三月尽・・・三月が終わります。
2021/03/31【俳句愛好会・幹】今月の句、落掌致しました。
黄砂にも驚きです、チャイナから来るのは迷惑なモノばかり・・・(怒)。
もうしばらく寒い朝が続きます、みなさん、ご自愛ください。
さて、今月の俳句愛好会[幹]のテーマは、【海】でした。
投稿いただいた会員の皆さんの、添削&アドバイスは随時。
また、秀句の評論などの会報は、四月十二日頃までに送付します。
さて、次回は、久しぶりに、兼題、季語とします。
兼題は、『春灯(燈)』デス。
しゅんとう、はるともし、春の灯(燈)。
灯火は春夏秋冬、すべての季語となっています、が、全部違うイメージです。
夏の灯には涼が、秋の灯には哀愁が、冬の灯には明るさの中に冷を感じます。
そして、春の灯には、宵でも真夜中でも、明るく華やぎ、そして艶がありますネ。
体感的な温みではなく、心を癒す温みのように思うのですが?如何?。
春灯、音読のしゅんとう、訓読のはるともし、音の響きの違いを理解しながら創作しましょう。
春の灯で、誰を、何処を、ナニを、灯すか?それがポイントですネ。
では、例句。
春の灯や女は持たぬのどぼとけ/日野草城
女性を灯す。
新婚初夜を即吟的に詠んだ?超問題?連作「ミヤコ ホテル」の作者らしい句。
作者は女性を常に観察している、女性のエロスを詠ませたら右に出る者はいない。
作者は、艶やかな春の灯に映る女性の美しさを再発見したのだ。
女性の持たない、「のどぼとけ」、を、出すことにより、喉のまろやかさ、さらには女性の体の曲線、エロチズムに昇華させた。
春の灯の艶めきは、女性をさらに甘美なものにさせるものらしい。
あおあおと水族館の春灯/西村和子
水を灯す。
春の水族館と言うだけで良い。
水槽のたくさんの水がゆらゆらと揺れている、ならば、やわらかく、はるともし、だ。
家庭内の春灯は多く詠まれているが、水族館は無いはず。
非日常の水族館の幻想的な雰囲気がとても良い。
栞ひも書架より零れ春燈下/井上宗雄
本を灯す。
書架=本棚。
作者の本棚の本の端から、栞(しおり)ひも、が、零れているのだ。
私も自分の本棚を見た、うん、確かに栞が垂れている。
その本の一冊一冊に想い出がある、感動がある、季節がある・・・。
本は自分史だ、時に好みが変わり、また、戻って来たり・・・自分の鑑でもある。
春の宵、柔らかい春の燈の下で作者は何時の時代を懐かしんでいたのだろうか?
やりすごす夜汽車の春の燈をつらね/木下夕爾
夜汽車を灯す。
上五、やりすごす、と、ならば、別れのシーンではない。
遣り過ごす(やりすごす)とは、後から来るものを先に行かせる事だ。
と、すると、踏切なのだろうか?
作者の目前の闇を、夜の車窓が春の灯をつらねて過ぎてゆく。
光のスピード感と残映・・・まるで、銀河鉄道の夜ではないか。
また、街の灯りにも人の生活がある、ましてや、夜汽車に揺られる生活とは?とも、考える。
この抒情的なリズムを生み出したのは、『句またがり』の手法と、はるのひ、と言う言葉の柔らかさである。
そこに本当のノスタルジーが生まれたのだ。
春灯や食ぶるに惜しき京干菓子/小倉正穂
お菓子を灯す。
文語、【食ぶ】の活用形、食ぶる、と、惜しき。
干菓子(ひがし)とは生菓子の対で、乾燥した和菓子の総称。
春の灯の下の干菓子は、間違いなく金平糖などのカラフルな茶道用の干菓子であろう。
キラキラと輝く干菓子がヨリ一層美味しく奇麗に見えた、ゆえに、食べられないのだ。
他、自由題としては春の季語で・・・。
締切は、四月二十八日です。
詠む事と同時に、読む事にも力を入れましょう。
良い詠み手は、さらに良い、読み手でなくていけません。
3月30日~七十二候・その12[雷乃声発/かみなりすなわちこえをはっす]
春雷や煙草の箱に駱駝の絵/横山きっこ
ノートするは支那興亡史はるの雷/鈴木しづ子
春の雷アトランティスの浮上せり/小栗釣月
二十四節気の春分・末候、雷乃声発。
雷は、単体だと、夏の季語です。
天候不順な日本海側では、秋冬に多いのだが、
全国的には、圧倒的に夏に最も多いらしいので・・・。
春の雷は夏とは違いすぐ鳴り止むが音は大きい。
恵みの雨を呼ぶ春の雷と言う事になるだろうか?
では、春の雷。
春雷[しゅんらい]で、あります。
好きなものは玻璃薔薇雨駅指春雷/鈴木しづ子
春雷の地平線より来りけり/小川龍雄
春雷や魂はいま薔薇色に/わたなべじゅんこ
春雷やマーマレードを煮る夜更け/岡田万壽美
春雷に応へて熱きフラメンコ/吉村春風子
春雷に取られてしまひ真夜の夢/木内美保子
春の雷プリンアラモードの揺るる/小栗釣月
鳥帰る。
霞(かすみ)Ⅱ。
ヨク聞かれるのがネ~霞と霧ってどう違うんですか?
確かにわかりにくいカモですネ~。
霞は春の季語デス。
霧は秋の季語デス。
これは気象学用語ではないコトにご注意下さい。
霞は「たなびく」、
霧は「たちのばる・たちこめる」。
季語としての霞は、春の山野にたなびく暖かな水蒸気。
森羅万象が悉くほのぼのと薄れゆく淡い景色で、夜は霞を、「朧」と呼びます。
季語としての霧は、秋の冷たく細かな水の微粒子が、白い煙のように立ちのぼる事。
霞は、ほんわか暖かく軽いイメージ。
霧は、鋭利で冷たくやや重いイメージ。
と、私は思っています。
孤島なり霞のなかの落日は/金子兜太
富士山を霞の奥に見失ふ/稲畑汀子
曳船の霞んで上る隅田川/及川澄江
遠霞む開門橋までゆくところ/大東由美子
霞むほかなき山々の霞みけり/有働亨
父は霞みて母は朧に在します/大橋麻沙子
準急のしばらくとまる霞かな/原田暹
尾根筋の込み合うてゐる霞かな/土井田晩聖
古墳秘め夕べの山河霞みをり/村越化石
山鳩を吐き出す朝の八重霞/小栗釣月
楽しみにしていた春満月・・・雲が邪魔して全然観れんかったぁぁぁぁ(涙×涙)。