十月尽。
東京オリンピックも無事に終わりましたね~。
十月も波郷を読みて終りたり/保坂加津夫
わたしも波郷の句集を読んで終る予定。
十月に生れて秋思は夕爾(木下ゆうじ)もまた/堀川千代子
そうそう、十月生まれは、モノノアワレを知る人なり(笑)。
十月の風鈴の鳴る空家かな/小林希世子
わが町も空き家が多くなりました、秋の風鈴がさらに物悲しい(涙)。
水底に魔女の足あと十月尽/星加克己
ハロウィンも恒例行事となりましたが、バカ騒ぎもほどほどに…。
千枚田暮相(くれあひ)浮かべ十月尽/小栗釣月
刈り取りの跡は棚田も寂しげデス。
あ~、十月、終るのかぁぁぁぁぁぁ。
今年の秋は、なんだかなぁ~、シクシク(涙)。
2021/10/30【俳句愛好会・幹】今月の句、落掌致しました。
早くも立冬(11/7)を迎えようとしています(涙)。
連衆の皆さんは如何お過ごしですか?
コロナ(武漢肺炎)もヤヤ落ち着き始めたましたね。
少しずつ日常が戻りつつありますが油断の無きように、と…。
で、今月は二つもLIVEが出来ました。
そして来月、十一月も二つのLIVEを予定しています。
ありがたやぁぁぁぁぁぁ♪
さて、今月の俳句愛好会[幹]の兼題は、【露】でした、他、秋の自由題。
投稿いただいた会員の皆さんへの、添削&アドバイスは随時。
会報は十一月十日ごろまで送付します。
で、次回の兼題は、冬の季語、『セーター』です。
肌で感じる日常的な季語です。
明治に来た外来語で、季語としては新しく、昭和から多く詠まれはじめました。
ちなみに、初めて句作に現れたのは大正三年の事で、【スエタ】と詠んだらしい。
セーターは英語のsweat (スエット=汗をかく)とボートレースが由来です。
そこから変じてsweater(スエーター=汗をかかせるもの)で、ダイエットの為のモノでした。
現在、日本ではセーターとスエットシャツは全然別物ですが、元は同じなのですヨ。
では、例句です。
セーターにもぐり出られぬかもしれぬ/池田澄子
この句は、暖かくて出たくないのではなく、出られない?恐怖を詠んだのです。
セーターを着る時の閉塞感、一瞬の暗闇、モガク事のストレス、いろいろな不安。
言われてみれば、アルアルなのですよね、日常を普通に詠む事が大切です。
詠めそうで詠めない句、さすがです…、他、同作者で、「風のよく通るセーター空青し」も、あります。
セーターの中に貧しき丘がある/櫂未知子
自虐的?な作品、自身の貧乳を嘆いたのか?
この作者には常々、今風の女性の生き様とエロスを感じております。
で、大きな声で私は言いたい(笑)、すべての男が巨乳好きではないのです(笑)。
他、同作者で、「シャワー浴ぶくちびる汚れたる昼は」も、エロチックでありますネ。
まつ白いセーターを着て逢ひにゆく/伊藤政美
人はどんな時に白いセーターを着るのか?
まず、作者は男性である、逢いに行くだから相手は一人、女性だろう。
若い時の冬の勝負服が、真白のセーターなのか、私の清純を見て欲しい?
他、同作者で、「次の世も会ひたき人と花に居り」も、ロマンチストなのネ。
セーターに猫の毛付けしまま帰す/西澤みず季
猫の毛をワザと…、怖いぃぃぃ(笑)。
こりゃ大変だぁぁぁぁぁ、愛猫家は自分の猫の毛がわかりますヨ。
浮気な恋のツケがどうなるのかなぁ~、その後がちょっと楽しみですネ(笑)。
他、同作者で、「方舟に乗せるとすれば男と蛇」も、大人のエロスです。
謀反めく赤きセーター身にまとひ/樋笠文
赤いセーターが似合う女性は間違いなく美人だっ。
で、かなり不穏、誰に対してのムホンなのだろうか…並々ならぬ決意。
そして、戦闘的な色が赤であります、真田の赤備えの甲冑を思い出したヨ。
他、同作者で、「諍を好まぬ蝶の凍てにけり」も、再来年は百歳となる。
セーターの上に口あり笑ひあり/林翔
2009年11月9日、九十五歳で大往生された。
冬服の特徴を上手く出していますよね、顔がクローズアップされています。
セーターに顔が乗っかっているような滑稽感と友人?との楽しい会話に温もりを感じます。
作者の言葉、「俳句は、自分の心と対象物とがぶつかり合った瞬間に生まれる感動が、有季定型の短詩となったものである。私の代表句というべき作品は、すべて右の信条から生まれた。」
セーターを編みし娘の行方かな/小栗釣月
セーターで娘の結婚まで心配しなくても、と言うお話。
後輩某の高校〇年のお嬢さんが誰かの為にセーターを編んでいるらしい。
父親として早くも結婚がチラツキ、とても不安で仕方が無いのだそうだ(笑)。
ま、ご縁があれば嫁ぐわけで、某よ、男らしく諦めが肝心なのだっ(笑)。
他、秋と冬の季語で自由題デス、締切は、十一月二十九日です。
10月28日~七十二候・その53[霎時施/こさめときどきふる]
旧暦・十月二十七日・【吉田松陰】の命日。
【吉田松陰】は、私の、尊敬する日本人、BEST3の一人でもあります。
文政13年8月4日(1830年)~安政6年10月27日(1859年)
死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし
生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし
幕末の思想家として、近代の教育者として、吉田松陰の右に出る人物はいないと断言したいっ。
一君万民論。
飛耳長目。
草莽崛起。
松陰の名著と言えば、≪留魂録≫。
これは読んでいただきたい。
この漢詩も有名です。
立志尚特異 (志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない)
俗流與議難 (世俗の意見に惑わされてもいけない)
不思身後業 (死んだ後の業苦を思い煩うな)
且偸目前安 (目先の安楽は一時しのぎと知れ)
百年一瞬耳 (百年の時は一瞬にすぎない)
君子勿素餐 (君たちはどうかいたずらに時を過ごすことなかれ)
そして百聞は一見に如かずを実践して、
俳人・歌人のように日本中を旅しました。
アメリカには、行かせてあげたかったなぁ~、うんうん。
また、吉田松陰は斬首されるのですが、
その最後の有様が・・・武士なのであります。
その有名なエピソードを、二つご紹介。
松陰処刑の目撃者、八丁堀同心の吉本平三郎が、
維新後、佐倉藩権大参事(副知事?)となる、依田学海(よだがっかい)へ、
詳細に報告しており、その記録によると、以下の通りデス。
「奉行が死罪の申し渡しをすると、
【かしこまりました】と、うやうやしく答え、
評定所を出るときには、介添えの獄吏(ごくり)に、
【長い間お世話になりました】と、やさしい口調で礼を述べ、
さらに処刑される直前に鼻をかんでから、心静かに首を打たれました。
これほど平常心で死んでいった人を見たことはない」
また、松陰の首を打った介錯人、
山田浅右衛門は、松陰のことを知らなかったようですが、
刑場の場に現れた松陰は実に悠々としていて、
役人に【御苦労様】と、挨拶をして端座(たんざ)したそうです。
さらに、司馬遼太郎の「世に棲む日日」の、
山田浅右衛門のエピソードは以下の様に記されています。
江戸中期の頃の思想家山県大弐の死を執行した時、
その最期がもっともみごとであった言う話があるが、
松陰を斬った浅衛門は松陰の名を知らずに、
「十月二十七日に斬った武士の最期が、それ以上に堂々としてみごとだった」と語りました。
吉田松陰、武士の中の武士であります。
他、長州藩藩主毛利敬親公は長州藩の佐幕派が政権をとっている時期でさえ、
食事をしてふと箸を止め「今日は寅次郎(松陰)の日だ」と膳の上の焼き魚に箸をつけるのをやめたそうです。
でで、
映画化された、『獄(ひとや)に咲く花』
既にDVD化されています、是非ご覧くださいませ。
本の虫?たる私は、松陰の次の言葉が好きです。
【万巻の書を読むに あらざるよりは いずくんぞ 千秋の人たるをえん】
*たくさんの書物を読み、勉学をしなければ、立派な人にはなれない*
そして、松陰の辞世の句が、幕末の志士の心を震わせます。
長州の討幕はこの辞世の歌で始まったと言っても過言ではない。
[身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂]
*私の身体はこの武蔵の地で滅んでも、私の大和魂はこの世にとどまり日本国を守ります*
かあぁぁぁ~、泣いちゃう(涙×涙)
吉田松陰に興味のある方は司馬遼太郎の書。
『花神』&『世に棲む日々』の一読をオススメします。
是非是非是非。
m(_ _)m
映画・【すばらしき世界】を観た、ネタバレなし。
今月は既に35本ほど観ました。
なかなかのハイペースでございます。
で、映画、【すばらしき世界】。
監督は、あの、「ゆれる」の西川美和女史。
原案は、作家、佐木隆三の問題作、「身分帳」。
この作品のリアルさは、「身分帳」が実在の人物をモデルに書かれたからだろうなぁ。
まぁ、あれこれ書かないけれども、何度も、う~んと唸ったヨ。
そうなんだよね~、人生は、いや、人間は、卑怯で、薄汚れていて、自分勝手で、嘆かわしい、不完全なモノ。
しかし、人の心の闇や二面性を見た後でも、我々が生きているこの世界は、自然は、人間は、社会は、素晴らしいのです。
ふと、私は、池波正太郎が作品の中で繰り返し語らせる言葉を思い出しました。
「人はいいことをしながら悪いことをして、悪いことをしながらまたいいことをする」
善人と悪人は簡単に分けられない。
また、歎異抄の有名なあの言葉も同時に思い出していました。
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」
そして、あ~、キリが無い。
この映画、是非、ご覧ください。