市に行くための乗り換えの町で
銀行に寄ったら、予定の高速バスに乗り遅れた
ところからはじまり
~わざわざ待ち時間の少ない予定を組んでいるのに
なぜ銀行に寄ったのじゃ? → スピちゃん的には
「無意識に乗り遅れるのを選んだ」としか言いようがない~
夕、来月迄の食事券を使わねばと入った某飲食店で
フタの扱い間違えて、辛味調味料をどばっと大量に
グラタンにかけてしまったところに着地。
(歯を抜いたのに! 食前に鎮痛剤を服用し
お酒も飲んでしまった。間違っているぞ、自分)
*
歯医者からK駅まではめちゃこ遠いのだ。
今日のような日差しの強い日に、なぜわたくしは
こんなに歩く、(その前の内科への往復だけでも
かなり歩いた。合計何時間歩いた?)と、途中
己に突っ込まざるを得ない心境にもなったのだけど
そのときの自分の答えは、こう。
今日は買い物もしたくないし、(街は一層バーゲン度が
進んでいるようだが、先月買い物しまくったので、今は
ウインドショッピングすらしたくない)、かといって
実家の日常に戻るのイヤだぁぁぁ。
だから彷徨したんだな。
7月15日(月)
ヨーロッパに演奏旅行中のT子さんに
「カンカン照りの日があったら水遣りしとくね」
と話してあって
カンカン照りではないのだが、彼女が留守にして
何日も経ち、軒下の鉢植えたちは大丈夫かしら?
の思いもあって
午前中、水遣りへ。
ここはまるで雑誌に出てくるような美しさの
妖精が住んでいるような、裏庭まで丁寧に
手の入った、広い庭なので、時間はかかったが
わたしにとって幸せな水遣りタイムでした。
その後、(わたしはいつも行かないほうの)
T子さんの畠へ移動して、水遣り。
*
ぐずぐず先延ばしにしていた松の剪定。
「今年は新しい脚立を買おう。部分的に足の高さを
伸縮できるやつ。高低差ある地に置けるやつ。
そして買ったら、ちゃんと剪定しよ。」
と、春からずっと思っていて、でも結局
買いそびれたままとなり ~何度かホームセンターに
見に行ったものの、サイズ的にも金銭的にも
大掛かりな買い物なので、毎回先延ばしにしてた~
春以降、気まぐれ的に背の低いところだけ
ちょちょっと手入れしており、高いほうの新芽は
日に日に驚異的に伸び、(西日の当たりが豊富で
過年、剪定プロに驚かれたほど伸びの勢いある)
何週間も前から
「超アンバランス。(重力的にも異様)」な樹形となり
なんとかせねば、なんとかせねば、なんとかせねば
ここまできたら、手のつけようがない寸前だ・・・・
と、デイリープレッシャーの上位になっていたのだ。
本日は思い切って、取り掛かる。
7月14日(日)
家に帰ったら、8時半。
それからシャワー浴びて、氷を入れた
発泡酒を飲みつつ、朝食食べて、さて
一眠りするか・・・、と、うつらうつら
し始めたところに親戚から電話。
先日の旅行のお土産を取りに来てね
とお願いしてあったところ、イトコのTの運転で
今から皆で行くよ、っと。
公共交通を乗り継いでお土産届けに
まわるのはたいへんなので、ありがたし。
*
皆で畠へ行って
夏野菜や花を収穫し
買ってきてもらったご飯に
素麺などをプラスして
お昼タイム。
初収穫の枝豆やマクワウリ、まだ少々
早かったけど、それも皆で頂く。
たーくさんお喋りし
たのしい一日となりました。
*
某企業勤めのT。
(現在、北陸に単身赴任中)
あす(祝日)は東京で研修というので
「何の?」と訪ねたら
60歳からの人生設計セミナーのようなものを
(彼は現在50代半ば)受けるんだって。
65歳まで働けるけど、60歳で退職しても
もらえるお金の総額は変わらないので
65歳まで働くヒトはほとんどいない
のだと。
へぇぇぇぇ。
もともと羽振りがいい業界とは思っていたが
こんな世界ってあるのだねぇー、と驚いた。
高齢化著しいよなぁ、と
地域行事に参加するたび、思う。
目の前に映るのは、統計的高齢化
とはまた別のリアルな高齢化。
(住民票だけでは分からない地域の様子)
*
「できるだけ若いヒトが出てね」という
事前の要請にも関わらず、いつも
地域の作業に出てくるのは高齢者ばかり。
本日割り当てられたところには百人以上
参加していたと思うが(一世帯に一人の義務有り)
我なんて、若造中の若造。
実家の敷地に家を建て、そこで家族を作り~
という、行政上の二世帯住宅はこの辺りに
たーくさんあって、若い人(三~五十代)もそれなりに
いるはずなのに、こういうのに顔を出すヒトは
ほとんどいないのだよね。
あと、旦那さんの体の具合もあるのか
高齢女性の参加が多い。(今年5月にあった、別の
地域労働では、「去年まで高齢夫が参加していたのに
今年は高齢夫人が参加する」ケースが目に付いた)
うちも母に任せていたときは、「オトコのヒトに
まかせとけばいいの。(自分は顔を出せばそれでOK)」
という物言いを母がしていたので、うげぇぇ、そういうの
昔のヒトの発想だよなぁ。。。と思いつついたけどね。
*
現在、この地域では団塊世代の方々が活躍されており
色んなことが比較的上手くまわっているエリアだと思う。
(福祉的対策も手厚く、ありがたい。
老人会、婦人会、子供会のような地域の
ボランティア活動が盛ん)
でも、十年後、どうなるの!? とは
前々から思っている。
「濃密な地域のつながり」とはいうけれど
それは現在の七十代くらいまでの話であり
いつまでそれが機能するのだろう。
*
わたしは高度成長期に子供時代を過ごし、昔から
親に「手伝い」を言いつけられた記憶がない。
(色んなものがどんどん便利になっていった時代
「勉強だけしていればいい」と、親は思っていたようだし
そもそも家の内外の用を子に頼む必要がなかったのだね)
きのうも、母が近所のヒトからの電話で
「明日の草刈は娘が参加する」と話したら
「ともちゃん、かわいそう~」と言われたようだ。
(野良作業を、この年齢の女性にさせるのは
不憫だと映るらしい。しかし、おいらからしたら
後期高齢者に地域の肉体労働を強いるほうが
どうよ、と思う)
*
「おつとめしていたら、ほかのことはパスしてよい
(子育てはジジババに頼り、地域行事も高齢の親任せ)」
感覚が浸透しているのだなぁ。
「お金を稼いでいれば、ほかのことは免除?」
と思わぬでもない言動を、しばしば
地域の老人たちから聞く。
たぶん、これまでの数十年はソレで
うまくまわっていたのだろう。
自分だって、数年前までは親任せで
地域の労働に不参加だったのだ・・・。
*
「顔さえ出しときゃ、一応は参加したことになる
からそれでいい」という考え方の是非。
(即戦力にならなければ、その分、誰かが
労力を負担することになる…と考えないらしい。
しかし、「生産性」を優先するあまり
生産性の低い者はアカン! って発想に
繋がるのもねぇぇぇ。
そんなのより、むしろ
「できないヒト」も、大きな顔して参加する
それを黙ってまわりがカバーする、ってほうの
重要性に目をむけるべき?)
*
まあ、そんな理想だけでは、いずれ
限界がくるかもしれないけどね。
新興住宅地で若い世代(今の中年)が移り住んだ地域では
若い世代の地域参加がふつうになっていると聞く。
おいらの実家エリアのような、半世紀ほど前に
親の世代くらいから暮らすようになった辺りは
まだ次世代へ労力の継承がなされていない印象だ。
これからなのかなー?
(うちがギリギリになって、世代交代したように)
*
ここ数年、特に去年や今年から
地域の景色がぐっと変わってきているのよね。
「耕作をできなくなった」畠の存在。
今は序章で、十年後はどうなっているのだろう
とは、わりと、よく思う。
7月14日(日)朝
地域の強制労働の朝。
(開始の6時ギリギリに行ったら
たーくさんの人)
草刈でごじゃるよ。
(ここ数年、親の老化の様子から、自分が
この草刈に出なきゃとは思いつつ、いつも
マンションの用事と重なっていたため
これが初参加)
草刈機をもっているおじさまがたが
ウィ~ン、ウィ~ン、と河のフチまで降りて行き
高速で草刈を。
手持ちの鎌で作業する者は
しゃがんで黙々と・・・。
この河の生態を気にしたことなかったが
(たまに近くの平地に蟹が歩いているので
蟹がいるのは知っていたが)、今日は亀が
優雅に泳いでいるのを発見。
汗、だくだく~。
厚い雲に覆われて、蒸し暑い!
ま、雨が降ったり(小雨決行)、カンカン照り
よりは、はるかにマシだよなぁ。
帰りは、Kさんの奥さんが「ふらっとする」というので
ゆっくり一緒に歩いて帰る。
(Kさんとの馴れ初めを聞いたりしながら…)
7月13日(土)
今年は実に梅雨らしい梅雨。
ちょこちょこキノコが発生中(庭)。
*
すっかり忘れそうになっていた
ジャガイモさん、(草むらのなかにジャガイモの木が~)
夕方、掘り起こす。
そこそこ採れたかな。
(例年よりも全体量少ない予定だが、ま、
今日掘ったところには十分な実がついていた)
続きはまた後日ね。
*
「これで安心」と思っていた、スイカさん
(過日、藁代わりのシートをかけた)だが
シートからはみ出て伸びていた蔓の実が
また被害を受けていた。
(写真右、まだ色もついてないのになぁ・・・。
若干色づいた写真左は、「くり抜いた」如くの食べっぷり)
T子さんの、丈夫な袋をかけてあるスイカも
被害を受けていた。
カラス、めっ。
7月12日(金)
久しぶりに鶏の唐揚でも作るか、と
冷凍肉を解凍しておいた・・・、ついでに
夏野菜(ピーマン、シシトウ、玉葱、ズッキーニ
茄子だったかな)と、生姜天を、衣をつけて揚げる。
近年の揚げ物は超油少なく、最後はほとんど
炒め物レベルの油の量なのだが、それでも、ま
「揚げ物食べた」満足感があるので、やっほ。
*
夕方、一人で散歩に行ってもらったら
(どうせすぐ帰ってくるだろうと、揚げ物してたら)
なかなか母、帰ってこず。
ど、ど、ど、どーしたの。
探しに行こうかしら、かしら、かしら、と
思っていたところに、帰宅。
あとで聞いたら、ふだん交流のない
そこに家があることを知っている程度の
近所の人の庭で喋ってきたのだと。
(歩き疲れた母が、庭先に人がいたのを幸いと
…腰掛けられる場所があれば、どこでも座る母
今日の散歩コースでは座れる場所がなかったのね…
勝手にぐいぐいぐいとお邪魔して、座り込んだ挙句
お喋りしてきたのだろうと推測)
地域に見守ってもらっている
ありがたや。