東京ドームシティホールでのVOWWOWライブから10日経過。
一応前回の更新で感想は締めたつもりだったが、あれからまだ余韻に浸ったり
思い出したりしたことが多々あったので、徒然なるままに書き殴る。
『厚見玲衣氏についてほとんど触れてなかった』
キーボードソロのコーナーがあったのだが、少年期の思い出が甦りすぎた。
当時(という表現が適切かは疑問だが)FMラジオでは、いろいろなアーティストのライブを収録した音源を放送する…というのが普通にあった。
それも1曲2曲ではなく、1時間番組ならその回丸々一つのアーティストを流す…みたいな。
VOWWOWライブの放送で、山本氏のギターソロや厚見氏のキーボードソロのコーナーも流れていた。
当時カセットに録って何度も聴き返してしたものだが、今回のキーボードソロの前半がその当時のものまんまだった。
色々思い出して泣きそうになっておりました…。
「要塞」と言われる氏のキーボードのセット。現在正ベーシストが在籍しないので
正ベーシストがいた頃より前列に組まれている。
よりその「要塞」を手前で見ることが出来た。
「V」のバンドロゴ?が表示されているCRT(液晶ではない)モニターもおそらく実用してないのだろうが、
しっかりセットされてるあたりも、往時を偲ぶファンには懐かしいものであった。
氏のキーボードサウンドはVOWWOWをサウンドを決定づける重要な要素であり、それが他の4ピースバンドとの大きな違いを出している事は私ごときが言うまでも無い事。
『ナントカのナントカ』
正直、私には「好みではない」バンド・ユニットとして挙げているナントカであるが、
実はそのギタリストM氏のソロアルバムに人見元基先生が
参加している。
もちろん文句なしの圧巻のパフォーマンスなのでVOWWOWには興味はないが…と思う方も
ぜひ聴いてみて欲しい。
「いやいや俺はあの暑苦しい歌い方がダメなんだ」
はいそうですか、では
こちらとか
こちらとか。
『繋がる』
私が音楽を聴いたりギターをちょす(弾くとはお世辞にも言えない)きっかけとなった初期のアーティスト。
国内から3つ挙げるとすれば「THE ALFEE」「VOWWOW」「角松敏生」である。
どれも接点が無いように思えて、ギタリスト山本恭司氏の息子は現在角松敏生のツアー・レコーディングのドラマーである山本真央樹氏である。
去年半ば頃から、某動画サイトのおすすめにやたらとSPECTRUMが表示されるようになった。
何からの繋がりで表示されたのか解らないまま、ああスタンハンセンの「サンライズ」はこの人達の曲だったのか?
衣装は独特だが、やたらとかっこいいサウンドだな。まさに時代を先取りしすぎたバンドだな。と思った。
去年の川崎クラブチッタからの、新美俊宏氏亡き後のドラムをサポートしている岡本郭男氏が在籍したのがSPECTRUMだったので、VOWWOWをよく見ている自分に表示されたのかとようやく気づく。
そしてここ最近、「真夜中のドア」のようにSPECTRUMがバズっていると言う。
サポートベースの永井敏己氏。見た目からしてロック畑の人では無さそうだな?と思いましたが、
誠に堅実なプレイで今回のハイクオリティなライブを支えてました。
この方、調べてみるとTHE ALFEEのキーボードだった山石氏やドラムだった長谷川氏と活動した事もあるそうで。
フレットレスベースの達人らしいので、そちらの方のプレイも見たいですね。
VOWWOWにもあのニール・マーレイがフレットレスで弾いている曲が何曲かあるんですが、
それらは今回のセトリにはありませんでした。
ニール・マーレイと言えば、ホワイトスネイクのサーペンスアルバス。
ジョン・サイクス在籍時の最高傑作と言われるアルバムですね。恥ずかしながらBAD BOYSなんか弾いたりしてました…。
意外なところで好きなアーティスト同士が繋がっているものですな。
追記:Rock Me Nowのギターソロが「Rock Me(日本語詞)」のバージョンだったのが嬉しかった。
これも同年代なら知っているか?
仙台ロックンロールオリンピックの夕景の中でのパフォーマンス
- 2025/01/19(日) 15:19:24|
- 徒然
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VOWWOWにWOWOWから花が…なんかのシャレではなく3月に2日目の模様がWOWOWでOAされるその友人と水道橋で合流。
時間までメシを食べたり、お茶の水で楽器屋を見て回ったり。
山本恭司先生も使っていたYAMAHAのSFXが出ていてヨダレを垂らしたり。
飛んじゃって大変になりつつ、19万どころか9万も持っていないお茶の水。
とても手が出ないF社G社などのギター。脳がリミッターをかけてくれるので、欲しいという感情すら起きない。
知っているプロギタリストベーシストのサインを見かけておおとなったり。
その中には当然山本先生のもありました。
開場3~40分前には入場待ちの列に並ぶ。
やや前倒しに開場し、期待と興奮も手伝いって待ち疲れもせず会場に入る。

事前に会場を下調べしてなかったので、席は厚見さんサイドの2階という。
まあそれでも、近くは老眼で見えなくても、遠くは1.5以上の視力で見えるので、人見先生や山本先生のパフォーマンスも心眼と合わせて見える。はず。
入場から開始まで30分はあったと思うが、これも待ち疲れせず開演を迎える。
細かくセトリを説明するのは控えるが。1曲目はIIIのオープニング曲Go Insain。
前の川崎クラブチッタの時も「全く衰えは感じない」と評されていた人見先生の声。
LP/CDと遜色ない。圧倒されて引き込まれてしまった。
…これは凄い。67歳って本当か?
このヴォーカルを生で聴いた事を私は生涯の自慢とし、没後は冥土の土産として持って行こう。
キーを下げたりも一切なく、アドリブやアレンジは控え目。それこそCDのクオリティでの怒涛のパフォーマンス。
現役当時(という表現が適切とは思えないが'90年の解散前までを指して)のライブ音源では、山本先生のギターソロはLP/CDに対して結構アドリブやアレンジがあったと思うが、今回はそれは控え目だったと思う。
…と評すると、カッチリしすぎててある意味ライブ感の薄い淡々としたパフォーマンスなのか?と捉えられてしまいそう。
そうではなくLP/CD並みのクオリティとテンションで、あれから35年も経っているとは思えない、衰えが無いどころかその後のキャリアでクオリティ上がった?と思えるパフォーマンスだった。
当時(という表現が以下略)若干突っ張った感じだった人見先生の雰囲気も、いい感じで年相応にこなれ、それが更に深みに繋がっている感じがした。
それは山本先生のギタープレイにも言える事で、当時(とい以下略)HR/HM系ギタリストは速弾き全盛期
(今はそれ以上のスイープなどを多用する若いプレイヤーも特にネット上で多いが)
の中で、チョーキングやアーミングなどを多用するエモーショナルなプレイスタイルであったが、それに更に磨きがかかっていた。
アルバムIIIのラストナンバーであったパワーバラード曲Pains of Loveの長いギターソロ。
当時からこれが大好きで鳥肌を立てながら(某ウナ丼氏風に言えばチキンスキンスタンダップ)聴き入っていたものだが、
生でそれが聴けるとなればもはや感涙ものである。冥土の土産に持って行こう。
そして話を人見先生に戻す。
彼の実力を知る者には概ね高評価であるそのヴォーカルだが、中には「くどい」「うるさい」という評価も、
前回持ち出したナントカのナントカさん程では無いが、一部にはある事も事実ではある。
…しかし、2部構成であった今回のライブの後半の始まりに、
レオン・ラッセル作、カーペンターズの「Superstar」をアカペラで…
こういった曲を歌わせても超一級なのが人見元基先生なのである。
ネット上には「Fly me to the moon」や私の大好きなEric Carmenの「All by myself」などを歌っている動画・音源も転がっているので、その上で評価して頂きたい。
…推測だが、自身もその様な評価がある事も承知で、あえてこのパフォーマンスを織り込んだのでは?
と考える。
自身らも60代後半、客層もそれに近いので、1部2部の間には25分の休憩が入るという構成(笑)
それらもあってか、圧倒的なパフォーマンスは2度のアンコールが終わるまでダレることは無く。
夢にも思わなかった程の夢が叶った時間でした。
物販はほとんど売り切れて、Tシャツくらいしか買えなかったそしてMCにもありましたが、VOWWOWのライブは今後も有るという事です。
流石に財力的に半年後とかは行くには厳しいですが、来年以降もあるのならチケット争奪戦に参戦したいと思います。
飯田橋の宿からの帰り道、水道橋でまた余韻に浸る
鉄分も摂る
- 2025/01/11(土) 21:34:41|
- 徒然
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令和になって初の上京。
思えば、盛岡に移住して以来、東北から出たことがありませんでした。
何をしに行ったかというと、かのハードロックバンドVOWWOWの東京ドームシティホールでのライブに…
VOWWOW…私が中学になり、アニソン→ヒット歌謡→ニューミュージック(当時はシティポップとは言わない)やロック…に音楽の好みが移って行った年頃。
バンドというのにも興味を持ち始め、当時NHK教育テレビ(当時はEテレとは言わない)の趣味講座的な番組の中に
ベストサウンド
という番組があった。
司会進行は小説家でキーボーディストの難波弘之氏。
アシスタントは「翼の折れたエンジェル」がヒットする前の中村あゆみ。
当時現役のミュージシャンたちが講師陣という、今では考えられない番組。
その講師陣にVOWWOWがいたという。
当時楽器に興味を持ち始め、そして40年経った。
未だにソラで覚えているコードはメジャーとマイナーだけという進歩の無さだが、
チョーキング(ベンド)やライトハンド(タッピング)、ピッキングハーモニクス(これはこれだけは精度高い)
と言ったテクニックの類は、山本恭司先生から教わったと言っても過言ではない。
そして超絶ヴォーカリスト、人見元基氏の存在を知ったのもこの時。
…今ネット動画などでヴォーカリストの評価や比較をしたがるコンテンツでは
やれHiGが出るの出ないのだのと言ったどこまで高いかばかりを取り上げるものが多いが、
声量音程音域発音さらにはナチュラルディストーションのかかり具合など、
全てが異次元。日本人離れなどという表現も些か物足りないという。
…誰かを引き合いに出すのは品が無いとは重々承知で言えば、
この間の暮れの国民的ナントカでナントカというバンドじゃないユニットがやっぱり凄いとか、
SNS上で持ち上げられていたが、そんなのは鼻で笑ってしまうレベル…
…を67歳の今も維持している…
どころか、当時より厚みを増している?という。
キーボードの厚見氏にかけたわけではない。
そのVOWWOW、'90年にフェードアウト的に活動を終了。
ヴォーカルの人見氏は、プロミュージシャンを引退し、持っていた教職免許で高校の英語教師になったという。
ただ、この度の復帰以前も、アマチュアとして音楽活動は続けていた模様。
ネット上には、そういった映像や音声も転がっている。
VOWWOW解散から数十年。現役当時のライブを見る機会は無く、いつか見れたらという願望すら頭に無かった。
2010年に再集結したライブがあったようだが、情報などに有り付けず。
そして2023年、ドラムの新美氏が亡くなり、更に可能性は薄くなったと思われた。
しかしその新美氏の一周忌を追悼するライブが’24年6月に開催という。
この情報は掴んだが、チケット争奪戦は瞬殺…
もう諦めるどころか、VOWWOWを生で聴ける機会など無いと思っていたが、
その6月のライブで手応えを掴んだのか、この1月にもライブの予定が。
ダメ元でチケット争奪戦に参戦。端っこの席ではあったが、初回抽選で確保。
夢にも思わなかった夢のライブに行けることになった。
在京の高校時代バンドで遊んだ同級生の友人も同じ日に確保。
席は離れていたが、同じライブを共に見ることが出来た。
私の記憶が正しければ、彼にVOWWOWを教えたのは私だったと思う。
…久々に筆が走って長くなったので続く(笑)
- 2025/01/10(金) 20:52:21|
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