次スレを先にのぞいたらこっちを先に終わらせろと書いてあったのでこっちに来ました。
元夫が逮捕されました。今留置所にいます。長いうえにたいした修羅場じゃないかもですが、よかったらお付き合いください。
五年前に私は十年の結婚生活にピリオドを打った。離婚の理由は、私が元夫の猫を私姉宅に里子に出したから。
この猫は、元夫が車で轢いてしまった猫だった。動物病院に連れて行ったもののそのせいで前足はびっこ、後足は片方が動かず、元夫は轢いた責任で家に連れ帰ってきた。
ここだけを聞けば立派だと思う。
ただし私たちの娘(二人)はどちらも動物アレルギーを持っていた。さらに下の子は小児喘息を抱えていたから、猫と一緒に暮らすことは初めから無理があった。
連れて来た時、そう言った私に元夫が言った言葉。
「だったら○(次女)を隔離すればいいだろう!!」
猫を隔離するのではなく、娘の方を隔離するとほざいた。この家は元々造園業を営んでいた夫祖父母から受け継いだもので、家のそばに物置があった。そこに娘を隔離させると。当時、次女は四歳。
私の反対を押し切り、元夫は猫を連れ帰ってきた。本人は溺愛しているつもりだったが、猫の世話の七割は私が、三割は長女がしていた。とうの元夫は口ばかりで何ひとつ世話をしなかった。
夫は「轢いてしまった猫を、立派に飼っている素晴らしい自分」に酔っていた。家は猫中心の生活になった。
娘たちの体調を考慮し、猫には二階の限られたスペースで暮らしてもらうつもりだった。足が不自由な子だから階段を自分で降りてくることはできないので、階段の手前に転落防止の柵を取り付けることで隔離しようとした。
夫、激怒。「こいつはもう家族なんだ!!厄介者のように扱うな!!」だって。
咳き込む娘たちに「わざとらしく咳をするな」だの、「あてつけのつもりか」と暴言を吐くように。
それでも一年弱、猫を飼い続けたのはとうの娘たちの希望だった。元々、体質的に飼えないから諦めていただけで、娘たちは大の動物好き。足が不自由で介助してあげないとトイレにも困る猫の世話を長女はいつもマスクをしてやっていた。
それが渋々とかではなくて、本当に好きでやっているのがわかる嬉しそうな顔をしていた。
あの顔を見てしまったら、「諦めなさい」とは言えなかった。
でも、本当は心を鬼にしてでも言うべきだった。思い返すたびにできるものなら当時の自分を張り飛ばしに行きたい。
最初に触れたけど、次女には小児喘息がある。
ある日、肺炎を併発した。アレルギーの咳と小児喘息が最悪の形で次女に訪れていた。
病室で呼吸困難を起こす娘の姿を見て、私は猫を里子に出す決心をようやくした。
それが私姉だったのは、姉一家(夫実家住み)は猫好きで姉夫家族は以前にも体が不自由な猫を飼ったことがあったから。里親を持ちかける前から度々うちで引き取るよと言ってくれていたので、甘えさせてもらった。
七歳の長女と五歳になっていた次女は嫌がったけれど、何度も根気強く説明した結果、里子に出すことを承知した。
これに納得しなかったのが夫だった。
娘たち泣く泣く諦めたのに、姉宅に押しかけて連れ帰ってくると、また次女を隔離すると言い出した。
当時、次女はまだ入院していた。聞き分けのない父親を七歳の長女が「パパ、しょうがないよ」って諭しているのに、聞き分けず長女を「無責任だ」と張り飛ばした。
このとき私のなかで離婚が確定になった。その場で離婚を突き付けた。
元夫は自分の考えがすべて正しいと思い込む傾向が多々あった。このときも元夫は猫が可愛いからではなく、「立派な自分」に陶酔しているだけだった。
出て行くのならひとりで出て行けと元夫は言い、口論に発展。
つかみ合いになって私が元夫を投げ飛ばした。(柔道歴十三年)
その足で娘を連れて近県で暮らす兄宅に押し掛けた。
(脳震盪起こした元夫は、姉夫に依頼して様子を見に行ってもらった)
事情を説明すると、兄よりも兄嫁のほうが親身になってくれて、当分の間置いてもらえることになった。離婚問題に強い弁護士も兄嫁に紹介してもらった。
そこからはトントン拍子に進んだ。
元夫は離婚にごねたものの、最終的に慰謝料養育費なしで合意。
離婚後は遠方の私地元に引っ越し、しばらくは平穏に暮らしていたものの……。
どこかからか私が再婚したと聞きつけたらしくゲリラ訪問してきたorz
元夫が逮捕されました。今留置所にいます。長いうえにたいした修羅場じゃないかもですが、よかったらお付き合いください。
五年前に私は十年の結婚生活にピリオドを打った。離婚の理由は、私が元夫の猫を私姉宅に里子に出したから。
この猫は、元夫が車で轢いてしまった猫だった。動物病院に連れて行ったもののそのせいで前足はびっこ、後足は片方が動かず、元夫は轢いた責任で家に連れ帰ってきた。
ここだけを聞けば立派だと思う。
ただし私たちの娘(二人)はどちらも動物アレルギーを持っていた。さらに下の子は小児喘息を抱えていたから、猫と一緒に暮らすことは初めから無理があった。
連れて来た時、そう言った私に元夫が言った言葉。
「だったら○(次女)を隔離すればいいだろう!!」
猫を隔離するのではなく、娘の方を隔離するとほざいた。この家は元々造園業を営んでいた夫祖父母から受け継いだもので、家のそばに物置があった。そこに娘を隔離させると。当時、次女は四歳。
私の反対を押し切り、元夫は猫を連れ帰ってきた。本人は溺愛しているつもりだったが、猫の世話の七割は私が、三割は長女がしていた。とうの元夫は口ばかりで何ひとつ世話をしなかった。
夫は「轢いてしまった猫を、立派に飼っている素晴らしい自分」に酔っていた。家は猫中心の生活になった。
娘たちの体調を考慮し、猫には二階の限られたスペースで暮らしてもらうつもりだった。足が不自由な子だから階段を自分で降りてくることはできないので、階段の手前に転落防止の柵を取り付けることで隔離しようとした。
夫、激怒。「こいつはもう家族なんだ!!厄介者のように扱うな!!」だって。
咳き込む娘たちに「わざとらしく咳をするな」だの、「あてつけのつもりか」と暴言を吐くように。
それでも一年弱、猫を飼い続けたのはとうの娘たちの希望だった。元々、体質的に飼えないから諦めていただけで、娘たちは大の動物好き。足が不自由で介助してあげないとトイレにも困る猫の世話を長女はいつもマスクをしてやっていた。
それが渋々とかではなくて、本当に好きでやっているのがわかる嬉しそうな顔をしていた。
あの顔を見てしまったら、「諦めなさい」とは言えなかった。
でも、本当は心を鬼にしてでも言うべきだった。思い返すたびにできるものなら当時の自分を張り飛ばしに行きたい。
最初に触れたけど、次女には小児喘息がある。
ある日、肺炎を併発した。アレルギーの咳と小児喘息が最悪の形で次女に訪れていた。
病室で呼吸困難を起こす娘の姿を見て、私は猫を里子に出す決心をようやくした。
それが私姉だったのは、姉一家(夫実家住み)は猫好きで姉夫家族は以前にも体が不自由な猫を飼ったことがあったから。里親を持ちかける前から度々うちで引き取るよと言ってくれていたので、甘えさせてもらった。
七歳の長女と五歳になっていた次女は嫌がったけれど、何度も根気強く説明した結果、里子に出すことを承知した。
これに納得しなかったのが夫だった。
娘たち泣く泣く諦めたのに、姉宅に押しかけて連れ帰ってくると、また次女を隔離すると言い出した。
当時、次女はまだ入院していた。聞き分けのない父親を七歳の長女が「パパ、しょうがないよ」って諭しているのに、聞き分けず長女を「無責任だ」と張り飛ばした。
このとき私のなかで離婚が確定になった。その場で離婚を突き付けた。
元夫は自分の考えがすべて正しいと思い込む傾向が多々あった。このときも元夫は猫が可愛いからではなく、「立派な自分」に陶酔しているだけだった。
出て行くのならひとりで出て行けと元夫は言い、口論に発展。
つかみ合いになって私が元夫を投げ飛ばした。(柔道歴十三年)
その足で娘を連れて近県で暮らす兄宅に押し掛けた。
(脳震盪起こした元夫は、姉夫に依頼して様子を見に行ってもらった)
事情を説明すると、兄よりも兄嫁のほうが親身になってくれて、当分の間置いてもらえることになった。離婚問題に強い弁護士も兄嫁に紹介してもらった。
そこからはトントン拍子に進んだ。
元夫は離婚にごねたものの、最終的に慰謝料養育費なしで合意。
離婚後は遠方の私地元に引っ越し、しばらくは平穏に暮らしていたものの……。
どこかからか私が再婚したと聞きつけたらしくゲリラ訪問してきたorz