注:コメントつけてくださった皆さまへ
niftyが展開するココログに不具合が発生しており、せっかく記して頂いたコメントがどっかに行ってしまった様です。
消してしまった訳ではないとの説明ですがこちらとしては今のところどうしようもありません。
復活しましたら必ず返信させてもらいます。不愉快な思いをさせておりますことお詫びいたします。
| 3
| コメント (0)
niftyが展開するココログに不具合が発生しており、せっかく記して頂いたコメントがどっかに行ってしまった様です。
消してしまった訳ではないとの説明ですがこちらとしては今のところどうしようもありません。
復活しましたら必ず返信させてもらいます。不愉快な思いをさせておりますことお詫びいたします。
| 3
| コメント (0)
白地に赤で記された実質本位なそれ。かつてそこここで見かけた様に思いますが、知らん間に懐かしい雰囲気を醸し出す存在になってます。
そうそう、これやったなぁ。幼かった頃の大昔、ヤマハ音楽教室に通わせてもらっていて、その頃の看板がこれやった気がします。まぁ看板がこれやったと言うより、ロゴと色合いがこれやったというのは間違いないかと思います。
で、何度か書いたことありますけどこれがね、全然ええ加減にしかやらなんだ訳です。同じく通っていた兄はまぁその上を行っていて、オルガンのスイッチ切って演奏するフリしてた様ですので、まだそれよりマシとはいえ…あの時ちゃんと学んどったらなぁと思いますわ。
お習字にソロバンなんかもすべてそんな調子でな〜んにも身につかなんだなぁ。色々親不孝してきたもんです。アホやったなぁ…って、今もアホのまま。それでええこともあるっちゅやあるんですけど、ねぇ。
(於:寝屋川市) ヤマハの音楽教室の歌のメロディーだけは覚えてる。しんみりしてきた。
昨年末、炊飯器を新調しました。
まだ炊けるっちゅや炊ける状態での買い替え。とは言えフタのパッキンが裂けていくら慎重に仕掛けても、ときおり本体と蓋との間から炊き汁がこぼれ出てる状態になることがあって「…でも炊けるしなぁ」と一年以上騙し騙し使ってましたが、ある時「あんな、もうそんな先が長い訳でないこと考えたら、はよ買い替えて美味しいご飯食べたいわぁ」と、うちのひと。なるほど、確かにそうですなぁ…確かに。ってことで決断した次第でございます。
これは今までの炊飯器。見ての通り盛んに蒸気出して頑張って見事に炊ける訳です。パッキンさえ裂けなんだらまだまだいけまっせ状態ですけど18年間も使ってること思うと、そらまぁ潮時かなぁ思ったりやっぱり申し訳ない気分になったり。これ、ナショナルの松下電器産業製。もちろん“パナソニック”ではありません。
そしてこれが新調した炊飯器。黒基調のシックなヤツ。花柄はどこへ行った…って、比較が古すぎまんな。価格帯としては中の上ってところでしょうか。圧力IHというカテゴリのもので今度のはZOJIRUSHIの象印マホービン製です。
18年頑張ったナショナル捨てて何で象印のにしたのかというと、同社のがいちばん売れているということで「きっと皆が支持する美味さなんやろ」ってことと、“電子ジャー”をいちばんはじめに製品化したのが同社やからってことで、です。でもまぁ思えば保温機能だけの“電子ジャー”の元祖を支持するより“電気炊飯器”やら“炊飯ジャー”の元祖を大事に思わなんだらアカンなんだ気もします。ちなみに前者は東芝が1955年に、後者は三菱電機が1967年に商品化。象印は1974年に炊飯ジャーを売り出したそうです。
で、炊き上がり。うん、どっちも美味しい。ほんま美味しい。ですけど…やっぱり新しい象印方のが、お米にツヤがあってひと粒ひと粒際立ってるって言いますか、モチモチの中に適度な弾力性を感じます。そうか、これが18年の進化なんですね…って、同じ会社の製品での比較やないんでええ加減な話ですけれども。どう考えてもパナソニックのそれも、きっと美味しさアップに違いないでしょう。
買い替えて大満足。まぁ強いて言いましたらそないにカスタマイズ条件要りませんねんけどなところ…かな。まぁそれはきょうび大概のモンがその傾向にあるなと思うんですけどね。
で、そうそう。お子と共に気に入っているのがこの“象”のマークの小ささ。ちっちゃい象が前面にひとつ、それだけ。この象のマークの横に“ZOJIRUSHI”と記していないところがかわいい♡カッコいい。洗練されてまっせ。炊き上がり以上にこの象のマークの位置と大きさに大満足です。こういうニュアンス、Panasonic製では味わえませんわな。
「ケーキ作るのに古いのは使うから」のひと言が決め手になって買い替えたのに…作れへんやん。
※関連記事:
『冷蔵庫、20年稼働し続けるも壊れる。』 2024年11月 記
茶の湯の稽古つけてもろて歩いてますとそこもここもまぁあんまり変わらん八尾の景色。それでもいつもは通り過ぎていた風景に惹かれて立ち止まることもあるもんです。 木造モルタルの文化住宅。まだまだ残るも気がつけばレオパレスなんかのアパートに建て替わって…そらまぁそうでしょうなぁ。
青い瓦屋根にそびえるアンテナ、錆びたナミイタ鉄の階段…それらのテイストみな昭和。あっ、臭気筒もですな。
(於:八尾市) サンテレビ用にもアンテナも付けるのが標準なんやなぁ。
※関連記事:
『恩智北町二丁目の文化住宅、午前10時21分。』 2024年11月 記
『初秋は午前9時の文化住宅』 2017年9月 記
二泊目は海沿い。三泊目は山奥。酸ヶ湯温泉で薄暗い千人風呂に入りますれば…体のどことは言いませんけど粘膜が痛い。口に入ると酸っぱいすっぱい。調べますれば“pH 1.71の強酸性”。
温泉から上がったら手のひらふやけて白化。乾けばザラザラでまぁなんと言うかマッチ擦ったら着火するんちゃうんって感じ。“非日常”感で言えばそらぁピカイチ。粘膜イタイの耐えて何度も非日常を味わいましたで、もちろん。
帰りはタクシーで青森駅まで。スタッドレスタイヤだけでグイグイ進んでいきます。たとえそこが下り坂でもほぼ滑りもせんとスイスイと前進。運転技術もさることながらチェーンもスパイクもなく平気に走るタイヤもすごいモンやなぁと思いますわ。もちろんクルマの性能も然り。改めていろんな人がええモンこさえて現代社会が成り立ってるんやなぁと思いました。
青森駅あたりをちょろっと観光。しかし何です、青函トンネルできて寂れた街になったんやろと想像してましたけど何のなんの観光スポットにはひとがいっぱい。“本州の北の果て”という勝手に抱いていたイメージは間違いでした。 空港の雪かきなどで20分ほど遅れた飛行機に乗って帰阪。遠くの小さな(?)富士山を愛でてしばらくするともう着陸モード。温泉三昧ながら乗り物移動の多さにちと疲れたなぁ思いつつ赤く焼けた大阪平野を眺めていました。
で、家に帰りテレビをつけると酸ヶ湯温泉で積雪5メートル超えという大雪がニュースになってますやん。いや、そらまぁ「雪国やなぁ」とは思いましたけど、毎冬こんなんなんやろと特別視してなかったら記録的な大雪やったとはって感じ。それ思うとよくもまぁすんなり帰ってこれたもんです。明日の仕事に穴開けずに済んでよかったわぁ。
(於:青森県青森市、長野県、大阪市北区ー淀川区) 満足旅ながら「やっぱり家がいちばん」と、どこぞのおばぁはんの様なことを初めて思ったのでした。
朝も塩キツめの不老ふ死温泉に入って部屋の窓から外見ますれば…いかにも、な景色。 暗い空は海に雪を降らせてるんでしょう。そうそう、こんな感じがよそモンが思う“北国の海”。
ちなみにもちろん二重窓。昨日は外の窓はサッシが凍てついて開けられませんでした。 しばらく眺めていますと吹雪いてきました。真横に流れる雪と風に争ったり飛ばされたりしながら左へ右へのウミネコも寒いことでしょうなぁ。
ずっと悪天候のままやなと思っていましたけど、わずか30分ほどで景色は変わるもんですな。
で、そうそう。波が青いでしょ。これがちょっと不思議に思いまして。
海の青さってのは青空が写り込んで青なるんやとずっと思ってましたけど…ちゃうんですね。海水自体が空気含むと青く見えるとは知りませんでした。冬の日本海でマリンブルー、これは個人的に大発見、です。
塩々の温泉を後にして再び送迎バスで新青森駅までそして青森市内をサクッと小一時間探索後、これまた送迎バスに一時間ほど揺られて酸っぱスッパの温泉へ向かいました。
(於:青森県深浦町) 時間ない腹すかんで駅ナカの“青森食堂”なるいかにもなお店での昼食が悔やまれる…ってマズかった訳でも感じ悪かった訳でもないねんけど。
二日目は“不老ふ死温泉”へ。
いつも通り“青森県へ行く”ということ以外は、うちのひとに任せまくりの半分“ミステリーツアー”。新青森駅から宿の送迎バスに揺られ続け2時間弱、海が見えました。この風情はどうやら日本海。いや、これも勝手な想像ですけど。 曇り空の隙間から太陽が光を送り込んできました。これはええ光景やわ、で数枚。潮風と吹雪で汚れたガラス越しに撮った割にはええ感じに撮れてまっせ。
そしてやがてバスは宿へ。そこは“不老ふ死温泉”の宿。日本海側でした。しかし何でっせ、百キロ2時間半のという道のりをバスで迎えに来てくれはるってちょっと考えられませんよね大阪に住んでますと。百キロ…大阪から言うと西へ姫路、東北へ近江八幡あたりでっせ。サービス満点でんな。
諸々お子やうちのひととの約束の行き違いで我がは体験しませんでしたけど、海に面した本格的露天風呂は行き帰りを含めて激寒やったとか。なんぼ内風呂でカラダ温めても吹雪の中の移動はキツかったとか。そらそうですわなぁ。
で、どんな湯質やったかですけど、それは茶褐色の塩味強烈なテイスト。ゴクゴク飲んだ訳ではもちろんありませんけど、うどん出汁よりきっと塩分濃度高かったかと思います。
まぁサラサラの無色透明より何となく“有り難いわぁ”と我慢しつつも十二分に浸かって…ただの貧乏性ってだけの話ですけどね。
海の幸中心のバイキングを食べつつ地のお酒を楽しむ…とか記しつつすっかり銘柄忘れてますわ。まぁ美味しかったわそれでよし。歳を重ねるってのはこんな感じなんかな。ま個人差めちゃありそうですけど。
(於:青森県深浦町) あっ、思い出した。お酒は“太平山”。秋田の酒ですやん。
「マイル貯まってるで」ってことで“どこかにマイル”で空旅。北へ。 上六からバスに乗って伊丹空港へ。飛行機もカッコよろしいけど、働いてはる人もみんなカッコよろしいなぁ。給油隊の安全点検ひとつとってもキリッとしていてよろしいなぁ。
八角弁当の小さいヤツ食べつつしばらく待って1時間半ほど空をひとっ飛び。「窓からの景色はまったく見えませんで」な状態の中、着いたところはこんな感じ。 大阪とは全然別世界。そらぁ「悪天候の場合は伊丹まで戻ります」となりますわな。吹雪いている中でもサッと着陸、これもまたカッコよろしいことで。
三泊四日の青森旅のはじまり。初日は青森市内の食堂の様な居酒屋の様なところへ。そこはちょっと“なんちゃって昭和”な空間。外したかなっ…まぁよろしいか、お子がそれなりに反応してましたんで。
(於:兵庫県伊丹市、青森県青森市) “八角弁当”と打つと予測ワードに“まずい”と出よる。アホか。
※関連記事:
『午前10時の伊丹空港で、雑感。』 2022年3月 記
『公道のMAINAMI』 2020年12月 記
過日クルマの運転中に見かけた錆びたブリキ看板。「“ダイキン”に“農業…”て書いてあった気がするで」と戻って確かめてみますれば、やっぱり。
見ての通り、そこには“ダイキンの農業機械”の文字。“性能を誇る!!”のフレーズに時代を感じます。
ダイキンが農機具を手掛けてるとは聞いたことがないので「同名の別会社やろ」と思いましたがそこに記されたマークが、あのダイキンの旧社章。と言うことはかつてダイキンは農業機械を手掛けていたんですね。
ほんまかいなと調べますと、ダイキン耕耘機の説明を当時のカタログとともに紹介してはるサイトがありました。
ダイキンのサイトにはもひとつこれといった説明がないなぁと思いましたがPDF化された『ダイキン工業 90年史』という本の63〜64頁あたりに記されていました。
その資料によりますと、農機具は戦後まもなく農業用発動機からはじめ様々な農機具を手掛けていたものの、不採算を理由に1971年、ヤンマー農機に譲渡したとのこと。400もの特許もその時に譲渡したとありますが、ヤンマーのサイトにはそういう記載はちょっと見つけることができませんでした。
普通の市民にとっては“空気で答えを出す会社”のエアコンの会社ということくらいしか知りませんでしたが、世界一の空調事業以外にフッ素化学製品も世界第二位。全従業員の8割が日本国外で働いているという世界企業とのこと。それを知るとますますこの看板が愛おしく思えてきます。あっ、そう言えば“ダイキン”が“大阪金属”の略やというのも近年知った次第。ダイハツ同様、贔屓にせんとあきませんな。
(於:和歌山県有田川町) 上に置かれた消防用のホース(?)もええあじ出してるな。
※関連記事:
『昭和なプラ看板 37 ● ダイキン ルームエヤコン』 2009年12月 記
こうなってもそれなりに全部読めるもんです。 ですけど真ん中の💢は判読できず。🍅でも描いてあったとしときましょか。
(於:東大阪市) それより“カラオケ喫茶”が読めてしまう方が不思議な気がする。
※関連記事:
『喫茶抜け落ち』 2023年1月 記
『4年前の強風が原因か、店先のテント文字抜け落ちる図。』 2013年8月 記
『お米屋さんのテント、屋号だけ抜け落ちてる。』 2013年8月 記
『“ん”抜け、手打うど 。』 2013年1月 記
午前中上京区に納品済ませて午後の現場は寝屋川市某所。京阪は香里園駅で降りて途中王将ラーメン食べて歩いて歩いて仕事して歩いて歩いて地下鉄は大日駅まで。結構移動するももひとつ「これやっ」って光景がないなぁ…そう言えば“春”があったわ、うん。
歩いていてもネックウォーマーも手袋もイランがなって気温やったこと思うとそらぁ梅が咲いていても不思議はないですわな。チョロっと咲いているのがこれまたよろし。
とまぁ春告げる景色ながら気になるのは、ナミイタの小屋に打ち付けられたマルフクの看板ですなぁ。何ともぶち壊し…とは言え経年劣化で掠れてますんでそれなりに景色にええ風合いを与えてますやん。
ビビッド色合いにしてちとダーティな存在やった電話金融の看板も今では景色の隠し味か…歳を重ねるとどうなるかわからんもんでんな。
(於:寝屋川市) わしもマルフク看板も同じ様なモンやいやホンマ。
※関連記事:
『マルフクのある風景』 2024年5月 記
『マルフク三景』 2022年6月 記
『消されるも滲み出るマルフク…とか。』 2022年5月 記
『むかし大今里本町1、いま大今里西2。』 2013年3月 記
『サラ金系看板に汚染された小屋…』 2009年10月 記
「そう言えばまだここの“焼きそばソース”は味わってへんな」ってことで過日和歌山県下のどっかで購入。それはよってってやったか農協の直売所やったか思い出せません。
まず見た目ですけど、レッテル色合いが独特ですよね。緑色が使われているところもののその色合いが渋いからでしょうか、不思議とええ感じに落ち着いて見えます。
次に小皿にとって。かなりの粘度です。ドロントロンです。裏の“品名”見ますとそこには“中濃ソース”の文字。どう見ても“濃厚ソース”に見えますがこの寒さで固まっているからかもしれません。ちなみに“中濃ソース”の定義は“ウスターソース類のうち、粘度が0.2Pa・s以上2.0Pa・s未満のもの”と決められてるそうですけど、素人にはその数値内に収まっているのかどうなんかもわかりません。
色合いはかなり濃いめ。味は甘味より酸味の方が強く感じるかなぁ。何げに梅の実っぽい酸味に海産物っぽい深い旨味…これは原材料表記に引っ張られた感想でしょうなぁ。“梅肉”やら“魚醤”、“オイスターエキス”が含まれています。
最後にいつも通り焼きそばにして食べてみますと、まず第一の印象としては「甘いっ」って感じ。酸味は加熱で弱まったってことでしょうかね。
ふた口三口と食べ進めてもその印象は変わりませんでしたが、食べるに従ってその深い味わいが口中に広がって「あー美味し」。10代から20代に甘口のソースが好きやったことを思い出しました。
「これで“大陽ソース”コンプリートっ!」と思いましたがどうやらまだ“とんかつソース”を記事化していないみたいで。かつて同社の“ウスター”の記事にも同じ様のこと書いていて…妙な感じ。まぁきっとブログ始める前に食したんでしょう。そのうち試してみることにします。
名称:中濃ソース 原材料名:野菜・果実(玉ねぎ、トマト(輸入)、リンゴ、にんにく、梅肉)、砂糖、異性化液糖、醸造酢、アミノ酸液、食塩、香辛料、魚醤、オイスターエキス / 酸味料、調味料(アミノ酸等)、カラメル色素、酒精、増粘剤(加工でんぷん、グリロイド)、甘味料(ステビア、甘草)、(一部にリンゴ、大豆を含む) 製造者:深瀬昌洋商店 深瀬博士 和歌山県紀の川市桃山町元916-1
高槻市某所で仕事。阪急の富田が最寄駅。「そやっ“富田酒”呑んで帰ろ」ってことで“國乃長”のタップルームへ。
サクッと仕事終えたのが1時半。「こんな昼間にホンマにやってるんかいな」と思いつつ向かいますればお客さん少ないもののちゃんとやってました。
最初から決めていた“本醸造の燗酒”頼んで湯煎で温めてもろて…美味しいなぁ。熟成感軽く漂った濃醇さ、好きな味ですわ。
ひとり楽しんでますと担当のお方が交代。「〇〇時まで時間いけますから」みたいな会話をしてはりました。きっと手の空いた社員さんがフレキシブルに店番するってスタイルなんでしょう。それがええなぁと思いまして。
専従のお方がいるのもええんでしょうけど、客の立場からしたら「こういう人たちが醸してはるねんなぁ」っていうことに親近感を抱きますし、きっと社員さんも客がどんな感じに楽しんでるかを直に見ることができてええんちゃうかなと思ったりしました。まぁ勝手な空想ですけれど。
訊けば「製造も事務も営業もみんな空いてるモンが店番してます」とのこと。やっぱり。
午前10時から午後5時までっていうのもよろしいな。堂々昼酒。ついつい同社のビールも飲んで帰路につきました。ちなみにこちらは食べ物ソフトドリンク持ち込み可。後で来たお客さんはフライドチキンとかおかずたくさん肴にビールを楽しんではりました。地元に根ざした感じがいいなぁ。摂津富田の人々が羨ましい思いました。
※関連記事:
『むかしもいまも富田町3。』 2012年5月 記
これは“プラ看板”でもありますけど“時計”でもあります。
ま、見ての通り時計はもう時を刻んでいない様で紙貼って覆われています。別にそこまでせんでもええと思う様にも思いますけどいやぁさすがは薬剤師さんのいる薬局って気もします。キッチリとしたお方やないと務まらんお仕事ですもんね。まぁもう廃業されている様ですけど。
で、Jintan。もちろんこれは“仁丹”のことですわな。10年ほど前はそれなりに嗜んでいたこともありましたけど結局習慣になることなく知らん間に遠のいていました。口に含んだらピリッとして噛めば苦味と甘味のハーモニー…ってそんなええモンかいなぁという気持ちながら美味しいなぁと思たもんです。
かつてはタバコ同様、おっさんは常用していた時代があったこと思うとほんま見かけん様になりましたな仁丹を口に放り込む図を。で、そうそう今日、再放送中の朝ドラ“カムカムエヴリバディ”見てましたら佐川満男さん扮する芸能業界人がイライラしながら仁丹放り込んでました。思えばそんなアイテムでもありましたね。余談ですが父親がかつてタバコをヤメたとき、しばらくは仁丹を大量にボリボリ言わしてましたわ。それなりに中毒性があるんでしょうなぁ。
この時計兼看板の裏面は“グリーン仁丹”。これに関してはかつて記事化しました(昭和なプラ看板 58 ● うめ仁丹/グリーン仁丹)のでそちらをご覧ください。
(於:東成区) 半世紀以上前“良丹”なる類似品をたばこ屋さんの店頭で見た記憶があるんやが…
※関連記事:
『昭和なプラ看板 58 ● うめ仁丹/グリーン仁丹』 2012年3月 記
『で、仁丹』 2009年2月 記
『2月11日 211・ジンタンタン♪で「仁丹の日」』 2009年2月 記
「これはこれは」と一枚。近づいてもう一枚。すると「通報しました」のアナウンスが流れました。
セキュリティに守られている旧町名を示す看板…とか何とか。板壁とほぼ同化してるところがよろしいな。
“生野區”と書かれているところをみるとそれなりの年代モンでしょう。“生野局区内”は生野郵便局管内という意味の様です…ってそや、ここでは“區”ではなくて“区”が使われてます。どっちも普通に使われていたってことでしょうか。
下の広告部分はまぁこの時代お決まりの質屋さんのそれ。“質 吉村”、調べますれば同区中川西にある様ですがストリートビューで見ると2018年以降看板がないところをみると、もう廃業なさっているのかもしれません。が、2018年と言えばえげつない強風の台風(平成30年台風第21号)があった年ですから、その時に風で飛ばされてそのままになっているってことかもしれません。店舗のニュアンスとしてはどうも営業してはる風情はありませんけど。
散髪してもらいにアメ村へ。心斎橋駅降りて地上に出ますればそこは外国人観光客中心に人だらけ。その分御堂筋の車道が減ってえらい様変わりしたもんです。そうか…街のグランドデザインがもう観光客来てもろてナンボっていうことですか。国か府か市か知りませんけどこれからの日本は観光で生き抜くというふうに舵を切ってるんやわやっぱりと改めて思いました。
散髪終わり手洗い借りに大丸、そしてパルコに行ってもやっぱり人だらけ。大繁盛…の端でOPAがあと一年で閉店とか。その理由は“外国人にも日本人にも魅力のないテナントしか入っていないこと”みたいな記事を朝、目にしていたこと思うと大丸、うまいことちゃんと大きな流れに従った店内にしてはるってことですわな。
心斎橋筋越えて東に行くもまだまだ人いっぱい。さらに東でやがて島之内…中央区でも旧南区は「どこの国やねん」って思うほどにすっかり変わってしもたもんです。
あれこれ思てるうちに東横堀川。今日は末吉橋で渡ろと思いますれば阪神高速と川に挟まれた岸辺がええ感じやわと一枚。
「ん?昔もそう思て撮ったんちゃうか?」と帰宅後見ますればやっぱり撮って記事化してます。まったくの同じ構図で。まぁこの変化のなさも記録やわということで焼き直しの、これで。 6年経って変わらんか。「そらそうやろ」思う以上に変わらん自分に危機感抱きますわ。
(於:中央区) まぁ画像処理の腕は上がってるやろからヨシとしよ。
※関連記事:
『コンクリに囲まれた都心の自然林』 2019年4月 記
日本列島どこもかしこも寒い一日。とは言え日本海側でもないし雪は関係ないやろと思うも京都は西陣あたりで仕事して外に出ますと雪景色。お庭にうっすら積もってる風情がええなぁと思うも撮るわけにもいかんなと思いながら北山へ納品。クルマでの帰路、収まっていた雪また降り出して思わずカメラ出しては一枚二枚。 そうそうこんな感じやったんです。よろしいなぁ風情あるなぁやっぱり“きぬかけの路”やわぁ…ってこの道、1991年までただただ“観光道路”と呼ばれていたとか。そうか、それでええ感じなわけか。いっつも遠回り承知で観光道路通って観月橋渡って観光がてらの行き帰り。呑気なもんです。
和歌山県下は山間部を行きますればそこここに見られる琺瑯タンク。今回のはちょっと可愛いくオシャレしてはります。
白菜にみかん、柿、なす、レモン、大根、きゅうり、栗に鮎…掠れ気味の緑地にパステル調と化した絵は何となく黒板に描かれたって感じがします。ま、ここに鮎があって“あゆ”と書かれているのがまたよろしいですな。
定かではありませんけどどうやらここはみかんか何か柑橘の農園でその直売所の様です。ま、季節に応じてここに描かれた農産物や鮎も売ってはるのかもしれません。タンク自体は何に使われているのかは、いつもながら判りませんでした。
で、どこから来たタンクなのか?。いちばん近いところではかつて“金桜”を醸す八塚酒造場や“御代鶴”の御代鶴酒造、“敷波”の伊藤酒造が紀の川市になる前の旧・粉河町にあったそうですが、どこも昭和の時代に廃業されていることを思うと、まぁ他所から運び込まれたものでしょうなぁ。
(於:和歌山県紀の川市) まぁきっと世界一かわいい琺瑯タンクでしょう。
えかげんぼぼけている外套(=コートって言えよ)を新調しに阿倍野の近鉄百貨店へ。見るからに“高級でっせ”やないのに高級なそれを手に取りつつ「バチあたりそうやな」思うもまぁ、最後の外套やろなと思い切って購入…そない大層に言うほどでもないんですけど。
次にうちのひとの服買いにHoopへ。「ここに入ってるハズなんやけどなぁ」言いつつ売り場ガイド見るも無いしでネットで調べますれば「キューズモールやったわ」って、あのなぁ。 ま、それは大したことない訳で。結果としてHoopでスマホ片手にそのお店調べはる間にこういう景色を改めて見ることができてそれはそれでええんちゃいますか。あんまり…って言うか全然繁華街というか都心見ることないもんですんでね近年。見上げればカッコええやん。いわゆる“アベノくささ”は微塵もないですなぁ…って当たり前ですけど。でそうそう、阿倍野って“あべの”は今日的でも“アベノ”と書くと一気に昭和になるなぁといま感じた次第。さて皆さん、どうお感じになられますか。
(於:阿倍野区) きょうびの高級品ってのは「どやっ」がないのがええな…って、クルマとかブランドもんは相変わらずちゃうけども。
頂き物の詰め合わせに入っていたのがこれ。ちゃんと確認せず「醤油屋の手掛けるソースっぽいもんやろ」と、このカテゴリに入れてええもんかいなと思いつつ裏面見るとこれ、ちゃんとした“中濃ソース”ですわ。てな訳でいつも通り焼きそばにして食してみました。
まずは見た目。瓶の底部は沈殿物たっぷりで“中濃”ながら粘度低めな印象。小皿に取るとやっぱりというか醤油屋さんのそれは見たことのない色合いです。ある種“淡口ソース”とも言えます。
味は…商標に偽りなしの「鰹節効いてるわぁ」な感じに醤油感ほどほど。もちろんソースですからリンゴっぽい果実味も備えていて“だし醤油”で知られる鎌田醤油の心意気を感じます。
そして焼きそばに絡めてみますれば…はい、こんな感じ。 見た目に全然ソース感なし。「はい、塩焼きそばです」と言われたら「そうかいな」と思うほどに色が付きません。先にも触れた様にここでも“淡口ソース”を感じます。
食べますと「…美味しいなぁ」。そのまま味わったときより“鰹節感”は感じなんだものの、素直に美味しいと。まぁあえて言うと「ちょっと甘いかなぁ」ってところ。
レッテルの裏を見ますとそこには製造元として“センナリ”と記されています。そうか…広島の会社も関わっているとなるとやっぱり甘口になるってことなんでしょうかね。
原材料名に目を通すといちばん最初に“砂糖類”とありますこと思うと「そら甘いわな」。デーツ(ナツメヤシ)で甘めに仕上げていないところがいわゆる“広島風”とは一線を画してはるんでしょう。
カラメル色素は不使用。それが“淡口”な理由なんでしょうか。なかなかええソースを頂いたもんです。おおきにふーちゃんさん。
名称:中濃ソース 原材料名:砂糖類(ぶどう糖果糖液糖、砂糖)、りんご酢(国内製造)、野菜(トマト、たまねぎ、にんじん、その他)、しょうゆ(小麦・大豆を含む)、食塩、でん粉、かつお節エキス、香辛料、かつお節粉末、煮干いわし粉末 / 調味料(アミノ酸等)、増粘多糖類 販売者:鎌田醤油株式会社 香川県坂出市本町1-6-35 製造者:センナリ株式会社 広島県広島市安佐北区安佐町久地2683-25
中央環状線に挟まれた近畿自動車道の高架下。地味ながらなかなかええ感じ。 まぁ、いつも通りどうってことない光景。
(於:八尾市) こういうの“キャラクターバリケード”というらしい。けど…
奈良市某所で仕事して帰路、新大宮から近鉄に乗ってトンネルで生駒山を抜けますればモノトーンの空にモヤっと赤いひとつの点。
ええ感じやわぁと撮りたいながらも仕事先の皆さんと談笑中となればなかなか撮影に集中する訳にもいかん訳で…とは言え撮らんととカメラ西に向けてシャッター押すも画面の左上の方にちょろっと写ってるだけ。あぁ残念なことで。 改めて画像見るとブレてますやんしかも。アカンわこんなん…と思いましたけどこのボヨボヨさ加減も今日の夕日にふさわしいわいと居直ってドヤっと。ま、ごちゃごちゃ言わんと載せられませんわ。
※近鉄の車窓から見る大阪平野の関連記事:
『クラフトビール列車に乗って』 2024年8月 記
『近鉄奈良線は石切あたり、午後0時11分。』
『近鉄の車窓より眺める大阪平野、午後2時42分。』 2023年1月 記
『午後5時35分、近鉄奈良線車窓から南西を眺める。』 2019年7月 記
『午後5時15分、近鉄電車から見る大阪平野の夕景。』 2017年8月 記
ナショナル(現パナソニック)やセキスイ、タキロンは知るも、“トヨ”ってのはもひとつ知りませんわ。とは言え看板では今までにも見たかもなぁって程度には知っているかな、“トヨ”って。
調べますれば現在は“デンカアステック”というデンカ(旧電気化学工業)の子会社が手がけるブランドで、どうやらマークにある様に“軍配”てなブランドもある様子。現メーカーはいくつかの会社が合併した企業で、そのひとつが“東洋化学”という会社でそこから“トヨ”という商標が生まれた様です。
で、余談ですが雨樋のこと普通“とい”と言いますけど、うちでは“とゆ”と言ってました。まぁ“ハエ”のことを“ハイ”と言うのと同じ方言なんでしょう。それで“トヨ雨どい”のこと調べている中で知ったのはといのことを“とよ”とも言うとか。これは東京の雨樋専門リフォーム会社さんのあるページで知りましたけど…耳にしたことないです。といをととよ言うなら…“トヨ雨どい”はかなりひつこいネーミングとも言えまんな。
※関連記事:
『“ハイアースの水原弘さん消される”で、ハエのことハイと言ったなぁなど雑感。』 2024年8月 記
京都北山某所で仕事。クルマでいつものルートを行きますればいつものところで信号待ち。右の上見ますと今日も変わらずカッコええ光景。 以前撮ったのは半年ほど前。あんまり進捗状況に変化なしって思うのは素人やからでしょう。完成しても美しい構造物になるに違いないでしょうけど、建設途上のそれは期間限定の儚さも相まってか独特の魅力を感じます。ま、まだまだ楽しめそうですけど。
(於:高槻市) 朝日を浴びたクレーンの先っちょがええ感じに光ってる。
※関連記事:
『淀川越える新名神高速工事中の橋脚、午前7時5分。』 2024年8月 記
和歌山は有田へみかん買いに。ついでに白浜までって「どこがついでやねん」ですわな。 一泊して白良浜を眺めながら数枚。「これがいちばんええかな」で7時17分のやつで。ほんのり朝焼けがよろしいなぁ…ってあれっ、よく考えたら西向いての一枚やのに空はこの様な色合いになるんでですね。まだまだ知らんことだらけ。
(於:和歌山県白浜町) 目の前では白良浜の“造成”工事が。まだ継続中やったんや。
最近のコメント