マリリンの挙げた結婚式⑤
マリリン・モンローとジョー・ディマジオの新婚旅行/二人の来日と、マリリンの訪韓米軍慰問についての考察
外伝:マリリンの挙げた結婚式⑤
1956年7月1日、ARTHER MILLER/アーサー・ミラーと、
彼のハリウッドに於けるエージェント、ケイ・ブラウン所有の邸宅/キー・ブラウン・レジデンス(ニューヨークのカトナ郊外)にて、
オーストリア・ユダヤ系のミラー家に合わせ改めてユダヤ教に則った結婚式をラビのロバート・ゴールドバーグのもとに挙げ直す。
ミラーの親族とニューヨークのマリリンの友人縁者たち、即ち、
ミラーの従兄弟のモートン・ミラー夫妻、マリリン・モンロー・プロダクション/MMP副社長ミルトンとエイミーのグリーン夫妻、MMPのジョンとジュディのカンター夫妻、共に演技指導者のリーとポーラのストラスバーグ夫妻、作家で詩人のノーマン(マリリンに詩作の手ほどき)とヘッダのロステン夫妻、デザイナーのジョン・ムーアとノーマン・ノレル(二人はこの結婚式のマリリンのムスリムスタイルなウェディングドレスをデザインした)他、
総勢25名程が参列した。
西海岸/ハリウッドの友人達や関係者は招待されず、
報道陣には一切知らされず極秘裏に、記者やカメラマンも排除された完全にプライベートなものだった。
誓約の儀式には恩師リー・ストラスバーグが父親役に花嫁に付き添い、
MATRON OF HONOUR/既婚婦人介添え役は、エイミー・グリーン(ミルトンの妻)、ジュディ・カンター(彼もまたマリリンの独立にも関わった、MMPではMCA担当エージェントのジョン・カンターの妻)、ヘッダ・ロステン(作家ノーマン・ロステンの妻で、マリリンの私的秘書)と、皆がマリリンの良き友人であり、三人も寄り添った。
マリリンは極薄いベージュ色の花嫁衣裳に合わせてショートヴェールを纏っていたが、このヴェールはマリリン自らコーヒーで染めたものだとも言われる。着付けとメイクはエイミー・グリーンが手伝った。
ミラーは濃紺のスーツに白Yシャツで黒い格子柄ネクタイ、フラワーホールに白い花のコサージュ。
式典後そのまま邸宅の庭にセッティングされた会場/食卓で、ウェディングケーキに入刀し披露宴が行われた。
ミラーとは61年に離婚、
同じく61年(MMP設立から7年目)には、マリリンの魅力に磨きを掛け演技派女優へ昇華させてくれ、権利・経済的にも助太刀してくれた恩人ミルトン・グリーンも自身のMMP所有株/49.6%!を売却して、マリリンに解雇される形となり。2年4ヶ月間、暮らしの基盤を共にしたグリーン夫婦もマリリンの前から去ってしまう、
マリリンの死期が忍び寄ってくる・・・