戦争を終わらせる(始めさせない)ためには「戦争の真実」を理解しなければならない | 嘘八百のこの世界
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ソウルマン

戦争を終わらせる(始めさせない)ためには「戦争の真実」を理解しなければならない

「太平洋“八百長”戦争・完全証明」


「あの戦争が八百長だったこと」を日本で一番告発した作家は、鬼塚英昭氏であるだろう。
同じことをネットで一番告発したのは、ひょっとしたら私かもしれない。
「よくも同じことばかり飽きもしないで書きよるわ」と、思われているかもしれない。
これだけ「同じこと」を告発しているわりには、読者の方の反応があまり感じられない。
あまり関心がないのかな?
戦争というものが身近に感じられないことが、その理由なのかもしれない。
戦争体験者で今も生きておられる方は、ごく少数しかいないだろう。
「戦争を知らない子供たち」が流行っていた時代の若者でさえ、今では高齢者である。
ましてや「戦争を知らない子供たち」の後追い世代である私が戦争の怖さを実感できているはずがないことは、言うまでもないことである。
斉藤和義の「僕の見たビートルズはTVの中」じゃないけれど、「僕の見た戦争はTV・映画の中」である。
「そんな戦争の「せ」の字も知らない若造が、戦争が八百長だなどと知ったようなことを抜かすな」と戦争体験者の方からお叱りを受けるかもしれないが、それでも黙っていられないのでこれまで書いてきました。

私が黙っていられない理由は、「戦争の真実」を知ってしまったからです。
「過去に発生したほとんど全ての戦争が八百長である」という真実を。

勿論真実を知った以上黙っていられないという私の持って生まれた性格も、大きな要因であるでしょう。
「知っていても知らないふりをして生きていった方が得だからそうしよう」というような器用な生き方を私はできませんし、するつもりもありません。
誰が何と言おうと、私は「過去に発生したほとんど全ての戦争が八百長である」ことを確信しています。

そして、私が「戦争の真実」を書いてきたもう一つの理由は、戦争が決して「過去の物語」ではなく現在・未来へと続いていく問題であるからです。
我々よりも我々の子や孫が戦争に巻き込まれてしまうかもしれないからです。
我々の子や孫が「他人に殺される」か「他人を殺す」かもしれないからです。

それも「偶然」ではなく誰かの故意による「計画」で起こされた戦争が原因で。

我々の子や孫をこのような悲惨な目に遭わせる戦争が「偶然」発生するものではなく誰かさんの「計画」であったならば、あなたは許すことができますか?
私にはできません。
もう一度誰でもわかるように、我々日本人が直近で体験したあの戦争の真実をまとめておきます。
この記事から「太平洋“八百長”戦争年表」を、この記事から「太平洋“八百長”戦争証明のポイント」を、転載します。

これで太平洋“八百長”戦争が完全証明されたと思っています。

「「そうだったんだ」とテレビで堂々と嘘をついているあの人があらゆる放送局の番組で時事問題の解説をしている理由」を考えてみてください。
ここに「すべてのテレビが同じ目的をもって同じ方向に向かっている」ことが証明されています。

「国民に真実を知らせるな」という方向に。

「国民に戦争の真実を知らせるな」という方向に。

「国民に北朝鮮の真実を知らせるな」という方向に。

「国民にシリアの真実を知らせるな」という方向に。

「国民にこの世界が嘘八百であることを知らせるな」という方向に。


現在の新聞・テレビは、戦時中の大本営発表と全く変わりありません。
これまで何度も書いてきましたが、最後にもう一度書いておきます。

戦争を終わらせる(始めさせない)ためには「戦争の真実」を理解しなければならない。





<太平洋“八百長”戦争年表>

1、 1918年、モスクワのイルミナティ大会により「日支闘争計画書」が作成される。
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-260.html   

2、 1919年、アメリカで「オレンジ計画」が立案される。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8%E8%A8%88%E7%94%BB

3、 1924年、イギリスのヘクター・C・バイウォーターの「未来予測」発表。
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-285.html

4、 1930年、幣原喜重郎が「ロンドン海軍軍縮条約」を締結する。
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-268.html

5、1936年、「二.二六事件」が起こされる。
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-463.html

6、1941年、ロックフェラーの別のフロント組織、太平洋問題研究所 (IPR)が、日本の真珠湾攻撃工作資金を拠出する。
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-2621.html

7、 1941年、日本海軍が「真珠湾攻撃」決行。太平洋戦争勃発。
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-270.html

8、 1945年、広島と長崎に原爆が投下される。ポツダム宣言受諾。日本敗戦。幣原喜重郎が戦後初代の内閣総理大臣となる。
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-46.html

9、1945年、「8.15宮城事件」が起こされる。
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-536.html





<太平洋“八百長”戦争証明のポイント>

・東京大空襲で皇居や財閥系企業の施設は被害を受けなかった。

・三菱重工広島造船所や長崎造船所は広島、長崎の原爆投下でも被害はなかった。

・東京裁判では米国にとって最大の「敵」であったはずの人物は無罪とされた。

・天皇の戦争責任を追及したアメリカ人ジャーナリストのバーガミニは、日本ではなく米国から妨害工作を受け、ジャーナリスト生命を断ち切られた。

・戦時中、財閥系企業は「天皇の軍隊」を利用して莫大な利益を上げた。

・財閥解体なんて嘘八百であり、戦後も存続・拡大し続けている。

・昭和天皇はガーター騎士団の一員(エリザベスの臣下)であった。
日本がイギリス相手に戦争を起こすということは、君主への反逆を表すことになる。

・石油も鉄くずも所有していない日本が、何故に4年も戦争を続けることが出来たのか。
敵国であるはずの米国から、裏ルートで輸入されていたからだ。

・白洲次郎やヨハンセン・グループは、空襲や原爆の情報を事前に教えられていた。

・満州国で実権を握っていたのは、岸信介をはじめとした田布施グループである。

・満州国で岸信介は麻薬を取り仕切っていた。
麻薬の製造方法や販売手段を日本は知らなかったはずである。
それらの情報を教えたのは誰か。

・田布施グループの一人である松岡洋右が国際連盟脱退のお膳立てをすることによって、
日米開戦の原因を作った。

・ロンドン海軍軍縮条約を締結させて日本海軍の弱体化を謀った幣原 喜重郎は、
フリーメーソンだった。

・幣原喜重郎の妻・雅子は三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の四女である。
ここでフリーメーソンと三菱が繋がってくる。

・太平洋戦争開戦以前に、「日支闘争計画」が存在していた。
これは、日本と中国を戦争させる計画である。

・開戦前の二.二六事件も、終戦の際の八.一五宮城事件も、ヤラセであった。
ともに「あの戦争は軍部が独走して起こしたものであり、天皇は戦争に反対していた」という嘘を広めることが目的だった。



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ソウルマン
Posted byソウルマン

Comments 2

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まさ

No title

はじめまして。
あの戦争が八百長であるという理論はわからない
でもないです。
(株価と同じで後からどうにでも説明できる。)
しかし、八百長であれだけの人間が犠牲になったのであれば、
怒りを通り越して、人生とは一体何なのかと
考えずにはおれません。
あれだけの人を巻き込んでおいて、八百長ですか。
僕は、世界的な民族対立として避けて通れなかった
道だったのだと今でも思っています。

2018/08/15 (Wed) 22:09
ソウルマン

ソウルマン

Re: No title

はじめまして


> はじめまして。
> あの戦争が八百長であるという理論はわからない
> でもないです。
> (株価と同じで後からどうにでも説明できる。)
> しかし、八百長であれだけの人間が犠牲になったのであれば、
> 怒りを通り越して、人生とは一体何なのかと
> 考えずにはおれません。
> あれだけの人を巻き込んでおいて、八百長ですか。
> 僕は、世界的な民族対立として避けて通れなかった
> 道だったのだと今でも思っています。


「あれだけの人を巻き込んでおいて、八百長では済まされない」という、
あなたのお気持ちはよく分かります。
ほとんどすべての人が、そのように思うでしょう。私もそう感じる一人です。

ただ、感情と事実は異なります。
感情に流されるだけでは、事実を見誤ってしまいます。
事実を理解していなければ、また「同じ過ち」を繰り返してしまいます。

戦争が八百長であった証拠は、ここで示したつもりです。
戦争が八百長ではなく、世界的な民族対立として避けて通れなかった
道だったと思われているのならば、客観的に私の主張を打ち消す根拠を示してもらえますでしょうか。

2018/08/16 (Thu) 08:55