2018/09/30【俳句愛好会・幹】今月の句、落掌致しました。
久しぶりにクラシックギターの弦を張替ました♪
10月6日(土)は、私のギターの師匠、狩谷明先生の教室の演奏会です。
【第26回/狩谷明ギター・ウクレレ教室&秋葉区ギターアンサンブル定期演奏会】が新潟市秋葉区文化会館にて開催されます。
詳細はコチラ→10月6日【第26回/狩谷明ギター教室定期演奏会】のお知らせ。
お時間のアル方は、是非、ご来場下さいマセ。
さて、練習デス、頑張る♪
藤袴・・・薄紅紫色の秋の七草・・・花言葉は「あの日を思い出す」
別名、蘭草・紫蘭・香草・香水蘭。
やどりせし人のかたみか藤袴わすられがたき香ににほひつつ/紀貫之
秋ふかみたそがれ時の藤袴にほふは名のる心ちこそすれ/崇徳院
吹かれゐる大いなる絮(じょ・棉)は藤袴/阿部みどり女
唐より渡来し帰化したのは、山上憶良(660年?~733年)の奈良朝の頃らしいが、在来種とする説もある。
源氏物語、夕霧は玉鬘に藤袴を差し出して詠いかけるシーンが有名。
満州国の国章[蘭花紋]でもあった。
家持の妻恋ひ日和藤袴/牧長幸子
藤袴歌に詠むべき名なりけり/佐藤紅緑
藤袴ゆれれば色を見失ふ/山下美典
藤袴手に満ちたれど友来ずも/橋本多佳子
藤袴手折りたる香を身のほとり/加藤三七子
八一歌碑撫づるがごとく藤袴/和田春雷
たまゆらをつつむ風呂敷藤袴/平井照敏
そろそろ雪駄(せった)も終わりだね。
暖かいうちは買い物にも雪駄で行く。
靴下がメンドイ、特に夏場は超メンドイ。
サンダルは履かないので雪駄はサンダルのかわりッス。
雪駄、雪踏。
元々、席駄(せつだ)から変化したとの説が有力。
雪駄は当て字、竹皮草履 の裏に革をはった履物。
底が痛みにくく、また、湿気が通らない為に茶人や風流人が用いた。
通説では、
戦国時代後期から安土桃山時代にかけての伝説の茶人、
丿貫(へちかん)の意匠によるものともいわれているのだが、
オリジナルでなく、原型は平安時代に既に貴族が使用している。
丿貫(生没年不詳)は、べちかんとも言われる、
名の表記は、丿恒、丿観、別貫などとも、「丿(ヘツ、ヘチ)」は、漢字である。
元禄時代には、裏の革が減るのを防ぐために、
かかとに尻鉄 (しりがね) を打つことが流行した。
江戸の奉行所の同心は、
必ずばら緒(尻鉄付きの雪駄)を履いており、
尻鉄の音がチャラチャラと鳴るのはトレードマークだった。
ほか、
毛皮をつけた「毛雪駄(けせきだ)」、
吉原遊びのときに履く「吉原雪駄」、
大名の奥方は、紋織物の緞子(どんす)の布地を使った「乗物雪駄」、
僧侶や医師は表が黒塗り皮の「カピタン雪駄」、
などなど、幅広く普及していったようだ。
地名論by大岡信
水道管はうたえよ
お茶の水は流れて
鵠沼に溜り
荻窪に落ち
奥入瀬で輝け
サッポロ
バルパライソ
トンブクトゥーは
耳の中で
雨垂れのように延びつづけよ
奇体にも懐かしい名前をもった
すべての土地の精霊よ
時間の列柱となって
おれを包んでくれ
おお 見知らぬ土地を限りなく
数えあげることは
どうして人をこのように
音楽の房でいっぱいにするのか
燃えあがるカーテンの上で
煙が風に
形をあたえるように
名前は土地に
波動をあたえる
土地の名前はたぶん
光でできている
外国なまりがベニスといえば
しらみの混ったベッドの下で
暗い水が囁くだけだが
おお ヴェネーツィア
故郷を離れた赤毛の娘が
叫べば みよ
広場の石に光が溢れ
風は鳩を受胎する
おお
それみよ
瀬田の唐橋
雪駄のからかさ
東京は
いつも
曇り
1960/9/30・日本プロレス・ジャイアント馬場&アントニオ猪木同時デビュー♪
馬場正平(1999年1月31日・満61歳没)と、
猪木寛至が同時デビュー。
この日は、まだ、二人に、リングネームはなかった。
プロレスの黄金時代、リアルタイムでお二人の活躍を見て、
大大大興奮したものです・・・オフクロも、プロレス好きだったなぁ~。
タイガー・ジェット・シン
ビル・ロビンソン
アンドレ・ザ・ジャイアント
アブドーラ・ザ・ブッチャー
フリッツ・フォン・エリック
フレッド・ブラッシー
ミル・マスカラス
ニック・ボックウインクル
ボボ・ブラジル
ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク
スタン・ハンセン
ブルーザー・ブロディ
ハルク・ホーガン
ふと、浮かぶ名前はこれぐらい。
しばらくプロレス、観てね~な~。