七月尽。
夏炉。
しかし、俳句では、なつろ、と、して詠む。
木曽人は雨寒しとて夏炉焚く/松本たかし
御嶽の湯宿夏炉を焚きをりぬ/木谷尚子
夏炉とは、字の如く、夏の炉である。
単に炉では冬の季語となる。
炉とは、火を焚く、囲炉裏や暖炉の事。
また、山小屋やキャンプ場には備え付けの炉がアル。
夏でも標高の高いエリアにおいては炉を焚く。
木曽御嶽山は夏でもかなり冷え込むらしい。
酔いながら半生語る夏炉かな/小栗釣月
夏のキャンプは、海ではなく高山に行った、理由は涼しいから。
ただ、朝晩はかなり冷え込み、ブリキの炉をつくり火を入れたりした。
今は、軽量でコンパクトな焚き火台がなかなか良さげだっ。
夏炉焚き星となりたる人のこと/岩岡中正
夏炉吠へ鬼籍の友も歌いだす/小栗釣月
夏の火は死者を招くのかもしれない。
キャンプで火を焚くと不思議と他界した懐かしい顔が想い浮かんだモノだ。
久しくキャンプで火を焚いていないなぁ~。
こきりこを聞くや夏炉の燻りに/柴田由乃
一人来て又一人来て夏炉かな/岡田史女
昨今は、ソロキャンプブームらしい。
なんでも、お一人様が良いのでしょうか?
火を焚く為だけに、キャンプに行くのもヨイなぁ。
2021/07/30【俳句愛好会・幹】今月の句、落掌致しました。
来月、八月七日は立秋です。
歳時記の季は秋となりますヨ。
今月もLIVEを二本しましたぁぁぁぁ。
この頃は、Beatlesばかり演奏しています。
で、今月の俳句愛好会[幹]の兼題は、【冷奴】でした、他、夏の自由題。
投稿いただいた会員の皆さんへの、添削&アドバイスは随時。
会報は八月十日ごろまで送付します。
でで、次回の兼題は、『西瓜』です。
真夏のイメージがありますが、秋の季語です。
なぜ秋の季語なのか?
新暦と旧暦の混沌であります、はぁ。
ちなみに、西瓜割は晩夏の季語、う~ん矛盾していますね(笑)。
ですから、夏の果物として詠んでも一向に構いません。
西瓜はアフリカ原産。
西域より来たらしく、西瓜となったようです。
日本に渡来したのは、室町時代以降と推察されています。
元禄期には既に芭蕉や其角が詠んでいますネ。
秋海棠西瓜の色に咲きにけり/松尾芭蕉
西瓜食ふ奴(やっこ)の髭の流れけり/宝井其角
では、例句です。
夏と秋と二つにわりし西瓜かな/夏目成美
夏目成美(なつめせいび)は江戸時代後期の俳人。
小林一茶が傾倒した人物です。
「のちの月葡萄に核(さね)のくもりかな」は有名な一句。
*核(さね)=種の意。
旧歴では、7・8・9月が秋、しかし、夏目は夏と秋の狭間の果物だとした。
二つに割れて、右半分が夏、左半分が秋だと・・・なかなか粋な男であります。
晩年も西瓜の種を吐きちらす/八木忠栄
大昔(笑)、西瓜は縁側で兄弟や従兄弟たちと種を飛ばしあって食べたものだ。
今どきの子供はスプーンで行儀よく食べるのだろうが私たちは手づかみで豪快に食べた。
作者は今風を認めていない現役のヤンチャ坊主なのだ。
俺は変わらんぞと、うんうん、良いではないですか。
こいびとの膝に西瓜の種がある/池田澄子
なんとも意味深ではありませんか。
君はいったいどこで西瓜を食べて来たの?って事???
謎めいていて小説が一つできそうですね。
作者の父の郷里が私の地元でありで戦時中は疎開していたそうです。
ぽんぽんと店主の叩く西瓜買ふ/小沼ゑみ子
そうそう、昔はスーパーではなくて野菜屋さん果物屋さんで買ったものだ。
甘いの下さいって言うと、お店のベテラン風の人がぽんぽんと叩いて、これが甘いと言う。
なんでわかるのか子供心に不思議であった・・・そんな事を思い出した。
騒がしき子らに西瓜を切り分ける/小林朱夏
夏休みの母の目線だ。
兄弟が多いのか親戚の子供も来ているのか。
光景が目に浮かぶではないか、昔は本当に子供が大勢いたよ。
もう、一句、昼寝の子西瓜の種を付けしまま/小林朱夏
太陽の匂ふ少女ら西瓜喰む/柴田久子
小麦色の健康的な乙女たち。
無邪気に西瓜を食べる光景。
作者はそれを「太陽の匂ふ」としたのだ。
涼しげな・・・いや、爽やかな一句だ。
他、夏・秋の季語で自由題デス、締切は、八月三十日です。
蝉時雨。
蝉時雨児は擔送車に追ひつけず/石橋秀野
夫の健吉が、後に「児」を「子」に、また、旧書体の擔を担と改めた。
蝉時雨子は担送車に追ひつけず/石橋秀野
これほどまでに、衝撃的な辞世句(結果的だったとしても)があるだろうかっ。
前書きには、七月二十一日とあり、緊急入院の日付である。
担送車とは、現在のストレッチャーの事。
母が乗せられた坦送車に、幼い娘が取り縋ります。
娘は母に追いつけずに引き離され、母を呼んで泣き叫び崩れ落ちる。
その嗚咽を聞きながら手術室へ運ばれていく、母、秀野。
はからずも蝉が時雨のごとく喚き散らす。
娘の叫び声が蝉の声と唱和して耳と心に迫り来る。
38歳と云う若さで逝った女流俳人。
秀野の遺した愛児への絶筆。
句帖に青鉛筆の走り書きであったとの事。
私は年甲斐もなくこの句を口ずさむ時に涙が零れるのです。
療養所の廊下で泣き叫んでストレッチャーにすがろうとした吾子(五才の安見/ヤスミ)。
自分は死期を悟り受け入れながらも、この娘を憐れみ、しかし、冷徹に俳人としてに詠んだ。
ゆえに、その、あまりにも強い客観性を、後に安見(エッセイストの山本安見子・本名:石橋安見)が憎み、この句を、「大嫌いである」、と、書くに至る。
だが、しかし、この一句によって、石橋秀野は、近代俳句史に深々とその名を永遠に刻む事になるっ。
汗を吹く茶屋の松風蝉時雨/正岡子規
還ります人に故国の蝉時雨/阿部みどり女
黒衣着てどこか破調の蝉時雨/櫂未知子
蝉しぐれ褪せ放題の緋の幟/中原道夫
オタターブ上る昼時蝉時雨/山本怜子
目覚ましの鳴るより早き蝉時雨/桑垣信子
蝉時雨この三界を浄化せむ/小栗釣月
蝉時雨は、私にとっていつも悲しいのであります。
向日葵。
向日葵や空が青くて悍(おぞ)ましい/小栗釣月
品種によって咲き方がバラバラみたいです。
私の地元では咲き始めましたよ。
もちろん夏の季語デス。
別名多し、日車[ひぐるま]、日車草、日輪草、向日葵[ひゅうがあおい]、天蓋花[てんがいか]、サンフラワーなど。
花言葉は「私はあなただけを見つめる」、なんとでかい瞳。
原産地は北アメリカ、日本への伝来は17世紀ごろらしい。
計算ドリル向日葵が見ておりぬ/小栗釣月
また、夏休みのイメージ・・・夏の日の遠いノスタルジィの俤でもある。
向日葵の大きく母の生家なり/勝田公子
向日葵に大学の留守つづきおり/鈴木六林男
ひまわりは黒いまぶたをつむりたい/三宅やよい
向日葵が西を向かずに日暮れたり/保坂加津夫
向日葵や昔々の首切り場/吉田多美
はじめてはひまわり畑のど真ん中/小栗釣月
向日葵と熱唱したり応援歌/小栗釣月
頑張れニッポン♪
と、言いつつオリンピックは全然見ていませんが・・・。
スポンサーでありながらOPを反対しつつTV放映はする。
本誌はチャイナコロナ(武漢肺炎)を見出しトップとしつつも、
子会社のスポーツ誌ではオリンピック一色でガンガン煽る。
さらにOPの夏のコンディションを心配し秋へとの声を出したにも関わらず・・・。
真夏の炎天下、最悪のコンディションの中での甲子園の祭典は主催として決行する。
あ~、二枚舌、ダブルスタンダードの極み、人権派?笑ってしまうなぁ。