11月27日(月)
お昼の起床。
わぉわぉ、天気予報に
雨マークがないのって
何日ぶりだろう。
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(早くに紅葉していた木は、銀の実をつけている)
冬のコートに毛糸の帽子と手袋・・・暑すぎる!
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*
電気屋さんに寄ったのち
「(着古した服ばかりで間にあわせず)
着心地よく、暖かい部屋着を買い足したいな」と
前々から思っていたので
人生3度目くらいの「しまむら」へ。
・裏フリースのズボン
・毛糸のスカート
・裏フリースのシャツ
・260デニールのレギンス
・ポケット付き腹巻
・室内用の靴下(2足)
・藍色のシャツ
買い物欲を若干抑えつつ
ほどほど緩め、以上のもの購入。
(先週末は、プレミアムなんとかデーで
セールだったと思うと、「惜しい」気持ちもあるが
ゆっくりと混雑せずに買い物できたから
よかったな、の思いも)
*
「しまむら」という、安い衣料品店を
わたしは長いあいだバカにしてきました
すみません。
しかし、今では違います。
ユニクロよりも、品揃えにバラエティがあり
買い物していて楽しいわ! と思う。
(以前、ほかの店舗で老舗メーカーの下着を買ったが
ものすごーーく早く劣化して、愕然としたことがあった。
・・・老舗なら安心という時代ではないのね。
「いい品を長く」愛用するのはカッコイイけど、なかなか
わたしにはむずかしいな、というのが実感だし
「安価でも、気に入った衣類ならそれでいい」という心境だ)
というわけで
「しまむら」未体験の方は、あまり偏見もたず
一度、お試しあれ!と言いたい。
(地方の郊外にしかないのかしら?
都会で「しまむら」見かけたことないわ)
子ども用も、紳士用もございます。
*
夜は、サバ味噌煮弁当、(ここのスーパーの
サバ弁当のファン。久しぶりに買ったら
副菜が変わっていたけれど、蓮根やゴボウが
たっぷり入っていて、超満足。一般的に
スーパーの煮物は甘くて苦手なのだけど
ここのはあっさり味でおいしい)
花咲サラダと、鶏唐揚げ、めかぶ&納豆。
七月に大阪地検特捜部に逮捕され
今も拘留され続けている籠池夫妻。
これから寒さ厳しくなるなか
お正月はどこで過ごすのだろう。
*
そもそも、逮捕された時点でも
拘留を疑問視する司法関係者はけっこう
いらっしゃったと思うし
この夏は、ネットのなかで
「籠池前理事長はエアコンあるけど窓のない部屋
じゅんこ夫人は窓はあるけどエアコンのない部屋に
閉じ込められて、家族との接見も禁止されている
(手紙のやりとりもできない)」環境を憂い
二人を心配する声が多かった。
*
逃亡の恐れもないのに!
・・・これだけ世間で顔が知れている。
証拠隠滅の恐れもないのに!
・・・超遠い縁者のケイタイまで押収されたのだっけ。
すでにあらんかぎりのブツはもって行かれている。
口裏合わせの恐れも著しく低い!
・・・だって二人は夫婦で、さんざんこれまで時間があった。
拘留し続ける理由なんてどこにもないじゃろ!?
などなど
そもそもの拘留の不当性や
「否認する限りは保釈しない」という人質司法への批判
さらには、選挙前からの拘留であり
A氏に都合の悪い話をぺらぺら喋られないにするための
口封じ、権力の乱用だ、との声がずっと見られたが
先週辺りから、この夫妻の拘留について
大手メディア(特にラジオ)で取り上げることが
ずいぶん増えたなー、と感じた。
続く
続き
複数の大手メディアが、籠池夫妻に対する
司法の現状を問題視するようになったのは
大阪地裁が「保釈請求を却下していた」らしい
ことが明らかになったのも大きいだろうし
(みなさん、お相撲さんの暴行スキャンダルに
辟易していることもあるだろう。
この報道の仕方は異常。「視聴率がとれるからね」と
マスコミの方たちは口をそろえていうが、ほんまに
こんなものに視聴率がとれるんかいな。ヒマな老人が
どこをつけてもこれしかやっていないから、しかたなく
興味あるふりしているだけでは?
わたしとしては、先々週だっけ、NHKが、この件につき
「誰々が何々と言った」という、暴行事件とは直接関係ない人物の
発言を、全国ニュースのトップに挙げるのがアンビリィバブーすぎた)
さらには
会計検査院が「森友学園への値引きは異例」と
結論づけたことも大きいかもね。
*
“無罪推定” の原則のなか、ここまで “口封じの刑”
あるいは “見せしめの刑” に処するのは
いくらなんでもマズいでしょーと、多く人が
これまで以上の危機感をもつようになっていると感じる。
痴漢冤罪しかり、薄々みんな気づいていたことに
「実感をともなって」とまでは言えないかもしれんが
「かなり想像しやすいレベル」で、司法ってコワイ
と思うようになっているのじゃないかな。
(沖縄の基地反対運動のリーダーが
不当に長期拘留されて、海外からも人権侵害の
指摘を受けた折、わたしは声をあげる機会を
失してしまったので、その反省もあり、今回の
籠池さんのことを書いている)
続く
続き
私見 → 籠池夫妻がやってきた事々は
「社会的制裁」でチャラになるようなものではない。
書類を偽り、不正な補助金を受給していた等
金銭方面の問題はもちろん
いずれは、園児や保護者への
精神&肉体的虐待という意味でも
刑事や民事の裁判が起こって然り。
しかし、それはそれ。
現在のような拘留の仕方は
・・・日本の司法はしばしばこの手をつかっているようだが・・・
明らかに間違っていると思う。
そもそも
彼らが「家族だけ」で偽装を仕組んだとは思えないし
補助金の受給はそれを執行した役所の責任もあろう。
(ちなみに小l学校の土地に関して
値引き交渉に強気に出た過程からしても
“その道に長けた”入れ知恵役や
“その道とのパイプ”役 になる人物がいたはずで
この夫妻だけを取り調べるのは片手落ち。というのは
小学生でも分かるだろう。しかし、今回の拘留は
土地売買とはまったく関係ないの格好だろうから
これは蛇足ですね)
*
金子勝氏はご自身のツイッターで
「万が一消防署が火事になっても別の消防署が消火するが、検察が国家犯罪に加担すると、それを取り締まる検察はない。指揮権を持つ法相を任命した人が総元締だ」
とおっしゃってたな。
このまま権力の乱用が続けば
司法が大きな過ちを犯すことになる。
(もう犯しているが、決定的になる)
今週の国会、野党がどこまで
せまれるかいのーぉ。
先週のTBSラジオ『荻上チキ・Session-22』から
<「森友学園」の籠池夫妻の保釈認めず。司法の問題点は?>
一部メモしておこう。
。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。
保釈申請とは
●逮捕されて最大20日間拘留されたあとに
検察官が起訴すると決定したあと、請求することができる。
●裁判官が「逃亡の恐れなし」「罪証隠滅の恐れなし」など
と判断し、数百万の保釈金を納めたら、保釈が認められる。
接見禁止とは
●弁護人以外の人との一切の交流を禁止するもの。
検察官の請求にもとづいて、裁判官が決定。
●これをやられると、拘留されている人は非常に
精神的に疲弊する。裁判で戦う意欲も削がれる可能性が。
*
日本の人質司法は、諸外国から比べても異常。
罪を認めなければ、長期間身体拘束が常態化する
という運用。
捜査機関の意に添った供述をするようになってしまうし
「冤罪の温床になっている」ということは、ずっと前から
指摘・批判されている。
*
黙秘権が認めれているにもかかわらず
それを行使すると非常に不利益を受ける。
身体拘束が長引き、その間、家族との面会も許されない
手紙のやりとりも許されない状況が続いて
まだ裁判で有罪無罪の判断が出ていないにも関わらず
仕事を失ってしまったり、人生がめちゃくちゃになってしまう。
そうすることで、黙秘権を行使することに躊躇が生まれるし
「認めないと出られない」となると、本当はやっていないことを
やったと言ってしまったり、冤罪を生む温床にもなってしまう。
*
検察官が請求することに対し、刑事裁判官が
しっかりと要件を満たしているかどうか吟味して
「拘留請求を却下」したり、「「保釈を認める」というように
運用が変わっていけばいいのだが
刑事裁判官も人質司法を追認する決定を
してしまうのが今の状況。
*
罪証隠滅の恐れは、非常に抽象的な可能性で
判断されている。
「罪を認めていない」というだけで、ほとんど
自動的に罪証隠滅の恐れありというふうにするが
たとえば、今回の籠池さんの場合
共犯者とされている方は奥さんですから。
逮捕される前にずっと一緒に生活をされて
今更、保釈を許可したところで、あらたに
口裏合わせをしたりということが
本当にあるのかどうか?というところを
きちんと具体的に考えていかないといけない。
*
私は(籠池夫妻が)逮捕され拘留されたとき
少し驚いたのですが。これだけメディアに出ていて
逃亡の恐れはかなり低いのかなと思いましたし
この件が問題になってから逮捕されるまで
何ヶ月もかかっていましたよね。・・・(略)。
そもそも拘留されること自体が要件を満たしているの
だろうか?と疑問はありましたね。
*
今回の籠池夫妻の件は、多くの人たちが
「本当にこれが妥当なのか。この四ケ月間も
家族との面会も許されず拘留され続けている
状況は異常ではないか?」とお気づきになったと
思うのですが、実はずっと当たり前のように
やってこられたことで、これを機に
これがいいのかどうかということが
見直されなければいけない。――以上、弁護士・亀石倫子さんの話。
聞き手の荻上チキさんも、次のような
つっこみを挟んでおりました。
黙秘は容疑者に認められている権利なのに、それを
遂行すると、こういう方法で保釈を認められないとなると
傍から見ると「懲罰的な対応」のように見えるのですが。
首相ですら「籠池さんは詐欺をはたらく人だ」と
容疑者の段階で発言するようなところもあったりするので
その辺りの刑事司法の前提をもっともっと
広く共有する必要がありますね。などなど
音声文字起こし
「森友学園」の籠池夫妻の保釈認めず。司法の問題点は?
亀石倫子×荻上チキ▼2017年11月23日(木)放送分
https://www.tbsradio.jp/202968。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。
TBSのラジオクラウドに登録すると
過去にさかのぼり、色んな番組を聴けます。
https://www.tbsradio.jp/
あとさ、傷、傷、といいながら
それは自傷なんだよな。
「周りがこれこれしかじかで
ばつばつばつな環境だったから
自分がこんなふうになってしまった」
と、ほぼ全文を埋め尽くしたが
いつまでも、こんな
自慰的思考を繰り返していては
本当の意味で傷は癒えない。
*
さんざん、本音を書いたあと
(「過去のグチ」のパレードをしたあと)
はっ、と気づく。
しかし、まあ、書いてみて
心にフタをして、もう過ぎたこと
拘るのは得策でない、という方向で
生きているつもりでも
実際、古傷は現役なんだな!
ということが分かり、(自分で自分を
知るという意味で)よかったのかな。
とは思う。
*
恥ずかしいこと、この上ないけどね。
この方面の話が、わたしの唯一の闇ではなく
他にも、ブラックな心の弱点は多々あれど
人生半ばで躓いた、大きな弱点であることに間違いない。
(そして今も完璧には立ち上がれていない
進行形で自身を蝕んでいるブラックゾーン)
「あの人って、普段は強そうな顔して
実はあんな、ねちねち暗い思考を煩って
執念深いのね~」と、みなされるのは
喜ばしいことでないもの。
*
誤解があるとイヤなので書いておくが、わたしは
既婚者という立場の者を嫌っているのではない。
ただ、「既婚者になってこそ、一人前の人間になれる」
(結婚していないオマエはダメな奴だ~) 的な矢を
ずきゅずきゅずきゅーーーんと、至近距離で撃たれ
続けてきたので、(20代半~40代前半)、その傷が
癒えてないの。
だから、そういう矢をもっていない人間
と付き合うのは、OKなのである。
(もっていないように見える、うまく隠してくれる人とも
OKだ。 ただ、人間関係の狭い我には
そういう付き合いが極端に少なかったのだなー)
*
「ブログに書いていることは、現実の
身の回りの人に知られたくない」という
ニュアンスを醸すブログは多いし
わたし自身も、そのテイではあるが
実のところ、このブログで吐き出している
数々は、わたし、現実の知り合いにも
読んでほしいことなのだ・・・、と
ときどき思うことがある。
(但し、ブログ以前のweb日記の時代
極々数人の知り合いに日記の存在を知らせたが
その後、98%くらい、お付き合いがなくなってしまった。
そりゃ、そうだよね。「楽しかった」と現実で言いつつ
日記では「人付き合いはホント苦痛」なんて本音を
書けば、誰だって、その相手と付き合いたくなくなるよね。
わたしにとって、苦痛が本音であれば、「楽しかった」も
本音だし、「また会いたい」も本音だったりするのだけど
・・・矛盾が同居しているのですね・・・、受け取り手とっては
わたしの言い分はウソともとれるわけで。
一例としては、そんな感じ・・・。まあ、web日記とは
関係のないところで、離れる運命だったのかもしれんけど。
これこそが、自己責任というやつですのぉ)
11月26日(日) その五
「ブログでシェアしたいと、前から
思っていた記事を紹介するにあたり
ちょっと “自分エピソード” も挿入しよう・・・」と
書きはじめた日曜の夜
どんどん長くなって、“自分語り” が止まらなくなり
記事の紹介よりも “個人的な思いの丈を吐く”
行為に力が入ってしまい、本末転倒。
結果、「過去のグチ」のパレードのように
なってしまった。
*
あまりの長文になるとき、「1」「2」「3」・・・
と適当に区切って、ブログにアップする
ようにしているのだけど
いつもは、それ、だいたい
(全文のおおよその)メドがついてから
アップすることが多いのだけど
今回は、「末文」が見えるまで待ちきれん! と
ろくな読み直しもなく、書きなぐり次第
えい! えい! えい! と勢いでアップ。
(少しハイになっていたのかも)
*
おまけに、「(全部)書き終えた~」と、PCを閉じ
他のことをして気分を切り替えたのち
寝支度をして、就寝直前になっても
「いやぁぁぁ、アノことも書こう(書きたい)」
という自分が現れて、手直し&追加など。
自分の執念におどろいたわ。
11月26日(日) その四
今日の目覚め食はいつもより早く摂り
しかも、「出かける、どうする?」と葛藤している
うちに、昼食を食べ損ね、夕方になってしまった。
晩酌にはまだ少し早い。
というわけで、レンジ饂飩。
茹で麺(讃岐饂飩)を袋のままチンしている間に
どんぶりに、醤油&塩麹&三種キムチの残り汁を
入れて、電気ポットのお湯が沸いたら
麺と、お湯と、かまぼこを、どんぶりに盛って
3分ほどチン。
仕上げに、あぶり海苔をぱらぱらして
一味をふって出来上がり。
どうだ、この、しみったれた感じの饂飩!
饂飩は半額品で、キムチは残り汁だぞ!
「お鍋で湯気を立て作った饂飩のほうが
雰囲気あるわよね~」と思いつつ
美味しいいのだ、こんな調理法でも。
おまけに鍋もお玉も使わないので
洗い物が減る。
・・・近年の、時短だとか手抜きだとか
そーゆうのがもてはやされる風潮に、わたしは
アンチを唱えたい気持ちもあるのだけれど
現実を見れば、わたし自身が「手抜き」に
はまっているのです。
◎追の記◎
書いていて気づいたが、今度から
「鰹節」を常備しよう。しみったれ饂飩でも
より体の喜ぶものにしたいのだ。
しかし、いまだ・・・
「雑でうまい」というのは、混乱する。
「手間をかけておいしい」という物語が
しみこんでいる人間なので。
あと、やっぱ、電子レンジ調理の
違和感はまだ完全に払拭できていない。
11月26日(日) その三
「今に集中することがほぼ皆無の、この生活態度が
睡眠などの不調を招いているのだろう」と、しばしば感じる。
わたしの日常は「ながら」で成り立っている。
たとえば
ひきこもり傾向の強い暮らしであるので
一日のなかで窓外を眺める時間はけっこう
長いと思うが、「今」を味わっているのではなく
大体ぼんやりと、何かしら考えていたり
こうやって日記を書いているときは
ほぼ100%近く、ラジオを聴きながら
であって、常に「ながら生活」なのだ。
好きなテレビドラマを観るときは
画面に集中するようにしているが
それでも、気づいたら
「あれっ、今、なんて言ったのだろう?」
という瞬間があって
(集中がとぎれていたり、聞き取れなかったり)
数秒~数十秒、録画を撒き戻す。
(あれっ、と気づいたとき、そのまま流さず
リモコンで撒き戻しする習慣をつけたら
「自分が集中して観ているつもりでも、実際は
いかに気の逸れるときが多いか」分かり、びっくりさ)
家事も、行為とは直結しないあれこれの
ぼんやり思考を伴っていることが多いと思う。
時間が足りないわけではないのに
現代人らしく、「何か」の待ち時間に
他の「何か」をすることで、隙間時間を
なくそうとする(半ば無意識の)行為は多い。
そして、一番のネックは、この数ケ月
インターネットラジオを聴きながら眠る癖が
ついてしまい、ちょくちょくの覚醒の折にも
スリープ状態のネットをわざわざ起動して
覚醒を埋めるという始末。
ラジオの向こうの声が
眠れない不安を著しく軽減してくれる
実感は強く、依存しているのだろう。
入眠時はともかく、途中覚醒の折にも
ラジオを聴こうとするのは、あきらかに
睡眠の質を下げる行為だなぁ、と
思いつつ、やめられないでいる。
*
きのうは「オムライスラジオ」なるものを
http://omeradi.org/聴きながら眠りに入って
その後の覚醒時には、『ゴールデンラジオ』の
ポットキャストを聴いていた。
(平日は、ジェーン・スーさんの『生活は踊る』の
ラジオクラウドを聴くことも多い)
*
どーでもいい話だが
ゆうべは夢のなかでしんどかったな。
(ラジオとは直接の関係はないのだけれど
オムラジオ → 内田先生 → 橋本さん と
連想してしまったのかも)
内田先生との偶然の出会いをしたわたくしが
「今度の講演会に行きますね」とお話したら
先生含む大勢と一緒に食事をすることになって
しかし、お店には、なぜか店員さんがいなくって
橋本真理さんが臨時で一人で店を切り盛りしている
状態で、わたしは客席につけず、お店のあれこれ
手伝おうとするのだけれど、手にする食器がことごとく
欠けていたりヒビ割れしていたり・・・などなど、ハプニング続きで
全然上手くいかず・・・苦しい展開が続き、でも賑やかな客席には
この店の状況がいっこうに伝わっておらず・・・焦る・・・という夢。
細かいことは割愛するが、この夢は
わたしの人生の癖というか
日頃の心のなかのあれやこれを
象徴しているようにも思えるのだった。
(さらに、どーでもいい話だが
わたしの夢に橋本さんが登場したのは
たしか二回目だ)
11月26日(日) その二
今日は外出する予定であったが
どんよーり空を見ていたら躊躇する
気持ちが生まれ
「雨は夕方からの予報だけど
いつ降り出してもおかしくないわね」
という声と
「街行きは止め、近場でいいから
外出したら、どうよ。運動不足だし」
という声が
延々と、せめぎあって
仕方ないので、洗濯をしながら
迷い続ける。
で、洗濯三回目にとりかかった15時台
(もう日没後のように暗い)
本格的に雨が降ってきて
「どうしよどうしよ」は一件落着。
*
洗濯といえば、きのう
「これは家で洗えんだろうなー」と思いつつ
作業時に着用していたこともあり
さっぱりと水洗いしたい! 欲望にかられ
洗濯機に放り込んだ、秋用のジャケットが
本日起きたときには、気になる型崩れもなく
きれいに乾いておった。
やっほー。
11月26日(日) その一
昨夜は24時半にはお布団に入り
寝たり起きたり寝たり起きたり…の末
う~、と思いつつ、10時半頃起床。
しかし、朝ご飯を食べたあと
ぬくぬくのホットカーペットの上で
一時間ほど仮眠してしまった。
(早く就寝したからといって
すっきり早起きできるわけでないし
だるさの余り、結局、二度寝するのなら
そこそこカラダがなじんだ昼まで寝てれば
いいじゃないか? と思わぬでもないが
午前の起床はわたしなりの努力であって
「ちりもつもれば、なんとか」で
体内リズム改善の一歩なのだ。
また寝坊する日もあるだろう。
三歩進んで二歩下がる! の心持ち)
11月25日(土) その二
作業のあとは、近所の銭湯で温まる。
いつも冬場の銭湯は熱く感じるのだけど
(からだが冷え過ぎなのだと思う ↑ )
今日は最初から最後まで快適な
温度であった。
おまけに、時間帯のせいか
人も少なく、ゆーったり。
ありがとう、お風呂屋さん。
*
帰宅後は、日中買っておいた割引惣菜
(糸コンニャクと人参・隠元の炒め煮。
蓮根のキンピラ。 ・・・上記と似た味だった。しかも糸コン入り・・・
牛蒡と蒸し鶏のサラダ)他で、晩酌。
(どうも、カラダが食物繊維を欲しているような。
並べた惣菜を見て、思う)
11月25日(土) その一
今日は、わたしにとって大きな作業を
ひとついたしました。
一人宅のリフォームが停止状態になっており
このまま時間だけが過ぎるのではないか
と、思うこと久しく・・・であったが
設備のもんだいを一つ解決。
*
エアコンと室外機を結ぶ線を無理やり
切断した話は二年以上前の日記に書いた。
その後、壁紙の張替え時に、内装屋さんが
エアコン本体を取り外して下さり
部屋にはエアコンがなくなったのである
が、相当離れたところにある戸外の室外機から
サンルームまでつづく「線」は残っており
ずっと気がかりであった。
*
そして、過月、サンルームの壁に固定された
(外したかったけれど、外れなかった)「線」が
ゴトっと外れ落ち
よくよく見ると、サンルームから戸外に続く「線」も
日々の雨風で徐々に弱っていたのであろう
包み守るように施されていた(束ねと防水用か)
撒き付けが、部分的に剥がれてきている。
さらには、なんといっても
(よく、まあ、これまで我慢というか
放置していたな、という話なのだが)
サンルームの高窓に、特殊な枠をはめ
(これがあるから窓がちゃんと閉まらなかった)
「線」を戸外につなげている所が
ゴム溶接されていたのだけれど、それも
老朽いちじるしく
隙間風、ぴゅーぴゅー であったのだ。
*
これは、「線」を完全に取り除いて
サンルームの高窓をちゃんと閉められるように
しなければ・・・
と、腰を上げたのさ。
*
「線」は、何本もからできていて
なかには金属の管のものもある。
(二年前はフロンガスらしきものが出てきて
びっくりしたが、今回はそんな心配はない)
切断にハンパない力が要るのじゃ~。
実際、ペンチで切断を試みるも、うまくいかない。
「そういえば、前のときは
頑丈なキッチンバサミを壊したのだっけ・・・」と思いつつ
使い捨てのつもりで百円ショップの一番頑丈そうな
ハサミを買ってきたが、まーーーーったく歯が立たない。
こりゃ、ホームセンターで、しかるべき工具を購入せねば
ならんかのぉ・・・、と思いつつ、ダメもとで
ペンチ切断の試みを繰り返していたら
少しずつ、少しずつ、切断が進み
どれくらい時間がかかったかは分からんが
最終的には成功!! したのだった。
*
やっほー。
ここにセカンドハウスをもち、三回目の冬
はじめてサンルームの窓が全部閉まったぞ!
◎まとめデス◎
いくら刷新した価値観をとりいれようとしても
「かつての自分」にがんじがらめになっている。
客観的にみて、ノイローゼになるほどの
大きな出来事に遭遇したわけでもないのに
(例えば、「子どものない人生なんて寂しい」
と語り合う人々のもとに、わたしがお酌でもしようと
たまたま姿を現そうものなら、パタリと会話が止まったとか
我が母親が、人様の娘も結婚してないことを知り
・・・親にとっても未婚の娘をもっているというのは
なかなか周囲にない状況だったのだろう・・・その場で
・・・通夜の席なのに・・・何十年ぶりに会った相手を前に・・・
顔を輝かせて、安堵の言葉をもらしたり
などなど程度の、吹けば飛ぶようなことの連続さ。
あ、独身子なしのわたしのことを「かたわ」と
面と向かって言った人もいたが、もう鬼籍に入って
いるので許そう)
つまり、過去の記憶、(それはわたし自身が
保守的な人生観を根底にもっていた証でもあろう)
保守の亡霊に、とりつかれているわけさ。
*
「独身のわたし、おめでとう」と
心の中で唱えるのイイかもね。
「ダメの烙印を押され続けた(と記憶する)
過去」をも包み込むほどの祝福であれば
わたしがわたしにかけた「呪い」は解けるかも。
(なお、五十に手のとどく現在も
誕生日には数人の方からお祝いの言葉を
もらうが、正直、めんどくさいなー、そういうの。
なにがめでたいのじゃ、こちとら
「生きてるだけで苦しい」のに、と反抗している
面もあったのだけど、次回からは、心の底から
「祝福してくれて、ありがとう」と思える人間になりたい!)